第13話 軋み




次の日の朝、いつもどおりサラは父とアルブレヒトと三人で食卓を囲んでいた。


「サラ、昨日は眠れなかったのか?クマができている。」

「やだ、本当ですか?今読んでる本が面白くてつい夜更かししてしまって。」


サラは隠すように目元をこすった。結局昨日は眠れなかった。


「それより、今日は雪が降るかもしれないみたいですよ。」

「そうか、通りで昨日寒かったわけだ。今年は早いな。アル、防寒具は持っているか。」

「いえ、まだです。」

「とりあえず私のを使いなさい。今度買いそろえよう。」

「ありがとうございます。」


そうして朝食をとりおわると、父は仕事、アルブレヒトは学校に向かった。

サラもあと少しで家を出る。今日はゼミで論文の輪読会があるのだ。

マフラーと手袋で防寒はしっかりだ。

それと、傘も忘れずに……。


アルブレヒトは傘を持っただろうか?

南の出身だから、もしかすると雪は初めてかもしれない。

この時期はまだ気温が下がりきっておらずべちゃべちゃとした雪が降るので、傘を差さずに歩けばすごく濡れる。

アルブレヒトが風邪をひくといけない。

サラは傘を二本持って家を出た。



____________________



「変わってないな。」


サラは高等学院の門をくぐった。

四年前に卒業した母校だ。学院時代は友達があまりいなくて、いい思い出もなかった。

だが、四年ぶりに来てみれば不思議と懐かしさを感じた。


コートを着ているが、大学校の制服のスカートが目立って、学院の生徒たちが物珍しそうにサラを見ている。

視線に気づいたサラは足早に事務室に向かった。


外来者の手続きを行い、アルブレヒトの教室を探す。

廊下にはほとんど生徒がいない。

もうそろそろ授業が始まるのだろう。


「アルってば本当につれないんだから。」


聞こえてきた名前に、思わず足が止まる。


「……前も言ったが、君の誘いに乗ることはこれからもない。」


アルブレヒトの声だ。

こんなに冷たい声は久々に聞いた。


「一回くらいいじゃない。私の友達の友達も、アルと会いたいって言ってるのよ。」

「……しつこいな。」

「お前、迷惑がられてるぞ。」


どうやらアルブレヒトは女の子からのお誘いを受けているらしい。

それを周りが茶化している。


「でもまあ、おまえもシュルツ家の落ちこぼれの尻拭いさせられてお前も大変だな。」

「私、アルの“おねえさん”見たことあるよ。なんというかちょっとどんくさそうな感じ?お兄ちゃんが同級生なんだけど、魔術の実力は初等部以下だし、性格も暗いんだって。」


心臓がぎゅっと縮まった。

足元がぐらぐらと揺れて、何も聞こえなくなった。

今すぐ逃げたいのに、体が動かない。


「あの、うちの教室の誰かに用でしたら、呼んできましょうか?」

「!」


振り返ると、怪訝な顔で学院の男子生徒がこちらを見ていた。


「もしかして、あなたは」

「すみません、これをアルブレヒト君に渡しておいてもらえますか?」


生徒に頭を下げると、逃げるようにその場から離れた。


高等学院を出ると、とにかく遠くに行きたくてサラは走った。

道行く人がみなサラを見ている気がする。

自意識過剰だと思ったが、それでも怖くて、どこか人のいないところを求めた。

走って走って、いつの間にか街外れにある丘に来ていた。

少し前に、父とアルブレヒトとピクニックに来た場所だった。

三人で来たときは気持ちのいい快晴だったのに、今は鉛を溶かしたような曇り空でとても寒い。

温かくて綺麗な思い出の場所が、今は怖いくらい冷たくて静かだ。


「……。」


サラは丘を囲う柵をまたいでそこに腰かけた。

足元を見れば急斜面で、結構な高さがある。

高い所は得意ではなかったが、なんだか感覚が鈍ってなにも感じなかった。


傘を柵に立てかけると、カバンからクッキーの入った袋を取り出した。

傘を届けるついでにアルブレヒトにあげようと思っていたが、用無しになってしまった。


袋を開けて一口食べる。

うまくできたはずなのに、味がしない砂のようだった。


「傘なんて事務室に預ければよかったのに、なんで教室まで行っちゃったんだろう。」


アルブレヒトの学院での姿が気になってつい教室まで行ってしまった。


「尻拭いか。」


本当にその通りだ。アルブレヒトは望んでやっていると言っていたが、実際サラの代わりに激務を負っている。

あれくらいの言われようはとっくに慣れているはずだったのに。

アルブレヒトが自分を大切にしてくれていると思っていたからだろうか。

もっと誰かに必要とされたい、愛されたいと卑しくも思ってしまったから。

いつの間か自分は弱くなってしまった。


鼻の奥がツンと痛くなる。

ダメだ。我慢しないと。そう思えば思うほど耐えられなくなって、目元が熱くなった。


「うっああああ」


サラは声をあげて泣いた。

父と仲良さそうなアルブレヒトを見て、嬉しくもあったが、いじけてしまった。

みんな私ばかり仲間外れにする。

いや、違う。それこそ自分よがりな考えだ。父もアルブレヒトも良くしてくれている。


「ああっ、ぅあっ。」


私に才能があれば。もっとちゃんとできれば。

父にあんなに悲しい顔をさせることはなかったし、アルブレヒトに責任を押し付けることはなかった。

だめだめだ。自分は。

お母さん。私全然だめだ。1ミリも優しくなんかない。


結局自分のことばかり考えてる。

素敵な大人になんかなれない。

この年になってもまだ、こんなに不安定だ。


全部を理解して納得したつもりでいたのに、自分がまだこんな感情を持っていて、心底嫌になる。


びしょ濡れの頬に、涙ではない何かが落ちた。

どうやら雪が降りだしたらしい。

だが、なにも感じなかった。

このまま雪が自分の存在を溶かしてくれたらいいのに。

サラは投げやりに雪に打たれた。


「そんなところで、何やってるんですか。」


ここにいるはずのない人の声が聞こえた。

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