第6話 同級生Yの妊娠


 同級生のYが妊娠した時も、打ち明けられるのは、電話相談だけだった。

 男の相談員も女の相談員も、この時ばかりは一様に

ろしなさい」

という意見だった。


 中には、Ⅹのことをよく覚えていてくれた相談員もいた。

「確か、あなたは後輩の女子と付き合っていたのじゃなかった? ほら、リストカットした。ほかの子とそんなことになっちゃって大丈夫なの」


 実は、後輩とはすでに終わっていた。


 後輩は二人が仲良く歩いているところを見て敏感に察したのか、態度が一変した。早まったことをしないか心配だった。

「話があるから」

 というので家に行った。


 後輩は思いつめた様子だった。

(この子を助けるためなら、Yと別れてもいい)

 と考えるようになっていた。


「前にね、援交(援助交際)していたオジサンがね、最近よく連絡してくるの」

 その人は一年ほど海外転勤となり、二か月前に帰ったらしい。

「だって、スマホのお金はかかるし、少しくらいはオシャレもしたいでしょ」

 後輩は心を決めているようだった。


「そういうことだったの。はあ」

 女性相談員は呆れ果てていた。

 相談員として熱心ではあるが、若者の現実には疎いようだった。女子高生や女子中生の会話を、あまり耳にすることがない環境なのだろう。


 ⅩはYに堕胎を勧めた。

 Yは「産む」と言って聞かなかった。

「高校辞めて、この子を育てる」

 Yの意思は固かった。

 

 Ⅹは、Yと、生まれてくる子供に責任が取れなかった。

 死ぬ決心をして、別れの手紙を投函し、ブルートレイン「サンライズ瀬戸」に乗った。

 明け方、四国の坂出駅で乗り換え、各駅停車で坪尻駅まで行った。スイッチバック方式で知られる、山の中の無人駅である。

 山に分け入り、大きな樹の下に腰を下ろした。バッグからペットボトルと睡眠薬のびんを出した。

 ボトルのキャップを開け、掌に山盛りになった睡眠薬を見たとたん、激しい震えに襲われた。錠剤がバラバラと地面に散らばる。耐えきれず、わめきながら、瓶を眼下の繁みに放り投げていた。


 ぼんやりと讃岐平野を眺めていた。

 明るい日差しが降り注いでいた。阿讃山脈の南方は厚い雲に覆われている。この地が冥界めいかいとの境界線に思われた。

 やがて雨が降ってきた。

 あの日も雨だった。


 Yに告白したが、冷たくあしらわれた。諦めきれず、再度、高校の校舎の屋上に呼び出した。

 Yは遅かった。絶望的な気分になっていく。雨が降り出していた。濡れるに任せてたたずんでいると、Yが現れた。

 険しい表情が緩んで駆け寄り、Ⅹを軒下に連れて行った。ハンカチを出し、濡れた髪と学生服を拭いてくれた。


 初めてのデートで映画を観に行った。あの映画にもスイッチバック方式の鉄道が出てきた。Ⅹには、撮影場所がどこかはすぐに分かった。

 Yが鉄道に興味を示したので、次回はⅩの家に誘った。部屋いっぱいの鉄道模型に感心していた。

 この日、Yと初めてのキスをした。


 あれだけ遠かったYが、もう手の届くところにいた。一週間後、ⅩはYを抱いていた。


 Ⅹには

(ボクたちはいけないことをしているんだ)

 という意識が常にあった。

 Yから距離を置こうとしたが、いとおしさは抑え切れなくなっていった。会うとYを激しく求めた。


 妊娠を聞かされた時は、雷にでも打たれたような衝撃だった。

 しかし、Ⅹはある疑念を抱いた。Yはアマチュア画家の叔父さんのモデルをしていて体を求められた、と語っていたことがあったからだ。

 問い詰めた。

「叔父さんなんかいない。あの話は全部ウソ」

 悪びれる風もなく、Yは言った。


(Yちゃんもまた、バーチャルな世界をもっていたんだ)

 Ⅹは、はたと気づいた。

 二人に残ったのは、妊娠という現実だけだった。

 Ⅹは退路を断たれてしまった。


 四国から帰ると、母親が泣き崩れた。

 母親に、Yの妊娠のことを話した。母親は言葉がなかった。高校を中退したいと告げると、手続きに行ってくれた。


 ⅩもYも高校では孤立していた。二人がいなくなっても、これまでどおり、SNSで意味のない会話をし、会うとふざけあっているに違いない。

 彼ら彼女らは、健康そのものなのだ。自分をさらけ出して、ありのままに生きていける人間は幸せだ。


 死に切れなかったことだけ伝えようか、とも考えた。しかし、どうしてもYに手紙が書けなかった。

 Ⅹは今日も一日中、部屋に閉じこもっている。

 列車の模型を走らせ、鉄道雑誌をめくる。無性に夜行列車の旅に出たくなる。

ブルートレインが好きだが、今ではサンライズしか運行していない。今度は岡山から山陰に向かう「サンライズ出雲」に乗ってみようと思う。一度は終焉の地と決めた四国だった。今更、どんな顔をして訪れることができよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る