第3話 経口摂取




北東の国境はシュルツ家の裏側に広がる荒野にある。

今は暖かい季節なので無機質な岩や砂がむき出しになっているが、寒くなってくると雪に覆われて一面が真っ白になる。普段は穏やかなこの場所だが、国境の向こう側は内戦があちこちで勃発している国である。国境が戦場になったことはサラが生まれてから一度もなかったが、いつ危機が訪れてもおかしくない。

地味だが責任のある仕事を任されたときは、サラは緊張するとともに嬉しかった。


「大体1か月おきに魔術をかけなおしているんだけど、天候とかによって状態が左右されるから定期的に確認しに来るかな。」


アルブレヒトに軽く防衛魔術について説明しながら歩く。

説明がおわり、話題がなくなると痛いまでの沈黙が訪れた。

美形が黙っていると本当に怖い。

昼間ミナリにああ言ったが、サラは本当に仲良くなれるのか不安になってきた。


そうしてサラが内心あたふたしているうちに、前回かけた防衛魔術が見えてきた。透明なカーテンのように横に広がっており、その終わりが見えないほど長い。

国境線の近くまで来ると、サラは持っていた荷物を下ろして隣にいるアルブレヒトを見た。


「ここが国境だよ。この線を踏んだらあらゆるところに連絡が行くらしいから気を付けてね。」


アルブレヒトがうなずいたのを確認して、サラは静かに目を閉じた。

大丈夫、いつも通りやれば家に帰るだけの力は残せるはずだ。

自分を落ち着けるためにサラは深呼吸した。

手元に集中し、国境を広く覆うカーテンを思い描く。大地のエネルギーを利用して、効率的に魔術を施していく。


国境全てに魔術が行き渡ったころには、サラはぐったりしてしまった。

しかし、魔術は無事にうまくできた。


「っ、はぁ、こんな感じかな。試しにこの上に防衛魔術かけてみる?」

「わかりました。」


アルブレヒトは一歩前に出ると、目を閉じて国境に手をかざした。

次の瞬間、防衛魔術のカーテンが光りだし、すぐに元に戻った。

サラは何が起こったのかわからなかったが、目を開けたアルブレヒトを見て魔術が完了したとわかった。


「す、すごい。一瞬で終わったし、強度も完璧……。これなら3か月は保つかも。」


この短い時間で、アルブレヒトの才能を理解するには十分だった。

恐ろしいまでのコントロール力と底知れない魔力量。

サラは圧倒されてしまった。


「これくらい普通です。次からは僕一人でも大丈夫そうですね。」

「そ、そうだね。お父様にも言っておく。じゃあ、戻ろっか。」


無表情を全く崩さないアルブレヒトにサラはぎこちなく笑い、家に帰ろうと一歩踏み出したときだった。


「っ……。」


踏み出した瞬間に、視界がぐるぐるゆがみだした。

全身の血の気が引いて、呼吸が浅くなる。頭に酸素が届かない。

覚えのあるこの感覚は、間違いなく一時的な魔力欠乏によるものだ。

普段は最大限気を付けているのだが、今日はどこか余計な力が入っていたのかもしれない。


「アルブレヒト君、ごめん。ちょっと先に戻ってもらっててもいいかな?道はわかるよね。」


家までは単純な一本道なので迷うことはないはずだ。彼には申し訳ないが、この場で気持ち悪さが収まるのを待ってから戻ることにしよう。

そう決めてその場に座り込んだサラを見て、アルブレヒトは小さくため息をついた。


「あの程度で魔力欠乏ですか。」

「ご、ごめんね。いつもはこんな風にはならないんだけど……。じっとしてればおさまるから本当に気にしないで。」


だから早く行ってほしいと思うサラに反して、アルブレヒトは呆れた表情で腰に付けたホルダーから褐色瓶を1つ取り出すと、サラに差し出した。


「……これは?」

「緊急魔力補充薬です。僕はほとんど使うことがないので。」

「え、えっと……。」


魔力補充薬は一般的に使われているもので、液体の物が多い。

即効性があり、飲めば魔力欠乏による症状はすぐに収まる。しかし、サラはこの薬が飲めない理由があった。


「いいから早く飲んでください。この場に一人置いていくわけにはいかないので。」


受け取るのを躊躇していると、アルブレヒトに急かされた。

魔力欠乏に加えて薬が飲めないとなれば本格的に呆れられるかもしれない。

それにせっかくのアルブレヒトの厚意をむげにはできない。サラは腹をくくった。


さっさと飲んで気力で帰ればいい。

アルブレヒトから小瓶を受け取ると、魔力補充薬を一気にあおった。


「うっ……、わ、わぁ。なんだか元気が、出てきたかもー。」


明らかな空元気を出して、サラは立ち上がった。

さっきより気持ち悪さが増してきた。きっと顔色もひどいことになっているだろう。それを悟られまいと、サラは気力で歩き出した。


「ちょっと、本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫!薬が効いたみたい。ありがとう。」

「いや、効果が出るには早すぎ」

「そ、そうなんだ!でも私にはばっちり効いたみたい!」


サラは早歩きだったが、アルブレヒトは余裕の歩幅であとをついてくる。

なんとか歩き続け、残り半分くらいまできた。


このままいけると思っていたサラだったが、急にガクンと足の力が抜けた。

膝から崩れ落ち、衝撃が来るのを待った。

しかし、いつまで経っても痛みが来ない。


「……?」

「っ、全然駄目じゃないですか。」


アルブレヒトがうしろからサラの腹部を片手で軽々と抱えていた。それに気づいたサラは、細く見えたのに意外と力があるんだなとのんきなことを考えていたが、実際には声も出せない状態だった。


「体動かしますよ。」


アルブレヒトはサラを前に抱えなおすと、片膝を立ててサラを横に抱いた。

手慣れた様子でサラの首筋に手を当てて脈を確認し、両手でサラの顔をもって下瞼を引っ張って観察している。

アルブレヒトは心底面倒くさそうに舌打ちをした。


「魔力薬耐性ないなら先に言ってください。おかげで余計面倒なことになりました。」

「ご、めん……。」

「少し黙ってください。口を開けて。」


これ以上迷惑をかけたくなかったサラは素直に従った。

特大のため息をついたアルブレヒトは、おもむろにサラの頬を包んで上を向かせた。

回らない頭でぼんやりアルブレヒトを見つめていたサラの唇は、突然柔らかいもので塞がれた。


「んっ、んん!」


気づけばアルブレヒトの顔がこれ以上ないほど接近していた。

サラの唇を塞いでいるのはアルブレヒトのそれだった。凍えそうな青い瞳に反して、唇は温かい。

サラは驚いて口を閉じたが、それを阻むようにアルブレヒトはサラの顎を抑え、舌で無理やりこじ開ける。


「ある、ぶれひとくっ、ちょっとまって」

「唾液による魔力の経口摂取、習いませんでしたか。この方法だとほとんど拒絶反応が出ない。」


一瞬唇が離れたかと思えば、再び重ねられ、アルブレヒトの唾液が流し込まれる。


「っ、んっ!」


うまく呑み込めなくてごほごほと咳込んでしまうが、アルブレヒトはやめてくれない。


「飲んで。」


アルブレヒトは素っ気なく言い放つと、厚さのある舌を割り入れてどんどん唾液を流し込む。

サラの口の端から唾液があふれて頬を伝っていく。

苦しくなったサラは少しずつアルブレヒトの唾液を飲み込み始めた。


「んっ、んぐ、」


末端まで冷えた体が、中心から暖まってゆくのを感じる。

血流が脳まで巡ってゆく。

最初は少し嫌悪感があったのに、段々もっともっとアルブレヒトの唾液が欲しくなって、無意識にアルブレヒトの胸元に縋りつく。


「ご、ごめんっ、ごめんなさい」

「いいから黙って飲んでください。」


情けなさに涙がこぼれたが、それを見てもアルブレヒトは容赦しなかった。


永遠のような一瞬のような時間が流れ、アルブレヒトはようやくサラから唇を離した。


「気分はどうですか。」

「だいぶ、楽……。ありがとう。」


息も絶え絶えで答えたサラだったが、かなり体が楽になり、気分の悪さもなくなった。

魔力欠乏が解消されたのを感じる。


「自分が我慢すればいいと考えるのはただの無責任です。迷惑を被るのは周囲の人間ですから。」

「その通りです……。本当にごめん。」

「情報共有はしっかりしてください。」

「はい……。」


年下に怒れられてぐうの音も出ずしょんぼりしていると、体がふわっと持ち上がる。


「えっ、アルブレヒト君、自分で歩ける、」

「かもしれませんが、日が沈みます。それに今のは応急処置ですから医者に診てもらう必要があります。」


深いため息をつくアルブレヒトにサラは何も言い返せず、アルブレヒトの腕の中で小さくなるしかなかった。




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