第5話 不本意
「ハルトマン家から来ました。アルブレヒトです。」
アルブレヒトが顔を上げると、義父になったエリアスの隣に立つ女が視界に入った。
女はアルブレヒトの見た目に惚けているのか、口を開けたままの間抜けな顔でこちらを見上げている。
アルブレヒトは心の中で盛大に舌打ちした。
大抵の人間は初対面でアルブレヒトの美貌に心を奪われる。
おかげで様々な厄介ごとを経験してきた。
「はじめまして、サラです。どうぞよろしくお願いします。」
自分の見た目に注目されることに嫌気が差すには十分な人生を歩んできた。
「……よろしくお願いします。」
想像以上に素っ気ない声が出たが、それを取り繕う気すらなかった。
「これから仲良くしてね。姉弟として!」
アルブレヒトが握り返すことを疑っていない、屈託のない笑顔だった。
「……。」
アルブレヒトにとって家族とはただの記号であり、そこに特別な感情はない。
書類上姉になったサラはなおさらだ。成り行きで同じ家に暮らすことになっただけのただの同居人である。
生ぬるさに無性に苛立つ。
「僕がこの家に来たのは、」
「う、うん。」
「利害の一致であって家族になりに来たわけではありません。」
「……。」
「あなたも、無理して僕と親睦を深めようとしなくて結構です。」
だから必要以上に近づくな、と言外に含める。
サラは固まったまま動かなくなったが、それに構わず扉を閉めた。
「他人に決まってるだろ。」
まだ自分の物になっていない見知らぬ部屋の静かな空気が広がっていた。
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高等学院から帰宅すると、義父のエリアスから声をかけられた。
「早速なんだが、アルに任せたい仕事があってね。」
この家の裏にある国境の防衛魔術のメンテナンス。
それをサラから引き継いでほしいとのことだった。
「サラはもう5年もやっているから、詳しいことは彼女が教えてくれるはずだ。そろそろ帰ってくるから、談話室で待っていてくれ。」
「わかりました。」
準備をして談話室で待機していると、遠慮がちに扉が開いた。
視線を感じてそちらを睨むと、ダークブラウンの瞳が怯えたように揺れた。
ささくれた心が少しだけスカッとする。
のろいサラを置いて談話室を出ると、彼女が慌てて追いかけてくるのでもっと愉快になった。
道中軽く説明を受けながら、目的地にたどり着く。
北東に来て初めて見たサラの魔術は、それほど悪いものではなかった。
広範囲の防衛魔術は、いかに効率よく力を供給するかがカギだ。
見たところ、この術式は大地のエネルギーを魔力の供給源とすることで、術者本人の消費を軽減し、なおかつ長期間持続可能にしている。
いくつかの術式がうまく組み合わせられており、思わず感心してしまった。
「っ、はぁ、こんな感じかな。試しにこの上に防衛魔術かけてみる?」
「わかりました。」
サラの術式をもとに、より自分がやりやすいようにアレンジを加えてみる。
そして自分の魔力も載せることで、サラよりも強力な防衛魔術をかけた。
「す、すごい。一瞬で終わったし、強度も完璧……。これなら3か月は保つかも。」
サラは目を見開いて驚いていたので、得意な気持ちになる。
早速いくつか新しい術式のアイデアが浮かんできた。
用も済んだのでその場を去ろうとしたとき、後ろの足音が止まった。
「アルブレヒト君、ごめん。ちょっと先に戻ってもらっててもいいかな?道はわかるよね。」
振り返るとサラが青い顔をしてしゃがみ込んでいた。
確かにこの範囲の防衛魔術を施すにはそれなりの魔力が必要だが、あの術式は少ないエネルギーで済むようにできている。術者の負担は最小限に抑えられているはずだ。
「あの程度で魔力欠乏ですか。」
心底呆れた。北東の家の一人娘の出来の悪さは噂に聞いていたが。
あの術式で魔力欠乏になるということは、魔力のコントロールが下手で余分な魔力を消費しているということだ。サラのことを少しは見直しかけていたがそれもやめた。
アルブレヒトはいつもの装備から魔力補充薬の小瓶を取り出し、サラに渡した。
アルブレヒトは膨大な魔力を持っているので、魔力欠乏になることはそうそうない。
これは他人用だ。
一人で置いていくわけにはいかない。サラの自分勝手さと弱さに腹が立つ。
最初は魔力補充薬を飲むことを渋っていた様子のサラだったが、覚悟を決めた顔で一気に飲み干した。
これで2,3分待てば立って歩けるくらいに回復するはずだ。
アルブレヒトはそう考えてその場にとどまろうとしたのだが。
「うっ……、わ、わぁ。なんだか元気が、出てきたかもー。」
あろうことか勢いよく立ち上がったサラが歩き出した。
「!?」
驚いたアルブレヒトは慌てて後を追った。
明らかに体調は良さそうではないし、薬が効くには早すぎる。
が、サラはどんどん進んでいく。
本当に薬が効いたのかもしれない、そんなことを考えていると、突然サラの動きが止まった。
サラはまるで糸が切れた人形かのように崩れ落ちた。
「危ないっ!」
咄嗟に後ろからサラを抱きかかえる。だがサラは無反応だった。
アルブレヒトの脳裏に嫌な予感が走る。
「体動かしますよ。」
前に抱えなおし、片膝を立ててサラを乗せる。
サラの顔は真っ青を通り越して白くなっていた。
「っ……。」
努めて冷静にサラの状態を確認した。
深刻な拒否反応が出ている。魔力補充薬を持っていなかった時点で気づくべきだった。
魔力薬耐性がない人間はほとんどいない。それこそ、数万人に一人の確立だ。
だからといってその可能性を考慮しなかった自分の失態に苦い顔になる。
このまま抱えて家まで走っても、適切な処置を施すまでには時間がかかるだろう。
今この間もサラはどんどん弱っていく。
躊躇する間もなかった。
盛大に舌打ちをする。
「口を開けて。」
虚ろな目でこちらを見ていたサラは、素直に口を開けた。
今からされることが何もわかっていない顔をしている。
それに苛立って、噛みつくようにサラに唇を重ねた。
驚いたサラが一瞬正気を取り戻して抵抗したことで、苛立った心に余計油が注がれた。
顎をたやすく押さえると、力の入っていない口を強引に暴く。
「んっ、んん!」
サラはアルブレヒトの胸を必死に押し返しているが、あまりに無力だ。
アルブレヒトは唾液をサラの口に流しいれた。
サラはまだ飲まないが、構わず注ぎ続ける。
サラの小さい口がアルブレヒトの唾液でいっぱいになって溢れ出してから、ようやくサラは嚥下し始めた。
「んぅ、う、んぐ、」
サラは弱々しくも必死に唾液を飲みこむ。
ぺちゃぺちゃと水音がこぼれた。
ここまで深刻な魔力欠乏であれば、それなりの量を飲ませなくてはいけない。
あくまで医療行為だったが、サラに“勘違い”されそうなのが非常に厄介だ。
血の気のなかったサラの顔に、徐々に温かみが戻ってきた。
サラが唾液を求めて胸に縋ってきたので、飲みやすいように後頭部と背中に手を回して抱き寄せた。
申し訳なさそうに涙を流しながら、それでも自分の唾液を求めるサラに、ざらつく心を抑えられなかった。
サラを抱えて帰宅すると、ちょうど部屋から出てきたエリアスが顔色を変えて近づいてきた。
「サラ!?これはいったいどうしたんだ。」
「魔力欠乏を起こしたので、魔力補充薬を飲ませました。」
「!」
「僕の判断ミスです。申し訳ございませんでした。」
腕の中のサラが身じろぎする。
「アルブレヒト君は、何も悪く……」
「サラ、大丈夫か!?今医者を呼ぶから、アルは部屋に連れて行ってくれ。」
「わかりました。」
階段を上がるが、サラの部屋がどこかわからない。
「部屋、どこですか?」
「アルブレヒト君と反対方向の角部屋……。」
サラの部屋に入り、靴を脱がせてベッドに横たえた。
「アルブレヒト君、ありがとう。」
「……。」
何も答えず一度サラの部屋を出ると、アルブレヒトは自分の部屋から読みかけの本を取って戻り、ベッドの横に椅子に腰かけた。
サラは何か言いたげにこちらを見ていたが、無視し続けていたらいつの間にか眠っていた。
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エリアスが連れきた医者が、眠ったサラを診察している。
アルブレヒトの唾液を飲ませたのが功を奏したのか、休めば大事に至らないとのことだった。
「アル、すまないね。君のおかげで助かったよ。」
エリアスの書斎で、アルブレヒトはエリアスと向かい合ってソファに腰かけた。
「いえ、僕が魔力補充薬を飲ませてしまったことで症状を悪化させました。」
「知らなかったのだから仕方がない。言わずにいて申し訳なかった。それに君の処置のおかげで大事には至らなかった。」
エリアスは娘の身を案じる父親の顔をしていた。
「サラは今まで、シュルツ家の一人娘として辛い鍛錬や勉強を本当によく頑張ってきた。だけどあの子の魔力量は一般人程度しかなくてね。加えて薬が合わない体質ときた。」
「……。」
「しかし、護衛騎士を選出しないわけにはいかない。アル、君が来てくれて本当に助かったよ。」
「僕にも利益があってのことです。」
「ははっ、そうだな。」
エリアスは穏やかに笑った。
「だが、私たちはもう家族だ。利益以外の関係も築いていこう。」
「善処します。」
そう答えたが、アルブレヒトの感情は冷めていた。
他人と関わるだけでも面倒なのに、家族なんて厄介なものをどうして大事にできるだろうか。
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