エルベット編 3,【聖祭節の婚約】
エルベット編 3,【聖祭節の婚約】
深夜――記憶がフラッシュバックし、どれが自分のものかも分からなくなる。
耐えられない悲惨な状況が次々浮かび――どれが自分なのか分からなくなる。
どのくらい経ったか――
「終わりました。ファムータル殿下」
身体を起こされ名を呼ばれ、自分が誰なのか思い出す。すぐに、
魔国で、兄の言動に納得がいかず――兄が隠していた写絵を頭に流し込んだ結果だ。未だにこうして診てもらわなければならない。
「兄様には、絶対に言わないでください……」
いつも繰り返している言葉をまた言う。絶対に、兄は知ったら自分のせいにする。兄を夜間、眠らせてもらってその間に治療を受け、自分が静養していることにも疑問を持たないように、暗示もかけてもらっている。
兄だって自分に隠して来た。だったら自分も隠す。
「大丈夫です。お眠りください」
静かに閉じていく意識の中、鈴華の手の感触が残っていた。
◆◇◆◇◆
眠っている間に色々とされていることには、気づいているそうだ。
それなのに何故抵抗しないのか聞けば、害意も悪意も感じないからだ、と。
どれほどの環境に居たのだろう。エルベットの永世中立を破ってでも、干渉し、この子を少し調べていれば、すぐに引上げさせた。
そもそも――この子が魔国に行くと言った時、封じて閉じ込めてでも行かせなければ良かった。
――害意も悪意もなくても、こうして貴方の尊厳を奪うのよ?
眠っている甥の金の髪に指を絡める。一見美しい髪は、猛毒の断層だ。少し調べればどれほど毒を受けたのかすぐに分かる。
やってはいけないことだ。本人の同意も、今回はない。
でも――
この子が壊れたままなら――一度まっさらにして教えなおしてでも、やり直させる。決して、壊れたまま王族廟で眠らせたりしない。
朝には起きて、何食わぬ顔の礼竜に会うだろう。それでいい。そうやって、知らないまま居てくれればいい。
だから――消させないでほしい。
そっと夫が肩を抱いて連れ出すまで、傍で見ていた。
◆◇◆◇◆
「……騎士?」
相変わらず国王夫妻の邸の一部屋で、おうむ返しに問う。
「はい、騎士を選んでいただければと」
「……強制だな?」
「仰る通りです」
目の前の男性は、魔国から渡ってきた時から面倒を見てくれた、恩人だ。剣の扱いも習った。帰ってきたら近衛騎士団長になっていた。
「……承知した」
自分の立場も分かってきた。もう剣を持つこともないのだろう。思えば初日にライオルが綿と麻の王族服を用意したことも、最大限の心配りだったのだ。
「籠の中はお辛いでしょうが……ご理解をお願いいたします」
「じきに慣れる。そんな顔しないでくれ」
「この命に賭けてでも、お守りいたします」
最敬礼し去っていった騎士団長は、後日、十名ほどの騎士と面会させてくれた。少なくとも二人はとのことだったので、選んだところ、片方が女性なので確認が入ったが、変な目で見ないなら女性でも大丈夫だと答えておいた。
実際、女性が苦手というわけでもない。ただ、無作為に紛れ込むから嫌なのだ。
――そろそろ、見合いになるかな……。
年齢的にも遅いくらいだ。弟のように必死に相手を掴まないと、おそらくそうなる。
せめて――弟の姿が分かる場所に居たいものだ。
◆◇◆◇◆
厩舎で弟と一緒に愛馬と会っていると、ライオルが通りかかった。最敬礼しているが、手に華やかな柄の袋を下げている。
「イオル。それが例の菓子か?」
「はい、ちょっと城下に出たら囲まれちゃって……」
「ライ、部屋借りるぞ」
有無を言わさずファムータル邸の一室に移動し、ライオルが状況を飲み込めないのを無視し、
「これはよし。催陰剤入り。これはよし。刻んだ髪の毛。血液。これはよし。これは兄様。唾液。月の血。これはよし。催陰剤……」
「あ、あの、礼竜さま……?」
分かっていない様子のライオルは、今までよく無事だったと思う。礼竜の仕分けは終わり、自分を指定した菓子が三つある。うち一つを開封すると、臭いだけで分かった。
「魔国で流行ってた惚れ薬だな。惚れ薬とは名ばかりで、依存性の強い麻薬だ。どうやって手に入れたんだか……」
自分にそんな権限はもうないが、騎士長に頼めば捜査してくれるだろう。次の菓子を開封すると、臭いも色味も異状ない。ひとかけら口に入れてみると分かった。
「一口で死ぬ神経毒だ。良かったな。食わなくて」
「ちょ、
「俺がどれだけ毒を食らってきたと思う。毒は効かねえよ」
何のつもりか手紙が添えてあるので確認すると、
「無理心中狙いだと。『あなたをすぐに追いかけます』。
魔国ならよくあるが……自殺できないエルベットじゃ珍しいな」
青ざめたライオルを無視して最後の一個を確認すると、これも惚れ薬の名前で売られている麻薬だった。
自分の騎士が傍で見ていたので、そのまま手紙と一緒に騎士長に持っていくように頼んだ。手紙の住所名前は本物だろうか。
「催陰剤は食べてもちょっと気分が変わるだけで害はないし、他も腐ったものとか入ってないから食べられるよ?」
満面の笑みで弟がライオルに勧めている。自分も色々食べさせられたが、女の血とか唾液とか、桁違いだと思った。
「捨てます! 全部捨てます!」
やっぱり食べないよな……と思いつつ、ライオルの手を止める。
「手紙は全部読んどけ。何が起こるか分からん」
ついている手紙は、全て姓がメドメスだ。エルベットでは王侯貴族は名前が変わらないが、一般人は基本的に姓なしで、名乗ろうと思えば好きな姓を名乗れるし、変更も削除も可能だ。どれほどの思いでメドメス姓を名乗ったのかは、この菓子を見ると考えたくない。
悲鳴を上げそうなライオルを無視し、弟が純粋な親切心から、催陰剤、髪の毛、と、入っていた者を封筒にメモ書きする。
自棄気味に袋に詰め込んでいるが――
「イオル、その袋、どうしたの?」
「あ、これは……もらったお菓子を抱えていたら、傍の雑貨屋の女の子が気を利かせてくれて。聞いたらやっぱり商品だったので、お礼を言ってお金払ってもらってきました」
「追跡魔法がかけてある……上手く隠してるね」
「まあ、実力から言えば城に仕えられる腕だが……」
こういうことを実行するから、適性検査で落とされる。
弟が追跡魔法を解除した袋にライオルが難ありを必死に詰め込み、残ったのは弟が大丈夫だと言った菓子だけだ。
「食べないと角が立つし、皆で食べよっか。女の子たちには、一緒に食べたって言えばいいし」
ライオルは甘いものが苦手だし、それがいいだろう。礼竜が
鈴華の入れてくれたお茶を飲みながら、礼竜が、ここでちょっと一工夫したらもっと良くなるなぁとか、これは素質あるなぁとか呟いていた。
ライオルの表情を見ながら、
――コイツは魔国で生まれていたら、きっと物心つく前に高く売られていた。
と思ったが、黙っていた。
◆◇◆◇◆
静かに揺さぶられ目を覚ますと、何か言う前に口を塞がれる。
「大変申し訳ありません。お静かにお願いいたします」
頷くと、騎士は口を塞いでいた手をどけてくれる。もう一人の騎士が濃紺の王族服を差し出してくる。
「お召し替えを、至急お願いいたします。恐れ入りますが、お手伝いいたします」
「……?」
普段の王族服とは違う。王族服は大抵の攻撃から守るために魔力強化がされているが、それがない。普通の絹の服だ。しかも、どこから脱ぎ着するのか分からないほどややこしい。
本当に手伝いなしで着ることはできなかったので、着せてもらい、また騎士が謝りながら腕にバングルを嵌める。
「殿下の魔力は特殊ですので、居場所を悟られないよう封じさせていただきます」
言ってはいるが、こんな簡単に外れるものでは封じる意味がない。自分が外さないという前提でいるのだろう。
「こちらは、奪われれば帰ってこないのでお預かりいたします」
言って、指輪と銀のナイフと礼竜のお土産と『気持ち』が入った袋を丁重に仕舞う。
「くれぐれも、ご着衣に乱れのございませんよう、お気をつけください。
全て終わるまで我々がお守りいたします。お眠りください」
説明もないまま寝台に押し付けられ、魔力で眠らされる。今は何時かもわからないまま、意識が消えた。
◆◇◆◇◆
やたらと揺さぶられている感覚で、目が覚めてきた。
「…………殿下!……」
目を開けると、見知らぬ女が居る。何故か自分の両頬をがっしり掴み、こちらを獰猛な目で見ていたが、
「あら! 噂に聞く魔国の
嬉しそう――というより、既視感のある女を認識すると、公務の笑顔をすぐに浮かべた。困惑顔で自分の騎士がおり、さらに、女が連れてきたのであろう。やたらと筋肉を強調した服装の男が二人いる。
「
派手な髪色の若作りの女が、公務の笑顔の自分を撫でまわし、髪を弄り回す。供述に必要ない手足は折っていいだろうか。
「……どういったご用件でしょうか?」
問うと、やたら変な香水の香りに満ちた女は、話が通ったと喜色を浮かべ、資料を出す。
「ビジネスのお話です!」
――そういう目には全く見えない。殴りたい。
それは、笑顔の奥に仕舞った。
とりあえず商談と言っているのでテーブルに移動したが、女は相変わらずこちらを視線どころか手で撫でまわしてくる。時に王族服の上から筋肉の付き方を確かめたり、髪を取って顔を押し付けたり。
――王族服がややこしい作りだったのは、脱がされないためか……。
「ん~? あ!」
女は何か腑に落ちることがあったような顔で、バングルを外す。
「あら~、これが魔国の呪いの魔力……! いいわぁ!」
ますます絡みついてくる女に、
「ご商談とは?」
相変わらずの公務の笑顔で聞く。剣が欲しい。
「これをご覧ください!」
見ると、やっと女の出身国と名前と役職が分かった。
現在、他国では、旧来の王政、皇政が民衆の革命で次々倒されている。女の国は、早々に革命が終わり、今は安定している民主国家だ。
そして、商談内容には、エルベットに提供するというものが確かに破格の条件で書いてあるが、肝心のエルベットに求める対価が書かれていない。
「良いお話ですが、エルベットには何をご希望ですか? それが分からない限り、お返事は出来かねますが」
その言葉を待っていたとばかりに、女はまた、王族服が邪魔と言わんばかりに撫でまわし、密着し、
「貴方様を所望いたしますわ!」
予想通りの言葉に、底に鋼を入れた靴で蹴りたいのを耐え、やはり公務の笑みは絶やさない。
「こんなお人形のようなご衣裳はお辛いでしょう? 貴方様にはやはり、鎧や鎖が似合います! 貴方様が商談としてこちらにいらしていただれば、精一杯解き放って差し上げますわ!」
――斬りたい。それを隠して公務の笑みのままで、
「たしかに、私は公僕ですので、エルベットの利になるなら、『商品』として『輸出』されても文句の言えない身の上です。
出立の際には神殿に王族冠と御名を預けてとなります。名無しになりますので、名前もお好きに付けてくださって構いません」
「……では!」
意中のものが手に入ったと喜ぶ女に、
「ですが、魔国の呪いを振り撒くわけには参りませんので、女を抱けない身体になってからになります。
生憎遺伝子上酒も窘めませんので、ただ、飾りのように茶の相手をする人形でよろしいでしょうか?」
一瞬、女が停止する。話が違うという顔だ。
「ですが! 魔国の呪いを持ったまま成せるのでしょう!?」
「商品となることも、輸出されることも構いませんが、はっきり個人的な好みを申し上げますと、そこまでして貴女様と共に過ごす筋合いはございません。
貴女様のお好きにしてくださって構わないというのは、あくまで引き渡し後ですので、引渡し前のことには及びません」
完全に目論見が外れたという女を残し、
「商談は以上です。失礼いたします」
あくまで、最後まで公務の笑みで去った。
自分の居室だったのだが、こちらが去らないとどうしようもない。騎士も付いてくる。本当に、指輪とナイフと袋を預かってくれていて良かった。
心配顔の国王と王婿が居た。
「申し訳ありません。俺の感情で勝手に商談を断りました」
「いえ……よく我慢したわね……」
「斬りたかったです」
ふと、顔から公人の笑みが消えた。
「ああよしよし、悍ましかっただろう。ほら、着替えて身体を清めてきなさい」
正直、魔国に居たときは取り締まる側で、自分を商品と見られたことはなかったのだが……二度と味わいたい感覚ではない。
それが顔に出ているのか、
「その服はちゃんと捨てるから。さ、髪も綺麗に清めなさい」
言われるままに浴室に向かった時、女の癇癪が聞こえ――
「こんな大ハズレ、願い下げです! 商談はありませんからね!」
部屋から出てきた女は、商談の紙を破いて去っていった。
それを丁鳩は、残らず灰にした。
長時間かけて身体を清め、特に髪を念入りに洗い、いつもより石鹸の香りを漂わせて丁鳩が戻ると、
「ごめんなさいね、貴方の居場所は隠していたのだけれど……」
「空の邸を見せたら病気療養中と諦めて帰るかと思ったら、家探しを始めて、ついにここまで来てしまった」
自分に意味はないと分かっていても、落ち着く薬草茶を出してくれていた。それを飲みながら、
「途中で斬って捨てられなかったんですか?」
「ああ、怖かったんだね。考えが魔国に戻っているよ」
「実際、武器は無くても灰にすることはできたので、堪えるのが大変でした」
「ダメよ。完全に戻ったわね。
扱いは客人だから、そうもいかなかったの。国際問題だしね」
「すみません、俺が勝手に断りましたが、その辺は……」
「君、聞いてたけどね……。自分のことを『商品』だの『輸出』だの、もっと大事にしなさい」
要は、断って良かったということか。薬草茶を飲みながらほっとする。
「前から来てたのよ……。帰還の晩餐会の写絵で見て気に入ったって言ってきて」
「いえ、魔国魔国って言っていましたから、多分魔国の頃から目を付けられていたんだと思います」
――魔国の時に会っていたら、遠慮なく闇に葬った。
「調べたら、ものすごい色欲魔らしくて……満足できる筋肉の美男子が欲しかったみたい。夜伽もかなりのものらしくて……。しかも、上流階級の育ちの良い、女慣れしていない男性を選り好みしてるらしいの。
まあ、ステータスも顔も体格もこの上ないと判断されちゃったみたいね」
今更、背筋が冷える。
「断っても断ってもしつこくて、勝手に国の許可を得て客人の立場で来ちゃったの。貴方に知らせたら、また自分を捨てるように簡単にサインしちゃうんじゃないかって心配だったんだけど……」
「……身も蓋もなく申し上げますが、俺だってあんなの御免です。視線だけで挽肉にしたくなります」
「それにしても、上手に断ったが……あの女のことは知らせていなかったのに、狙いが分かったのかい?」
「……ええ、まあ」
魔国ではそういう人狩りも摘発した。多くは身体を鍛えた男たちが麻薬漬けにされて女にご奉仕させられていたが……言わないほうがいいと思って黙っていた。あれは、魔国の自分が欲しくて来たのだ。おそらく、毒が効かないことを言えば、『商品価値』は跳ね上がっただろう。
と、
「心配しなくても、変な話に君を売ったりしないからね? たとえ政略結婚になろうとも、きちんと相手は見るから」
と、騎士が恭しく指輪とナイフと袋を返してくれる。そっと指輪とナイフを懐に仕舞いこむ。
「あの部屋は、もう嫌だろう? どうする? 邸の使用人は入れ替えたが……それともここで別の部屋にするかい?」
確かに、入りたくない。幸い荷物もない。
「……邸に戻ってよろしいでしょうか?」
「あ! 待って!」
国王が思い出したように、
「あの女、貴方が居ないのを確認するって言って、邸中家探ししたのよ! それはもう不必要に執拗に!」
――戻りたくない。
「邸を変えて準備するから、それまでここで別の部屋を使いなさい。ね?」
本当に、とんでもない女だった。二度と会わないことを願った。
後日、女の国の特使が謝罪に来たが、国王に確認の上、会いたくないと回答した。
◆◇◆◇◆
「あ~、あの女……女性棟には来なかったのよね……」
「来てたらしばき倒し……いや、駄目ね」
「僕の邸にも入ってきて、兄様を出せってすごくて、帰ってくださいって言ったんだけど……」
話から察するに、男性王族棟で
礼竜が腰にしがみついているのは、いつもとは意味が違うだろう。
丁鳩にお見舞いをと度々王族の面々が来ていたが、今回の騒ぎを受けて全員が集まっていた。場所は、国王夫妻の邸の新しい部屋である。どうやら、直後から集まっていて、国王が入れてくれるのを待っていたらしい。
「丁鳩さま、お心は大丈夫ですの? 叔母様たちが、考えが魔国に戻っていると仰っていましたわ」
「いえ、アレは腕や足の四、五本くらい折っておくべきでしょう」
「うわ~、せっかくの治療がやり直し?」
「テイお兄さま、魔国でどんな環境でしたの?」
リディシアが頬に触れ、双子は心配そうに観察してくるが、やはり嫌な感じはしない。
「恐れ入ります。取材が来ていますが……」
「大丈夫だ。受ける」
やはり、余程の事態だったらしい。記者は直接的には言わないが怒りを聞きたいらしく、双子が代わりに遠慮なく言っていた。
そして、結局事件は公開された。『ご病気の丁鳩殿下をモノのように扱い、買おうとした』、『王族占有区画で家探しした挙句、私室で眠っておられた丁鳩殿下に襲い掛かった』。その他もろもろの事実と共に、礼竜が泣きながら腰にしがみついた丁鳩の写絵が出回り、国民感情にも決定打となった。
もちろん、女が帰って事件は終わりではなく。エルベットでの女の罪状と共に即刻女を処刑する目的で引き渡すよう要請すれば、すぐにそうなった。丁鳩が会わなかった特使は、最後の和平交渉手段で、断ればあちらは終わりだと分かっていたが……それでも断った。
我慢に我慢を重ねて丁鳩が無抵抗を貫いたため、完全に丁鳩が被害者となりエルベット優位のまま話は進み、戦争こそ起きなかったもののかなりの結末になったらしい。
◆◇◆◇◆
「いい? 常に
誕生祝賀会では、最初に踊れば姿だけ見えるようにしていればいいとのことだった。あの女のこともあって、周りに騎士が配置され警戒している。
前座で晩餐会同様、リディシアがまず一人で舞ってから共に舞うことになっているが……。
――濃紺?
現れたリディシアの舞踏衣装は、彼女の色の若草色ではなく濃紺だった。一気に場がざわめく。
「ほら、
ライオルに押し出され、リディシア手を取る。視線が絡む。
――花の、香り……
舞う中感じていたのはそれだった。
そして――さらに場がどよめく。
正気に返った時には、舞が終わるなり、リディシアを抱き締めていた。
「――!!
も、申し訳ありません!」
言って慌てて舞台を去ったが、当然誤魔化しようはない。
「いいかい? 君が人を愛しても、誰も死なない。リーナのようには決してならないし、させない」
王族専用とされた場所で座っていた丁鳩には、リディシアが会話もなく寄り添っていた。
◆◇◆◇◆
場所を変えて新たに与えられた自分の邸の私室で、ぼんやりとナイフを弄っていると――不意に、鞘が被せられる。
「申し訳ありません。強くお握りのご様子でしたので」
言って最敬礼する騎士を見る。そういえば、自分の不注意でも怪我をすれば、この騎士たちが罰を受ける。そういう立場だ。
今日は指輪を触る気になれなかった。そのままぼんやりとナイフに嵌ったラピスラズリを撫でていると、
「失礼いたします。ファムータル殿下がお越しですが」
「ああ、入れてくれ」
やってきた弟は、本当に嬉しそうな顔をしている。
「兄様! これどうぞ!」
持ってきたのはお菓子ではなく結晶花だ。赤い薔薇。
「……お前さんが作ってくれたのか?」
「はい! ずっとお渡しできるのを待っていました!」
この弟には、自分をからかおうというつもりも発想もないらしい。本当にからかって悪かったと思う。
不意に、香りがする。結晶花は通常香りはないが――弟なら可能だろう。
それより、この香りは――
「リデに香水を分けてもらって、香りを付けました」
やはり、あの香水か。
抱きしめると、絹の中で、弟は封筒を差し出してくる。――『気持ち』だ。
「お前さんが死ぬまで開封しないぞ?」
言って受け取る。
自分の袖が離れるのが嫌らしく、袖を掴んでは自分のほうに戻そうとする弟に、
「なあ、ライ……」
今日弄る気になれなかった指輪を出して見せて、
「お前さんが魔国から聖祭節でエルベットに帰ってた間にな……」
言うまいと思っていた、思い出を話し始めた。
◆◇◆◇◆
「リデ様。今、礼竜さまがご訪問中です。
お帰りなったら、参りましょう」
この兄のように接してくれて来た騎士は、必死に自分を応援してくれていた。魔国に居ても、鳥を使えば会話もできるのに、わざわざ写絵を運ぶためだけに山を下り、何度往復してくれたか。
自分に
「もう一押しです! 大丈夫です! ここまで追い込めば
魔国に行っては、彼の様子を伝えてくれた。悟られることなく探るのは大変ではないかと聞けば、「そういうことに無頓着な方ですよ?」と軽口を叩いていた。
――あの女性――リーナのことを聞いたときは、流石に身を引こうと思ったが……その後の悲劇と愛する男性の様子を聞き、別の使命感も生まれた。
彼が赤子の
「……ありがとう。イオル」
言うと、彼は首を振り、
「成就なさってから、お聞きします」
まあ、ギャラリーはいるようだが……ならば見ていてもらおうと思った。
◆◇◆◇◆
「失礼いたします」
寝間着に着替えて眠っていたが、声に目を開ければ、騎士が立っている。
「お通しします」
有無を言わさず、反論もさせずに入ってくる人物を引き入れた。
騎士は去っていく。
「……リディシア様……」
眠った後に寝室に押し掛けるなど、このお嬢様なりに考えたのだろう。事実、昼間の状況証拠もある。
国王夫妻の邸に間借りしている時ではなくて、良かったと思う。
「……こんな時間にお一人で男の部屋に来て……何をされても文句は言えませんよ?」
「その覚悟で参りました」
自分のほうへ歩み寄る王女。
ジュディの時は、あくまで責任として覚悟したが……
『喋ればボロが出るから、動け!』散々リーナへの言葉を兄に添削された末に言われた言葉が蘇る。
――本当に、もう、誰も死なないのだろうか?
ふと過り、止まった手に、リディシアの指が絡みつく。
「ご安心なさって。私は死にません」
花の香りの中、心を見透かされ、欲しい言葉を聞かされ――
ただ、腕に引き寄せた。
◆◇◆◇◆
簡単に逝ってしまった女性の癖のある金の髪を撫でる。
リーナは散々弄ばれて慣れていたが、生娘には少々辛かったかもしれない。
「いるんだろ? イオル」
自分の騎士ではなくライオルを呼ぶ。
「あ、やっぱりバレてましたか?」
「すまん、続き間の寝台を使えるようにしてくれ」
その間に清めてやろうと腕に抱いて立つが、
「そうおっしゃると思って、準備しております」
「後、替えの服も。破いちまった」
「はい、ご用意しております」
この男は、追い掛け回されている割に、好きなものには手を出しているのだろう。
浴室に行くと、彼女の愛用品らしき石鹸類が置いてある。全てお膳立てされていたのだと思いつつ、清めた彼女を続き間の汚れていない寝台に寝かせた。
◆◇◆◇◆
「わ! わ!」
「うわ~、イイ!」
王太子に常に盗撮を命じられていたライオルは、今回も『
というか……
「
じっと目を逸らさず見つめている王子に言う。
「礼竜さま?」
「いいわよ! こんなチャンス、滅多にないわよ!」
「ライくんも、スズちゃんとの参考にしなさい!」
こくこくと銀髪の王子は頷く。
無論、『見せてくれた』のだ。見られないようにと思えば、
つまり――見られても構わなかった。寧ろ、既成事実の補強になる。
「あれ? もう終わり?」
「ベル様、専門の業者じゃないんですから。刺激的なのが欲しければ、そういうの買ってください」
「テイお兄さまの体力的にはもっと行けるでしょ?」
「あのですね、リデ様が壊れますから」
と、礼竜が動く。
「はい、礼竜殿下。間違っても丁鳩さまのお邸に行かない。分かりましたね?」
言うと、戻って座る。行くつもりだったらしい。
場所は――国王夫妻の邸の居間だ。要するに全員が見ていた。
にこにことしている国王夫妻は、きっとこれからを楽しく考えて計画を立てているのだろう。手には、丁鳩が破ったドレスがある。魔力強化のドレスを破るとは、なかなかない。
まあ、本人たちが見られることに同意したのだからいいかと、ライオルは主の元に戻った。
◆◇◆◇◆
殺風景な天井が見えた。髪が絡むほどすぐ傍で、しっかりと抱き締められている。吐息が熱い。
見ていると――赤い
この
優しさはありつつも、逃がそうとしない、欲する瞳。
もう一度身体を委ねようと覚悟したが、そっと手が離れる。
「大丈夫か? ……すまん、加減が難しかった」
口調が変わっている。それが嬉しくて、ドレス越しに寄り添う。
「おい、今そんなに寄られたら保証できないから」
「……責任、お取りいただけますわよね?」
我ながら無茶苦茶を言っている。散々お膳立てしてもらった上に深夜の寝室に押し掛けた自分の責任だ。だが――
「分かってる。婚約発表でも結婚式でも……」
言ってうなじに牙を立ててくる感覚に、恋の成就を感じていた。
◆◇◆◇◆
――沈黙が怖い。
何か言われるだろうと待ち、予想通り呼び出されて行ってみれば……国王夫妻の前に座らされ、沈黙が続いている。
笑顔だけだ。
「……深夜に行けって言ったのは、私だよ。王族服を着ていたら、脱ぎにくいからね」
「……はい」
やっと王婿が口を開いた。つまりは、王族全員でのお膳立てだったのだ。
その後、今後のことなどの話になるかと思っていたが――長い意味ありげな沈黙の後、邸に帰された。
悪意も敵意も感じない。訳の分からない感覚に戸惑うばかりだ。
聖祭節の最後の日に、いきなり礼装を着せられたかと思えば婚約発表となり、つくづくお膳立ての上だと感じていた。
兄が聞いたら、そこまでしてもらわないとできないのかと呆れただろう。帰ってきてから書いていないが、手紙を書こうと思った。
◆◇◆◇◆
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