第6話 偽善
サラの魔力欠乏事件のあと、アルブレヒトの護衛騎士教育が本格的に始まった。
魔術の鍛錬はもちろん、事務作業の引継ぎや護衛騎士としての仕事をエリアスがつきっきりで教えている。
その膨大な作業量をアルブレヒトは涼しい顔でやってのけた。
護衛騎士の引継ぎはアルブレヒトが魔術大学校を卒業してから行われる予定なので、あと5年近くはあるが、それでも今から覚えなくてはならないことが沢山ある。
早朝、庭で父とアルブレヒトが使用人たちと剣の稽古をしていた。
それを部屋の窓からサラはぼんやり眺めた。
“使用人”は文字通り家のあらゆる仕事を行うが、国防に関わる任務の実働部隊としての側面を持つ。一人一人が魔術や戦闘のエキスパートだ。
先日、一人で庭を散歩していた時のことを思い出す。
庭仕事をしていた使用人の会話が耳に入ってきて、思わず植え込みに身を潜めた。
「いやぁ、ハルトマン家のお坊ちゃん、なかなかやるよな。」
「そうだな。最初は愛想の悪い若造が来たと思っていたが、現場でも冷静で実力もある。」
「これでシュルツ家も安泰だな。」
「エリアス様も安心して隠居できるだろう。」
教育が始まってすぐにアルブレヒトは成果を出しているようだった。
サラはといえば、今は手持ち無沙汰だ。四年生となり、大学校の講義はそんなに多くない。
卒業論文はあるが、三年の時からコツコツやってきたこともありそれほど負担ではなかった。
今までは護衛騎士になるための鍛錬や勉強があったが、それもやる理由が無くなってしまった。
周りの学生は家業を継ぐ準備や、仕事先を見つけたりで忙しそうにしている。
サラも家の仕事を手伝うことが決まっているが、今はアルブレヒトの教育で皆忙しい。
なんだか自分だけ置いていかれているようで、サラはため息をついた。
アルブレヒトをぼんやり眺める。
サラの父は魔術の天才であるが、剣の実力もあった。
そんな父とアルブレヒトは互角にやりあっている。
サラは剣の稽古が好きでよく父に手合わせをしてもらっていたが、手加減されていたことに気づいた。
さっきより大きなため息をつきそうになる。
「そういえばまだちゃんと謝れてないな。」
アルブレヒトに魔力の受け渡しをさせたことについて、あれから二週間経ったがいまだに面と向かって謝れていなかった。
食事以外でアルブレヒトに遭遇しないし、多分彼は全力でサラのことを避けている。
食卓でも二人はずっとぎくしゃくした雰囲気(そう思っているのはサラだけかもしれないが)だし、父の楽しそうな声だけが響いている。
アルブレヒトの部屋には何回も行こうとしたが、いざドアをノックしようすると怖くなって毎回失敗した。
「もう晩ご飯のときに謝っちゃおうかな。」
二人の時の方がいいと思っていたが、父もいたほうが円滑に謝れるかもしれない。
サラは音を立てないように窓をそっと閉めた。
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学校で数少ない講義を受けたあと、図書館で資料探しをしていたサラは、日が暮れかけていることに気づいて外に飛び出した。
しかし、広場の時計を見ると夕食の時間まで案外余裕があったので、途中で市場に寄り道した。
「結構遅くなっちゃったな。」
夕日に紅く染められた石畳の道を歩く。
カバンを持っていない左手には、先ほど市場で買った乾燥果物の砂糖漬けが入った紙袋を抱えていた。
「夕食のあとにお父様と……アルブレヒト君にもあげよう。」
この店の砂糖漬けは素材をいかした味で、甘さ控えめだ。
サラは好んでよく食べている。
アルブレヒトのご機嫌を取るわけではないが、この砂糖漬けで日々の鍛錬の疲れを少しでも癒してほしい。
住宅街に差し掛かり、外灯が道を温かく照らしはじめたとき。
「!」
どこからか悲鳴が聞こえた。
反射で声がした方に顔を向けると、恰幅のいい女性が、井戸の中に頭を突っ込んでいた。
「なっ、早まらないでください!!」
サラは慌てて駆け寄って女性を引き戻した。
「やめて!放して!私の息子がっ、」
「えっ、息子?」
女性は井戸に身を投げようとしていたわけではないらしい。
気を付けて井戸の中を覗くと、水のない枯れ井戸だった。
かなり深くて底が見えない。
サラは指先で小さな光の魔術を練ると、井戸の底にそっと落とした。
光の玉はゆっくりと落ちていき、やがてそこに倒れている人影が見えた。
「男の子がいる!ぼく、大丈夫!?」
目を凝らすと、五歳くらいの小さな男の子が壁にもたれてぐったりとしていた。
落ちるときに打ったのか、頭から血を流している。
何度か呼びかけたが返事がなく、意識を失っている様子だった。
「ああっ、クリストファー。私が目を離したばっかりに!」
「落ち着いてください。」
「あんた、シュルツ家の……」
女性はサラの存在を認めると、落胆した表情になった。
サラは街の人々に顔も名前も知られている。
シュルツ家の落ちこぼれとして。
一瞬心臓が痛くなったサラだが、落ち込んでいる場合ではなかった。
今にも井戸に飛び込んでしまいそうな混乱状態の女性をなだめていると、騒ぎを聞きつけて人が集まってきた。
それぞれ井戸の底に届きそうな縄やはしごを持ち寄ってきたが、井戸は男の子がギリギリ通れるくらいの幅しかない。
さっと周りを見渡すと、自分以外に魔術の心得がありそうなものはいない。
落ちこぼれの自分が出しゃばったところで迷惑をかけるかもしれないと大人しくしていたサラだったが、覚悟を決めた。
「……大丈夫、私ならできる。」
いち早く男の子を助けてあげたい。
「すみません!少し離れてください!」
目をつむり井戸に両手をかざすと、深く息を吸って吐いた。
男の子を持ち上げるイメージを膨らませながら、重力と風に働きかけるように魔術を構築する。
「井戸から風がでてきたぞ!」
ざわついていた雰囲気は一気に静まり返った。
周りの大人たちが固唾をのんで見守る中、サラは自分の指先に集中した。
途中で魔力を途切れさせて男の子を落とすわけにはいかない。
「っふ、う、」
少し苦しくなってきたが、息を整えながら魔力を捻出し続ける。
時間にするとほんの数十秒の出来事だったが、まるで永遠のような時間だった。
「クリストファー!」
井戸からひときわ強い風が吹きあがるのと共に、男の子がふわっと浮き上がってきた。
とっさに母親が駆け寄り、ゆっくりと落ちてきた男の子を抱きかかえる。
「……ママ?」
「ああっ、クリストファー!」
男の子が意識を取り戻したようだ。
周囲から歓声があがる。母親は男の子を抱いたまま泣き崩れた。
「よかった……。」
ちょうど駆け付けた魔術騎士に男の子が病院に連れられていったのを見届け、サラはひっそりとその場を後にした。
あたりはすっかり暗くなっていた。
若干めまいがするが、消費した魔力は国境の防衛魔術よりも少なかったので、倒れるほどではない。
それにしても、男の子1人助けるだけでこんな状態になってしまうとは。
これで護衛騎士になろうとしていた自分が少しおかしくなった。
夕食の時間を思い出してその場から駆け出そうとしたとき、後ろから近付いてきた足音にサラは振り返った。
「アルブレヒト君……今帰り?今日は遅かったんだね。」
そこには制服姿のアルブレヒトが立っていた。
冷え冷えとしたまなざしでサラのことを見下ろしている。
こうして食卓以外で顔を合わせるのはずいぶん久しぶりだ。
「あの?」
「……はぁ。」
無言のままこちらを見てくるアルブレヒトに首をかしげる。
もしかしたら今が謝罪のチャンスかもしれないと考えていると、アルブレヒトに腕をつかまれて近くの木の陰に連れてこられた。
「どっ、どうしたの?」
「魔力欠乏起こしてますよね。」
「いや!まだなってな……もしかしてさっきの見てた?」
「途中から。状況が把握できなかったので手を出せませんでしたが。それより、そんな顔色でエリアスさんの前に出るつもりですか。」
言われてサラはカバンのサイドポケットに入れていたコンパクトミラーを取り出した。
「うわっ、ひどい顔色。」
暗がりでもわかるほど唇は白くなり、頬は青く血の気が引いていた。
こんな状態では父に心配をかけただろう。怒涛の過保護モードになったに違いない。
「全然気がつかなかった、ありがとう。私は少し休んでから帰ろうかな。お父様に私の帰りが遅くなること伝えてもらってもいい?」
自分は顔色がましになるまで風に当たって、後でこっそり家に帰ろうとしたサラだったが、
「……。」
目の前の貴公子が氷点下のオーラを放っていた。
「ごめん、私何かしちゃった?」
サラはおろおろするしかなかった。
そうこうしている間に、木の幹を背にアルブレヒトに囲われていた。
「えっ!」
顔を両手でつかまれ上を向かされた。
作り物のような顔面が近づいてきて、サラはようやくアルブレヒトが何をしようとしているか気がついた。
「待って!本当に大丈夫だから!ほら、普通に立ってるし」
とっさにアルブレヒトの口を手のひらで抑えるが、アルブレヒトは構わず口を開く。
「黙って。」
大きな手のひらにサラの手はよけられ、あっという間に唇がふさがれる。
「んん!」
サラは渾身の力でアルブレヒトを押し返した。
「ま、待って!前回の件も謝れてないのに!それにあなたにこんなことさせるわけにはいかないから!」
「謝罪ならもう何回も聞きました。」
「でもっ」
「気分が悪いんでしょう。」
「へ、平気だよ。これくらいは慣れてるから。」
この程度のめまいであれば日常茶飯事だった。
「とにかく、ここでごねられても面倒なだけです。大人しく僕の唾液を飲んでください。」
「……。」
もう十分分かっていた。ここで遠慮したところで、この貴公子は引くことは無いし、むしろ迷惑をかけている。
それでも、他人に迷惑をかけてはいけないとするサラの生来の性格と、年下に頼ることへの抵抗感で、素直にうんとは言えなかった。
しかし、自分の行動の結果を、いつまでも年下の男子のせいにするわけにはいかない。
どうせやってもらうなら、自分の意思でやろうと思った。
「情けない姉でごめん。少しだけ魔力を分けて欲しいです。」
「どうぞ。」
腕を組んで立っているアルブレヒトの首に手をかけて、自分の高さまで降ろす。
抵抗なくあっさりと近づいてきた顔に、唇を重ねた。
重なった部分から、つつっと魔力を含んだ唾液が流れ込んでくる。
前回とは違って意識がしっかりとしているため、恥ずかしさで心臓が爆発しそうだった。
ギュッと目をつむる。
アルブレヒトは自分のことを嫌っているし、まるで煩わしい小虫を見るような目線をむけてくるのに、何故こうして魔力を分けてくれるのだろう。
今度魔力欠乏を起こしそうになったら彼に見つからないようにしよう。
普段から魔力欠乏にならないよう気をつけているが、今日みたいな不測の事態が起こるかもしれない。
「下手くそ。」
「!」
いい感じに逸らしていた意識を連れ戻されて目を開けると、青い目とバッチリ目が合う。
アルブレヒトの舌が割入られたかと思うと、舌ごと唾液を吸われた。
「!?」
自分の唾液を持っていかれるということは、魔力を奪われたということだ。
舌を吸われた衝撃で固まっていたサラだったが、途端に体の力が抜けた。
腰に腕を回されて受け止められる。
「自分から魔力をねだってきたなら、こうやって自分で持っていってください。」
「……はい。」
最初はアルブレヒトから強引にしてきた気がしないでもなかった。
しかしそんな場合では無い。
アルブレヒトが少し吸っただけで、サラの魔力は大きく持っていかれてしまった。
どちらのものとも分からない唾液で濡れた唇にサラは再び口付けると、恐る恐るアルブレヒトの舌を探った。
幸か不幸か魔力欠乏で頭がぼうっとしてきたので、あまり羞恥は感じない。
自分のものではない舌を捉えて引っ張り出すと、唾液を飲むようにすすった。
「っ……ん、」
冷えた体に魔力が行き渡り始める。
やはり、アルブレヒトのもつ魔力は底知れない。
わずかな唾液で体力が回復してきた。
奪われた魔力を取り返し、自分で立てるようになってから、サラはアルブレヒトから唇を離した。
「……。」
「……ありがとう。こんなことまたさせてごめんね。」
「あなたは自分の容量を把握出来ていない。」
「えっ」
「あの程度の魔術で顔を青くするのに、護衛騎士になろうとしていたなんて笑わせますね。」
「……そうだね。」
「その調子で魔力を使えばそのうちどこかで行倒れる。その度に魔力を分けるのも面倒ですから、大人しくしていてください。」
「うん。でも」
アルブレヒトの言うことは全くもってその通りだった。
「せめて自分の目が届く範囲で困っている人がいたら、助けてあげたい。」
「……偽善だ。」
「そうかも。」
サラは困り顔で笑った。
確かに自分に持てる力は少ないし、傲慢かもしれない。
「でも見なかったフリはできないから。偽善でも自分のためでも。」
「自分のため……。」
「もうアルブレヒト君には迷惑かけないように気をつけるから。安心して。」
「……。」
「家に帰ろ!お父様が心配しちゃう。あ、そういえばこれ」
鞄につっこんだ砂糖漬けの存在を思い出し、引っ張り出してアルブレヒトに渡す。
「なんですか。」
「この前のお詫び……あんなことさせちゃって、本当にごめんね。学校帰りに市場で買ったの。疲れた時とかに食べると元気がでるから。」
「……」
一応は受け取ってくれたアルブレヒトだったが、それきり言葉を発さなくなってしまった。
無言で肩を並べて歩く。
もっと自分に魔力があれば、もっと自分に才能があればと何度も考えてきた。
無力さに絶望しては、やるせない思いをした。
だけどせめて自分に出来ることは当たり前のように実行したい。
そう思うのは自分勝手な願いだろうか。
「なんてね。」
サラの小さなつぶやきは、誰に届くことも無く夜の風にさらわれた。
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