エルベット編 12,【雪鈴】

エルベット編 12,【雪鈴】



 定期的に届く、大きな重い荷物――エルベットの新聞だ。取り寄せることは可能だが、毎回では輸送費がかかるためまとめて送ってもらっている。

 仕事の間に届いていたそれを、開封し、順に目を通す。

 日付は次だ。見たくないが、次を出す。

 ――自分が勝手に捨てた弟の、幸せそうな顔。服に隠れて見えないが、おそらく馬蹄のネックレスもつけているのだろう。

「本当に、人形だな……」

 最初の写絵だけで耐えられず、テーブルの上に放り出すと、妻がすかさず来てじっくり見ている。

「あら、参考になるわ~」

 言うまでもない。妻が中心になっている『ファム姫伝説』を盛り上げるためだ。妻――というか、弟が助けた元被害者たちは、自分たちの辛い記憶を綴り、書籍として出している。いわば負の遺産として。時には人権問題の資料として。国外からの需要も高い。

 だが、妻が一番書きたいのは『ファム姫伝説』だ。サティラートが直視できなかった隅々までじっくり見ている。

「ジュディ。頼むから、容姿や名前は変えてくれよ?」

「大丈夫よ。個人が特定できないところだけいただくわ。このお優しい視線とか、笑顔とか……」

 結局新聞はジュディが持って行った。

 弟が知ったら自己嫌悪に陥るので、知らせなかった。

 弟が撒いた種を守り、立派に芽吹かせないといけない。それが、自分が勝手な都合で捨てた弟へ、せめてできることだと思っていた。



◆◇◆◇◆



「おめでとうございます。アム様」

「あら、テイお兄さまにお花もらえるなんて! ありがとう。

 ヨセアなんか、百合の花束持ってきたのよ? しばいてやったわ」

 プレイボーイでも妊婦に悪いものが分からなかったようだ。

 イオルとの婚礼から節がふたつ過ぎ――イザベリシアの懐妊が明らかになった。城下もお祝いムードだ。

「正式なお祝いは、母子ともに終わられてからにさせていただきます」

「やっぱりテイお兄さまは分かってくれるわねぇ。……まったく、ヨセアなんか……」

 散々遊んでいたが、妊娠のことには無関心だったらしい。

 と、礼竜らいりょう雪鈴ゆすずと共に来た。

「はい、アム。妊婦さんにもいいエディブルフラワーばっかりにしたよ」

「あら、ありがとう、ライくん。

 ……まったくヨセアは……」

「お菓子も、妊婦さんに合ったものをたくさん作ってきたよ。正式なお祝いは無事に産まれてから贈るね」

「ライくんも分かってくれるわね! まったくヨセアは……」

「……ヨセア義従兄様にいさま、何したんですか?」

 こっそりと礼竜らいりょう丁鳩ていきゅうに聞く。

「百合の花束持ってきて、正式なお祝いを早速渡そうとしたそうだ」

「いえ、兄様でさえ分かるのに、普通ないでしょ?」

「そういえばお前さん……菓子コンテストは進んでるのか? よく試作品を持ってきてたが今年はまだだぞ」

「兄様の治療と自分の治療と公務で時間ありません。兄様治してから復帰します」

「お前さん……」

「僕が治しますから」

「……分かった。ありがとう」

 今度空き時間に一緒に城下に行こうなどと話しつつイザベリシア邸を出て、礼竜の邸まで送っていく。

「みんな家族棟に移ったから、お前さんと雪鈴だけだな……。寂しくないか?」

 頭を撫でながら言うが、やはり位置は前より高い。

「風成ですぐ行けますから大丈夫です」

 答える声は、明らかに変声期が始まっていて、魔国で元娼婦に女の子に間違えられた声ではない。きっと、頻繁に採寸され、衣装も作り直しているのだろう。

「じゃ、明日診察で」

「ああ、待ってる」

 礼竜が研修医になって、主治医になってくれる日も遠くないと思った。



◆◇◆◇◆



「ヨセア……あなたねぇ、あたしが子ども身籠っても同じことしないでよね?」

 今夜は酒も飲ませてもらえず、もう何度目にもなる話をくどくどと言われる。

 訳も分からずイザベリシアに控えめに言ってしばき倒され、イオルが見かねて邸についてきて教えてくれたが、散々遊んでいて知らなかったことが余程の罪だったらしい。

 ――というか。

「普通に平手打ちでも、魔力が籠ると格段だな……」

 非戦闘員の王族は戦いの心得はないと聞いていたが、首が折れるかと思った。

「まあ、そうね。ヨセアは全くそういう関係も疎いみたいだし。気になるんだったら、騎士長に言えば護身程度なら適度な人を寄越して教えてくれるわよ」

「そうだな……丁鳩ていきゅうは気配だけで色々分かるようだが……」

「テイお兄様はね、はっきり言って本気で戦えば近衛騎士団束になっても敵わないくらいお強いのよ。見本にするなら自分の騎士くらいがいいわよ」

「ああ、イオルが言っていたのは冗談じゃなかったのか……」

 と、やっと酒が出てくる。

 それを煽ると、

「今夜は一人で寝てね」

「……すまない」

「あと、明日アムに謝りに行くこと。ついて行ってあげるから。花束はあたしが用意するわ」

 ――また、しばき倒されるのだろうか……。

 いつもはほろ酔いまで飲む酒も味が分からず、飲みすぎだと侍従に止められた。



◆◇◆◇◆




「兄様……兄様!」

 声に目を開ける。寝室の、嘗て兄と話していた鳥から礼竜らいりょうの声が聞こえる。それだけでなく、嗚咽が混じる。雪鈴ゆすずの声だ。

「どうした!?」

 飛び起きると、

「雪鈴が……記憶が戻って……」

「――!! 分かった! お前の邸か? エリシア邸か?」

「僕のほうです! 雪鈴……雪鈴……」

 急いで着替えて駆け付けると、状況は分かった。

 礼竜に第二性徴が進み、初夜だった。そこで、記憶が戻った。

 ――この様子……。

「ライ、お前は顔出さず黙ってろ。魔力で聞くのはいいが、絶対に出てくるな。出てきたら雪鈴が死ぬ」

「……はい」

 固く抱きしめていた雪鈴を預かる。

「女性がいい。侍女でも、誰か仲がいい奴いないか?」

「今呼びます!」

 すぐに使っていない部屋に連れ込み、様子を見る。側にいた侍女に花瓶など割れるものを撤去させる。

 安全を確認してからソファに座り、

「雪鈴……分かるか? お前は雪鈴だ」

 ぶつぶつと何かを呟いている。

「殺した……私が殺した……」

「……?」

 聞けば、自分が作った料理がアレルギーのある仲の良かった奴隷仲間の少女の食事に出され、死亡したという。

 何か名前を呟いているが、魔国で娼婦や奴隷に苛めでつける名前だ。死んだ少女のものか……。

 情報が要る。魔力で雪鈴を眠らせ、駆け付けていたメリナに託す。

「俺が戻るまで、死なせるな! 本当に死ぬから!」

 言い残して国王夫妻の邸に向かうと、事態を知っていたらしく起きていた。

義叔母おばさま。雪鈴の記憶が戻りました。

 結論から申し上げますと、あれは生存が危うい状態です。記憶がなかったから生きていました。魔国であの状態で保護した被害者は殆どが、自死か発狂で終わりました。

 お願いします。俺に権限がないのは承知ですが、この件は任せていただけないでしょうか?」

「……魔力治療で治らないの?」

「魔力を使うなら、前に俺に行ったよりもっと酷い洗脳しかありません。流石に俺も魔国でもやりませんでした。命は助かっても、絶対に、ライが愛した雪鈴は戻りません。生きているだけの、壊れた人形です。

 記憶を、ライに出会う前全て消すという方法もありますが、雪鈴にとってどれほど辛い記憶か考えれば、とてもできません。消すには見る必要がありますから。それに、消しても今のように戻れば終わりです」

「助かるのかい?」

「多くが……いえ、殆どが助かりませんでした。先ほども言いましたが、自死か発狂でした。

 ですが、雪鈴の場合はライと過ごした時間と、スミゾの供述があります。それを手掛かりにすれば助かるかも知れません。

 あくまで、俺の希望的観測です。俺が雪鈴を生かしたいだけです。

 全責任は俺が取ります。お願いです。権限をください」

 暫しの沈黙。国王夫妻は丁鳩ていきゅうの記憶を見ているので、事態は察しが付くのだろう

「……必要なものはある?」

「スミゾの供述と、こちらを……」

 紙に書かれたものを見て、

「普通の薬草ばかりだね。薬は要らないの?」

「散々薬で遊ばれている人間に薬を見せれば、それだけで死にます。

 その薬草は魔国では常備していたのですが……手に入りますか?」

「ええ、ごく普通のものばかりだもの。すぐに持って行かせるわ。

 スミゾの供述よ。雪鈴の件は念入りに吐かせたわ」

「拝見します」

 目を通すと、雪鈴が呟いていた名前は、嘗てスミゾが雪鈴につけた名前だった。危なかった。もし言えばそこで終わった禁句だ。

 多くが、禁句が出たことで自壊した。これが分かるだけでも助かる。

 目を通すと供述書を返し、

「俺に雪鈴が何をしても、絶対に誰も止めないでください」

 こうした被害者の対処は丁鳩が行っていたとはいえ、助けてくれた兄もいない。心許ないが、言っても始まらない。

 急ぎ、雪鈴の元へ戻ろうとし、思い出して邸に戻る。

「すまん、そのレース、カフス片方だけでいいから外してくれ」

 自分では破るので侍従に婚礼衣装から外してもらい、急いだ。礼竜のように風成ですぐに駆け付けられれば良かったが、どうしようもない。

 礼竜の邸の一室で、ソファにメリナに抱き締められて雪鈴が居る。

「目は覚ましていないな?」

 雪鈴を受け取ると、ゆっくり起こす。

「雪鈴。お前は雪鈴だ。分かるか?」

 スミゾ以前にも【ご主人様】が居たようだ。そのときの禁句は分からない。言えば終わりだ。

 目を開けた雪鈴は、やはり、【寸前】だ。

「雪鈴。お前を愛してくれた人が一生懸命考えてくれた名前だろ? お前は雪鈴だ。

 ……ほら、思い出せ」

 言って、濃紺のカフスを握らせる。

「お前が、俺の結婚式の日に、織るのが大変なのに織ってくれただろう?」

 礼竜の白のレースや礼竜のことを言ってはいけない。初めて礼竜に抱かれ記憶が戻ったということは、礼竜を【ご主人様】と混同している可能性もある。

 雪鈴は恐る恐る辺りを見回し――

「ご主人様……」

「悪いご主人様は、捕まって処刑された。もう来ない。大丈夫だ。雪鈴」

 と、薬草が来たと連絡があった。また眠らせ、メリナに任せて厨房に行く。

 味が独特のものが多いため、誤魔化すように細心の注意を払って味付けし、スープにし、持って行く。

 起こしてスープを見せて、

「ほら、落ち着くから飲め」

 言われて飲まないのは分かっている。疑う余地がないよう、どの具材も目の前で食べて見せて、同じスプーンで勧めると飲み始めた。

 薬草は心を落ち着けるものだが、煎じて出せば薬と思って死んでしまう。あくまで自然に口に入れさせる。薬草茶で出した被害者は死んだ。

 当然、雪鈴は丁鳩に毒が効かないことを知っているが、その判断力は今はない。

 スープを飲む手が止まれば、またスプーンを取って飲んで見せて、安心させて飲ませる。これを見越して多く作ってある。

 ――よし、飲んだ……。

 ここまでくればかなり助かる可能性は高い。多くが、この前に自壊した。禁句が分かっていたお陰だろう。

 あとは、根気だ。

 時には雪鈴が錯乱して飛び掛かってこようと、抵抗せずに傷を受け、必死に名前を呼び続ける。

 どれだけそうしたか――最後に、礼竜に用意させたエルベット・ティーズの花束と鈴華をメリナに持ってこさせ、丁鳩が渡した。

 ――受け取ったか……。

「ライ、もういいぞ。来い」

 ずっと魔力で見ていたのだろう。憔悴しきった礼竜がくると、雪鈴を渡した。

「しっかり名前を呼んでやれ。ここからはお前さんの役目だ」

 随分疲れた。邸に戻ろうと歩き出したら、有無を言わさず国王夫妻の邸の嘗て借りていた部屋に連行される。

「大丈夫です。あとはライに任せてください。あ、指の爪が剥がれているので手当をお願いします」

「貴方ねえ……前に三日食べなくても死なないとか言ってたけど、五日よ! その間、雪鈴には食べさせていたけど、ほぼ飲食無しの不眠不休よ!」

「君ね、雪鈴の爪が剥がれてるって言ったけど、その爪が割れて傷口に入ってるの分かってる? 主に顔に集中攻撃されてたんだけど、鏡見る?」

 出された鏡には、とてもリディシアに見せられない顔が映っている。

「君なら避けるとか防ぐとか、魔力で防御できるでしょ?」

「それをやると死なれます。好きなようにさせて、もう大丈夫だと証明するんです」

 寝台に寝かされ、重湯を出される。

「取り敢えず、それ食べたら眠って。あと、眠ってる間に傷を消して、経管で水分と栄養入れるけど、同意するよね?」

「……はい」

 まあ、助けられたのだからいいかと、重湯を食べると眠らされた。




◆◇◆◇◆



 目を開けると、泣きそうな――いや、泣いているリディシアが居た。

「……雪鈴ゆすずは無事か?」

 問うと、

「ご自分の心配をなさって!」

 怖い顔で言われた後、見覚えのあるシチューが置かれる。具材も消化しやすいもの変えられ、細かく刻まれている。

「……ありがとな」

 言って食べていると、泣きながら頬に触れてくる。

 ――傷は消したと聞いたが……。

 次に、つねられる。

「お、おい……」

 返答がないまま、食べ終わると次のシチューの皿が出される。

「それをお召し上がりになったらまた眠ってください。次にお食事が必要な時に起こしますわ」

「……はい……」

 次に目を開けると相変わらず泣いているリディシアが居た。意識はなかったが、おそらく時間は経ったのだろう。昼間だがいつの昼間かは分からない。

「雪鈴はどうなってる……?」

「ご自分の心配をなさってください!」

「いや、俺は栄養と睡眠が足りないだけだから……」

 と、ヨセアが傍に来た。

「すまない……」

「……?」

「好奇心で魔国のことを聞いたりして……あんなに恐ろしいとは思いもせず……不謹慎だった」

「いや……それはいいから、雪鈴はどうなった?」

「ライが傍で慰めている。大丈夫だ。医者も居る」

「……そうか、良かった……」

 言っている間に、皿が置かれる。今度は普通の手料理だ。

「食べながらでいいから答えてちょうだい。

 被害者の多くは自死か発狂と聞いたけど、発狂した被害者はどうなったの?」

「……元には戻りません。人形のようになって生かされては尊厳もありません。せめてできることとして、俺が手を下しました。ご覧になった俺の記憶にあったと思います」

 ヨセアが息を呑む。

「雪鈴が助かったのは、スミゾの供述で禁句がある程度わかったことと、ライとの思い出、そして、助けることのできなかった被害者たちの経験があったからです。

 正直、助からないと思いました。あれほど酷いとは。大事なライの大事な女性で、俺の義妹いもうとです。どうしても悪あがきをしました」

「まあ、頭は魔国に戻ってないみたいで安心したよ。

 ……で、君は、雪鈴を助けられなかったら責任を取るって言ってたけど、どうするつもりだったの?」

「……雪鈴を助けられなかったら、死ぬつもりでした。そのくらいの覚悟をしないとどうにもならなかった……」

「やっぱり、頭は魔国に戻ってるね?」

「正常な神経でできることではありません」

 沈黙が落ちる中食事を終えると、医師の診察が入る。いつの間にか病衣に着替えさせられていた。何度か清められたのだろう。石鹸の香りが新しい。

「まあ、もう魔国の案件は近づけないようにするけど……君も極力忘れてね」

「残念ですが……助かる命があるなら、俺はやります」

「そう言うと思ったわ。明日までここで休んで、それから健康状態を見て邸に戻ってもらいます。

 本当に、みんな公務にも出ずに大騒ぎするし、大変よ」

「アム様は大丈夫ですか? 流産などは……」

「そこは、イオルが傍に居るわ。逆らえなくて頼りない夫だけど、頑張ってくれてるから安心して」

 翌日邸に戻ったが、診察は典医だけだった。数日後、

「ライ、雪鈴も。大丈夫か?」

 二人とも泣きそうな表情だったが、手を繋いで会いに来てくれた。リディシアと共に出迎えると――

「お義兄様にいさま!」

 雪鈴がしがみついて泣きじゃくる。

「ごめんなさい、お義兄様の顔を……髪を……」

 ――覚えていたのか。ここまで酷い被害者が助かったのは初めてだったので、予想していなかった。

「ほら、大丈夫だ。傷もない。髪も引っ張ったくらいでなくなりはしないから、な?」

 言いながら、雪鈴の手を確かめる。良かった。爪はちゃんとある。

「ほら、大丈夫だ。雪鈴。誰も死んでない。な?」

 礼竜が来て、雪鈴を撫でている。やがて――

「私の名前、エルベット・ティーズの【エルベットの残り雪】から始まって、鈴華の節で終わる聖祭節から【雪鈴】です。

 とくに、鈴華の節はお義兄様にいさまのお誕生日なので大事にしたいと、ライが言っていました」

 聞けないと思っていた名前の由来を教えてもらえる。微笑し、

「そうか……大事な名前だ。いいか、それがお前の名前だ。過去の辛い名前じゃない」

「あの、兄様……」

「……ん?」

「雪鈴が、僕に言いにくいことを時々相談したいって……良いですか?」

 雪鈴の頭を抱いて、

「ああ。お前さんにこそ言いにくいからな。いつでも来てくれ」

「――はい!」

「すみません、これ、ぐしゃぐしゃに握ってしまって……」

 渡されたのは、濃紺のカフスだ。

「ん、良かった。助かって」

 受け取ったカフスは、衣装に戻さずに私物に入れた。

 その後、よく雪鈴が来たが……奴隷時代の誰にも言えない言葉を、こぼれるまま聞いていた。

 イザベリシアの様子を見に行こうと思っていたら、妊娠初期だから平気で動けると、イオルを伴って会いに来てくれた。イオルに憔悴した様子はなく、上手くやっているようだった。




◆◇◆◇◆



 エルベットはもう冬だった。本当に冬が長い。

 相変わらずついてくるヨセアと愛馬に会い、礼竜らいりょうが植えた彼岸花を見て邸に戻ると、使いが待っていた。

 すぐに国王夫妻の邸に通される。

「魔国に関わらせないって言った口でなんだけど……ちょっと困っててね」

「僭越ながら、私からご報告させていただきます」

 近衛騎士団長が最敬礼し、話を始める。

 礼竜を狙って瓜が混ぜられた件は、聞けば三日後には犯人を逮捕、取り調べを始めていたらしい。ところが、口を割らないどころか、【魔国の王族を連れてこい】の一点張りで、魔力で自白強要しようにも妙な力で阻まれるそうだ。

 どうしようもなくなり、丁鳩ていきゅうに話が来たらしい。

「自白を阻むというのは、魔力が高いのか?」

 瓜の件を教えてもらえないのは当然の立場だと自覚しているので、要点を聞く。

「いえ、魔力は低いです。

 ただ、牢に居る期間からお察しいただけるかと思いますが、なにしろもう手の打ちようがなく……このまま処刑するのは簡単ですが、情報を取る必要がございます」

 ――魔力でなくても、吐かせる方法はいくらでもある。

義叔母おばさま、騎士長に同行してよろしいでしょうか?」

「ええ。正直、魔国には関わって欲しくないのだけれど……仕方ないわ」

 言われるままに案内された牢は、普通王族がやってくることを想定している場所ではない。それでも目につくと困るものを片付けたようだ。

「……怖い場所だな……」

 ついてきたヨセアが正直に漏らすが、魔国の牢は我ながらもっと酷かったと自覚する。

「お前……雪鈴の血縁か?」

 雪鈴と同じ赤毛、褐色の肌。翡翠の目に憎しみをたぎらせて丁鳩を睨みつけている。ここまで正面から殺気を向けられるのも久しぶりだ。

 おそらく、王族の前に出すということで急いで洗ったのだろう。この寒い中、おそらく水で洗われたのだろうが。

「なるほど……これなら情報を得ずに殺すわけにはいかないな……」

 雪鈴の手掛かりには違いない。記憶が戻った雪鈴は、物心ついたときは奴隷だった。

 丁鳩が一歩踏み出すと、周りが緊張するが、大丈夫だと合図した。

 睨みつけてくる男に、

「まず言っておくが、魔国は王政、貴族制度ともになくなり今は違う国になっている。魔国の王族だった俺も籍を返上したし、その前にライは廃嫡だ。つまり、お前の会いたい【魔国の王族】はもう、存在しない」

 相変わらず睨む男。

 ――捕らえて牢で取り調べをした期間の長さからして、実行に移すしかない。

「騎士長。今から言うものを準備してくれるか?」

 丁鳩が挙げたものは、日常的に使うものばかりだった。

「それをどうするんだ?」

 先日の反省があってもヨセアが食いついてくる。

「魔力で自白させられないなら肉体的に拷問する。

 まず、針は初期は……」

 説明し終える頃、近衛騎士団長が、

「大変恐れ入ります。そのようなものはご用意できません」

 深々と頭を下げる。

「普通にあるぞ? ああ、丁鳩の邸は止められているのか。俺が戻って揃えてくる」

 言って動き出したヨセアを止め、

「恐れ入ります。丁鳩殿下に二度と、そのようなことをしていただくわけには参りません。この命に代えましても、お止めいたします」

「ああ、丁鳩がやるといけないのか。なら、他の人間が丁鳩の指示通りにやったらどうだ?」

「いや、慣れていない人間がやっても効果がないどころか口がますます固くなる。

 それにもう、必要ない」

 丁鳩に向けられた憎しみ――要するに殺気は、とっくに消えている。

 視線が合うと、明らかに怯えている。

「騎士長。拷問はしていなかったのか?」

「エルベットでは滅多に行いません。ましてや、殿下が仰るような恐ろしいことは……」

 そういうものかと思いつつ、少し凄みを利かせて睨むと簡単に口を割った。

 彼の名前はキョイ。外国の奥地にある隠れ里で、呪祓を行っていた村の出身らしい。

 呪祓の依頼は誰でも受けたわけではなく、自業自得は断ったが、ある時断ったエルベットの貴族が襲ってきたという。

「エルベットの貴族がわざわざ外国にまで行ってそんなことをするか? 国際問題だろう」

「確かにエルベットの貴族だった。紋章も覚えている!」

 丁鳩は脳裏に強く残っているその紋章を勝手に写絵に取る。

「……これか?」

「は、はい!」

 明らかに丁鳩に怯えているのですぐに答える。

「これはエルベットのものではないが」

「そうだな。私も外遊で諸国を回ったが、国それぞれに紋章に個性がある。これは……東の方か……。

 似たような雰囲気の紋章のある国で、紋章院に問い合わせれば分かるだろう」

「……違うのですか……?」

 まだ丁鳩には怯えた様子で聞いてくる。

「ああ、出自が分からないようにエルベットを名乗っただけだろう。……で、続きは?」

「は、はい!

 村では、ミーネさまという呪祓のレースを織る女性が中心となっていました。俺が八歳の時、次代のミーネさまがお生まれになり、俺は従兄ということもあり、守護者の名誉を得ました。

 守護者は、生涯ミーネさまをお守りし、将来ミーネさまと添い遂げるものです。

 ミーネさまが三歳の時、襲撃がありました。先代のミーネさまは殺され、幼いミーネさまはエル……いえ、どこかの貴族に攫われました。

 エルベットと聞いていたので、お探しするためにエルベットに居たら、ファムータルの婚約者にされていた……。

 魔国の王族の呪いの深さから、おそらくミーネさまを買って玩具にしたのだと……」

「なるほど、それで魔国の王族と会わせろ、か」

「どうする? お前、供述に必要ないから手足を折るってイオルから聞いたぞ?」

 その言葉にキョイはますます怯える。騎士長が制止に入る。

「どうするか……俺としては、ライを殺そうとした連中は、必要がなくても手足の四、五本は折っていたが……」

「手足なら四本しかないじゃないか」

「残りは首だ。……おい、卒倒するな。寝たら折る」

 必死に近衛騎士団長が制止する。

「正直、ライを狙った以上、俺は苦しませた末で殺したいが……今はそういうことはしてはならない立場だからな。騎士長、あとは任せていいか?」

「はい。主君にお手間をいただき、大変申し訳ございません」

 言って退出すると、自分たちの騎士だけではなく騎士長もついてくる。

 牢を出ると、普通の華やかな王城の廊下だ。

「丁鳩。お前、前にも話したが……散々他国から引手があっただろう。こんな平和な国に居るより、もっと必要とされる場所があったんじゃないのか?」

「ああ、俺と肩を並べて戦ってくれた兄貴は、変わってしまった俺に耐えかねて離れてしまった。

 兄貴は、俺を他国に流そうとしたことがあったらしい。他にも、この王室から殺してでも救ってやると散々言っていた」

「それなら――」

 ヨセアが言う間に、花瓶から花を一輪抜き、

「兄貴にも言ったが……俺は必要だったから殺していただけで、殺したくない。

 こうして公僕として誰も殺さず生きるほうが、ずっといい……」

 穏やかな赤い瞳には、深い悲しみがあった。

「……すまない。また軽はずみなことを……」

「いや、気にするな。俺自身、周りが俺をどう見ていたか知っている」

 花瓶に花を戻し、歩き出す。

 リディシアの趣味と礼竜らいりょうの花の溢れた邸に早く戻りたかった。



◆◇◆◇◆



「ライ。お前さん、今日は元気がいいな?」

 典医についてくる実習生は、いつになく溌溂としていた。

 耳元で、

「夜は上手くいったか?」

「はい、分かりますか?」

 すっかり成長してしまった。もう喜んでくれないかと思って頭を撫でたら、いつも通り嬉しそうな顔をする。

「最初は、兄様が持ってきてくれた本を読まなかったことを後悔したんですが……」

「いや、あれは俺と兄貴が本気でからかっていたんだ。悪いな。

 ……で、どうやって覚えた?」

「ヨセア義兄様にいさまに聞いたら、初心者向けじゃなくて上級のことばかりで分からなくて……そうしているうちにヨセア義兄様にいさまがアナに殴られました」

「まあ、ヨセアはそういう奴だ」

「イオルに聞いてもよく分からないので困ってたら、叔父様が丁寧に教えてくれました」

 義叔父おじに散々からかわれた丁鳩ていきゅうとしても、心当たりはある。

「それで、ヨセア義従兄様にいさまに聞いたんですけど、兄様のところで集まってるんでしょう? ヨセア義兄様に大人になったらって言われましたけど、僕ももう、公務がない時はご一緒していいですか?」

 もう頭にお花とお菓子しか詰まっていない平和頭の純情王子ではない。

「分かった。だが、雪鈴と一緒に過ごす時間を削るなよ?」

 雪鈴も精神的な治療が必要になった。本当に魔国出身は治療だらけだ。王族が揃って公務をサボタージュということで騒ぎになったが、雪鈴の件で国民たちは納得してくれた。

 落ち着いても耐えかねて時々丁鳩に相談に来ている。

「はい、じゃあ、まず自傷の確認から」

 雪鈴もそういった確認が必要だが、礼竜が見た時に調べるだろう。目を覚ますと公務に出ていた。










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