エルベット編 7,【記憶~思い込み】

エルベット編 7,【記憶~思い込み】



 ――ファムータル殿下、祝福! 鈴華すずか様は【雪鈴ゆすず】様に。

 そんな見出しの新聞を荒々しく投げる。

 要は、ファムータルが勝手に名前をつけただけだ。

 ずっと哀しみが伝わってきた。お探ししてもお探ししても、見つからなかった。

 魔国に売り飛ばされていた。知ったのは、ファムータルが戦利品のように持ち帰ったお姿を見た時だ。

 察しはつく。呪いの深い魔国の王族なら、高く買っただろう。

 すぐにでもお助けに行きたいのに、入ることも許されない場所だ。

 ――何としても、お助けに上がります……。

 鏡に映ったその姿は、どこかで見たような褐色の肌に翡翠の瞳、特徴的な赤毛だった



◆◇◆◇◆



「う~ん……」

 時々、物思いに耽るようになった。

 兄に言われた洗脳だが、予想以上に酷かったらしく、時折記憶がおかしい。

 兄に言ったら、それこそまた斬り込みに来かねないので、なんとか黙っているが……気づかれたら謝ろう。

 鳥で兄と話せるのようになったのは良かった。最近、また王族服を着ると言ったら、喧嘩になってなかなか答えてくれないので焦ったが。怒りを収めてくれてよかった。

 弟も、何故か、あんなに喜んでいたのが噓のように嫌がったが……結局何も言わないでくれる。というより、怒ると魔力で服を切り裂く癖がついて困った。クロゼットから王族服が消えていたから聞いたら不審な顔をされた。言ってはいけないことだったようだ。

 それよりも驚いたのが……いつの間にか弟が指輪を渡していて、名前が【雪鈴ゆすず】になっていた。

 名前の由来を聞いたが、『そりゃ、兄様ですから!』と怒って手が付けられなかった。

 御名も雪鈴。御名しかない自分と同じあたり、決して忘れてはいけないことだと流石に分かるが……。思い出せない。

 兄には、くれぐれも内緒にしてくれと頼んだが……弟次第だ。

「大丈夫かい? 診てもらう?」

 義叔父おじが言ってくるが、笑顔で大丈夫だと答えた。無論、これが公人の顔だということは知られているが。

 相変わらず、義叔母おば義叔父おじと食事をすることが多い。要するに以前のような生活だが、兄は何も言わないでくれた。義叔父おじは、『サティラート君が来てくれたおかげで食べる量が増えた』と喜んでいた。食欲が低いことは分かってくれたようなので、これはこれでいいだろう。

 時々、洗脳されていないか変な質問をされたりするが、兄と話せるのはいい。心が落ち着いたのは、きっとそのおかげだ。古い名前とはいえ、ちゃんと呼んでくれる。

「ほら、またぼーっとしてるよ? 少し休むかい?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 最近の話題が、ほとんどこの会話だ。つくづく、公務に出ることは遠い。弟がよく、一緒に公務に行きたいと言うが……回答に窮する。

「何か悩んでるなら話してくれない? 言いたくない? そこまで嫌われたかな?」

「……何でもありません」

 最近は、本当に周りから回答しづらい言い方をされる。心配してくれてのことだと分かっているが……。

「ここは私的な場所なんだから……素の顔を出してくれてもいいのよ?」

 これは、出せと同義だ。ライオルに話していた時の内容は漏れており……要するに、自分の素の顔も知られている。あの時は、知られてもいいと全部言ったが……今になると恥ずかしい。

 相変わらず公人の顔でいると、時々、また操作するとか言われるが……本気でないのは分かっている。要するに、弄られているのだ。

 兄が度々、『封印』されかかったことを怒りに出すが、それは仕方ないといくら言っても聞いてくれない。寧ろ、三人無事で助かったのは僥倖だ。正直に言うと、あのあたりの記憶が一番曖昧で、兄と弟が何かとんでもないことをしたのは朧げに覚えているが、それを言うと怒られる。ただ、封印されて当然だから、もう絶対しないでくれというと、喧嘩になることは分かったので、それは言わないことにした。

 愛剣は、持ったままだ。いつの間に帰って来たのかと兄に聞いたら、すごい顔で睨まれたので、追及していない。回収もされないので私室に置いてある。夜間の外出の時だけ纏っている。

 もうすぐ食事が終わる。次に来る嫌なものを思うと憂鬱だが、食べ終える。

 すぐに別室に移され、傷を診られる。

 兄がわざと付けたという傷は、本当に困った。どういう経緯でそうなったのか覚えていないが、兄はかなりの騒ぎを起こしたようで、兄の悪口を延々と聞かされる。自分の立場上、言えないので黙って聞いているが。

 もうお話しにならないでくださいとか、平気で言われる。何をどうしたらそこまで嫌われるのか……まあ、自分のせいだろう。覚えているのは首の傷と、自分が剣を握った時の指の傷だが……これも兄が更に悪く言われる。

 もう治っているし、傷も消えないのでこの診察は止めてほしいのだが……義叔母おばに言っても止めてくれない。……要は、公人としてしっかりしろということだろう。

 傷一つ付けば、誰かが責任を負わされる立場だと、ひしひしと感じる。

 弟も、どこで覚えたのか、度々短剣を持って、自分を大事にしないと肌を切ると脅してくるようになった。悪い本でも読んでいないか心配したが、邸で見た限りは変なものはなかった。本当に、どこで覚えたのか……。騎士に言って取り上げてもらおうとすると風成かざなりで消えてしまうし、困った。

 まあ……一番困るし、やめて欲しいと何度も言っているが……自傷がないか脱がされて確かめられるのは本当に困る。そこまでおかしくないと言うと精神的な診察まで増やされるので、もう抵抗していない。

 義叔母おば義叔父おじ立会いの下、自傷がないことが確認されると服を着る。いつものことだが、義叔母おばがこれでもかというほど抱き締めてくるので、これが一番辛い。

 そう言えば、王太子の双子もやたらと弟にくっついているし、そういう性格なのかもしれない。自分が絡みつかれなくて良かった。

 邸を出るまでの間も、指に傷のある手をしっかり握られ、離すときに傷をこれでもかというほど凝視される。

 自分の騎士二人だけだったのが、何故か護衛も増えた。

 覚えていないと言えないので、黙っているしかない。

 特に、騎士長は何も言わないが、何か言いたそうだ。正直に『覚えていないから教えて欲しい』と内密で頼んだが、内緒にしてくれているが何も教えてくれない。ただ、騎士長の視線は特に痛い。悪意の類なら敏い自信があるが……何か自責の類だ。

 いっそ、覚えていないと正直に言えばいいのかもしれないが……ますます診察を増やされるか、もしかしたらまた記憶を調べられるかだと思うので、黙っている。

 正直、記憶はもう、そっとしておいてほしい。

 邸の前に着くと、ライオルが居た。明らかにリディシアの使いではない。あの憔悴した顔は、もしや……。

「まだ婚姻届、出してないのか?」

「……できません……」

 迷惑と思いつつも女の子にお菓子をもらってくるあたり、そうではないかと思ったが……有無を言わさず邸に引きずり込む。

 前に使ったのと同じ部屋だが、テーブルと椅子がある。床に座ったことがバレて、強制的に全室に配置された。それほどやってはいけなかったらしい。

 もちろん自分の騎士はついてくる。止める理由もない。

「……イオル。本当に堕ちたいか?」

 ここまで言ったのに、まだ逃げない。こういう男だ。

「だって、愛情もなく適当にって……」

 分かっていた。なので、

「いいか? 俺にできる最後の手助けだ」

 騎士から紙を受け取って万年筆と共に出す。

 自分の騎士の女性の方を紹介し、

「結婚願望、恋愛への憧れ一切ないそうだ。一般人。お前が可哀想だから、籍だけ入れてくれるって言ってくれた。俺が強制したんじゃない。本当に、お前が哀れで言ってくれた。

 後腐れもない。双方合意。問題ない。事後離婚できる」

 婚姻届など、自分には入手もできない。この騎士がすべてやってくれた。女性の署名が入った婚姻届にサインするだけだ。

「サインするだけで、お前は救われる。

 ……一生どころじゃなくて永遠に縛られたいか?」

 ここまで言ってサインしないなら、それも選択だ。自分にできることはした。

 ――やがて……

「できません……そんな、物みたいに……」

 こういう男だ。つくづく正常。だから散々言ったが……もう何もできない。

「分かった。後悔は好きなだけしろ。愚痴なら聞く」

 できることはした。それでも堕ちるなら、それはそれだ。

「ああ、俺は酔えないから酒には付き合えん。素面で愚痴ってくれ」

 言い残して部屋を出る。

「悪かったな。ここまでしてもらったのに不意にして」

 女性騎士に礼を言う。ライオルが言えない分、言っておかなければならない。

 アイツも、最敬礼を受ける立場になる。まあ、仲間が増えるのは嬉しいので、愚痴は存分に零してくれと思った。



◆◇◆◇◆



 ここでも傷を見られる。

「リデ、そろそろ……」

 言うが、涙を溜めて傷を撫でてくる婚約者の手を振り払うわけにはいかない。本当にお兄さまなのですか?と聞いてくるあたり、また兄が嫌われている。

「大丈夫。すぐに手が出るが……大事な兄だ」

 そっと手を回す。

「今度、一緒に話すか?」

 面識はないので思い込みで嫌われているのだろう。大事な兄と大事な女性が微妙だとこちらもやりにくいので、言ってみる。

 そのまま腕に誘うが、やはり傷から目を離さない。

 何故か泣き出す彼女を精一杯優しく抱き、

「もう増えないように気を付ける。ごめんな?」

「お兄さまともうお話にならないでください……」

 まただ。伝聞はどう伝わったのか……。

 結局、寝台の中で兄の話が続く。悪い兄ではなく、本当に助けてくれたのだと言うが……何故泣くんだ。

 終いには、彼女が腕の中で謝り始める。

「リデ。お前は何も悪くないだろ? 何かしたのか?」

 ――困った。初夜より気を遣う。泣き止んでほしくてあちこち唇をつけてみるが、一切効果がない。

「……リデ。俺もな、男だからこの状態でお預けは辛いんだ」

 言って顔を覗き込むと、目が見開かれる。

 そのまま唇を這わせ、誘ってみる。

 欲望はあるが、強引にはしない。嫌ならやめる。

 そう言うと、やっと元の通りになった。

 本当に、悪い兄ではないと分かってほしい。結婚式に来てくれたら、ゆっくり誤解を解いてもらおう。

 別れ際、香水のことを聞かれた。最初から好きな香りだと素直に言ったら、また泣き出した。また兄のことを口に出され、これは鳥で早く会話してほしいと思った。



◆◇◆◇◆









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