第22話 夢うつつ




シュルツ家に来て早三か月。

護衛騎士になるべく、アルブレヒトは多忙な日々を送っていた。

だが、ハルトマン家で過ごした報われない日々より何倍も充実していた。


相変わらずサラとはあまり会話が無い。

それどころか、前回の魔力供給からサラが自分のことを避けている気がした。

大分怖がらせたのかもしれない。

それはそれでアルブレヒトにとって都合がいいはずだ。


「……。」


机の上のリボンがかかった空瓶をアルブレヒトは手に取った。

三か月前、サラがくれた砂糖漬けの瓶だ。

程よい甘さで、好みの味だった。

毎日一つずつ食べていたが、すぐになくなってしまった。

瓶は捨てられなかった。


「よし……さっと……だけ、……っと渡すだけ。」


扉の向こうに人の気配がした。

耳を澄ませると、部屋の前をうろうろしているようだ。


アルブレヒトが焦れ始めたとき、ノックの音が響いた。


「ア、アルブレヒト君、居るかな?サラです。」


待ち構えていたようになるのが嫌だったので、ひと呼吸おいてから扉を開けた。


「……何か用ですか。」


思っていたより低い声が出てしまい、内心アルブレヒトは焦った。

サラを怖がらせるのは、なんとなく嫌だった。

アルブレヒトの様子に慌てたサラが差し出してきたのは、丁寧にファイリングされた過去問題と、自作のノートだった。


「アルブレヒト君が私より優秀なのは重々承知だし、必要ないかもしれないけど、ちょっとでも試験が楽になればと思って。何かわからないところがあればいつでも聞いてね。じゃあこれで」


あっさりといなくなろうとしたサラの腕を、アルブレヒトは咄嗟に掴んでいた。


「ど、どうかした?」

「いえ……その、教えてほしいところが」


本当は今の勉強で分からないところなんてなかった。

サラを引き留めようとでた嘘だ。


「!ほんと?」

「……魔術学のキュイス配列について」


嘘だ。本当は得意分野だった。

なぜ少しでも苦手なものを選ばなかったのか。

アルブレヒトは苦虫をかみつぶしたが、そうとはつゆ知らず、サラは顎に手を当てて考え込んでいる。


「最初の理解が難しいよね。じゃあ、談話室でやる?」

「お願いします……。」


サラの心遣いに罪悪感を覚えた。



____________________



サラの教え方は非常にわかりやすかった。

丁寧に書かれる文字は、今までの勉強量を思わせる綺麗な文字だった。

嘘をついたことを忘れて解説を聞き込む。


「じゃあ、これ解けるかな?」


サラに渡された問題を解いていく。


「すごい、全部あってるよ!じゃあこの問題は解ける?」


また別の問題を出される。先ほどより難易度が上がったが、余裕で解いてしまった。


「さすが、もう何も言うことないよ。今度の試験は完璧だね!」

「っ!」


つい、いつものように普通に解いてしまった。


「他に分からないところはある?」

「……ありません。僕はもう少しここで勉強していきます。その……教えてくれてありがとうございました。」

「いえいえ。また何か聞きたいことがあったら言ってね。」


役目を果たしたとばかりに、サラは談話室を出て行ってしまった。


「……はぁ。」


サラが近くにいても、自分が不快じゃないことにアルブレヒトは気づいた。

サラの視線は、嫌じゃない。

自分に群がってきた女子たちや、利用した両親とも違う。


背もたれに頭を預けていたアルブレヒトは、談話室に近づく足音に素早く姿勢を正した。


「アルブレヒト君、お茶どうぞ。」


先ほど部屋に戻ったはずのサラがティーカップを手に戻ってきたのだ。


「ありがとうございます。」

「それと、もしよかったら私もここで本読んでてもいいかな。」

「……ここは共有スペースでしょう。かまいません。」


喜んだ心を隠すように、ぶっきらぼうに答えてしまった。

「そっか!ありがとう!」


サラは気にも留めず、向かい側の一人掛けのソファに腰かけると、静かに本を読み始めた。

もしかして、自分のために戻ってきてくれたのだろうか。

分からないところがないか心配してくれたのだろうか。


アルブレヒトはサラを盗み見た。

いつも後ろでまとめているダークブラウンの髪は下ろされている。

胸の長さまであるそれは、ゆるいカーブのくせ毛だった。

普段より幼く見える。


釘付けになりそうな視線を引きはがした。

今は試験勉強中だ。

そう思いながらも、アルブレヒトは問題を教えてもらうタイミングをうかがってちらちらとサラを見た。だが、なかなか声をかけられなかった。


「あの、この問題を教えてほしいのですが……」


やっと声をかけて顔を上げたときには、


「……。」


サラはすーすーと寝息を立てていた。


時計を見ると、既に日付が変わっている。

そういえば、サラは試験勉強終わりだとエリアスが言っていた気がする。


「疲れていたのに付き合ってくれたんですか。」


眠るサラに話しかけるが、当然返事はない。


空になった二人分のティーカップを下げると、アルブレヒトはサラを横抱きにした。

春に一度入った以来のサラの部屋に入る。

カーテンをしていない窓から月明かりが差し込んでいた。

サラを起こさないようにゆっくりベッドに横たえ、布団をかける。

そのまま静かに部屋を出ようとしたとき、服の裾を掴まれた。


「っ……」


起こしてしまったと思って振り返ったが、サラの目は閉じられたままだった。

寝ぼけているのだろう。

これくらい振り払えるはずなのに、できなかった。

嬉しいと思ってしまった自分がいた。


裾を掴む手を握って、ベッドに腰かける。


無防備な唇に、そっと口づけた。

柔らかい唇に、何度も自分の唇を押し当てる。

すると、サラも感触を楽しむようにアルブレヒトの唇を食んできた。


「お母さん……」


アルブレヒトははっと顔を離した。

気づけば、サラの目から涙が流れていた。


サラの母親は彼女が小さい時に亡くなったと聞いていた。

眠ったままのサラは、今どんな夢を見ているのだろうか。

アルブレヒトには分らなかった。

サラのきらきらした涙を拭う。

眠ったまま涙を流すサラは、どこか現実味が無くて、消えてしまいそうだった。


アルブレヒトは唐突に怖くなって、先ほどより深く口づけた。


「っふ、んぅ」


魔力を込めた唾液を流し込む。サラは意識があるときより上手にそれを飲んだ。

そうしないと、サラがどこかにいなくなってしまいそうだった。

アルブレヒトの気が済むまでそうしていた。


やっと唇を離すと、サラは深い眠りに入ったようだった。

穏やかな寝息が聞こえてくる。


「おやすみなさい。」


ようやく安心したアルブレヒトは、今度こそサラの部屋を後にした。


翌日、サラが何も覚えていなくて、アルブレヒトは安心したような残念なような気持になった。

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