トントン拍子に話は進む

 その日のサロンは盛況だった。

 劇団ソラリスに融資してくれているパトロンたちに挨拶を済ませながら、私はずっと彼らを眺めて、いったい誰に打診すべきかを迷っていた。

 私の一番の太い客は、芝居好きの男爵貴族だけれど……あの方は貴族としてはかなり珍しく、芝居以外の遊びを嗜まない方で、その上愛妻家だ。この人に「お金に困っています。愛人にしてください!」なんて言おうものなら、愛人どころかパトロンから降りられかねない。

 続いて宝石商がいるけれど……あちらは手に付けられない程に女遊びをしている。私が愛人にしてと言ったら喜んでしてくれるだろうけれど、修羅場になりかねない。ただでさえゴシップ狙いの記者たちが私の周りをうろついているというのに、餌になるようなものを与えたくはなかった。

 残るは……爵位持ちは皆未婚者だから、婚前恋愛禁止条例に引っかかってしょっ引かれるおそれがあるから嫌。あとは豪商だけれど……問題あるのしかいないからな。

 私が笑顔のまま、ずっと検分をし、どれもこれも違うと頭を悩ませている中。


「紫のバラ、あなたの主催ですのに、どうも浮かない顔をしてらっしゃいますね」

「……ウィルフレッド」


 甘いマスクの彼が来たのに、私は思わずジト目で見てしまった。

 はっきり言って、こいつが一番信用ならない奴だった。

 私が王都に来たばかりで、右も左もわからないまま、新興商人だった彼がほいほいと私の衣装の面倒を見てくれるようになったのがはじまりだった。

 彼は私を広告塔にして、輸入してきた他国の布や香水を売り、どんどん業績を伸ばしていった。そして私は、どんどん潤っていくウィルフレッドにより、衣装だけでなく、髪飾りや舞台の面倒まで見られるようになり、とうとう劇団の主催までできるような立ち位置に変わり、王都で名を馳せる女優として君臨できるようになった。

 ここまでしてもらって信用ならないというのは、私もはっきり言って酷だとは思う。

 仕事の面では、たしかに彼は信用できる。こちらだって育ててもらった恩義は忘れてないつもり。ただ。

 プライベートでは絶対にかかわりたくないっていうのも事実。

 私がまだおぼこい女優の卵だった頃には、既に貴族令嬢に手を出し、駆け落ち寸前の寸劇を引き起こしていた。それで大騒ぎだったものの、鎮火したのはひとえにウィルフレッドの金の力だと思う。

 それからも、あちこちの美女との浮き名を轟かしていた。

 なんだコイツ。私の筆頭パトロンながら、ドン引きだった。

 でも……お金があるっていうのだけは事実なんだよな。

 王都に滞在しているのは、問題ある富裕層か、労働階級しかいない。基本的に富裕層は郊外に住み、王都の中心部は騎士団の詰め所やらここに根ざしている一般人ばかりが住んでいる。

 新興貴族が王都で羽振りを利かせて住んだとしても、次の瞬間没落して、王都から夜逃げしてしまった例は数知れず。王都に残り続けて商売を続けられているというのは、それだけでステータスになる。


「……あなたに少しだけ仕事の上の話があるのだけれど、よろしい?」

「ほう? 珍しい。あなたが自ら頼ってきてくれるというのは、パトロン冥利に尽きますなあ。でも、主催者がここでいきなり私と行方をくらませたら困るのでは?」

「ならバルコニーに移動しましょう。そこなら目立つから、行方をくらませたなんて思われませんし」

「それなら」


 こうして、私たちはバルコニーに移動した。

 私の胸中にかかる雲とは裏腹に、今晩は月が出ていて、夜風も吹いて程よい日だった。

 その中ウィルフレッドはシャンパングラスにシャンパンの瓶を携えてバルコニーに置いた。


「それでは、今宵はお誘いを受けましたが……」


 そう言いながら私にシャンパンを注ぎ入れて差し出した。私はそれを受け取ると、ひと口だけ飲んだ。


「……単刀直入に言います。お恥ずかしながら、付き人に金を持って逃げられました」

「穏やかな話ではありませんな」

「涼しい顔で言うのね。商売をしていたら、そういうのはしょっちゅう?」

「ええ。残念ながら。どれだけ信頼を注いだとしても、人が信頼で返してくるとは限りませんから。ただ、こちらも商人です。信頼することでしか、財は成せませんから。それで、いったいいくら?」

「あなた……まさかと思うけれど全額立て替える気?」


 さすがに私は「まずい」と思った。

 ウィルフレッドは私に入れ込んでいるとはいえど、商売人だ。私は単純に金策に来ただけだというのに、ここで全額立替なんてなったら。

 なにされるかわからない。この男、今までの付き合いでも、いきなりひどい無茶振りをしてくるのだから、いったいなにを催促されるかわからない。

 ものすごく臭いにおいの香水の宣伝か、はたまたよくわからない健康法のレクチャーか、それとも辛過ぎて食べられない謎の異国料理のレビューか。

 私がダラダラと冷や汗を掻いている中、ウィルフレッドはにこやかに笑う。


「ええ。あなたが困っているのでしたら、ぜひとも」

「……さすがに、それはパトロンに頼むことではないと思うの」

「では、どなたに頼むつもりだったんですか?」

「……私、どこかに愛人になろうかと考えていたところなのだけれど」


 ボソッと言った途端に、空気が冷えたような気がした。

 日頃笑みを全く消さないウィルフレッドが、珍しくものすごく怒っている。


「……ヴィナ、わかっていて言っていますか?」

「こちらだって、返しきれない借りを持ち続けるのは怖いけれど、他に返せるものがないのだから、しょうがないでしょう? 私は劇団を守りたいし、役者たちを守りたい。うちの劇団に入って、ようやっと芽が出そうな俳優や女優を野ざらしになんてできる訳がないでしょう?」

「それであなたひとりが体を張ると……返しきれない借りを持つのが怖いということでしたね?」

「え、ええ……」


 そう言ってキッとした顔でこちらに振り返った。


「それはお困りでしたね、ヴィナ。よろしかったら私と結婚して側室に入りませんか?」


 はったおしてやろうか。

 ツッコミが渋滞している。

 第一、私はウィルフレッドが結婚していた話を今聞いた。豪商が結婚した話なんて、王都に住んでいたら耳に入りそうなものなのに、本当にいつの間にやら。そもそも私も社交界に招待されて舞台を披露することがある。ウィルフレッドはパートナーを連れてこず、毎度ひとりで来ていたのを見ていたから、彼が自己申告するまで独身だと思っていた。

 第二、側室ってなんだ。うちの国は、一応重婚は合法だ。十年ほど前に流行病が原因で一家全滅する自体が続出して混沌としていたときがあり、唯一生き残った愛人の子供が家を継ぐ継がないで揉めた例があり、貴族が全滅しても困ると判断した国が、正室の許可さえあれば愛人を側室に昇格する許可を与え、側室の子供も正室と同等の権利を与えると法律を改定したのだ。私をこの場の勢いで側室にして、正室と修羅場れと言っているのか、この男は。

 足下見られてない? 本当に見られてない?

 でも……。

 私は劇団のことを思う。

 針子への衣装発注の支払い。劇団の支配人への劇場貸し切り料金の支払い。劇団員たちへの給料……エトセトラエトセトラ。

 背に腹は変えれなかった。


「詳しくお話を聞かせていただけますか?」

「ええ。ヴィナならそうおっしゃると思っていました」


 そうにこやかにウィルフレッドが言ったのに、私はジト目になった。

 こいつ……私を嵌めようとしてないか。そう思ったのだ。

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