エピローグ 【リーナ】

エピローグ 【リーナ】


「ジュディ。もういいよな? もう気が済んだよな?」

 産後に授乳している妻に言う。六人目の子だ。

 最初は普通に子を作っているつもりが、妻に求められるまま作っていたら、もう六人目だ。ここまで産んで身体は大丈夫か、この子を身籠る前に妻に言ったが、押し切られた。

 サティラートも身分相応の警護のできる屋敷に移り、広さも申し分ない。サティラートの稼ぎだけでも充分だが、妻も書籍でそれなりに稼いでいる。

 だが、余裕はあると言っても、子だくさんにもほどがある。

「……もう一人くらい……」

「いい加減にしろ。今まで安産だったが、次もそうとは限らねぇぞ? オレをやもめにしたいのか?」

 ジュディは、腕の中の子どもとサティラートの顔を見比べ……

「分かったわ。この子までにするわ」

 その一言に、やっと胸を撫で下ろす。

 妻とて、高級娼婦時代に何度も堕胎させられた。おそらく、自分の子に対する想いが深いのだろう。使用人が居るのに、子育て関係はできる限りやっていることからも明白だ。

 サティラートの仕事は増える一方で、子育てに参加しろとよく妻に怒られている。時間がないと言うと喧嘩になる――というか、妻に一方的に怒られるので、頷いている。

 妻の説得が終わって一息ついたところで、開けたくない封筒を開ける。エルベット王室の紋章が入ったものだ。

 ――よく、検閲通ったな……。

 王族が出す手紙も、内容を確かめて判断されてから送られる。封筒の宛名と差出人の筆跡が、中の手紙の筆跡と違うことからも明らかだ。

 何度送ってくるなと返事を書いても、もしかしたら検閲かもしれないがサティラートの返事が来ないのでまた送ったと書いてある。エルベット王室が自分の手紙を通さない自覚はあるので、その辺りは諦めた。

 今回は、手紙は一言だけだった。

 ――貴兄の姪だ――

 焼付写絵には、自分と弟によく似た赤子が映っている。性別は分かったが、肝心の名前が書かれていない。

「あら、女の子ね」

 妻が写絵だけを覗き込んで言う。これだけで性別が分かるのか。

「まあ、そっくり」

 嬉しそうに言いながら写絵を持って行こうとするのを止める。

「何? いつも要らないってくれるじゃない」

「今度はダメだ。オレの姪だ」

 妻は不満そうにした後、

「いいわ。王室広報にまたお願いするわ」

「無理だ。王族の子どもは、十二歳まで公式には写絵一枚出ない。これも、よく検閲通ったよ……」

 言うと、妻が再び写絵を掴む。

「じゃあ、知り合いに増やしてもらうわ。貸して」

「……絶対返せよ?」

 何枚増やして何人に配るかは、知らないほうがいいと思った。

 ――というか、いくらなんでも、ここまで一大名作に発展したら……アイツの耳にも入ってるよな……。

 例の『ファム姫伝説』は、派生が派生を呼び、もう作者の分だけアレンジされて、女性の識字率向上に大いに貢献した。一番人気があるのは、他でもない妻のものだが……。今回姪の写絵が手に入ったことで、後日談にも信憑性と具体さが増すだろう。

 それはともかく、目の前に嫌すぎる事案がある。

 丁鳩ていきゅう殿下に新たな国名の報告をお前が書け。と、軍事顧問に命令されたのだ。

 魔国を消した功労と恩義を考えれば、真っ先に【濃紺の貴人】に報告すべきとは分かる。何故自分なのかと抵抗したが、一番の適役だと議会で満場一致だと言われた。

 国と国の立場で、代表として書け。ということだ。会って報告しろと言われなかっただけマシだ。

 ――名前、オレが書くんだよな……。

 妻に知られたら、きっと色々監督されるので、秘密にしようと思った。

 サティラートの権限でも姪の名前は調べられたが黙っていたら、しばらく後、妻がエルベット王室広報に問い合わせていたらしく、姪の名前を知っていた。確かに、名前だけなら王室も公開しているが……わざわざ手紙を出して教えてくれるあたり、【丁鳩殿下に助けられた元被害者】の肩書は強いと思った。



◆◇◆◇◆



 季希依きのいの時も思ったが、本当に壊れそうだ。優しく抱いたつもりが、すぐにむずがりだした。

 慌てて妻の手に返す。

「もう少し、粘ってみればよろしいのに……」

 言いながらも、妻の手に戻った娘は上機嫌なようだ。

 覗き込み、

「せめて、髪はリデに似たほうが良かったな……。可愛いのに」

 魔国では母親そっくりな男児のみだったので、父親の自分に似ているというのは嬉しいが、本当に何もかもそっくりだ。せめて瞳が、兄と同じ青なのがいいところか。どうやら濃紺のこの目は、魔国の呪いが消えるときに何かが起こったらしい。

「あら、私は、髪が貴方と同じなのが一番嬉しいんですのよ?」

 そっと金糸の髪を撫でながら、

「女には、癖毛というのは微妙ですのよ」

「そうか? 鮮やかな金色だし、可愛いと思うんだが……」

 妻の髪を撫でながら言う。

 丁鳩ていきゅうの私室にはものがないと言われ続けていたが、礼竜らいりょうが眠った後、急激に増えた。写絵の額である。

 礼竜の笑った顔、拗ねた顔、泣いた顔……年齢も様々に、壁に、机に並んでいる。丁鳩の視界なので丁鳩は映らないが、皆が、一緒にいる写絵をくれた。

 そうして写絵の額が並ぶ中、数枚だけ、伏せられているものがある。兄のものだが、何故か侍従まで勝手に目の前で伏せる始末だ。

 ――礼竜が眠った後、記憶を戻す治療に同意した。礼竜がやってくれると待っていたが、もう眠った者に求めることはできないと観念した。

 そうしたら――兄が、どれほど嫌われても仕方ないと納得した。よく処刑されなかったものだ。

 自分の為にそこまでさせてしまい、謝りたいが、それすらできないので写絵を飾ったが、周りの対応も分かるので放置している。

 馬蹄も、兄からということで皆が嫌がるのも分かった。どの道、今は亡き恋人の形見であり、兄が送ってくれたものであり、礼竜が巧みに返してくれたものでもある指輪を下げているのだから、同時には着けられないが。

 と、泣き出した。すぐに乳母が回収する。

 雪鈴ゆすずは授乳もおしめもやっていて、雪鈴におしめの変え方も習ったのだが、駄目だと言われた。妻すら授乳もさせてもらえないのだから、立場上仕方ないと諦めるしかない。

 と、また王族が正式な祝いを持ってきてくれた。

「ヨセア」

 この妊娠関係非常識とイザベリシアに叱られた男も、何度も経れば慣れたようだ。

 中身が見えないように包まれたものを無言で出してくる。意味ありげな顔をしている。重みがあり、固い。

「……?」

 包みを開き――

「これ、なんでここに……」

 かつて、礼竜らいりょうの誕生日に妻に手伝ってもらって贈ったガラスの花かごだ。神殿が回収した筈だ。

「同じものはなくても、造った職人がいるからな。探し出して、再現してもらった。完璧にとはいかなかったが。どうやらかなり力を入れて作っていたようで、詳細に過程が記録されていた。

 アキの誕生祝だから、家族の共有財産だ。邸がなくなるまで回収されないだろう」

 ――礼竜の私物は、巧みに返された指輪以外遺らなかった。だからこの時を選んで……。

「……ありがとう」

「まあ、涙がいつか出るといいな」

 花かごを抱き締める丁鳩ていきゅうに言い、退出する。

 邸の扉が閉まってから――

 ――ライが死んだのは、私のせいだ。

 ヨセアに子が成せれば、王室の人員不足という問題は起きなかった。ああなった以上、礼竜の子と、その後産まれる丁鳩の子を目当てに、神殿は礼竜を使い棄てただろう。

 本人には確認していないが、おそらく、礼竜もそれが分かっていた。

 ――面と向かって謝れない私を、許してくれ……

 せめて丁鳩が、礼竜が望んだように子に囲まれて幸せに過ごしてくれればと思った。



◆◇◆◇◆



 花かごを一番目に付く場所に飾り、横についさっき焼き付けた、礼竜らいりょうが花かごを受け取って、【兄様がまともなもの持ってきた】と驚いた瞬間の写絵を並べた。

「――え!? それは……!」

 来て驚いたのは雪鈴ゆすずだ。三歳の姪――礼竜の娘を連れている。

 ヨセアが花かごを職人に再現してもらってくれたことを話す。

「そうなんですか……そっくりですね……」

 と、そこで我に返り、愛希あきと妻に祝いを言い、レースを渡す。そして――

「お義兄様にいさま。こちらを」

 侍女に持たせていた数冊の本を渡してくる。――この筆跡を見間違う筈がない。

「これ、ライの……」

「はい、レシピノートと植物の覚書です。ライが、私がキノを身籠った後に、託してきました」

 なるほど。眠ることが確定していない時期なら、私物の譲渡は可能だ。

「お義兄様、受け取っていただけませんか?」

「いや、俺はこれを見てもさっぱりだし……誰か、役立てられる奴に渡した法がいいんじゃないか?」

「はい。既に、菓子職人と園芸家、植物学者の皆様にお見せして、写しを取っていただきました。植物関係は幾分分かる方もいらっしゃって、有効活用してくださるとのことですが、お菓子のレシピは本当に誰も理解が追い付かないと……

 皆、キノが才能を受け継いでいれば分かるだろうと……」

 季希依はまだ三歳だが、生まれながらに次期国王の祝言を受け、通常なら十二歳で降りる王太子名を既に持っている。当然、既に教育係の選別はじめ、帝王教育がぎっしりだ。とてもこれらを見て学ぶ時間はないだろう。

「だが……俺のところに持ってきても……俺は確かに半分はライと血が繋がっているが、その半分は呪王だぞ?」

「はい。……でも、もしかしたら、アキや、これから産まれるお義兄様にいさまの子が、小さな頃から見ていてくれたら、と」

「……分かった。原本を受け取っていいのか? ライの大事な形見だし、俺たちも写しでいいが」

「いえ……ライの一番は、お義兄様ですから」

 言って差し出された手書きの本を、迷いながらも受け取った。

「ああ。子どもと見てみる。それから、もし返して欲しくなったら言ってくれ。写しはいくらでも取れるから」

 雪鈴の頭を撫でながら言うと、季希依を連れて去っていった。

 その後、やってきた王族は皆、ガラスの花かごに驚き、イザベリシアに至ってはヨセアを見直したようだった。



◆◇◆◇◆



「失礼します」

 久しぶりに呼ばれた国王夫妻の邸で、ソファに向かい合って座ると、

「魔国最後の案件だよ」

 言って、王婿が書類を出してくる。

 視線で尋ね、目を通すと――

「兄貴……」

 二度と見ることないと思ってた筆跡で綴られている。軍事顧問次席として、魔国消滅の最大の功労者であり恩人の丁鳩ていきゅうに、国名が決まったことを報告する内容だ。

 国名は、丁鳩への恩から、エルベット王室の許可を得て、かつて丁鳩が捨てた名の【レヴィス】とするそうだ。

「ごめんなさい。勝手に許可を出したわ」

「いえ……嬉しいです。ありがとうございます。

 この書類はいただいて構いませんでしょうか?」

 いつもなら目を通せば返していた丁鳩が言うほどだ。余程嬉しいのだろう。

 元々丁鳩宛のものだと許可をすると、大事に持って出て行った。

「普通、国際問題ものだけれど……」

「お兄さんが書いたものっていう時点で、違うのかもねえ。信じられないけど」

 困った顔で国王夫妻は顔を見合わせた。




◆◇◆◇◆



「……で、これがその書類か……」

 ヨセアは目を通しながら、横にあったあの男の額を伏せる。丁鳩ていきゅうが起こす。ヨセアが伏せる。丁鳩が起こす。ヨセアがまた伏せ、上に礼竜らいりょうの額を載せたら終わった。

 あの男の字はいつも殴り書きで、丁寧に書けるという時点で意外だが――

 丁鳩が淹れてくれた薬草茶を一口飲み、

「私なら、怒る」

「……?」

 書類を指して、

「宛名を書く場所に【濃紺のエルベット王族殿下】、その他にも丁鳩ていきゅうの名前を書く場所は、【濃紺の貴人】【月桂葉の貴人】……名前を一回も書いていない。

 加えて、自分の名前を書く場所にも、【レヴィス軍事顧問次席】と書いただけで実名なし。サインもなし。印があるだけだ」

「兄貴ならそうだろう?」

 頭痛がする思いで薬草茶を煽る。頭痛が治まる気がしたからだ。

「これは、国の代表が国の代表に書いた、正式な書類だ。

 いいか? 不敬罪で【レヴィス】に抗議し、その軍事顧問次席を謝罪に来させることもできる。それが妥当だ」

「兄貴が来る……?」

 思わぬ餌に食らいつきそうになり、

「……いや、兄貴に無理強いはできない。こうして書いてくれただけでも嬉しい」

 一通しかない書類を大事そうにする。

「お前な……」

色々言っても始まらないと、薬草茶の追加を頼んだ。



◆◇◆◇◆



「あれ……これ……お義兄様にいさま!」

 お忍びで立ち寄った城下の書店にて、雪鈴ゆすず丁鳩ていきゅうを呼ぶ。

 王室の紋章があるが、これは王室の許可を得たというものだ。

 背表紙にあるその紋に加え、表紙にはエルベット・ティーズの紋もあった。

「ライのだな……」

 お菓子のレシピノートは理解できる人間がいなかったと聞いたが、植物については理解できる人間が集まり、解釈を載せている。一言の書き込みにかなりの文面を割くあたり、礼竜の【思い付き】は天才的で飛躍しすぎていたのだろう。

「子どもに見せるときに参考になるな」

 初歩的なことしか分かっていないと、三冊しか出ていなかった。全三冊あったのを買おうとすると、

「恐れ入ります。魔国――いえ、今は【レヴィス】でしたね。あちらで識字率を驚異的に引き上げた書籍が入っておりますが……」

 丁鳩ていきゅうも法整備はしたが、識字率などは後に任せた。そんなに成功したのかと喜んで見せてもらう。

 ――タイトルで顔が引きつった。

 公人の顔に隠したが。

「書名が同じなのにいくつもあるのは、これが民間伝承でそれぞれの解釈で書かれているからだそうです。著者も、自分の著作と書かず、編集者を名乗っています。

 なんでも、この話が流行って、今の【レヴィス】では、花嫁衣装は丁鳩殿下のご衣装のような、布が重なって体格も分かりづらいものになったとか。まあ、魔国だったころに女性が被害に遭っていましたから、変な視線が向かないようにとのこともあるのでしょう。何故か、色が白限定なのですが」

 ――それ……ライの王族服……。

「一番の人気はこちらだそうです」

 ――編集:ジュディ。ああ、そうだ。色々な経過を経て兄の妻になった女性だ。

 見られているところで変な顔をしたくなかったので、中を見ずに全部買って帰った。

 邸に帰るなり――

「あんの兄貴……!!」

 必要な調査をしてから、対処した。



◆◇◆◇◆



 休日。いつものように疲れた身体で妻に急かされ、子どもの相手をしていると。

 不吉な音。

 いつものエルベットからの郵便が、国の専門機関から来たのかと思ったが――

 ――あれは……エルベットの近衛兵?

「サティラート軍事顧問次席! いらっしゃいますでしょうか?」

 出たくなかったが出れば、包みを差し出される。開けると――

 見覚えのある本に、栞が多く挟まれ、色で印がつけられている。

 その印を見ていると、いつの間にか番の鳥が入った鳥籠が目の前に出され――

『兄貴……どういうことか、説明してもらおうか?』

「てめえ……もう手紙も寄越すなって言っただろ。しかもなんだ、近衛兵まで使いやがって! 【割り振られた予算】を無駄遣いするんじゃねぇよ!」

 久しぶりに聞く、捨てた弟の声に、いつもの様子で怒鳴り返す。

『印をつけた箇所……兄貴が漏らしただろ?』

 静かな声に、改めて見てみる。

 告白の時に花束に月桂樹の枝を混ぜて持って行ったのを、身元を変えるためにオリーブにした。紋章もオリーブに変えた。

 口説き文句から初夜の甘い言葉まで……そう、サティラートが妻に教えたものだ。

「それがどうした? お前、公人で民の為に使われる立場だろ? 自らプライバシーも人権もない立場を選んだだろうが! オレが帰って来いって言っても応じずに!!」

『確かに、俺はそうだ。俺はどう使われてもいい。人権もない。

 だがな……リーナは一般人で、魔国の被害者だ!! リーナまでなんで売りやがった!!』

 そう。それらは、嘗て魔国でリーナと過ごしたひと時の帰らぬ思い出だった。

「馬鹿かお前! 口説き文句までオレが添削しなきゃ告白もできなかったヘタレのくせに何言ってやがる!!」

『ああそうだよ。兄貴に色々相談した。

 俺だって、まさか兄貴が、もう物も言えないリーナを侮辱するとは思えなかった。調べたが、本でこれが出ているのはジュディの本だけだ。

 リーナの尊厳はどうなる!? 俺に人権はなくても、リーナは違うぞ!!』

「分かったから帰れ。二度と来るな」

 ぴしゃりと言うと、

『だいぶ前の兄貴の【報告書】だが……皆、【レヴィス】に正式抗議して軍事顧問次席を謝罪に来させろって言っている。兄貴、来るか?』

 それは自覚がある。言い返せない。なので――

「お前ら、鳥籠を置いていけ」

 近衛兵が引き上げた後、部屋に鳥籠を置き、

「……で、何の用だ?」

『積もる話があるが……まずはライのことだ』

 最初に礼竜らいりょうの話。次に礼竜の話。続いて礼竜の話。それから礼竜の話。

「礼竜のことばっかりじゃねえか!! それだけ言いたくてこんなことしでかしやがったのか!!」

『しでかしたのは兄貴だ。リーナを売った』

 また出た話に嫌になって、鳥籠を放置して部屋を出ると、

『ジュディ、久しぶりだな。その子たちは俺の甥と姪か?

 何人いるんだ? 紹介してくれ』

 思わず戻ると、妻が順に子どもを紹介している。

「おい! こっちを見てやがるのか!?」

『兄貴と、そっちを見ないって約束した時の鳥は返しただろ。兄貴が。

 今はそういう約束はしてねぇよ。

 俺は丁鳩ていきゅう。お父さんの弟だ。つまり、叔父さんだ。よろしくな』

 子どもたちは返事をしたのち、サティラートに口々に、

「叔父さん、死んだって言ったでしょ? 嘘ついたの?」

「親戚の人、居ないって言ってた……」

『ああ、眠ったのは下の叔父さんだ。お父さんには二人弟がいて、俺の弟にもなる下の叔父さんは眠った。

 従妹もいるぞ。俺の子はまだ零歳だから話せないが、下の叔父さん……ああ、ライ叔父さんっていうんだ。その娘。ほら、キノ』

『はじめまして。リーリアント・季希依・フォル・ディア・エルベットです』

「ちょっと待て! お前一人じゃないのか!?」

『誰もそんなこと言ってないだろ? いるよ。大勢』

 ――大勢? 誰が?

「てめえの寝室に何人居やがる?」

『ライが治療にアロマテラピー使うんで、鳥籠は安全な場所に移したんだ。今は、一番広い居間だ』

 確かに、アロマテラピーをするなら動物は命が危ない。というか、いつの間にアロマテラピーをしたのだろうか。

『こうして話すのは初めてだな。改めて挨拶申し上げる。ニコロイ・ヨセア・フォグラオ・フェルイア・エルベットだ。

 声は丁鳩に似ているが……酷く語気が荒いな』

「……てめえか、ニコロイ。コイツに妙な入れ知恵しやがって……」

『ああ、丁鳩ていきゅうの兄上なのだから、気軽にヨセアと呼んでくれていい。

 丁鳩は、報告書でも全く怒らなかったのだがな。リーナがないがいしろにされたと知って激怒した。私も婿入りしてからしか知らないが、ここまで怒った丁鳩を見るのは初めてだ。

 それで……王族皆も、見たことがなかったようでな。事態の大きさに全員ここに居る』

「…………」

『はっきり言って、ライを暗殺しようとした犯人にも怒っていたが、完全に違う。

 丁鳩も【レヴィス】が魔国だった時にも、最低限尊厳は守った。そのリーナの尊厳が踏みにじられた』

「全員居るってことは、姫さんも居るんだろ? いいのか? 昔の恋人の話で」

『貴方もご存じのはずですわ。私が幼い頃、父と妹が相次いで眠って王族廟に入りました。

 眠ってしまった人には、もう勝てませんのよ? リーナにも、礼竜らいりょうにも』

『それで、貴兄の報告書の最終判断を王族で協議するという名目で、皆集まった。

 結論から言えば、【レヴィス】に王室から正式に抗議の上、【軍事顧問次席】に謝罪に来てもらうしかないのだが……違う事情もある。

 私が、貴兄が軍事顧問次席に就任後、貴兄への手紙の宛先を、【サティラート軍事顧問次席】としていたのは気づいているな?

 私はエルベット王族として、貴国の軍事顧問次席に書簡を寄せた。その返事が、不敬罪、王室侮辱罪、他に王族暗殺まで平気でほのめかし……中には皆殺しという単語もあったな……罪状を全て挙げるのは長いので割愛するが、充分に、国際問題になる案件だ』

「ちょっと待て! 検閲のせいで返事が届いていないって……」

『嘘をついたのは謝る。だが、貴兄の書簡は証拠となる』

『それで、これも言っていなかったのだけれど……』

「てめえ……国王か?」

『これまでの問題を全て、【レヴィス】首相に報告し、今閣議が行われています。その場に、鳥を送りました。声も閣議で流れています』

『君は、顔も声も丁鳩ていきゅうにそっくりなのに、非常に直情的だね。政治には向かないよ。

 丁鳩も、しっかり公人の顔をしていただろう?』

「……分かった。で、オレをどうするんだ? そっちに引っ張って処刑か?」

『俺としては……兄貴にまた一緒居似て欲しいんだ。家族も増えたし、みんな一緒に』

「ほお……オレは、お前が見るに堪えないから斬るって言ってるよな。お前もオレの気が済むなら斬られるって言ってるし」

 言いつつ、本当に魔剣の柄に手をかける。

『いや、ライが眠る前に、リーナの分まで、ライの分まで長生きして、白髪になって孫に囲まれるまで王族廟に来るなって言ったから、いくら兄貴でも斬られるわけにはいかない。

 斬りかかってきたら抵抗して取り押さえて……まあ、王族暗殺未遂は確定だな。その時はできるだけ庇う』

「希死願望満載の奴が……」

『それなんだけどねぇ……リーナの件で怒ってから調べたら、希死願望消えてるんだよ。礼竜らいりょうもに治せなかったのに……』

『まあ、ライの優しい性格では、まさか愛した女性の尊厳を踏みにじって怒らせれば治るとは思いもしなかっただろうな。実際、私たちも決してしない。

 思わぬダークホースだな……いや、馬で一番は丁鳩の馬か』

 ――希死願望が……消えた?

「おい、なら聞くぞ? 『宿題』の答えは――」

『俺が一人で何でも隠して勝手に危ないことを背負い込むのを、ライなりに止めようと考えたんだろ。悪いことしたよ』

 唖然とした。本当に治っている。

『リーナが凌辱されたと、丁鳩が初めて泣いたときは驚きましたわ。まあ、ただ尊厳を踏みにじられただけでなく、やったのがよりにもよって貴方ですから……衝撃も大きかったでしょう』

 ――泣いたのか!?

『さて、ここからは国際取引になるよ。

 エルベットは、【レヴィス】に対し、君を丁鳩ていきゅうのもとへ【レヴィス】の意向で派遣してくれるように要請する。

 君は【レヴィス】の人間として、責任を以て丁鳩の傍に居てほしい。丁鳩の希望だ。

 甘すぎるという意見も多いが、丁鳩の温情と解釈してくれ』

礼竜らいりょうは、眠る前に、貴方が以前やったことは絶対に罪に問わないでくれと言い残したのだけれど……軍事顧問次席になったのはその後だから、礼竜も庇いきれないわ。

 それに、本の旧版を取り寄せて調べたけれど……リーナの情報は、貴方が軍事顧問次席になってからも続々と増えているわよね?

 丁鳩も守った尊厳――しかも旧魔国の被害者の尊厳を、貴方の立場で踏みにじれば……言うまでもないわね』

「…………分かった……」

 すぐに、閣議の結果が出て呼び出され、エルベット側の要求を全て飲み、サティラートは家族と共に【レヴィス】から出向の形でエルベットに送られた。

 妻は、間近で取材して本の参考にして良いと許可され、子どもたちも、居ないと聞かされていた親戚のところにいくと大はしゃぎした。憂鬱なのはサティラートだけだった。




◆◇◆◇◆




「兄貴、これ書き直しだ」

 公務から邸に戻るなり、弟が報告書を返してくる。弟の印が押され、差し戻しとある。額の王族冠には、月桂葉の紋が入った濃紺の石が嵌っている。

「俺の名前を書きたくないのは分かってるが……これは正式な書類だ。【レヴィス】の立場がこれ以上危うくなるのが嫌なら、紙の上だけでも書いてくれ」

 言って弟は王族服を翻し、髪を靡かせて慣れた調子でソファに座る。

「あと、言われてると思うし散々言ってるが……兄貴は本当に俺に似てるんだから、公務の最中に間違えられても民に笑顔で接して俺のほうへ誘導してくれ。

 さっき、間違えた人を睨んだろ? 近衛騎士が謝ってたの知ってるか?」

 ただでさえストレスの溜まる環境で、それを言われても順応できない。

 侍従が出した紅茶を銀のカップで飲みながら、

「まあ、【レヴィス】が、どっかの女の国みたいに、周りに併合されて消えてもいいなら、好きにしてくれていいが……」

 嬉しそうに弟が言う。

 そうだ。エルベットに雇われるのではなく、【レヴィス】の出向という形で来ている。累は祖国レヴィスに及ぶ。

「……てめえが、公僕のみならず、権力まで濫用するとは思わなかったわ……」

「俺はただ、エルベットで普通にやってくれって言ってるだけだ。名前も呼んでほしいんだが……いい加減諦めてくれないか? 命令すればいいんだろうが……それだけはしたくない」

 本当に、王族服と優雅な仕草が似合うようになった。髪など艶が出ている。

「人権はないのは承知の通りだが……君臨と統治に必要な権限はあるからな」

「お前さんが正気を失くしてるときに、斬っときゃ良かったわ……」

 その一言で周りの騎士が動いたのを、弟が手を挙げて制する。

「……分かった。報告書は書き直す」

 言って退出しようとしたところ、止められる。弟の前に座らされ、

「ここで書いてくれ。名前呼んでくれないから、書くところだけでも見たい」

「……てめえ……」

「あと、兄貴は王族じゃないから葬儀に出られないから、俺の最後は看取ってくれよ? 最後くらい、名前呼んでくれ」

「……その前に、オレがストレスで逝くわ。てめえのせいで今すぐにでも倒れる」

「そうなのか? なら、今からストレスの治療をさせよう。同意書にサインを……ああ、俺のせいなら王族命令で強制的に治療を受けてもらおう」

 既に医者の手配を始めてしまった。

 傍では、妻と子どもたちが弟の娘を囲んで色々と楽しそうだ。

 弟がこうして順応したように、自分も順応していくのだろうか。

 と、身重の弟の妻が来た。何しろ六人も産んでいるから、妻の話が参考になるらしい。妻は妻で、また取材に熱心だ。妻はきちんと許可を得て内容を利用しているので、何も言われない。

 妻の本や、既に出たリーナの記述には何も言わない。要するに、怒りの矛先は漏らした自分にのみ向かっている。

 ――まさか愛した女性の尊厳を踏みにじって怒らせれば治るとは思わなかった。

 誰だってそうだ。普通癒そうとする。あの優しい兄想いの礼竜も絶対に思いつかない。

 すっかり感情も心も治った幸せそうな弟に、どうしても謝る気は起きなかった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る