第2話 父親の記憶


 父親のことは、長く意識の外に追いやっていた。

 小学生のころは思い出すと動悸と吐き気がしたが、もう平気だ。


 Xが三歳の時、両親が別居した。

 別居の原因は今もって分からない。父親はよく母親を怒鳴りつけていた。

 母親は四国の実家に身を寄せ、Xは父方の祖母に育てられた。母親はXを連れて行くと言い張ったが、父親が頑強に反対した。Xを預けると、妻は一生戻ってこない、とでも思ったのだろう。

 Xは祖母と寝た。いつもなかなか寝付かれなかった。母親のことを思っては、泣いた。


 その夜、ふすまが乱暴に開けられた。

「うるせえんだよ、毎晩毎晩」

 父親はXの頭を張った。

「とっとと、四国へでもどこへでも行きやがれ。今度泣いたら、ただじゃおかねえぞ」

 Xをかばおうとした祖母を、父親は突き飛ばした。


 そこまでは、おぼろ気ながら覚えている。

 目が覚めると、祖母の心細そうな顔があった。氷枕をされ、額に濡れたタオルがあてがわれていた。


 祖母に手を引かれ、新幹線に乗った。途中で乗り換え、今度は列車で海を渡った。田舎の駅で母親が待っていた。

Xは駆け寄り、母親の胸に飛び込んだ。なつかしい匂いだった。


 四国には一年あまり住んだ。

 小学校は遠く、通学に不便だった。地元では新入生が二人になる、と喜んでいたが、母親は東京にマンションを借りて戻った。


 帰途、瀬戸大橋から眺める海は真っ青だった。あちこちに小島が浮かんでいた。白い尾を引いて、大小の船が行き交っていた。

名古屋を過ぎると、青空をバックに雪をかぶった富士山が見えてきた。

Xは、はしゃぎ通しだった。子供心に、鉄道の旅の素晴らしさを知った。


「ところで、妹さんとは三つ違いでしょ。妹さんはどこで生まれたの? 妹さんのお父さんはどこにいるの?」

 今夜の相談員は、いつになく突っ込んでくる。


「妹は四国で生まれました。ママが高校の同級生と不倫して出来た子です。ママは四国には住めない事情があったのです。田舎ですから、そういう話題はすぐに知れ渡ります。アルバイト先でも経営者にチクった人がいて、ママはクビになったみたいです」

「それはひどい話だねえ。仕事とは直接関係のないことなのに。田舎ってまだ、そんなんだ」

 相談員の男性は憤っている。


「大変な苦労してきたんだね。君はお母さんや妹さんを大事にしてあげなきゃ。頑張るんだよ。今日はつらい話をどうもありがとう。また、電話してね」


 この間は、母親の不倫の話をすると

「まあ、子供まで生んじゃったの。あなたのお母さんも、いろいろと問題を起こす人なのね」

 と呆れていた。あの女性相談員とは大違いだった。


 父親のことを話したせいか、目が冴えて眠れなかった。

 明日から一学期の期末テストが始まる。赤点は取らないだろう。何かあると、すぐSNS(会員制交流サイト)でクラス中に知られてしまう。

 ある時は告って(告白して)振られた男子のことで、盛り上がっていた。こんな連中と情報空間を共有したくない、と思い、アカウントを削除した。

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