三人婚をすることになった私の行く末
石田空
渡りに舟で側室に治まる
「それはお困りでしたね、ヴィナ。よろしかったら私と結婚して側室に入りませんか?」
はったおしてやろうかと思った。
しかし、今この申し出を断ったら、残る手段は既婚者おっさんの愛人枠しかない。
いくらなんでも、資金難だからといってそこまで落ちぶれるのは嫌だった。
私はキッと目の前の男を睨み付けた。それを彼は深い笑みで受け止めてくる。
煤けた茶髪をひとつにまとめ、ドレススーツを難なく着こなす男。スーツに施された刺繍はきめ細やかで、いったいどれだけ大枚叩いて手に入れたスーツなのだろうと思い、イライラする。こちらを見つめるのは蜂蜜色の瞳で、そのトロリとした瞳に射抜かれた女性は多いだろうに、彼は独身貴族としてつい最近まで誰とも結婚していなかったのだ。
ところが、いきなり結婚した上に、病弱な奥方はちっとも表立って出てこないから、どこの誰と結婚したのかもわからない。そこでいきなり私のサロンにやってきた挙げ句に側室の打診。
やっぱりこいつはったおしてやろうかとも思うが。
……それでも私は、劇団を守る必要があった。
怒りでプルプルと震える腕をどうにか宥めすかして、女優としてキリッと立ち上がった。
「詳しくお話を聞かせていただけますか?」
私は女優。王都で名を馳せた女優ですもの。
女優は怒りで我を忘れて行動なんかしない。ただ凜とした佇まいで、この色男の詳細を聞き出すのだ。
****
このところ、王都には迷惑条例が横行していた。
【婚前恋愛禁止条例】
要は未婚者の恋愛を硬く禁止するというものだった。
元々はまだ若い貴族たちが、家のしきたりやら権力やら財産やらの考えを一切無視して、勝手に婚約を破談して問題を起こしまくった結果、とうとう国が痺れを切らして条例をつくったのがはじまりだった。
普通に婚約者同士で仲良くしろという条例だったものの、困ったのは女や貴族の次男以降だった。貴族でいい婚約ができるのなんて、身分が高い者ばかり。身分が低い者たちは、どうにかいい結婚をしようとなったら、大概は略奪愛になるのだけれど、その手段が封印されてしまったのだ。
ただこの条例、問題は多いものの抜け道はあった。
貴族でなかったらその条例に反することはないのだから、爵位のない者たちに人気が集中するようになった……つまりは、豪商やら騎士やら役者やらだった。
そしてそんないきなり爵位のない者に恋ができないような悲観的な子は、人形師から人型サイズの自律人形を買い、それを仮の恋人として己を慰めるようになった。
そんな混沌とした王都では、舞台人気が集中していた。
恋ができないのならば、疑似恋愛をするしかないと、若い貴族がこぞって見に来るようになったのだった。
だからこそ、我が劇団ソラリスも、王都では人気のある劇団として名を馳せることができるようになったのだけれど。
私は王都の興行で借りていた事務所で、悲鳴を上げていた。
「金庫! 金庫!」
「あぁあ、まさかアナベルがなあ……」
「付き人の中でも才能あったから、いずれは舞台に登壇するだろうと思ってたのに……まさかうちの売上根こそぎ盗んでいくとは」
皆が冷静に言っている中、私は頭を掻きむしって今月の支払いについて思いを馳せていた。
今回の興行の売上を全て盗まれてしまった以上、借りている事務所の家賃も、舞台を行う劇場の支払いも滞ってしまう。ひと月猶予があるとは言っても、ひと月以内に支払いのめどが立たなかったら……。
「マルヴィナ、マルヴィナ、大丈夫かい?」
「……まずは私のドレスをオークションに賭けます」
「おい……」
「王都の紫のバラが舞台で着たドレスですもの。それをオークションに賭ければ、そこそこの売上が見込めるはずです。それを元手に、必要な支払いを行えば」
「待て待て待て待て。落ち着け、マルヴィナ。お前はサロンを開くんだから、サロンになにを着ていく気だい!?」
「決まってます。舞台衣装です。舞台衣装でもてなせば、客人も満足するかと」
「ちょっとは落ち着け! 可愛がっていた付き人に裏切られるわ、金を持ち逃げされるわで、混乱しているのはわかるけど!」
とうとうツッコまれ、私はシュンとなってしまった。
「だったらどうしろというのですか? 客演の役者に払う出演料だって、今後の練習期間の支払いの工面だって必要なんですよ? 私ひとりでなんとかなるなら……」
「マルヴィナ、さすがにそれはやめたほうがいい。お前さんにはパパラッチがついているんだから、そんなパパラッチに餌をやるような真似はよしたほうがいい」
劇団ソラリスの中でも、脇を固めている老役者のグレームに必死に諭される。
そう……前にたまたま王族を題材にした舞台を行ったところ、その舞台が大当たりしたがために、私は一気に紫のバラとか褒めそやされて、時の人になったのはいいものの……。
私がヘマをしないかと、王都在住の新聞記者たちに一気に見張られる立場になってしまったのだ。こちらは舞台をしたいだけなのに、それはもう、四六時中絡まれる。中には資金調達のために開いたサロンにすら首を突っ込んでくるのだから、何度迷惑だと追い返したかはわからない。
ここで付き人に売上根こそぎ奪われたことを勘付かれようものなら、面白おかしく記事を仕立てられて、王都中にばら撒かれてしまうだろう。一度ついた醜聞は、なかなか払拭できない。舞台だけに集中させろ、舞台だけに。
一方、それらを黙って聞いていた役者仲間のアルフが口を開いた。
「ヴィナ、君は今夜サロンを開くんだろう? 君のパトロンの中に、今回の負債を立て替えてくれるような人がいないのか相談したらどうだい?」
「……そんな人いるかしら」
「君は潔癖症だから、既婚者に擦り寄るのが苦手だからねえ……未婚のパトロンに金払いがいいのがそんなにいないんだから。君もそろそろ覚悟を決めたまえよ」
そう吐き捨てるように言われてしまった。
アルフの物言いに、女優たちが「ちょっと、その言い方はいくらなんでもないんじゃなくて!?」と詰め寄るものの、私はそれを汚いと一蹴することができなかった。
パトロン……役者はだいたいひとりやふたり、金払いのいい固定客を抱えている。本当に金がかかる衣装代、化粧品代、舞台のための道具代はパトロンたちから賄っているものの……一回の興行の支払い全てを一括で支払えるような豪商レベルのパトロンは、さすがに私にはいなかった。
基本的にパトロンは演劇に興味を持つ貴族や豪商が多く、中にはパトロンとねんごろな関係になる役者だっている。
未婚の貴族や商人の場合、そもそも婚前恋愛禁止条例に引っかかるおそれがあるから、そんな関係を結ぶことはまずないものの、私はひとりから搾り取るだけ搾り取るような真似をすることができず、大人数のパトロンから少しずついただく方法を採っていたけれど、今回は支払いの問題でそれができない。
だからこそ、今晩のサロンで考えなければいけなかった。
****
サロンの用意にも金がかかる。
やってくるパトロンたちの好みの酒や食事の配膳の準備、ここの配膳をしながら挨拶回りをする新人役者や付き人たちのフォロー、そしてときおりやってくる迷惑客は、サロンの開催者が自ら追い返さないといけなかった。
借りたサロンの場所は、劇団ソラリスの馴染み客の庭であり、その日は雨が降らないのを確認してから、私は客に挨拶に伺っていた。
……私は正直、彼のことはいいパトロンとは思い感謝はすれども、苦手なタイプであった。
「いつもありがとうございます」
「なんの、紫のバラの役に立てるのならば、なんでもしよう」
本当にこいつなんでもするんだよなあ。
内心うんざりしていたものの、その色香に若い子はときめき、そこそこ年季の入った人間が若い子たちの首根っこを掴んで「あれはやめておけ」と言うのだった。
ウィルフレッドは王都の新興豪商の中でも、とにかく輸入王として知られ、彼が仕入れるスパイスや紅茶は飛ぶように王都で売れ、貴族で彼の恩恵を受けていないものはまずいないと言われるほど、なにがどう売れるかを操れる凄腕として知られていた。
一方……彼は私が女優として王都にやってきたときから、なにかにつけて私にちょっかいをかけてくる天敵であった。
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