エルベット編 4,【兄】

エルベット編 4,【兄】



「……彼岸花?」

 弟から来てほしいと伝言を受け、向かった先のファムータル邸で、鉢の花を見せられる。

 相変わらず調度品より花に溢れた邸だ。

「アマリネに似てるが……違うな……」

「はい。神官長が前に島国に旅行に行って、見たそうです」

 言って弟はもらった写絵を出す。妖艶な赤い花が群生している。

「なるほど、鈴華すずかのレースの花はこれだったか……」

 どの花にも該当しない謎と言われた鈴華のレースだが、こんな遠いところがルーツだったとは思わなかった。

「じゃあ、鈴華は島国の出身か?」

 未だ記憶も戻らず、出自も年齢も分かっていない。もちろん、治療ということで記憶を戻すこともできたが……消えた過程を思うと、あまり賛成できない。

「いえ、島国は黄色の肌の民族しかいないみたいで……鈴華は肌の色が違います。それに、ボビンレースもないそうです」

 赤い花は、明らかに有毒だ。その毒すら、魅力を引き立てている。

「じゃあ、どこかに彼岸花が流れ着いた場所があるのか……」

 そこが、鈴華の故郷だろうか。だが、こんな花が外国にでもあれば、自分も知っているはずだ。

 相変わらず、薬は効くと思っている弟は、薬草茶を出してくれる。敢えて言うこともないだろうと、黙って飲む。お茶請けはいつもの弟の菓子だ。

義叔母おばさまには言ったか?」

 自分には何の権限もないので、聞いても聞くしかできない。弟は頷いた。

「……で、鈴華なんだが……いつまで【鈴華】なんだ?」

 言うと、弟が顔色を変える。その隙に、白い王族服の隙間に手を入れて中に隠していたものを取り上げる。

「……あ!」

「お前さんが大事なものをどこに入れてるかなんて、分かってるんだよ」

 淡い黄色の石にエルベット・ティーズの紋と鈴華の紋が、角度を変えるたびに見え隠れする。指輪を取り返そうとする弟を抑えて観察すると返した。

「お前さんも、早くしないと、俺みたいにお膳立てされまくって逃げ道なくなってから言うことになるぞ? せめての選択肢だ。自分から言うか、逃げ道がなくなってから言わされるか」

 本当に、この二択しかない。

 と、急にしがみついてきた。

「……どうした?」

「いえ……」

 香りが変わった。あの香水の香りが混ざっている。兄の香りも好きだが、これは悪くない。

 しがみついていたいし、兄ならそう言えばいつまでも一緒に居てくれるだろう。頭を撫でてくれる兄の手の感触を感じながら、もう自分だけのものではないのだと実感する。

 魔国で兄の私室に住み、兄の寝台で寝たが――あれはもう、ないのだ。だったら、もっと大事にすべき機会だった。

 ふと、最後に魔国の見知らぬ場所を、兄弟三人で駆けた想い出が蘇る。あのまま、遠くに行ければ良かった。



◆◇◆◇◆



 ――誰かが顔を覗き込んでいる。

 いつものことだ。害意も悪意もない。なら、好きにさせておこうと動かずにいたら――

「お前さんにしちゃ、随分腑抜けてるな?」

 見かねたようにかけられた声に飛び起きる。声のとおり――

「……兄貴!?」

 魔国に居るはずの異父兄あにサティラートが居た。

「待ってくれ。着替える」

 慌てて王族服に身を包み、寝室を出て居間に行く。侍従が朝食を出してくれる。

「兄貴、いきなりどうしたんだ?」

 食べながら聞くが、兄は沈黙したままだ。食事を一緒に取りながら、自分を見ている。

「まるで人形だな」

 やがてぽつりと零した。

「武器も持たされず、まあ、食事のマナーもしっかりしてやがる」

 また沈黙が落ち、食器の音だけが響く。

 食事を終えて私室に行くと、

「婚約したって聞いたときは喜んだが……詳しく聞けば、お前さん、逃げ道なくなってから事に及んだってな? ほんっとうに……」

 それで機嫌が悪いのか、と納得した。

「リーナの件はともかく、ずっと気になってたんだろ? なんで手を伸ばさないんだ?」

「……それは……」

「リディシア様のところには、毎日行ってるのか? まさか、初夜だけじゃないだろうな?」

「いや、時々は……」

 正確にはライオルが来て引っ張られるのだが、それは言いたくなかった。

 サティラートは、部屋の中を見回し、

「相変わらずだな……殺風景な部屋から物騒なものが消えただけじゃねぇか。所持品とかねぇのか?」

 言って机の上の、見覚えのあるナイフと、結晶花と、礼竜らいりょうにもらったものが目に入る。

「……指輪はどうした?」

「ライの奴が持ってる」

「……やっと話したか」

 ぽん、と頭に手を置いてくる。

「そう言えば、剣はどうした?」

 兄に渡した剣を持っていないので尋ねたら、

「入る前に預かります、ってよ。服まで着替えさせられた。

 あれだけの魔力剣じゃ、確かに振り回されたら大変だしな」

 確かに、兄の好むような服装ではなかった。

「ま、婚約おめでとうな。それ言いに来たんだ」

「その為にわざわざ来てくれたのか?」

「んー。もうひとつ、言うことがあってな……。

 結婚した」

「はぁ!?」

「弟二人が居なくなったら、世話焼く時間も必要ないだろ? まあ、一緒に居る時間が増えてな。そうなりゃわかるだろ。お前さんでも」

「待て待て! その言い方だと、前からいたことになるぞ!」

「散々名前出してたろ? ジュディだよ」

 唖然とする。確かに、度々ジュディの名を聞いた。てっきり、兄に頼んだので経過を言っていると思ったのだが……。

「はい、いかにもお前さんらしい反応」

 頭を撫でて、扉の方へ歩いていく。

「あ、兄貴、祝いを……」

「それ、【お前さんに振り分けられた予算】だろ? やめてくれ。手紙だけなら受け取る」

 我ながら酷な言い方をしている自覚はあるが、そのまま置いていく。と、邸の扉で止められた。明らかに止めてはいないが、止めている。

「申し訳ございません。お召替えを……」

「ああ、アイツは外に出る服装も決められてるのか」

「……! 申し訳ございません!」

 顔がそっくりなので間違えられたらしい。と、振り返れば弟が見送ろうとしていた。

「――『宿題』の答え、出たか?」

「……麻薬の後遺症だ。全部、俺の責任だ」

 それっきり会話もせず、邸を出た。騎士に先導されるまま行くと、国王夫妻の私室に着く。

 妻が、国王夫妻と向かい合って会話している。

 例の『ファム姫伝説』は、瞬く間に元娼婦を中心に広がり、特に丁鳩ていきゅうが助けた被害者たちが夢を織り込み、今は派生に派生を重ねている。テーブルにあるのは、最新の、ちょっとした小説程度まで厚くなったものだ。丁鳩の保護を受けていた被害者たちが寄り合ってアレンジを重ね、実は、この本は妻が中心になって纏めたものだ。流石にサティラートが頼んで、容姿などの特徴や名前は変えてもらったが、夢は止まることなく続いている。

 今は、魔国では花嫁衣装は体格の分からないくらいの生地量の白が主流となっている話になっている。予算上、多くは綿か麻になるが。無論、派生が呼んだ結果だ。

「こちらでは、どのような花嫁衣裳なんですか?」

「二人が帰って来た時は、目の前に礼竜らいりょう鈴華すずかが居たでしょ? だから白と淡い黄色が流行ったの。

 でも、丁鳩ていきゅうが婚約したって流れたら、濃紺と若草色が主流になったわね。ほら、魔国で酷い目に遭ったってことで、お祝いもすごくて。特に丁鳩は公務にも出てないから。

 城下を少し歩けば、すぐに目につくと思うわ」

 ――魔国で心を壊された悲劇の王子。その言葉を反芻しながら、

「ご報告します。アイツ、駄目です。未だに分かっていません」

 真っ先に結論を言う。リディシアとの関係で改善したことを期待していた国王夫妻は、溜息をもらす。

 促されるままソファに座ると、

「……様子はどうだったかね?」

 王婿おうせいが聞いてくる。無論、サティラートの視点からということだ。

「すっかり変わりましたね。前は殺気立って射殺すような目をしていたのに、あんなに穏やかになって……。驚きました」

「君には、かなり打ち解けているようだし、いっそ、ここに残って側にいてやってくれないか?」

「お断りします。無礼を承知で申し上げますが、これ以上直視できません。

 確かに、エルベットに送り返すことを選び、手紙まで託しましたが……それ以外に道がなかったからです。

 アイツは、魔国に居たら、きっと死ぬまで疑問も持たず、自分を削ったでしょう。それを防ぐにはこれしかなかった。他にないからです。

 今は、剣も持たされず、決められた服装しかできず……アイツは、朝起きぬけにオレが訪ねたら、着替えもせずにそのまま話し込むヤツでした。それが綺麗に着替えて朝食のテーブルに自然に行って……」

「本当に、私たちが随分変えてしまったよ」

 王婿はティーカップを置きながら言う。

「あの子が望んだことじゃないのは、分かっているが……」

「ええ。それが分かっていてオレがエルベットに送りました。ですから、共犯です。寧ろ、予想外に順応しているので驚きました。

 始終、護衛という名の監視がつき、与えられた環境でしか生きられない……。もともと、そういう生まれです。魔国王族に染まらなかっただけ、本当に良かったですが……それだけです。

 人間を洗脳するとき、まず何をするのが効果的か、ご存じですか?」

「……魔国の話?」

「魔国なら、普通に麻薬や非人道的なこともしていましたが……一般的に、【衣】を制限することが効果的です。着る物を選ばせない、選ぶ自由がないことを自覚させるのが、手っ取り早くて法的にも問題になりにくいです」

 王族服しか着られない弟は、既に手遅れだ。

 出された紅茶にも手を付けず、言葉を続ける。

「そういう立場で、住む世界が違うのも分かります。ですが、納得できるかは別です。

 籠の鳥なら、寿命が来れば終わる。奴隷なら、アイツのような助けるものが居るかもしれないし、死ねば自由です。

 死んでも解放されず、王族廟に送られる……。

 オレがアイツに会っている間、何回殺そうと思ったか、お分かりですか?

アイツは抵抗しないでしょう。丸腰でも護衛に斬られる前に命を止める自信もありました。それをしなかったのは……死体を連れ去ることができないからです」

 王族を殺すと発言しても、咎める様子はない。

「魔国を出る前に、アイツと礼竜で遠乗りに出ました。

 あの時……護衛の名目で配置していた者たちにオレが指示を出せば、そのまま二人を第三国に流す手筈でした。

 ですが、どうせ他国に渡っても、政治の道具にされた挙句、【悲劇の王子】として連れ戻されると分かっていた……。実行しなかったのはそれだけです」

 王族暗殺に加えて拉致まで告白した人物に、やはり取り押さえようという気配はない。

「……例の女の事件、国際的にも大問題ですので当然聞き及んでおります。

 状況が違ったら、アイツを、物のように使うのではないですか? 公益のために消費され、人権すらない……」

「……君、丁鳩のこと、名前出して呼ばないね。手紙には古い名前で書いてあったし、魔国に居た頃もその名前で呼んでたって聞いたけど……」

「アイツが嫌がっていても、古い名で呼びました。王族の御名で呼べば、いよいよアイツはそういう定めだと受け入れたことになる」

「今、『アイツ』としか呼ばないのは?」

「あんなの……もう、『レヴィス』じゃありません……」

 そこまで言うと、妻を立たせ、退出する。

「あるまじきご無礼、失礼しました。ですが……オレは斬られても発言は変えません」

 甥と同じ顔の、色の違う瞳にあるのは、行き場のない怒りだ。

 残った本を、国王が手に取る。

 本当に、甥を思ってくれたのだと実感する。いきなりエルベットから使いを送って来てもらったが……おそらく、二度と来てはくれないだろう。

 ――直視できないほど、変えてしまった……。

 甥を自由にする方法はない。彼も言う通り、死んでも王族廟送りだ。なら、順応させて何の疑問も抱かないようにすればいい。

 そうすれば、あの子は疑問もなく、苦しみもなく眠る。

 沈黙が続く中――

「すみません、兄貴は……」

 兄がこちらに来たと聞いたのだろう。甥が来た。礼竜も一緒だ。

「ごめんなさいね。忙しいところを無理してきてもらってたの。もう帰られたわ」

「ライの奴も会わせたかったのに……」

 急いで弟も会わせようと連れてきたのだろう。残念そうに言う手には、鞘に納まった銀のナイフがある。それを懐に入れる甥に、かける言葉はなかった。



◆◇◆◇◆



 何度も手紙を書き直し――気が付けば夜も更けていた。

「悪い、夜風に当たりたいんだが……」

 言うと騎士は手配してくれる。すぐに連絡を入れ、普段は持たせない短剣を渡してくる。

 ――月桂葉の紋の入った、魔力のある短剣だ。

 夜間は警備も薄い。そこへ王族が出歩くと、城内に潜む危険分子が狙ってくる可能性が高い。故に、こういった時のみ持たされる。

 それを自然に纏い、騎士が守る中外出する。

 真っ先に言われたことだ。城内でも一部の魔道研究者は何故か、王族の魔力や予見の知を解析したいと振り切れ、稀に実際に王族を捕らえて研究材料にしたいと行動に出る者が出る。彼は予見の知はないが、魔国の呪いはそれなりに魅力的らしい。

 バラバラにされて玩具にされないために、自衛しろということだ。

 ――兄貴が、ここでも安全じゃないって知ったら、どうなるか……。

 夜風を浴びながら、思い出す。兄は、これまで稀に見るほど怒っていた。名前を呼ばないのがその証拠だ。

 前に喧嘩がこじれた時は、名前を呼んでもらうのに本当に苦労した。そのうえで、『何が悪いか分からないなら、見捨てる』と言われた。

 婚約の流れで怒っていたのかとも思ったが、違ったらしい。

 ――いよいよ、見捨てられたか……?

 帰るにしても早すぎる。礼竜らいりょうにも会っていない。

 厩舎に行くと、愛馬は起きた。そっと撫でてやる。

「……ごめんな。もう、乗ってやれない」

 最後に魔国を駆けた時が、最後になった。他に乗るものは居ないかと思ったが、この気位の高い愛馬に乗れるのは、礼竜ぐらいだ。

 空を見上げる。王族の結界内とはいえ、空は同じだ。二つの月が輝く周りに星が煌めく。兄と並んで見上げることは、もうない。

 と、慣れた気配がする。魔国に居た頃は隣り合わせだった気配だが、ここで感じるということは異常だろう。

 騎士に、相手の所在と人数を伝え、戻った。事を起こせば、責任を負わされる者がいる。なら、未然に手柄にしてもらった方がいい。

 風に、金糸の髪が舞う。

 あと何年かすれば、この髪からも毒の痕跡は消えるだろう。普段毒すら見かけない。

 ライオルが毒の入った菓子を持ってきたら、また食べよう。

 言うと怒られるが、そんな考えに苦笑した。



◆◇◆◇◆



「……お兄さん?」

「テイお兄さまの? ああ、小さいころいらっしゃったわね」

 鈴華すずかに会うために旧エリシア邸に来たら、既に双子が入り浸っていた。この二人は鈴華のところに頻繁に来ている。鈴華に何か吹き込まれないか心配だ。

 自然に礼竜らいりょうの銀髪を弄りながら、興味津々という双子に、写絵を見せる。

「あら!」

「やだ~! そっくり!」

「まあ、魔力のない兄様と思えばいいよ。兄様と違って常識はあるけど」

 それだけそっくりな義兄あにに双子が何か言う前に、

「結婚したって。魔国も今は一夫一妻だから。兄様が頑張ったから」

「え~?」

「売り切れちゃった?」

 双子が兄を本気で狙っていたのは知っていた。手を出さなかったのは、リディシアという『先約』があったからだ。

「いい加減、いい人見つけないと決められるよ?」

 言いながら双子の手を外し、鈴華のご飯が並んだテーブルに着く。侍女長が怖かったが朝食べずに来た。無論、ここで食べたいからだ。

「ライくん、誰かいい人知らない? 予約なしの人で」

「魔国に誰もいなかった?」

 双子は礼竜が持ってきた菓子を食べながら聞いてくる。

「僕、ほとんど邸に居たから。聞くなら兄様だと思うよ」

 今日は揃いの桃色のドレスに同じ髪型、アクセサリーだ。自分の色など関係なく城下で気に入ったものを見つけては、双子揃いで発注して身に着ける。無論、城下に売られているものに魔力が付与されているわけもなく、普通のものだ。おそらく、個人に割り振られた予算を一番惜しみなく使っているのはこの双子だろう。御名も杏亜那夢想あなむと同じ御名で、イザベリシアはアム、イザベルシアはアナと呼ぶのが通例だ。

 この双子の特徴は――同じ格好をするのに、双子で取り違えられると怒り出す。

 大変理不尽なことだが、礼竜らいりょうは物心ついたときには一緒だったので間違えたことはない。鈴華すずかも見分けはつくようだ。兄も間違えない。

 確かこの前――お見合いを決めた貴族が、間違えて破談になったと聞いている。

 食べ終わると、鈴華がレースを織っている後ろに陣取ってそこに居座る。鈴華はレースを織っている間は構ってくれないので、手を止めるまで待つしかない。そもそも、織っているものが礼竜の肌着にするためのレースなので、文句も言えず、寧ろ礼を言う立場だ。

「本当に、ご飯作ってもらって、レース織ってもらって……」

「ライくん、いい人見つけたわね~」

 この双子に纏わりつく癖があるのは慣れているので、二人して弄られても動じない。寧ろ、最後まで兄に纏わりつくのを我慢してくれたのを感謝している。

 次の誕生日で成人となる双子には、結婚は緊急課題だ。とにかく、決めないと決められる。

 政略結婚が常識の王族という生まれだが、礼竜は既に鈴華が居るし、兄も結局恋を叶えたので、双子のことは静観を決めた。というより、もし遺伝病がなければ、双子のどちらかと自分の縁談が進んだだろう。遺伝病が発現しているから王族の女性とは合わせられないと判断されたためだ。兄も、実質は王族同士の組み合わせだ。

 顔も知らない、兄に名前と指輪だけ託された義姉あねが居れば、違ったかもしれないが。

 兄も、傷が深い中話してくれたのだ。写絵を見たいと言えば、見せてくれただろうが傷は広がっただろう。指輪を託してくれただけ嬉しい。

 やがて、双子は公務に引っ張られていった。

 ――兄様、いつ公務に復帰できるかな?

 自分も療養中で、兄はもっと酷いので、おそらく長くかかるだろう。それでも、いつか兄と揃って公務に出たい。

「鈴華、ごめん、ちょっと立って」

 言って立ってもらうと、やはり身長は足りないが、以前よりも近い。

 最近は採寸の頻度も増え――要するに、成長している。

 ――あとどれぐらいで追い越せるか、今度兄様に聞こう。

 聞かれるほうが困る疑問を兄で解決することにし、鈴華がレースを織る後ろに居た。



◆◇◆◇◆



 リディシアとの婚約で終わるかと思ったが、度々、国王夫妻に呼び出されて食事を同席させられている。

 一人では寂しいだろうと最初に言われたが、もはやそれが口実なのは明白だ。要は、どれだけ食べるか見られている。

 ここの邸に間借りしていた頃は、本当に食欲がない時もあって心配をかけた自覚はあるので、何も言わずに同席する。

 ――増やされたな……。

 魔国で食べていた量ぐらい、調べれば分かる。それくらいまで食べさせたいのだろうが……。

 頻繁に話しかけられているが、問題なく応対する。幸い、マナーには自信はある。そう言えば、兄はそれも気に入らなかったようだ。

 もう、兄といた頃ほどの食事をすることはないのだが……どう言えば分かってもらえるか、分からなかった。それが分かるようなら、兄も匙を投げなかっただろう。

 食事が終わると、大抵王婿おうせいに引き留められる。おそらく、男同士の方が話しやすいとのことだろうが……。

 もう会えない人間に、会う手段はない。時折、兄を呼んでくれないか頼むが……来てくれないということは、そういうことだ。



◆◇◆◇◆



 通してみれば、ライオルだった。いや、ライオルと聞いて通したのだが……。

 リディシアから、今日は非番だと聞いていたし、疲れた様子だ。

「もしかして、毒入りの菓子か?」

丁鳩ていきゅうさま、もしかして毒をお召し上がりになりたいんじゃありません?」

 確かに、魔国に居た頃は頻繁に入っていたので、なくて寂しいとも言えなくない。それを言うと騒ぎになるので言わず、

「……なら、どうしたんだ?」

「申し訳ありません。実に個人的なことで王族殿下に申し上げるのも恐れ多いのですが……」

 ライオルが言うことには、イザベリシアに呼び出され、交際しろと言われたらしい。しかも、リディシアをリデ様と呼んでいたことが、御名のリデだと勘づかれ、追い込まれているそうだ。

 ――なるほど……。

 大体は察した。イザベリシアも、もう結婚を決めなければ勝手に決められる。よって、一番身近にいて一番難のないライオルで【妥協】したのだ。

 彼女の気持ちも分かるが、余りにも哀れなので言うことにした。食事の時間が近いので手配をし、話を聞きながらテーブルに同席させてから、使っていない小部屋に入る。

 自分の騎士を滅多に外さないが、席を外させて結界を張り、外に漏れないようにする。そこで、公人の顔を完全に消した

 丁鳩ていきゅうの変わりように動揺するライオルを座らせ、自分も床に座る。何も置いていない部屋なのでそうするしかないが、普通床に座るなどあってはならないことだ。

「食事……どうだった?」

「はい?」

「普通から見れば良い料理だが……こういう立場になると自炊も許されない。ライの奴は、鈴華の飯を喜んで食うが……俺も、ああいう家庭的な料理の方が好きだ」

 状況に追いつけないライオルを置いて、話し続ける。

「食材から、何もかも決められる。食べている様子もすべて観察され、報告される。食べ残しがあったら次はどうやって食べさせるか協議される。ライは自覚せず食べ残してるが……アイツは既に疑問もないように教育されてる。こんな状況じゃ食欲も出ないのに、食べさせようと必死だ。言っても無駄だろうし、言える立場でもない。

 食事だけじゃない。普段から護衛の名目で監視され、俺に傷がひとつでもつけば責任を取らされる人間が間近にいる。だから、うっかり怪我もできない。

 いいか? アム様がお前を選んだのは、はっきり言うが妥協だ。お前いいんじゃない。お前いいんだ。その辺は分かってるか?」

「妥協って……じゃあ、俺じゃなくても……」

「そう。つまりは、下手に嫌な相手を押し付けられる前に、お前を選んで予防する。お気持ちは分かる。王族に産まれたなら、相手を選べないことも多いからな。せめてもの選択だ。

 実際、俺もどんな相手と添い遂げろと言われても、従う覚悟だった。

 ……で、お前は意味が分かっていないから、こうして口を出す。

 おそらくお前の騎士籍と功績を考えれば、アム様の聖騎士となるのが妥当だ。確かに騎士扱いで俺と違って武器も持てるが、王族服が聖騎士装に変わるだけだ。

 さっきの食事の話だけじゃない。お前もリデの騎士をしているから分かると思うが、とにかく監視の目は離れない。今こうして話しているのも結界を張ろうが破られる時は破られる。

 衣食住はもちろん、思想も行動も自由はない。自分から抜け落ちた毛髪一本どうすることもできない。着替えや入浴を一人でやらせてもらえるだけ、自由だ。下手をすればそれすら勝手に進められる。俺が兄貴に度々手紙を書いているが……封をして渡すことはない。封をしても開けられて、中身を検討された後に新たに俺の封蝋をして送られる。問題があれば、捨てられる。

 法的にも、君臨と統治の権限は与えらえても、人権はない。実質、国の公有財産だ。

 公益のために生かされ、飼われている。そういう存在だ。お前がアム様の話を受ければ、お前もそうなる」

「あの……飼われるって、いくらなんでも……」

 赤い瞳を不機嫌に細め、

「事実だ。これでも控えめに言った。

 ……ライやリデに言わなかったのは正解だ。二人とも、すっかり当然として受け入れているからな。それこそアム様との話が進む。

 俺もおかしいって自覚はあるが、その俺でこれだ。普通の感性のお前は、きっと後悔する。死ぬことすら許されない地獄に墜ちるぞ。断れ」

 普段からは想像もできない丁鳩の様子に沈黙が落ちる。

「あの……断れる勢いじゃなくて……」

「だよな。アム様も最後の足掻きだ。そう簡単に逃がすはずはない。

 だけどな、人身御供になって、王族入りしたらどうなると思う? 確かに、王族に勝手に憧れて入りたがる馬鹿は多いが、そういうのは自己責任だから俺は知らん。

 俺は病気ってことで公務に出てないが、公務となれば国民の思うように、想いを察して奉仕しなきゃならん。

 お忍びでそっとしておいてくれるって言っても、護衛が離れない以上、自由がある筈もない。国民の期待とは違うこともできない。

 常に公益のため。そして、死んでも王族廟に入れられて魔力源となる運命だ。永遠に解放されない。

 そうなりたいか?」

 力なく首を振るライオルを見て、話を続ける。

「加えて言うが、アム様は王太子だ。確定でないにしろ、将来即位する可能性もある。騎士だろうが婿だろうが、王婿は【陛下】だ。俺とは格の違う牢に入る。

 ……で、逃げ道だが……お前、結婚しろ」

「……え……だって……」

「アム様とじゃない。お前のファンクラブの女の子でも、誰でも妥協してさっさと選べ。ああ、貴族は離婚が難しいからやめろ。……アム様の婚姻が確定すれば、離婚すればいい」

 到底王族が言うとも思えない、あまりにあまりな言葉にライオルは沈黙する。確かに、王族は離婚不可能、貴族も離婚は難しいが、一般人なら可能だ。

「あの……そんな、相手が道具みたいな……」

「お前が道具にされるんだ。俺みたいに、飼われる存在になりたいか?」

 まさかこの王子殿下がそう思っていたとは知らなかったライオルは、ただ黙る。

「お前は、婚姻届を出すだけで逃げられる。愛情がなくてもいい、同居もしなくていい、会わなくてもいい。

 紙切れ一枚……と、離婚届も要るから二枚か。とにかく、紙だけで救われる」

 まだ迷っているようなので、言う。

「兄貴に手紙をいくら書いても、返事がないんだ……。

 俺が多分、とんでもないことをして怒らせたと思うんだが……兄貴は、本当に怒ると俺の名前を呼んでくれない。

 手紙を出すには、宛名が要る。俺の名前を書いてくれるわけもない」

「あの……鳥を飛ばせば……」

「確かに、鳥が行けば魔力で話せる。魔国を発つ前に預けようとしたら、断られた。

 義叔母おばさまが気を利かせて呼んでくれたのが最後に会った時だが……何故か、とんでもなく怒らせた。それが分からないから、愛想を尽かされた。

 いくら呼んでほしいって頼んでも来てくれない。俺は出られないから、会いにも行けない。

 ……生きているのに、もう会えないんだ。

 お前、王婿おうせいとなれば行動がどれだけ制限されると思う? 家族に会うなんて、滅多にない。確かにお前の家は騎士が多くて、仕事で会うかもしれないが……その時はお前は【主君】で、家族は【臣下】だ。お前が立場をわきまえず普通を求めれば、家族が罰を受ける。

 ……そういう存在だ」

 言うことは言ったので立つと、

「あの……どうして、それが分かっててその立場に……」

「確かに、俺はエルベット王家に産まれたわけじゃない。

 俺が産まれたのは、魔国の世継ぎだ。

 呪王は、好みの顔と身体だという理由だけで母親を選び、種付けした。……知ってるか? 魔国の子は、一度宿ると、中絶させない限り無事に育つ。

 母親は……本当に、俺が産まれて息絶えるまで、呪王に玩具にされたらしい。筆舌に尽くせない【可愛がりよう】だったそうだ。まあ、最初に助けに来た夫を目の前で焼き殺して調教したから、従順だったんだろ。残りの家族に害が及ぶって言うだけで逆らう選択肢はなくなる。

 ……こんなのを、よく兄貴も乳母さまも大事にしてくれたよ。憎んでも憎み切れないだろうに……。

 俺がエルベットに迎え入れられなかったら、魔国の王子として育ち、ゆくゆくは俺が同じことをして呪王の名で呼ばれ腐った国を恐怖で治めた。

 そうならなかったのは、本当に感謝してるんだ。

 公益の為に飼われるほうが、ずっといい……」

 公人の顔に戻り、扉を開け、出た。結界が消えた部屋でライオルがどう思うかは分からないが……忠告はした。

 無論、知られれば大問題となる発言ばかりだったが、それでも口を出したのは……地獄に堕としたくなかったからだ。

 さらり、と、自分の金の髪が流れる。この毛髪すら、自分のものではない。そういう運命だ。ライオルはまだ間に合う。








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