エルベット編 13,【藍の悲願花】

エルベット編 13,【藍の悲願花】



 丁鳩ていきゅうが、魔国の資料は全て王室に送ったと言っていたので閲覧を希望したところ、王族であろうと禁書扱いになっており、国王夫妻から見れば『封印』だと警告された。

 普通に手に入るものはないか調べたら、意外なほどあっさりと入手できたのがこれらの本だ。

 ――元被害者の手記。

 丁鳩が引き上げた後、最初は僅かだったが、救助された被害者たちが、二度と起こらないよう勇気を出して告白し始めたらしい。それに倣うように次々と被害者たちが綴り、最初は曖昧だった記述が生々しく、偽名も本名に変わっていた。

 人権関連の資料として他国に出ていたため、簡単に手に入ったようだ。

 ――被害者の証言だけでこれか……。

 側に置かれていた酒をまた煽る。とても素面で読めるものではない。

 自分たちの被害の話の他に、丁鳩に助けられた話が多い。特に男に嬲られ続けた被害者は、男性ということもあり、丁鳩を新しいご主人様と誤認したり、怯えたそうだが……本当に立ち直るまで支えている。被害者たちに読み書きも教えていたため、こうして本になった。

 最初にかける言葉が、『助け出すのが遅くなってすまない』だったそうだ。丁鳩の名前を出さず、王太子とだけ書いてある。どれほど感謝しているかが綴られている。

 そして――一人、丁鳩が発狂して助からなかった被害者を手にかけた時のことを書いたものがいた。謝罪し続け、亡骸は二度と誰にも侵されないよう、灰にしたそうだ。斬ったのは、文脈からしてあの剣だ。あの剣を未だに丁鳩は、どんな想いで持っているのだろう。

 またグラスを空ける。

 被害者に対処しただけではないことは知ってる。魔国の腐った体制を変え、法整備をし、文字通り心身を削っただろう。

 あの日、花を手にした穏やかで悲しげな瞳の奥には、何があったのか……。

 少なくとも、望んで戦う人間ではない。そういう人間がこんな状況に置かれれば、それは壊れる。

 丁鳩ていきゅうの診断は、少しなら見せてもらえた。廃人レベルというが、それであれだけ普通に振る舞えるのは、彼が本当に強いからだ。そして――自分の傷の自覚がない。

 そういう自覚があれば、とっくに壊れている。

 酒をまた煽ろうとしたら、止められた。思いのほか深酒したらしい。

「騎士長に、護身術程度に教えて欲しいと伝えてもらえるか?」

 そう自分の騎士に言い、本を閉じようとすると、巻末の記述が目に入る。

 礼竜らいりょうが落ち着くと勧めてくれた薬草茶のレシピだ。植物に詳しいので礼竜が考えたものかと思っていたが、元は丁鳩だったようだ。本当に害のない、ありふれた薬草で作られている。

 ――そういえば、ライにもらっていたな……。

 茶筒を出し、居間に行く。妻が不思議そうに、

「あら、今夜は一人にして欲しいって言ってたのに」

「気分が変わってな……少し付き合ってくれ」

 茶筒を出すと、

「ああ、ライくんのお茶ね。これ、ほんとに落ち着くわよね。

 何か嫌なことあったの?」

 言いながら立ち、

「ライくんに美味しい淹れ方教えてもらってるから。淹れてあげる」

 飲むと、確かに心が落ち着く。

「薬も入ってないのに、よくできてるわよね~」

 薬で弄ばれた被害者に薬は駄目だと、試行錯誤したのだろう。あえて、ありふれたものだけで。 

 ――散々、無神経だったな……。

 他国との戦乱ではなく、腐った自国との戦いだ。

 自分がいかに、安全な環境で平和ボケしていたか思い知らされる。

 侍従が休むよう促してくるので、妻に挨拶をして、身を清めて横になったが……寝付けなかった。



◆◇◆◇◆



 前の邸では絹の寝間着にも躊躇していたが、ここまで豪華にされるともう感覚が麻痺してくる。馬蹄のネックレスをつけた自分の姿が鏡に映る中、髪を丁寧に手入れされる。

 艶の良くなった髪を弄りながら、礼竜らいりょうがくれた花に顔を近づける。礼竜が本気で整えたものなので、触れると崩れるからだ。

 落ち着く香りだ。薬は効かなくても嗅覚的には効くらしい。

 兄は、あの銀のナイフすら処分されかかっていたことに驚いたようだ。愛剣がどういう経緯で帰ってきたのかは知らないが、きっと兄が何かしてくれたのだろう。

 絶対に取り上げられないように、義叔母おばと話したくなかっただろうに話を聞き、確実に届くものを選んで贈ってくれた。

 本当に、兄らしくもない贈り物だ。本物の馬蹄を贈ってきたほうがしっくり来た。

 分かりやすい場所に、リディシアがくれたガラスの馬の置物が置かれている。礼竜らいりょうに花かごを買ったついでにと買ってくれたが……。

 無言でリディシアが入ってくる。

「お花、気に入っていると礼竜に言ったら、喜んでいましたわよ」

「そうか。追加で持ってくるかもな。……まあ、もう置く場所がないが」

 寝間着姿のリディシアを抱き寄せ、

「こんな時間にそんな恰好で入って来て……」

「貴方は誘わないと応じてくれないんですもの」

 そのまま、うなじに顔を寄せる。一番落ち着く香りだ。あの香水を、ずっと着けてくれている。

 香を焚くと言われたが、この香りが薄れるので拒否した。

 そう言えばヨセアが、王族服はドレスよりも動きにくいと言っていた。なるほど、それで女性はドレスを選ぶのかと納得した。

「今度また城下に出るか? 何色のドレスがいい?」

「そうですわね……今度は私が貴方の服を身立てたいですわ」

 会話しながら、自然に寝台に入る。

 天蓋付きにも、豪華な織物にももう慣れた。というか――

 ――今更、あの殺風景は御免だな……。

 きっと兄が今の自分を見たら、斬るだろう。香りに溺れながら、兄の気が済むなら抵抗せずに斬られようと思ったが、妻も斬るなら先に刺し違えようと思った。



◆◇◆◇◆



 初咲きのティーズを見つけると、ちょっとしたご褒美がある。

 雪が解け始める頃になると、子どもたちはこぞって雪を掻き分け、花を探す。子どもだけの特権で、魔力を使っては失格だ。

 やがて、信号が上がる。誰かがティーズを見つけたのだ。

 だが――今年は、そのしばらく後にもう一度信号が上がり、首を傾げるものが多かった。



◆◇◆◇◆



 帰国後二度目の聖祭節。

 今回は出歩けるので城下を見てはどうかと言われたが、礼竜らいりょうもリディシアも公務漬けであるし、礼竜の公務に同席という形で顔を出していいと言ってもらえたのでそうした。

 初咲きのティーズを見つけた幼い姉弟と、その保護者や町役人などが貴族や騎士に囲まれて待っている。

 天祥琴てんしょうきんが鳴ると、待ち望んだ貴人が来た。

 エルベット・ティーズを紋に持つ、花の祝福王子、ファムータル王太子殿下だ。去年は静養中で居なかった分、皆期待する。

「おめでとう。初咲きのティーズの子たち。

 探してくれてありがとう。ここに居ない子たちも、皆、国の大事な民で誇りだ」

 王太子殿下は、姉弟に一つずつ、特別な魔力の入ったティーズの鉢を渡し、頬に接吻する。

 受け取ると、子どもたちは自然にもう一人のほうへ向かった。

「これを以て、聖祭節せいさいせつの開始を宣言する!」

 子どもたちが初咲きのティーズを見つけてからが、聖祭節だ。

 そして、今回は入れ替わりに別の子どもたちが来た。

「この、八重咲のティーズは……調べたところ、魔力改良ではなく、本当に新種だ。おめでとう」

 今年、皆が首を傾げた二回目の信号だった。

「新種だから、名前が要る。どんな名前がいい?」

 問われて、子どもたちは迷わずファムータルの名を口にする。

「……遠慮しなくていい。お前らの名前でも、大事な人の名前でもいいんだぞ?」

 側に来た濃紺の王族服の貴人は、よく知っている。滅多に間近で見られない姿に見惚れた後、考えて――

「……リーリアント……」

 他国で呼ばれているエルベット・ティーズの愛称を口にする。濃紺の貴人は、またとない機会だからもっと有効に使うよう勧めてくれたが、子どもたちは遠慮した。

 そっと、王族服の袖で包んで接吻してくれる。

「では、リーリアントだけだと他国での名前と間違うから、【リーリアント・ティーズ】ということでいいかな?」

 白い王太子殿下の言葉に、大喜びで頷いた。



◆◇◆◇◆



 王婿おうせいが朝食の席にいきなり入って来て、新聞を広げる。

「はい、分かりました」

 とっくに見ている。【リーリアント・ティーズ】の子どもたちに接吻した様子が一番に出ていて、最初に初咲きのティーズの子どもたちに同様にした瞬間、そして、リディシアが他の男と舞うのが我慢できなくて結局一緒に舞った最中と、ほぼ丁鳩ていきゅうだ。【リーリアント・ティーズ】の子どもたちに至っては、丁鳩が公で最初に声をかけたということで感想などのインタビューまでされている。

「……それだけかい?」

「はい、慣れました」

「……つまらない……」

 残念そうに新聞を畳んで侍女に持たせる。それだけの為に来たのか。

 朝食の風景を観察したいようだったが、引き戻されていった。リディシアが忙しいので料理人のものだが、手料理だったら何か言っていたかもしれない。

「今日はどうなさいますの?」

「治療が終わったら、ライの方へ行く。滅多に見られないしな」

 礼竜だけ聖祭節に帰していたので、実質十年ぶりだ。国民にとっては、丁鳩を見るまたとない機会なのだが、それはもう自覚している。実際、公に出ているので遠慮なく見られ撮られる。

「はやく公務に正式に出たい……」

「養生なされば、いつか、一緒に出られますわよ」

 ヨセアなど、初めての最大の祭りにはしゃいでいる。丁鳩も誘われたが、今回は礼竜に同伴していいと許可が下りたので断った。

 食後、手入れされ艶のある髪に触れた。これから来るのは典医だけで、実習生はいない。まあ、公務で会えるのだからいいだろう。

 ――気づいていませんのね……。

 丁鳩が愛剣を抱えて座り込むことはなくなっている。それを自覚していない姿が微笑ましくて、黙っていた。



◆◇◆◇◆



「良かったわね、ライ」

 雪鈴ゆすずに旧エリシア邸からこちらに来てもらって作ってもらった朝食を食べながら、頷く。

「兄様と、やっと一緒に公務に出られた……」

 正式には礼竜らいりょうの公務に同伴しているだけなのだが、居ると居ないでは全く違う。国王が気を利かせてくれたのだ。

 エルベット・ティーズの紋を持つだけあって、聖祭節では適役なので使い倒されるが、丁鳩ていきゅうの姿があるだけで違う。

 一時は、王族服を兄に着せるのは本当に嫌だったが……やはりあの姿が好きだ。

「でも、公務でお義兄様にいさまにくっついたら駄目よ?」

「それくらい分かるよ……」

 実はしたい。それを我慢する。

 午前中は兄は出てこないので、午後が楽しみだ。というより……

「晩まで雪鈴のご飯なし……」

 昼食も公務で、それなりのものになる。雪鈴の料理を持ち込むことはもちろんできない。

「晩は、いっぱい作るから。ね?」

「うん! お昼食べずに帰ってくる!」

「食べなさい。食べなかったって聞いたら、作ってあげないわよ。

 お義兄様にいさまも仰っていたでしょ? 誰のお料理も食べなさいって」

「うん……」

 時折雪鈴が兄の元に行って何を相談しているか気になるが……きっと触れてはいけないことだ。

 ――昔は、僕だけの兄様だったけど……。

 自分にも雪鈴がいる。一緒に居られるだけいいと、食事を終えて公務に向かった。



◆◇◆◇◆



 鈴華すずかの節――魔国では放置していた誕生祝賀会を祝われ、聖祭節の最後の日に抜き打ちで婚約発表の場に出された思い出が蘇る。

 やたら嬉しそうに礼竜らいりょうが鈴華を咲かせ、聖祭節の終わりを告げ――祭りは終わった。

 予想していたが、誕生日など記者の質問責めに遭ったが、一緒に居た礼竜やリディシアが上手く補助してくれたので乗り切れた。

 そして翌日、公務の空いた礼竜と一緒に城下に出る予定だったが――

「この泥棒が! ミーネさまを弄んだな!

 俺がお守りするかただ! 返せ!」

 声が聞こえる。もう始まっていた。

 丁鳩ていきゅうが顔を出すと、赤毛に褐色の肌の男は、翡翠の瞳に恐怖を浮かべる。はっきり言って脅す目的で、久しぶりに愛剣を手に取って持ってきた。抜けないが、そんなことは分からないだろう。

 あの、キョイという、礼竜の暗殺未遂犯だが――礼竜が会いたいと言ったらしい。聖祭節は忙しいので、終わってからになったそうだ。

 丁鳩が愛剣を持って傍に立つだけで、キョイの様子が変わる。その隙に――

「あなたが何を言っているか分かりませんが、私を助けて愛してくれたのはライです。私が壊れそうになった時に、身体を張って呼び戻してくれたのはお義兄様にいさまです。

 あなたは何ですか?」

 雪鈴ゆすずの声はいつになく冷たい。礼竜を殺害しようとしたのだ。当然こうなる。

「ですが……ずっとミーネさまをお探しして……」

「私の名前は、雪鈴です。勝手に名前をつけないでください」

 ぴしゃりと言い、背を向ける。

 それを見ていた礼竜は、

「雪鈴の従兄で守護者……」

 何やら考え込み、

「ねえ、キョイ義従兄様にいさま?」

 祝福王子の笑顔でにこにこと近づく。騎士たちが慌てて周りに入る。

「守護者なら、雪鈴の騎士をやってくれませんか?」

「おい! ライ!」

 思わず丁鳩が声を上げると、キョイはまた身を竦めた。

「大丈夫です。兄様。可哀想なのはキョイ義従兄様だけです」

 予見の知で何らかの利益があると見たか……。

 とはいえ、王族暗殺未遂犯である。加えてこの態度、とても通るものではないと騎士長が訴え、雪鈴も嫌がり……国王も入った協議がされた結果、丁鳩が居る時だけ、雪鈴の傍に居させることで合意した。



◆◇◆◇◆



 空き時間は旧エリシア邸に居ることになった。無論、キョイの抑制である。

 どうやら愛剣を持って立っているだけで怖いらしく、従順だ。

 ミーネさまという呼び方は早々に禁止した。雪鈴ゆすずは嫌な名前を付けられて命まで危ういほど苦しんだのだ。

 頻繁に雪鈴に話しかけているが、雪鈴が応じるわけはない。あまりしつこい時は丁鳩ていきゅうが一言言えば止まる。

 ――これのどこに利益があるんだ……?

 礼竜らいりょうの言うことなので間違いはないと思うが、今すぐにでも騎士長に引き取って欲しいくらいだ。

 そうして数日が過ぎ――

「雪鈴様、何を織っておられるのですか?」

 何度も出ている問いだ。いい加減うんざりして、

「ライの肌着のレースだ。呪いの傷は知ってるな? 痛みが柔らぐ」

 キョイの表情に、嫉妬が満ち――やがて何かを思いついたようだ。

「雪鈴様。ファムータルの呪いの傷ですが、永遠に消す方法があります」

「――!?」

 思わず雪鈴が振り返ったのが余程嬉しかったようで、得意げに言葉を続ける。

「雪鈴様の本来のお色は藍色です。藍色で、彼岸花が咲いているように六輪纏まった様子で織ってください。

 雪鈴様のご性質からして海の物を身に着けて……あと、音が必要なのですがボビンの音で大丈夫です。

 我々の村では、呪いを祓う花を【悲願花ひがんばな】と呼びます。悲願花と思って織ってください。そのレースを呪いの傷に被せれば、傷は消えます。

 あと、藍色の服装でお願いします」

「……おい」

 得意気に言い、雪鈴の反応に満足そうだったキョイは、丁鳩の控えめに言って恐ろしい声に身を竦ませる。

 抜けない愛剣を鞘のまま喉元に突き付け、

「そんな大事なこと、なんで黙ってた?」

「……いえ……ファムータルが雪鈴様のレースを無駄に使うので……」

 溜息をつき、テーブルに紙と万年筆を用意させ、

「お前が知っている知識、全部書け!」

「は、はい!」

 出てきた知識は膨大だった。本当に殺さなくて良かったと思った。

 その後、礼竜がもう不要と言ったので騎士長に引き渡し、数日後、レースが織りあがったという知らせを聞いて向かった。

「お義兄様にいさま……」

 藍色のドレスを着た雪鈴は、不安そうだ。

「これで本当に、ライの傷が消えるんでしょうか……」

「供述通りだとそうだな。確認したが、消えるのは呪王の末期の呪いの傷だけでライを生かしている呪いの血は消えないそうだし……まあ、ライが信じていいって言ってるし、信じよう」

 雪鈴の髪についている珊瑚と真珠の髪飾りは、以前礼竜が贈ったものらしい。彼岸花の縁で島国の職人に作成を依頼したそうだ。

 公務の空きがある王族が続々と花に満ちた邸に集まる。

「アナが来られないから残念がっていた。まあ、写絵を頼まれた」

 ヨセアは相変わらず好奇心いっぱいにレースを覗き込む。

「ライの傷って、こんなに大きいのか?」

「ああ、兄貴はトラウマものって言ってたな。実際、散々ライを苦しめた」

 やがて――主役の礼竜が公務を終えてやってきた。

 すぐに捕まえて王族服を脱がせる。ヨセアは初めて見る傷に青ざめていた。

 雪鈴が、藍色の悲願花当てると――

 光も、音もなく、吸い込まれた。

 傷は消え、藍色のレースが模様のように刻まれた。

 ためらいつつも、丁鳩は触れてみる。

「……痛いか?」

「……全然……」

 礼竜の顔には、涙が浮かんでいる。そのまま雪鈴に抱き着き、礼を言っている。

 泣く二人を抱き締める。こんな時に一緒に泣ければいいのに涙は出なかった。

 後日、国王が調べたが、魔国の呪いの血は健在とのことだった。キョイはどうなったか知らされていない。自分に権利はないし、正直、礼竜を殺そうとした人物などこれ以上関わりたくなかった。



◆◇◆◇◆



「本当にすごいな……城下の菓子屋のものと大違いだ。これが本物か……」

 ヨセアは、礼竜らいりょうが持ってきた【ファムータルのメレンゲ人形】に驚いている。

「故国でも、外遊でもこんなものはなかったな……」

 男性王族の集まりには礼竜は毎回菓子を持ってきていたが、今回は日持ちしない菓子だった。それだけ手もかかる。

 呪いの傷から解放されて、余程嬉しいのだろう。

「そういえば、私から祝いだ」

 言ってヨセアが取り出したのは、十五で飲める酒の最高級品だ。

 十八で飲酒は正式に解禁となるが、十五から飲める酒も少ないがある。王族という立場上、ありふれてはいるが。

「すまん、俺は分からんから、飲みすぎだと思ったら止めてくれ」

 家令に言うと一礼して引き受けてくれたので、安心してグラスを空ける様子を見る。

 丁鳩ていきゅうが酒にも酔えないことが分かったのは、誕生日に兄が祝い酒を持ってきたときだった。兄の顔を見て、怒らせたのかと思っていたが、きっと悲しんでいたのだろう。自然に手が服の上から馬蹄に触れる。

「おお、けっこういい飲みっぷりだな!」

「礼竜、飲める方なのか?」

「誕生日に雪鈴ゆすずと飲んだら、雪鈴が飲めなかったみたいで酔いつぶれたので、それっきりです」

 雪鈴は遺伝的に下戸だったようだ。

 ヨセアが次々グラスに注ぐと、空ける。

「十八が楽しみだな」

 自分の酒に付き合ってくれる人間がいないと嘆いていたので、期待したようだ。自分もいつものきつい蒸留酒を飲み始める。

「ライ、酔ってない……ようだな」

 丁鳩が様子を見るが、飲み足りないようだ。

「ライの母上は飲めたのか?」

 母親の遺伝子しか持たないということはそうなのだろうとヨセアは聞くが、

「エリシア義母かあさまのことは、ほとんど分からないんだ。国民は悲劇の姫と祀っているが、実質、『封印』など足元にも及ばない禁忌の存在だしな」

「あ、ああ。すまなかった」

 また失言をしたと口を噤む。

「でもまあ、俺の記憶では、呪王と結構飲んでいたな」

 数少ない思い出だ。丁鳩は呪王の妃としてやってきたエリシアしか知らない。本当に、実の子のように愛してくれた。呪王の道具でしかなかった丁鳩には本当に救いだった。

「そういえば、ヨセアの両親は健在なのか?」

「ああ、故郷に居る。母上なんか、私が、一夫一妻離婚もできない状態で持つわけがないと言っていたが……」

「ヨセア、本当にその辺は信用ないんですね?」

「私の国……というか、宗教も離婚はできないから同じだ。それに、アナは政略結婚と言えど、いい女性だ」

「もし政略結婚で合わなかったら……どうなるんです?」

「そうだな……普通に考えれば、義務として子どもだけ作ってあとは家庭内離婚だな。浮気が許されるなら子どもができないように気を付けて自由にすればいい。エルベットでは無理だが」

「丁鳩さま、またさらっと……」

「だから、何度も言うがまともな奴は耐えられないだろ? 忠告したんだが……」

 イオルも飲んでいる。ほどほど程度だ。

「アム様も、それが当然で分からないから、お前みたいなまともなのを引き込んだんだが……悪気はないから恨まないでやってくれ」

 と、礼竜が立つ。

「どうした? 酔ったか?」

「いえ、そろそろお花の入れ替えをしようと思って」

「魔力開花だから手入れしなくても持つだろう?」

「いえ、入れ替えは重要ですよ? 義姉様ねえさまに、兄様がよく香りを嗅いでいるお花を聞きましたので、それを中心に準備しています」

 言って風成で消え、次には大量の鉢や花瓶と共に現れる。

「何度も見るが……便利だな……」

「あ、兄様」

「何だ?」

「今度は、彼岸花含めて毒のあるお花は置きません。毒に飢えた兄様が食べるといけないので」

「……食わねぇよ。どんな目で見てんだ」

 嬉々として侍従に指示しながら花を入れ替える弟に、これはこれでいいかと思った。





◆◇◆◇◆





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