酩酊者の赤い頬 ―三等船室―

 南の大陸を縦横断する大型飛行船リンダベル号には大人数を収容する三等船室があった。

 廊下で六つに区切られた大型スペースに、最も安いチケットで乗船した客たちが押し込められ、夜になるとほぼ雑魚寝ざこね状態になる。

 犯罪やトラブル防止のために多くの警備員が日夜巡視をしている。

 空路になって三日目、退屈を紛らすために飲酒し酩酊する者も出始めていた。中には南の大陸の未開地に向かう冒険者もいて血気盛んな性質の者が喧嘩を始めることもあり、その度に武術に優れた警備員たちが場を収めるのに走り回った。

 なお船内は安全に配慮して威力のある攻撃系魔法が発動できないよう上級魔法師が配置した魔石による結界が張られていた。この結界をものともしない魔力を持つ者はよほど身元がはっきりしていない限り乗船できない仕組みになっている。

 船内のトラブルは単純に武術で制圧できるのだった。

「それにしても暴れるやからが多くなっていないか」ビルが言った。

「飲みすぎるとまともな判断ができなくなるからだろう」ロイが答えた。

 そういう二人もすっかり赤い頬をしている。

「あの魔法、効いているな」ビルは嬉しそうだ。

「五十銅貨の値打ちはあったな」ロイも頷いた。

 終わりのない戦いの場に駆り出される戦士たちにとって飲酒はひとときの安らぎを得るための必要悪だった。しかしいつ何時敵の奇襲を受けるかわからない。必要以上に飲んでしまった戦士たちの酩酊を回復させるために、魔法師が回復系魔法を施すという余計な手間が必要だった。

 ところが近年、アルコールの代謝を活発化させる魔法の術式が公開され、初級程度の回復魔法の使い手なら自ら代謝を活性化し、飲酒による酩酊が短時間で回復することが可能となったのだ。

 術式を公開した魔法学者は良かれと思って発表したのだろう。しかし、それを利用することを思いつく輩は多くいた。代謝を活性化して、酩酊を短時間で回復させることができるなら、術式をいじってその逆もできるはずだ。

 こうしてアルコール代謝を不活化して酩酊をより長く持続させる魔法が生まれた。そしてそれは少量の飲酒で長く酔っぱらっていられることを可能にした。

 これが酒を生業なりわいとする業界の反発を買うのは必至だった。そんな魔法がひろまれば酒は売れなくなる。

 業界の支援を受けた貴族や富裕層により、酩酊を持続させる魔法は日の目をみることがなくなり、ひそかに、そして不法に広まっている。

 ビルとロイは、たまたま乗り合わせたこの船の客から飲酒による酩酊を長引かせる魔法を五十銅貨で買い取った。

 その恩恵で、ふたりは安酒で赤い頬をしている。いつもならこの程度の飲酒で赤くなるはずもなかった。

「あっちで喧嘩してた奴ら、連れていかれたな」

「あいつらはしっかり飲んでいたからな。アルコールの強制排出を受けた後、こっぴどく説教されるんだろ」

「俺たちも気をつけないとな」二人は笑った。「もっとも、検査を受けてもアルコールはさほど検出されないけれどな」

「おめえさんたち、どこに行きなさるんで?」

 おかしな言葉遣いを聞いて二人は声の主を振り返った。

 僧侶のような帽子をかぶり白髪に白い顎髭を尻尾のように伸ばした老人がいた。

 いつからここにいた?

 二人は老人の気配の消し方にぎょっとなった。

「マンデラで降りたら小型船に乗り換えて川を上り……」内陸部の未開地に行くとロイは答えた。

「ひと山当てようと思ってな」ビルが言う。

 魔石の鉱山を掘り当てようと夢見る者は少なくない。

「おめえさんたち、冒険者かえ?」

「まあそんなところだ」

「メンバーはどうなさるのかの? 最低でも四人は必要だと言われとるが」

「この船で見つからなければ、川上りの船で見つけるよ」

 未開地に向かう冒険者はいくらでもいる。

「回復系の魔法が使える魔法師がいれば理想だが」

 年寄りでなければ「あんた、使えるのか?」と訊くところだ。

「ヒーラーはどこでも引っ張りだこじゃな。しかしこんな雑魚寝エリアにはおらんじゃろう。個室部屋をとっとるものだ」

「あんた何者だい?」

「わしか? わしは占い師じゃ」

「そういや、この船、占い師がたくさん乗ってるな」

 二人に少量の酒で酩酊を持続させる初級魔法を教えたのも占い師と名乗っていた。

「占い師協会の年に一度の大会が初めて南の大陸で開かれるでな」

「大会なんてものが開かれるのか?」そもそも占い師の世界に協会があるものなのか。

「質の悪い占い師を淘汰するのに必要なのじゃ」

「占い師って、儲かるのか?」ロイはそもそも占い師という職がいかがわしいものだと思っていた。そんなやつから酩酊持続の魔法を買い取ってしまったのだが。

「食っていくくらいはどうにかな。協会の御墨付きがあれば貴族を相手にできる。それがないと貧しい者相手にタダ同然の占いになるな」

「その占い師協会とやらもプレセア正教会や魔法師協会、王室が後ろ楯になっていると聞いたが」ビルが言った。ビルの方が占い師の業界に詳しかった。

「どうじゃろうな。神のみぞ知る、じゃな」

「何にもわからねえんじゃねえか」

「そこはそれ、出すものを出さんとな」

「け、金を無心しに来ただけかよ」

 この三等室にのっている連中は何かと金を要求してくるのだ。

 そんな話をしていると、隣のエリアから叫び声が聞こえた。

「おかしいじゃないか。どこに向かって飛んでるんだよ、この船は!」

 一人の男が警備員四人に押さえ込まれていた。

「マンデラに向かうんじゃねえのかよ!」

 警備員たちは無言で男を取り押さえ、拘束して連れていった。

「何だ、ありゃあ?」

「行き先が違うとか言ってたな」

「左様」自称占い師の老人が言った。「この船は航路を外れておる。そしてそれを乗客に知らせておらん」

「何だって!」

「声をあげると警備兵に連れていかれるぞよ」

「どういうこった?」

「どうもこの船は何者かによって操舵室が占拠されたようじゃの。そしてそれに気づいた者が何人もいる。じゃが騒ぐと拘束されるので様子をみておるのじゃ。このわしみたいにの」

「ほんとうなのか?」

「わしの言うことが信用できぬと?」

「どこの馬の骨かわからん爺さんの言うことではな」

「まあおとなしくしているに越したことはない。この船にはとんでもない連中がうようよしとるでな。そいつらに任せてこちらは酒を飲もうではないか」

「何だよ、酒をせびりに来ただけかよ」老人の話がうそだとふたりは決めつけた。

 ビルとロイは呆れたが自称占い師の老人に酒を分けてやった。

 二人の頬はさらに赤くなったが、その占い師の顔色が変わることはなかった。

「さて、どうしたものかの。大凶を大吉に転ずる術はあるかの……」

 占い師の老人からつぶやきが洩れた。

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