「きこえた」
しゅら
「きこえた」
※この文章は、小説および映画およびパチンコ「リング」のストーリーに、若干ですが触れております。すでにメディア等で取り沙汰されている程度のものですが、未読・未鑑賞等で、少しも内容を知りたくない方はご注意ください。
◆ ◆ ◆ ◆
怪異とは、本当に異形のモノたちによって引き起こされるのだろうか。
そうでないとは言いきれない。しかし、それが人為的に引き起こされることだってあるのでではないだろうか。いや、その場合その怪異は「にせもの」或いは「イカサマ」などと言われてしまうのだろうか。
では、こんな場合はどうだ?
怪異じたいは確かに異形によって引き起こされている。しかし、それは無作為に起こるのではなく、その怪異に人為的要素が加わる。単純に言えば、避けられる怪異を敢えて避けなかったり、なんなら、わざとその怪異に近づこうとする。つまり作為的要素が関与しているのだが、だからといって起こった怪異がイカサマだとは言えない。
よくある話だ。肝試しに行った若者がホンモノの怪異に接近してしまい、悲劇的な結末を迎える……在り来たりで失笑ものだ。
しかしそれを失笑できるのは、それが他人のエピソードだからである。
それが自分の身に降りかかったとき、人は失笑などできないことを、俺は身を以て知った。どんなにベタな三文ストーリーでも、自分がその主人公になってしまったとき、人はもう笑いに逃れることも、それを失うことも、できないのだ。
これは「俺」こと執筆者「しゅら」に、「本当に」実際起きた出来事である。怪談の恐怖感や臨場感を増幅するために頻繁に付記される「本当にあった」ではない。本当に起きたことなのである。これが実話であることを、俺は神に懸けて誓う。
もう、神になど懸けようが祈ろうが、何の意味もないのかもしれないけれど。
1.錯誤
「リング」というパチンコがある。かの有名な映画「リング」を題材とした機種。本来幸福であるはずの大当たりの興奮は、「恐怖」や「驚愕」というものと、どういうわけか相性が良いようで、なかなか人気がある。俺も打ったことがある。
大当たりと同時に落ちてくる役モノの「手」や、画面いっぱいに映される、もはや説明の必要もない例の「目」。また井戸から貞子が這い出るシーン、TV画面から這いだしてくるシーン……今ではあまりに有名すぎて、あちこちでパロディ化されているだけでなく、制作側すらもコメディ的に貞子を扱うことがある。写真集「貞子の休日」だっけ。あの手のコメディ化を俺は嫌いではない。
さて、パチンコ「リング」にもストーリーがある。女子高生集団が「呪いのビデオ」を観たために呪われ、7日の後に次々と殺されていく……。それは、パチンコ用のオリジナルストーリーなのだそうだ。ぜんぜん知らなかった。映画も同じストーリーなのだと思っていた。そこで、当然の事実に気づく。
……俺、映画「リング」をちゃんと観てねーや。
あまりに有名になった山村貞子、そのクライマックスシーンは知っている。呪いのビデオの存在や7日間の期限、指差し男や貞子の超能力。そういったエッセンスはパチンコでも一緒だから知っている。でも映画のストーリーは知らない。
観てみるか。夏だし。でも怖いかな。妻と一緒に観るか……
俺はゲオで映画「リング」のDVDを探し、レジへと運んだ。息子用の「アナと雪の女王」とともに。
2.拒絶
俺は妻を誘った。息子が寝たら一緒に映画「リング」を観よう、と。
「嫌」
答はシンプルな拒否だった。
「なんでよ。リング、観たこと無いでしょ?」
「あるよ」
「あ、あるの」
なんのことはない。まだ実家にいたとき、妻は観たことがあるのだという。妻はホラー映画が大嫌いな訳ではないが、既に観たものをもう一度苦もなく観れるほど、またそれが好きでもないわけだ。
だったら仕方がない。借りてきたリングは時間を見つけて1人で観るしかない。ちなみに妻に感想を聞くと「しばらく夜にテレビに近づけなくなる」だそうだ。まあ、よくある感想だ。
3.不安
リビングのテーブルに、借りてきた「リング」が置いてある。それに重なるように「アナと雪の女王」も。妻に嫌がられた以上、これは1人で観るしかない。そして今、そうしようと思えばそれができる。
しかし……。
正直に言おう。恥ずかしながら、怖い。
恐怖心とは生体の防御反応なのだから、それを抱くことは別に恥ずかしいことではないはずだ。しかしそうは言っても、40にも近づこうという男がホラー映画を観ることを怖がるとは、やはり恥ずかしい。いや、元々そのテのものが苦手だというなら、別に恥ではない。だが俺は違う。自分ですすんで観ようとして、妻に同伴を断られたからって怖がっているのだ。これは、やはり恥ずかしいことではなかろうか。
どうしよう。俺はしばらく迷った。恐怖心と羞恥心の戦い。だが少し言い訳させてもらうと、俺は単に「リングを観る」ということのみで怖がっているわけではない。
何かが引っかかるのだ。突然気になりだした「リング」のストーリー、一緒に観るのを嫌がる妻。なぜ俺は突然、リングなんて観たいと思った? あんなに有名で、クライマックスシーンの映像まで知っているホラー映画を。「人間関係や経緯等の詳細は知らないが、犯人とトリックは知っている推理小説」を読もうとしているようなものではないか。
それを、俺は自分の意志で観ようと決めた、そう思っている。しかしそれが間違いであったら? つまり本当は自分で観たいと感じたのではなく、観たいと「思わされている」としたら?
そんな荒唐無稽な不安が心に燻っている。その荒唐無稽な不安に従うように「リング」と「アナと雪の女王」のDVDは、その表面温度すら違うように感じられた。
俺は自らに巣くう不安感に従うことにした。ひとまず今日のところは。
4.代替
さて、とりあえずDVDは観ないと決めたものの、まだ気持ちが引っかかる。リングから関心が失せたわけではない。そこで俺は考えた。原作小説だ。
パチンコのストーリーがオリジナルだと知ったとき、原作と映画もまた、設定がだいぶ異なるということも知った。その手の情報サイトを見たからである。映画になる際、大幅なアレンジが加えられた、ということだ。映画を観る前に、原作小説を読もう。
俺は早速、小説版リングを入手した。
読み始めると、ひと段落ということができない。それは俺の昔からの性質だ。読み切ってしまうまで、ほんの少しの時間の隙間でも読まずにはいられない。電車に乗っている最中はもちろん、乗り換えの最中の歩行中ですら読んでしまう。まったく自慢できたものではないが、俺は本にしてもスマホにしても「ながら歩き」が得意なのだ。本を読みながらでも速度を緩めることなく歩きつつ、周辺視野で周囲の様子を探り、必要に応じて歩を止めたり、方向転換をしたりすることができる。だから「ながら歩き」をしても、それで危ない目に逢ったことや、人に迷惑をかけたことはない。
一度など、面白いことがあった。「ながら歩き」をする俺の前方にオッサンが佇んでいた。俺は、このまま歩き続ければそのオッサンにぶつかるということだけでなく、そのオッサンが「わざと」俺にぶつかろうとしていることまでわかった。俺に狙いを定めているのだ。
相手がわざとだろうとなんだろうと、ぶつかれば俺が悪いということになる。それがオッサンの狙いだ。わざとぶつかって「危ないじゃないか!」とばかりに俺をなじろうとでもしているのだろう。
だから俺は、スマホから少しも目を離さぬまま、わざとぶつかるスレスレのところまでオッサンに歩み寄り、少しも速度を緩めずに横に半歩ずれて横身になって、これまたスレスレでオッサンを回避した。オッサンが呆気に取られている、その表情までわかった。
ながら歩きなんて決して正しいことではない。でも、だからと言って、その相手に「わざと」ぶつかろうとする行為は正当化されても良いのだろうか。世の中は時に、理由はなんであれ、とにかく他人より優位に立ちたいという思念に憑りつかれているモノが存在する。
だが、この俺のちょっとした特技は、純粋に「視覚」だけに特化されていたものだったのだと、俺はこの日に思い知らされた。聴覚に関しては、こんな注意の向けかたをする能力を、全く持っていなかった。
俺は「リング」を読みながら歩く。前方には男性が立っている。スマホで何かを話しているようである。俺はその人を避けようと歩く方向を調整してすれ違おうとする。
そして、ちょうど俺と男性がすれ違った瞬間。
「もいもんて、からぎぃるすすめ、ありがーず!」
突然男性が叫んだ。俺にはそう聞こえたのだ。完全にリングに「聴覚的な」注意を奪われていた俺は、男性が叫んだのが声ではあっても、言葉であると認識できなかった。実際のところ、彼は紛れもない日本語を話していたのだろう。俺とすれ違う瞬間に声が大きくなったのは、たぶん偶然だ。
いや、回りくどく書いておいて申し訳ないが、起こったことは単に「男性とすれ違った瞬間に大きな声が聞こえてビックリした」というだけの話なんだ。しかし本に注意を奪われていた俺は、恥ずかしくなるほど、その声に心底驚愕した。もう少しで本を取り落とし、小さく悲鳴すら挙げていたかもしれない。何の変哲もない壮年サラリーマンの少し大きな話し声ごときで、俺は幼児のように狼狽した。心臓が、触れずとも分かるほどの強さとピッチで俺自身を打ち据えていた。
「ながら歩き」は、よく言われているように視覚的な意味で危ないだけではなく、聴覚的な意味でも、危ない。
手に持つ本が、わずかに脈打ったように感じた。それは動転した自分自身の脈拍だったのかもしれないけど。
5.没頭
その日は、夜に会議があった。思ったよりは早く終わったのだが、そうは言っても帰宅した頃には妻子は眠りに就いている時間にはなりそうだ。だから俺は、上野にある行きつけの立ち飲み屋に入った。
「瓶ビールと牛にこ」
牛にことは「牛すじ煮込み」のことだ。その後に何を頼むとしても、最初は必ずこれを頼む。儀式みたいなものだ。そしてそれは常に煮込み続けられているがゆえに、秒で出てくる。
ビールを一口飲み、牛にこをつまみ、もちろんリングを読み続けた。残りのページ数からして、俺は今日中に自分がこれを読破するだろうことがわかっていた。
ひとしきり飲み食いし、ほどなく店を出る。帰り道にもまた読む。だがもう、ながら歩きはしないことにした。読んでいるのがホラー小説ではあっても、あんな心臓が飛び出るような体験は望むところではない。
小説を読み始めてわかったが、やはり映画版とは違う部分が多々ある。いや、映画はきちんと知らないのだが……それでもあまりに有名な作品ゆえ、自分が知っている断片的な情報からだけでも「違う」ということがわかる。
人物設定も大きく違うし、何より作品のタッチが違う。小説版でも「呪いとそれを解く手がかりを探る」という骨子は一緒だ。だが、そこに至るまでの主人公らの行動はサスペンスタッチで描かれている。手掛かりを失いそうになると、フとしたきっかけから次の手掛かりを見つける、その連鎖はスリリングで、まさにサスペンスドラマだ。映画版ではそのような描写は削ぎ落とされていると聞いた。2~3時間に圧縮しなければならないのだから無理からぬことだろう。
また、小説なのだから当然、映画がウリにしている「視覚」に訴える怖さは演出できない。もちろん描写はある。しかしそれがどの程度恐ろしいものであるのかは、読み手の側の想像力にも左右される。小説とはそういうものだが、こと「ホラー」というジャンルでは、視覚に訴える描写が重要なこともあるので、その恐怖感は映画のほうが上かもしれない。当たり前だけど。
まぁそうは言っても、小説版だって怖いは怖い。時間も更けてきたし、俺は寝室に移って続きを読むことにした。眠っている妻子であっても、ただ「そこにいる」というだけで怖さは和らぐ。読み終えたらそのまま自分も眠れるというのも良い。
俺はベッドに横になる。隣で寝息を立てる息子の頭を撫でる。夏にしては比較的涼しく、ほどよく風もあったので、冷房は点けずに窓を開けてある。
俺はまた「リング」を手に取った。物語は終盤。呪いを解いたと信じ込んでいる主人公らに、ふたたび訪れる災厄。映画でも怖さがマックスになると言われているシーンだろう。俺は息を呑んだ。
きゅいぃん。
窓の外から、この地に住んで以来一度も聞いたことのない音が聞こえた。呑んだ息が、胸元あたりで不気味に静止した。
6.異音
誰でも知っていることだが、ある場所には、その場所で聞こえやすい音というものがある。道路際なら車の音が、居酒屋の前なら人々の喚声が。その場所が自宅ともなれば、その場所で聞こえやすい音というものも、しぜん知っているものだ。例えば我が家なら、少し先に線路があるので、煩くない程度の電車の音が。時折家の付近を歩く・走る歩行者や自転車。夜に車の音が聞こえることは珍しい。隣家のドアが開く音。近所に犬がいるのでその鳴き声。これも夜は聞こえない。そういえば猫の声が聞こえることは少ない。あまり住んでいないのだろうか?
そして風の音。もちろん風じたいの強弱等にも影響を受けはするものの、意外と似た音が聞こえる。落ち葉がいつも同じ場所に溜まるのと同様、建物や部屋の位置や形、その他の要因によって、似たような風が吹きやすいのかもしれない。
今の音は何だ?
聞いたことがない。少なくともここに越してきてからは、無い。ここでなければ聞いたことがあるかというと、わからない。甲高く、かといって機械音とも違う異音。
俺は立ち上がり音源を探した。しかし、もう音は聞こえない。
気のせいか。再び横になり、リングに注意を戻す。
きゅいぃん。
……まただ。身体に嫌な汗が浮き出る。なんでよりにもよって、クライマックスシーンを読んでいる時なのだ……。
俺は再び立ち上がる。また音を探す。聞こえない。諦めて横になろうとする。
きゅいぅん。
今度は、俺が横になる前に聞こえた。窓際に立つ俺の真横あたりから。
「真横あたりから聞こえた。」
その事実に俺は戦慄する。
真横から? ここは2階だ。寝転がっているならいざ知らず、窓際に立てば、その音が上下左右のどこから聞こえてくるのか、ある程度わかる。たとえば道を歩く人の足音なら、下から聞こえる。猫が屋根で鳴いたならば上からだ。電車音などは遠くから響くが、いま聞こえた音はそんなに遠くから聞こえて来たものではない。
近くの、しかも「横」から。繰り返すがここは2階だ。
……中空から聞こえている?
滲んでいた汗が一気に吹き出す。俺は躍起になって音源を探す。鼓動が早まる。
きゅうぅん。
近くではあるが、この窓からでは場所の特定ができない。正確には、やや左から聞こえる。俺は寝室を飛び出してて隣室の窓に向かった。寝室と並行、左側に位置する窓だ。
ぎゅ、いぃん。
すこし音が強まった。では更に隣の部屋なら。
……ゅいぃん……
聞こえるが若干小さい。遠ざかったか。
俺は狂ったように部屋を行き来し、窓を開けては閉め、耳を澄ましては別の部屋に向かう。頭がおかしくなりそうだった。肝試しに行かなければ、そこで幽霊に会うこともない。俺はなぜホラー映画など観ようと思った? いや「思わされた」? なぜ自分から怪異に近づこうとした? 耳元で突然響く、壮年サラリーマンの意味不明な音声。空耳だ。
慌てふためく自分の姿を、脳のどこかで冷めて冷静な自分が見つめる。だが心臓は早鐘を打ち続けている。汗で窓が上手く操れない。廊下で転び、体制も整えずまた走ろうとする無様な姿。驚いた。人って、本当にパニック映画の登場人物みたいな行動を取るんだ。
きゅ、きゅうぅぅ、きゅううぃぃん……
もはや音は当初よりも大きく、また激しい頻度で響く。俺の心臓の動きに連動しているかのようだ。
強まり早まる音のなかで1つの事実に気付く。これは音ではなく声だ。声ではあるが言葉ではない。いや、俺が言葉であると認識出来ていないだけなのか? あのサラリーマンの声を間近で聞いたときのように?
声の正体は理解できても、俺の理性は必死でそれを否定する。そんなバカな。そんなバカな。
しかし俺の理性は現実を塗り替えることができるほど強くはない。理性は屈服し、音もとい声の正体を俺は認めた。認めざるを得なかった。
愉悦とも嗚咽ともつかないその叫びは、どう聞いてもセックスです。本当にありがとうございました。
夏、窓を開けてたりすると、しんとした夜なんかはお隣にまで聞こえることがありますからね、戸建てにお住まいの人も気を付けましょうね。
俺はその夜2回抜いた。
<了>
「きこえた」 しゅら @ashurah
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