エルベット編 最終節,【白い花の散る時】
エルベット編 最終節,【白い花の散る時】
「はい、兄様。今日からアロマテラピーも入れます」
典医はもう見るだけで、実質
「どうやら、香りは有効なようですので。人によっては効果がなかったり逆効果だったりするんですが、兄様は効いてますね」
昨日礼竜が入れ替えた花は、確かに香りからして落ち着いた。よく香りを嗅ぐ花をリディシアが見ていたとはいえ、本当に天才だ。
「いや、香りが染みつくと……」
「分かってます。
ならいいか、と頷くと、いつも通り自傷の確認の後に眠らされた。
眠っていたのでどんな香りか覚えていないが、髪に僅かに香りが染みついている。確かに落ち着いた。
治療後はいくら眠っていても誰も起こさないので時間を確かめ寝室を出ると、
「失礼いたします。ニコロイ殿下がお見えですが……」
「通してくれ。一人なら私室でいい」
やってきたヨセアは、いつもと様子が違った。
「……どうかしたか?」
「いや……ライに、あいつが配っている薬草茶の元はお前だと聞いて……」
あの後礼竜に聞いてみれば、『兄様に教わったものですし、兄様に淹れてもらったほうが効きますよ』と聞かされた。なのでそれだけ話し、被害者の手記のことは伏せた。
「ああ、最近
言いながら淹れてくれる。常備しているらしい。
「……本当に落ち着くな……」
「まあ、味に関してはライが淹れた方が美味いんだが……。俺は薬が効かないから、そっちのほうが好きだ」
「…………」
見回すと、本当に花だらけだ。
「ライの邸と同じだな……」
「ああ。あいつ、全部エディブルフラワーに変えやがった。別に食わねぇのにどういう目で見てるんだか。最初にくれた彼岸花もなくなってた」
言いつつも、不満ではなさそうだ。
「エディブルフラワーかどうか、見ただけで分かるのか?」
「ああ。基本、食べられるものとそうでないものは分かる。時々……よくある例が茸だが、慣れた人間でも毒の入ったものを間違えて食べるからな」
平和な会話のようで、意味を考えると重い。
「……どうしたんだ? 悩みか?」
「あ、いや……」
もう一口、薬草茶を飲み、
「本当に済まなかった。勝手に好奇心で無神経なことばかり言って……」
魔国の王太子に抱いていた偏見、実物が予想と違うと驚いたことから、全て謝る。
「…………」
返事がないので怒っているのかと思ったが、
「そう言って謝ってきたのはお前が初めてだ。どう応対したらいいか分からない」
本気で言っているようだ。
「まあ、俺も大概おかしくて、周りを怒らせているから、気にするな」
付き合ってくれているのか、
「銀は熱の伝わり方が違うから、やっぱりこういうのは陶器の方が美味いな……」
「お前、何歳だった?」
「……知ってるだろ? 二十一だ」
「だよな……」
自分より年下なのに、どうにも違って見える。
「そう言えば、例のライの暗殺未遂犯、雪鈴の誕生日を吐いたらしい」
「そうなのか?」
そういえばレースの情報は吐かせたが、失念していた。
「そうか、誕生日が分かったのか……。良かった。
今度は何か贈らないとな」
視線の先には、婚礼衣装が飾られている。レースで飾られているが、左のカフスのみがない。
王族が交代で様子を見ていたので、ヨセアも当然見ていた。あそこまで人を追い込み、それを愉しむ。到底理解できない世界だ。
この目の前の穏やかな人物は、どれだけその被害者を救おうとし、助からなかった被害者を手にかけたのか……。
「本当に、嫌われたと思っていたから、こんな負担のかかるレースを短期間で織ってくれたと知った時は驚いた」
「……嫌われるようなことをしたのか?」
薬草茶を一口飲んでから、
「俺もおかしいからな。ライを助けようと思ってやったことが、やってはいけないことだったらしい。本当に雪鈴に怒られた。あとで兄貴に話がいって、散々怒られたが、どうしても分からなかった。
まあ、ライはもう、そういうものだと思って、治してくれるって言ってくれた」
「…………」
「いつか、分かったらライにも雪鈴にも、兄貴にも謝らないといけないんだが……。兄貴はもう、俺を見ていられないから会ってくれない。謝れないな……」
「その兄上の件だが、お前の話を聞く限り、兄上も悪いんじゃないか?」
「……?」
「自分の持つお前のイメージとかけ離れたから会わないって言っているんだろう? そんなこと言われたら、普通怒らないか?」
暫し沈黙した後、
「……その辺もおかしいのか……」
首を振り、
「すまん、本当に分からない。
ライは、俺を治して一緒に公務に出るって言ってるが……まあ、聖祭節で同席できた時は嬉しかったな」
本当に、戦う人間ではない。そういうことを好まない人間だ。
自我のある状態で帰ってこられただけ幸運だろう。
その表情は、顔立ちからして人を惹きつけてやまないが、イオルから丁鳩の母親が呪王に選ばれ、その後どうなったか聞いた以上、そこに触れることはできなかった。
「俺も、エルベットに来た時は、どんなところへ婿として出されても従うつもりだったが……魔国で散々摘発しておいてなんだが、初めて自分を商品と見る目に遭って、思わず勝手に断った。まあ、その程度の判断はできたんだな」
あの女の件か。確か、エルベットに縁談としてではなく商談として話を持ち掛け、勝手に自国の客の名目で入り込んだという。
「……いや、拒否権はあるだろう。私もアナの件は、じっくり考えて、周りと話して受けた。
というかあの女の話、どう見ても禁止されている人身売買だろう」
「まあ、夫に欲しいとは言わなかったな。夫になると法的に飽きれば捨てることもできない。コレクションとして、という思惑だったんだろう。
魔国に居た頃なら迷いなく斬ったが……」
そもそも『商談』が法的に成り立たないのに、普通に言っている。
「魔国では、人が売り買いされたかもしれないが……そういうのは普通通報するぞ? 何故怒らないんだ?」
「
でも、周りがお膳立てしてまでリデと結ばせてくれて本当に良かった。まあ、リデも泣かせてばかりだ。こんな神経のおかしい男とよく添い遂げてくれたよ」
「だから、そういうところもおかしい」
今まで聞いていたが、敢えて口を開いた。
「自分がおかしいとか、自分のせいだとか、お前、自分を粗末にしてないか?」
「それもよく言われる。兄貴が、あれだけ嫌っていた
話せば話すほど内容がとんでもなくなっている自覚すらない。
普通に振る舞っていたように見えたが……かなりの被害だ。
「そう言えば、魔国だが……国の名も消えた呪いの国と恐れられていたが、新しい名前は考えなかったのか?」
「俺は魔国を消しただけだ。あとは、残った民が決めるべきだ。落ち着いたら正式に新しい名前が決まるだろう。それを聞くのも楽しみだ。
俺には、魔国の情報は伝わらないようにされているが、名前が決まった時だけは、
――被害者の手記のことを言わなかったのは正解だったようだ。
「花瓶から抜いたらどうだ?」
「いや、ライのやつが本気で設置したからな。これほどのものを崩すわけにはいかない」
穏やかに花に寄り添う姿は、本当に、似合っている。
やがて――
「ご歓談中申し訳ございません。ニコロイ殿下。そろそろご準備をお願い致します」
「ああ、すまん。時間だ。
見送りはいい」
公務に向かうために丁鳩の私室を出る間際――もう一度、その姿を見た。
――本当に、お前が兄上に引け目を感じる必要はない。そうしているほうが、お前に合っている。
机の上にあった剣が気になったが……正直、もう手放してほしかった。
◆◇◆◇◆
ヨセアが去って、暫くして。
とりあえず今日はどうしようかと思っていたら、急に眠気が来た。
――ここに来てからソファで寝たことはないが、また何か言われるかもな……。
そう思いつつソファに倒れ込むと、侍従たちが騒いでいる。自分を呼ぶ声も聞こえたが、そのまま意識は落ちて行った。
◆◇◆◇◆
「どうして知らせてくださいませんの!?」
公務から帰るなり聞かされた言葉に、珍しく使用人に憤って
――穏やかに、眠っているようだ。
「ご報告いたします。
本日、ファムータル殿下が新たにアロマテラピーを導入なさったのですが、思いのほか効果があったようで、眠られております。詳細はファムータル殿下がいらしてからになりますが……」
「眠っているだけ……ですの?」
「はい。お身体に異常はございません」
一気に緊張が解ける。それで、公務から帰るまで聞かされなかったのか。
側に行って顔を覗き込むと、本当に安らかな顔をしている。今までに見たことはないほどだ。というより――
――あどけない……。
こんな表情をすることは、魔国では決してなかっただろう。そっと金糸の髪を撫でる。
もともと手入れしなくても綺麗な髪だったが、結婚の際、本人には黙って手入れを頼んだ。嫌がったらやめるようにとも言ったが、そのまま手入れされている。
思わず頬を埋めたくなるほど、綺麗な髪だ。異性ながら、癖毛の自分には羨ましい。
公務の終わった王族が続々と顔を出す。国王と王婿も、穏やかな寝顔を安心したように見ていた。
と、ヨセアがやってきた。
顔を覗き込んで微笑みを浮かべ、
「少し触っていいか?」
誰にともなく許可を求めたので、リディシアが許可すると、そっと、頬と髪に触れた。
そして――
「あの
とても装身具を好むように見えなかった。服の上から触っていたのはこれか。寝間着に着替えさせられていたので見えたが。
「いえ……申し上げたくないのですが、あのお兄様が……最後の別離のものだと、放したがらないのです」
「そうか……機会を見て取り上げて処分した方がいい」
――別離に、最後に首輪をつけたか……。あれは丁鳩を戦に縛る鎖だ。
その後、
様子を見て、
「兄様は普段香りをつけないので、予想外に効果が高かったようです。
成分はこちらです」
言われて見てみれば、ごく普通の心を落ち着かせる香だ。
「ここまで効くとは予想外でした。明日から、少しずつ試します。
健康には全く害はありませんので、起こしても眠らせていてもいいんですが……」
「眠らせてやってくれ。どうせ、公務もないしいいだろう?
きっと、疲れているんだ」
おそらく、魔国に居た時から蓄積したのだろう。それは口に出さなかった。
「はい、でも、お食事も必要ですから、あまり眠り続けるようなら起こして食べさせてあげてください。
明日から、治療で眠っていただくのも香りにしましょう。魔力で眠らせるよりいいですから。
……おやすみなさい。兄様」
言って、普通に退出していく。
「…………」
眠っている間に
◆◇◆◇◆
その後――イザベリシアが母子ともに無事に出産を終えた。
もともと出産直後ということあり、祭事は簡単で、披露宴のような宴もない。
正式な祝いを持って邸を訪れると、ようやくヨセアが常識的なことをしたと褒められていた。……それで褒められるのはどうかと思うが。
贈り物は、リディシアと一緒に選んで贈った。もちろん、基本的にはリディシアに選んでもらった。
イザベリシアとイオルは、結婚の過程から心配だったが、幸せそうに子どもを抱いている。
「…………」
「……どうした?」
「……いえ、幸せそうだなって」
「それならアム様たちの方を向けよ」
祝いと言えばそれだけである。五歳の誕生日に王族冠が授けられ、十二歳で正式に王族となるまでは、帝王教育は受けるが穏やかに過ごせる。
そもそも、十歳と五歳という幼い王族を魔国に送ったこと自体、異例中の異例だった。結果は、皆、傷を負って帰ってきた。
子を期待できるのは、イザベリシアとイザベルシアだけだ。二人に頑張ってもらわなければ、王族が減ってしまう。無事に産まれることを願いつつ、退出した。
◆◇◆◇◆
「おお、いい目だな」
愛馬に産まれた子どもは、本当に愛馬そっくりだった。これでは、乗ってくれる人間を探すのに苦労するだろう。
そっと、愛馬を撫でる。
もともと難しい馬だったが、寄り添う相手を探すのにも苦労した。王城内には名馬が多く居たが、どの馬にも見向きもせず、結局
「良かったな。お前も父親だ」
もう乗ってやれない愛馬にできた、せめてものことだ。余生はゆっくりしてほしい。
その様子を礼竜がずっと見ていたが、愛馬を見ているのだと思っていた。
◆◇◆◇◆
プレイボーイとして渡り歩いても子ができないのは自分の避妊が徹底しているからだと思っていたヨセアは、落ち込んでいた。
何より――これでは王族の子が、イザベリシアとイオルの子だけなる。
王族に離婚などできない中で問題となっていた。
そんなある夜――
「ねえ、
「ごめん、ごめんね。僕の我儘、付き合って」
その後――雪鈴の懐妊が知らされ、
「お前! 分かってるのか!? 魔国の呪いがなくなれば……」
「僕も子ども欲しかったんです。それに、ヨセア
「遺伝病が出るんだぞ! 生きられるって、あんなに喜んだだろ!」
「すぐ死ぬとは限りません。雪鈴と一緒に子育てします」
「お前なぁ……」
弟を抱き締める。もう小さな弟ではない。あの人攫いに狙われた、幼い王子ではない。
「もうお腹に宿った以上、子どもにも生きる権利があります。勝手に引き出したら、それこそ呪王と同じです」
正しい。正論だ。
弟を抱き締めて聞くことしかできなかった。
◆◇◆◇◆
毎日、
微妙な距離感の中、雪鈴の陣痛が始まり産室に移る。
出産に関わるのは女性のみである。産科医、助産師全て女性だ。夫が産室に呼ばれるのは母子のどちらか、あるいは両方が危ない時だけで、それがないのが安産の兆しだった。
「お前……この子が男の子だったら、最後にしろよ」
王族が事前に子どもの性別や特徴を言うなど言語道断と分かっていて言う。
「ライ! 聞いてるのか!」
そうするうちに呼ばれた。助産師が産湯の終わった赤子を渡してくる。
――銀髪!?
一瞬遺伝病かと思ったが、肌は雪鈴の褐色だ。目は開いていないが、赤でないだろう。
「おい、性別は――」
「女の子です」
確かめもせずに言う礼竜の赤い瞳には、涙が溜まっている。
「兄様の目、赤じゃなくて濃紺になってます」
「――!!」
礼竜は、子を抱き締め、必死にありがとうと繰り返している。
魔国の呪いは、消滅した。
翌日の、礼竜の命など考えず、次期国王の誕生と呪いの消滅に終始する新聞を灰にした。
◆◇◆◇◆
予想はしていた。もともと、遺伝病は呪いで抑えられていた。それがなくなり、一気に進行した。
会いに行くと、ファムータル邸は見違えていた。花に溢れた邸は、暗幕が張られている。もう、魔力で光を防ぐこともできないのだ。
「ライ、……おい、ライ」
意識がないかと思ったが、手を握って呼びかけると、
「兄様……」
返事があった。微かに手を握り返してくる。
色素のない肌は青を通り越して土気色になり、かつての祝福王子の面影はない。唯一同じなのは銀のヴェールのような髪だけだ。
「……僕の分まで……生きてください……
雪鈴と子どもを……お願いします。
子ども……名前はリーリアントで……」
「ああ。分かった」
エルベット・ティーズの新種【リーリアント・ティーズ】。とても思い出深い花だ。あの日のことが脳裏に浮かぶ。
もうこうなっては、何も心配なく安らかに逝かせるしかない。そう思い、弟の言葉に頷く。
意識があったのはそれが最後で、
すぐに神官たちが来て、エンバーミング班が生前のように化粧をし、白のエルベット・ティーズの紋が上下逆に入った葬送衣装に着替えさせ、魔力で朽ちないようにする。
――葬送衣装は、当然用意されていた。死ぬのが分かっていたからだ。
花に満ちた棺に入れられた
棺に蓋がされ、運び出される。
全て、すぐに神殿に回収される。
せめて目に焼き付けて、邸を出る。この邸も閉鎖され、二度と入ることはできない。
泣く
翌日には、町中に白い、エルベット・ティーズの紋が上下逆に刻まれた旗が出る。エルベットに喪の色はない。その王族の色の、紋章が上下逆の旗が出ることで、皆、身罷ったと知る。
お祝いに満ちていた町は、沈黙するだろう。
王族のみの葬儀は神殿で行われる。最後に棺が開けられ、大神官がエルベット・ティーズの花束を手向け、閉じられる。棺は封じられ二度と開かない。
王族廟が開いている。そこに棺が納められ――いつか、その時の王族の魔力では足りなくなった時に【魔力源】となるため、永遠に朽ちることも赦されず眠り続ける。
――エルベットの白く儚い花は、静かに散った。
◆◇◆◇◆
「
旧エリシア邸に行く。泣く雪鈴を撫でながら、
「お前はまだ、婚約の状態だ。正式に王族になっていないから、今なら降りられる。兄貴に言えば、きっと助けてくれる」
雪鈴は頷かない。
「私……ライの一番の女性にはなれましたけど、一番大事な人にはなれませんでした」
「……?」
「いつも、お
……あいつ……
「リーリアント……触らせてもらっていいか?」
「はい、お義兄様の姪ですよ」
目は翡翠色だった。顔立ちも雪鈴に似ている。これなら人攫いも……いや、もう魔国ではない。
銀の髪をそっと撫で、
「ライの、形見か……」
弟の唯一の忘れ形見。自分にできることは少ないが、弟は雪鈴と子ども頼むと言い残した。ならば守ろう。
リディシア邸に戻る。元より、
――『気持ち』。
礼竜が死ぬまで開封しないと断って受け取っていた。
日付順に読み進め――内容が変わってくる。自分が死ぬまで開封されないことをいいことに、綴られている内容は――
――『遺書』だ。
礼竜のことではなく、
――あいつ……!
王族の死後は形見は渡せない。かといって、自分が渡しても受け取らないのが分かっていて、こうして遺した。
――兄様、ごめんなさい。
僕のせいで兄様に子どもができないのが我慢できませんでした。
兄様には悪いですが、勝手に雪鈴に頼みました。
僕の診断でも、どうやっても兄様は治りません。だから、兄様の子どもと
リーナ
「あの馬鹿――!!」
――十八なんて、リーナの享年と一つしか変わらねえじゃねぇか……。どれだけ命背負わせるんだ……。
指輪を握り締めるが、涙が出ない。
こんな時ぐらい泣ければいいのに……。
と、嗅ぎなれた香りがした。
後ろから、リディシアに抱き締められている。
黙ってその香りに溺れた後、思い立って私室に行く。
愛剣を手に取ると、周りが緊張した。それに構わず邸を出て、国王夫妻の邸に向かう。
丁鳩が愛剣を手にした時点で連絡が行っていただろう。出迎えた国王に愛剣を差し出し、
「俺では私物すら処分できませんので、処分をお願いしてよろしいでしょうか?」
国王夫妻は沈黙した後、
「……いいのかい? もう、戻らないよ?」
「はい。……もう必要のないものです」
国王が愛剣を受け取ると、もう一つ頼みをして退出した。
向かった先は――牢だ。王族が来ることを予期していなかったので、状態は酷い。ヨセアが見たら腰を抜かすだろう。
「キョイ」
呼びかけると、
「俺に権限はないが、
何が起きているかも理解していないキョイを置き去って退出した。
どこも、無数のエルベット・ティーズだらけだったが、もう見たくなかった。庭に出て、
礼竜は彼岸花の遺伝子を弄り、赤だけでなく、黄色、橙、桃色、そして土質によって色が微妙に変わる白と、増やしていた。その中でも赤に向かい、
「すまん、手袋をくれるか?」
侍従に言う。毒があるので触っては騒ぎになるだろう。侍従が出してくれた手袋を嵌めて赤を一輪手折り、邸に戻る。
「ライの奴が置いてくれなかったから、摘んできた。
……これ、活けてくれるか?」
握っていたいが、毒草である以上周りが騒ぐので花瓶に活けてもらって居間のソファに座る。
丁鳩が剣を持って出て行った時は本当に焦ったが、国王に処分を頼んだと聞いて安心していたリディシアは隣に座る。
握り締めているものは、小さな指輪だった。
「ライも兄貴も、どれだけ言い逃げなんだ……。声も返せない状態で、勝手に想いだけ置いて行って……」
泣ければいいのに、どれだけ望んでも涙は出ない。
「十八だぞ……十四で帰って来て、たった四年だ……。
必死に守って来て……助かる筈だったのに……」
一番厚い『気持ち』を握り締める。
そっと、頭を抱き締められた。嗅ぎなれた香りに包まれる。
「礼竜は、貴方に生きて欲しかったんですわ。分かるでしょう?」
雪鈴は、礼竜の一番大切な人になれなかったと言っていた。意味は分かる。
『気持ち』に目を通したのだろう。そっと、指輪を握る手に手を重ねてくる。
「……ライと兄貴しか知らなかったんだが……聞いてくれるか……?」
弟が巧みに返してきた指輪を見ながら、言うことはないと思っていた昔話を始めた。
◆◇◆◇◆
釈放だ。そう言われて追い出された。
どういうことかも分からず、
国外追放らしい。なぜこうなったのか未だ分からず、ひとつ伝言を頼んだ。
「故郷に帰って墓守になる」と。
伝えられる保証はないが、一応報告はすると言われ、護送されて国外に出された。
見上げる山々は高い。大事なお守りする方にはもう、必要とされない。
それを胸に、帰路についた。
◆◇◆◇◆
そして、リーリアントの祝言と御名の後に、雪鈴に額飾りが与えらえる。
婚姻は挙げていないが、遺志を尊重したのだ。
皆、もういない白い祝福王子の面影を見て、次期国王を祝福した。礼竜が呪いを解いたことでリディシアと
すべては――礼竜が勝手に、相談することもなく、想いだけ置いて行ったことで終わった。
◆◇◆◇◆
まとめて取り寄せていた新聞は、
そして――白い、エルベット・ティーズの紋が上下逆に入った旗が並ぶ新聞を見て、読まずに投げる。
「ジュディ、もう新聞取らねえからな」
「いいわよ」
あっさり妻は承諾する。実は、弟の新聞を妻が元被害者仲間に見せたところ、皆欲しがり、発行元に同じものをもっとくれないかと頼んだらしいのだが、性質上量産はしていないと、王室の広報部を紹介されたそうだ。広報部では無料でいくらでもくれるらしく、輸送費だけは負担なので元被害者仲間でまとめて取り寄せている。そこに問題のある人間として知られているサティラートの名前を出さず、
そういうわけで、新聞がなくても妻は困らない。
「いい、叔父さんが亡くなったのよ」
妻は新聞の一面を見るなり、子どもたちに言い聞かせる。まだ死が分からない子もいるが、分かる子は、
「おじさん?」
「そう、お父さんの弟」
「あったことないよ」
「そうね。遠くに居たの。死んじゃったからもう会えない」
「そうなの……」
滅多に出ない親戚の話が、訃報だ。子どもはついていけないだろう。
と、見たくない郵便が来た。このやって来方は一つしかない。
エルベットだ。
差出人は――
――ニコロイ?
名前は知っている。婿入りした王族だ。嫌だったが、弟にしか受け取らないと言っていないので、読まないと問題になるかと開く。
最初は
――
丁鳩が戦を望まない、人を殺したくない男だと知っていただろう。それを、自分の思う弟の姿とは違うと捨てた。
丁鳩は、助からない被害者は自分が責任を以て斬ったと言っていた。同じ魔剣を持っていても、貴兄は被害者を斬ったか? どういう気持ちで丁鳩が斬っていたか、聞いていないし本人でもないから、私には分からない。そして、貴兄も絶対に分からない――
正論だ。どう見ても正しい。そして最後には、
――貴兄が最後に丁鳩に贈った
ライが呪いを消してもなお消えない、魔国の末期の呪い。
頼むから、会いに来て外してやってくれ。丁鳩は自覚がなく、外さない。
貴兄が王城でやったことは聞いた。来ても捕まらないように、こちらを使ってくれ――
招待状まで添えられた、どこまでも正しいその手紙に、返事を書いた。どうせ検閲で落ちるだろうが、書いたという事実は残る。
一人、旧王宮に向かった。
旧エリシア邸には、崩壊した建物の残骸の横にエルベット・ティーズの花に囲まれた墓地が残っている。
有志が魔力で咲かせているティーズを一輪手折り、
――エリシア様、
深く
遺産として誰でも見学できるようなっている建物を久しぶりに歩いていると――
「サティラート様!」
見覚えのありすぎる高官が声をかけてくる。
「ファムータル殿下のことはお聞き及びでしょうか?」
頷くと、形通りの悔やみの言葉の後に、いつもの話題が出る。
「それで、顧問の話ですが……」
サティラートは、王太子の血縁ということで出世の話を蹴っていた。しかし、周りが必要と思うかは別で、何しろあの王太子と並んで戦っていた姿はいくらでも利用できる。
断り続けた結果、軍事顧問の次席という、選挙なしで決まる最高の役職に誘われ続けていた。
「――お受けするとお伝えください」
サティラートがまさか受けてくれると思っていなかった高官は、喜んで帰っていく。
――捨てた弟に、せめてしてやれることだ。オレはお前の意志を継ぐ。
それが、もう名前も呼んでやれない弟への、精一杯の答えだった。
◆◇◆◇◆
開封されて届くのは普通だが、検閲の段階で、何度も揉めたことが印の数から察することができた。王印が最後にあることから、
――あんたの言うことは全部正しい。オレが勝手に弟を捨ててたのに、それすら分からない奴だ。
で、馬蹄を回収すべきとは分かるが、あんたもオレが城で何をしたか知ってるなら分かると思う。オレは、アイツを直視できないから、アイツに会えば殺す。だから、会えない。殺したくない――
王族暗殺を平然と書くあたり、話通りの男だった。これは検閲も苦労しただろう。
とはいえ、この男に来てもらう必要はもうない。
リディシア邸に行くと、公務中のリディシアはおらず、
待たせてもらうと、起きて来た。
「すまん、待たせたな」
丁鳩は、今まで話さなかった思い出などを、まずはリディシアに零した。そして、だんだんと王族の皆に零すようになった。
この前は、魔国の王太子――とはいっても、呪王が生きていた頃の話をした。呪王に世継ぎとして作られ、存在があれば見向きもされなかった丁鳩は、エリシアが妃としてやってきて実の子のように愛してくれたことで救われたそうだ。愛情を知る中、エリシアの女児を身籠ったという嘘を信じた呪王は『レヴィス』を邪魔と殺そうとしたが、エリシアが必死に庇ったらしい。そうして、エリシアの死と引き換えに産まれた
兄にも言っていないと言っていた。
「
渡した書類には、サティラートが軍事顧問次席に就任したことが書かれている。写絵にあるのは、おそらく双子の魔剣だろう。
「兄貴……」
もう手元にない魔剣と対の魔剣を携えた姿に暫し目を留め、
「ありがとう。返す」
「
「いや、いい。見られただけで嬉しい」
王族服に隠れているが、その首から下がってるのは、
サティラートが来るまでもなかった。
しかし……せめてもの嫌がらせに、丁鳩の近況を書いて送ってやろうと思う。検閲で返事が来ないのでまた送ったと言えば、あの男は言い返せないだろう。
あの男が謝るまで続けるつもりだが、それは顔に出さずに会話を続けた。
◆◇◆◇◆
もう手に入らない花を見詰めていると、声をかけられる。
「失礼いたします。お荷物が届いているのですが……」
入れさせると、大きな箱だった。侍従が革手袋を渡してくる。
中を見れば、なるほど、有毒な球根が山のように入っている。
ついていた手紙には、国境警備から始まって、各所が扱いに苦慮した形跡が見られる。何しろ、差出人はあのキョイだ。
――エルベットにはどういう経緯が島国の彼岸花が流れ着いたようですが、これが我々の本物の
何故送って来たのか、挨拶すらないその手紙を見て、
――純白だ。
――今は、エルベット・ティーズは見たくないので、ちょうどいい。
花壇に植えて増やし、後に礼竜の花が寿命を迎えたら入れ替えて欲しいと頼んだ。毒草なので許可が出ないかもしれないと思ったが、通ったらしい。
早速庭園に植えられた花壇に、雪鈴と、幼いリーリアントを連れて行った。
雪鈴はまた泣いたが、泣かせてやればいいと思った。
後に、国王にリディシアの懐妊を報告に行った。妊娠初期の動ける時期に二人で城下を歩き、かつて入った店などを懐かしく巡ったが……お忍びでも祝福の花束を渡してくれる人が多く、本当に嬉しかった。
◆◇◆◇◆
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