エルベット編 2,【指輪】

礼竜の章 2,【指輪】



「では、こちらから……」

 メリナが厨房の使い方を教えてくれる。

 王城女性王族棟の旧エリシア邸。鈴華すずかに充てられた邸だ。

 もともと、鈴華が身寄りがないということで準王族として住まわせるという方針になったものの、王族でない者の名前をつけた邸は問題があったらしく、すぐに『閉鎖中の旧エリシア邸はどうか』という方向になったらしい。前王が必死に残すよう訴えた結果残っていたものだが、結果として助かった。

 魔国のエリシア邸にいた使用人は、もともとエルベットから派遣されていたので、ここが故郷である。メリナ曰く『前王陛下のもと、全力で先回りいたしました!』とのことで、風成かざなりで山を越えたもののゆっくりとパレードをしている間に簡単に先に城に来て、準備してくれていたそうなのだ。

 そして――礼竜らいりょうは、一番親しかったメリナに鈴華のことを頼んだ。侍女長にますます逆らえなくなるが、それでも頼んだのだ。

 鈴華も晩餐会には出ることになっていたが、その前にやることがある。

 パレードの間、ずっと料理人の料理で我慢していたが、ついに限界らしい。『晩餐会で食べずに帰ってくるから、ご飯作って……』と涙目で言われたら、受けるしかない。

 厨房は魔国と全然違うのでかなり戸惑いそうだが、メリナに教わりつつ作る量は作っていった。



◆◇◆◇◆



 エルベットを出る前は、家族棟の前国王夫妻の邸に礼竜らいりょうと住んでいたので、実質エルベットで自分の邸を与えられるのは初めてだ。

 幼い頃も数度しか来ていない男性王族棟の中を、騎士に先導されて歩く。

 ――既視感。

「……どうなさいましたか? ご気分が優れないようですか……」

 騎士が声をかけてくる。

 あの、パレード初日に、邸の使用人には希望を出していなかったものを『男性侍従を基本としてほしい』と鳥を飛ばしたのだが、どこかで迷子にでもなったのだろうか?

「……なんでもない……」

 辿り着いたのは、月桂葉の紋と丁鳩ていきゅうの名がある邸の扉。ということは、どう考えてもここなのだろう。

 開けたくない。

「……医者をお呼びいたしましょうか?」

 理由の分かっていない騎士は気遣ってくれるが……腹を括って開けた。というより、駆け付けた使用人が嬉々として開けてしまった。

 入るだけで憂鬱になる。男性侍従ではなく、侍女ばかりだ。かろうじて家令は男性だが。

 ただの侍女ではない。部屋の埃に無頓着で、必要もないのに丁鳩の周りに群がることからも明白だ。所謂『良家のお嬢様』の集団だ。普段ならお仕着せではなく優雅なドレスを身に纏い、自分の侍女にお茶の準備から全てやらせているご令嬢だ。皆がつけている香水の臭いが混ざって気分が悪くなる。

 当然、お目当ては、『恋に堕とし妃になる』ことだろう。事実、侍女同士の視線のぶつかり合いが恐ろしい。

「お疲れでしょう。まずは軽くお召し上がりになって、お身体をお清めください」

 こちらの顔色を見て疲れたのだと判断した家令は言い、テーブルに着かせる。予想通りの『料理』が運ばれてきた。

 毒が入っているならまだいい。自分には効かない。だが――明らかに、食材の一部であっても、食べられない部位というものは存在する。

 事情は大体察しがつく。お嬢様は、料理をすることもなかったのに、いきなり出立前に料理人に『美味しく作るコツ』などを聞いたのだろう。『美味しく作るコツ』を聞かれたので、基本的な料理の基礎も知らないとは思いもせず、料理人は上級者向けの内容を伝授する。そうして出来上がったのが、基本も知らない、可食部位とそうでない部位の区別もつかない人間が上級テクニックを訳も分からず駆使した、そういう料理以前の『物体』だ。無論、『味見』というものを知っているわけはない。

 毒は効かなくても、味も触感も分かる。

「申し訳ございません! すぐに別のものを……」

 出てきた『物体』を見て察した家令が下げさせようとするが、その後お嬢様が荒れてややこしくなるのは分かっている。幸い、軽食ということで量は少ない。家令を止めて、無心に口に運んだ。多分、食い入るように見つめているのが、『物体』作成のお嬢様だろう。

 そのお嬢様に公務の笑顔を向けて立つと、別のお嬢様が浴室に引っ張っていく。香りからして予想していたが、花の香料がたっぷりと入っていて、斜め上だったのは花弁が大量に浮いていたことだ。

 ――魔国の娼館を連想しても、無理はないだろう。

 入浴の手伝いをしようとしていた侍女を振り切り、家令に寝室に案内させる。

 絹の寝台はもはやいい。だが、魔国の娼館のごとく香が焚き染められ、寝台の上に粉末の香料と、これまた花弁が大量に敷かれている。

 毒も薬も効かなくても、匂いは感じるのだ。

しかも、誰も入れないように家令に言ったが、お嬢様は度々家令に入れろと言っているし、魔力のある者は下手な魔力で中を見ようと必死だ。

 ――ない。

 家令に事情を言わず、侍女を振り払って邸を出た。



◆◇◆◇◆



「あら? どうしたの?」

 詳しい話は晩餐会――どころか、もっと落ち着いてからと思っていた国王は、甥がまた戻ってきたことに素直に疑問を呈する。

「……国王陛下……」

 非常に疲れた顔で、敢えて『義叔母さま』と呼ばない甥は、

「あのお嬢様方を何とかしてください……」

 一部始終を見ていた騎士が見かねて次第を報告してくれる。

「あらら……ごめんなさいね」

「だから、やめろって言ったのに……」

 どうやら、邸の仕様は国王の差し金だったらしい。一人くらいいい相手がいればとやったらしいが、予想の斜め上の結果に唖然としている。

「すまない、ええと……帰ってもらうのに時間がかかるから、しばらくここに居なさい。それでいいかな?」

「……はい……」

 どうやら、国王といえど簡単に追い返せないご身分のお嬢様たちだったらしい。

「ごめんなさいね。貴方のことだから、もし手を出せば、必ず責任を取ると思ったものだから……」

 要は、花嫁候補に名を上げたお嬢様がただったということだ。

 案内された部屋は、丁鳩ていきゅうの好む質素ほど程遠いが、やっと一息付けた。

 と、扉をノックする音がする。返事をすると、侍従が開けて通した。

「大丈夫かい? 少し、大事な話があるんだが……」

 言って、王婿おうせいがテーブルに向かい合って座る。

 侍従が用意したのは酒だ。酔えないのだが、そのままグラスを空ける。

「君のお兄さんから手紙が来た」

「――!!」

 動揺した丁鳩ていきゅうに、そっと、小さな指輪を渡し、

「『忘れ物だ』とのことだ」

 知識がある者が見れば分かるだろう。濃紺の石に月桂葉の紋が入ったものがどういうものか。

「魔国から噂が流れてきたが、君、いい人を見つけたそうだね?」

「……はい」

 兄がこうして手紙に指輪を添えたということは、リーナのことも書いてあったのだろう。触れてほしくない、この指輪も二度と見たくなかったが、兄なりに『向き合え』と言っている。

「リーナのことは……俺の責任です」

 王婿は優しく肩を叩き、

「噂では娼婦だったとか……」

「……はい」

「聞いているよ。寝室に置いても、決して手を出さなかったそうだね。幼い彼女が求めて初めて手をつけたと……」

「……は?」

「皆、祝福して見送ったから、よく覚えてくれていた。出立の日に手に手を取って二人きりで馬車に乗って、笑顔の彼女に多くの人が花束を渡したと……」

「誤解です!」

 完全に話が食い違っていることに気が付き、慌てて立つ。それを王婿が座らせ、安心を誘うように笑顔で、

礼竜らいりょう鈴華すずかを連れ帰っているし、問題ない。実は、今晩の晩餐会で鈴華と一緒に出てもらうつもりだったんだが……。まだ十二歳と聞くが、問題ない。年の差七つくらい普通だ。……で、その少女はどこへ消えたんだ?

 大丈夫。隠す必要はない。おおかた、安心できるところに預けてきたんだろうが……特例で王都から出て迎えに行っていいから」

「ですから、違います!」

 とりあえず、比較的納得してもらいやすいところから説明しようと、

「まず、彼女ら目撃者の認識では、俺が魔国から二人きりで馬車に乗っていたことになっていますが……イオルに確認してくだされば、俺は鈴華とイオルも居る馬車にずっと乗っていたと分かっていただけると思います。いくらなんでも分身はできません」

「ああ、そうだね……イオルの報告と矛盾するね」

「花束を受け取っていたのは、ライです。

 実は、俺が、エリシア邸が崩壊した後、安全のために俺の部屋に入れていたライを、見た人間が女の子と思ったらしく……」

「ああ~、そうか……。礼竜はよく間違えられる。それにしては、十二歳とか、何か変じゃないか?」

 観念し、魔国の『玉』と呼ばれる娼婦のことを話す。

「なるほどなるほど、それで……何だ、勘違いか」

「……そういうことです」

 説明する間、ひっきりなしに飲んでいた酒をまた空ける。酔えないが、口に入れば少し落ち着く。

 王婿おうせいは、完全に当てが外れて残念そうな顔をしている。

 リーナの名前を出してしまったことと、指輪という物的証拠を言われたら観念しようと思っていたが、王婿は別の話題を出す。

「ところで、君がさっきからどんどん空けてるグラス、アルコール度数を意図的にとんでもなく上げたものだったんだけど……全然酔っていないね。普通、樽を空けるより多いアルコールが入ってるんだが……」

「……」

「お兄さんの手紙にあった。毒が効かないと。要するに、薬も酒も全部だね」

「……はい」

 侍従が例の服を持ってくる。

「なるほど、触るだけで死ぬ毒を平気で服に仕込むわけだ。毒が効かないからやったんだね?」

「……はい」

「君、もしかして、スミゾが飲んだ毒を飲んだんじゃないのかい? 普通、毒の味とか知らないよ?」

「……はい」

 王婿が呼ぶと、医師と思われる数名が入ってくる。

「ごめんね。そんな身体になったのは私たちの責任だ。

 最初は、君が帰り次第、延びていた神殿での祝言と王族としてのお披露目もする予定だったが……」

 そっと、丁鳩の額の王族冠に触れる。濃紺の石が嵌っているが、紋はない。十二歳の祝言を受けた際に刻まれ、正式に王族として認められるのだ。丁鳩は十二歳の前に出て、やっと帰って来たので、とてもそういったことができる状態ではなかった。

「そんな身体で、引きずり出すわけにはいかない。治療が先だ。

 それまでは公務もなしにするから、ゆっくりしなさい。ただ、今夜の晩餐会は出てもらうよ?」

「……はい……」

 治療しようにもどうしようもないのだが、医者に診させてからのほうが分かってくれやすいだろう。

 王婿が出て行った後、医師たちが聞き取りから始めたが、素直に応じた。



◆◇◆◇◆



 晩餐会は、まずは舞から始まった。

 王族で『舞踏』といえば、真っ先に誰もが思い浮かべる王女が居る。

 ――リディシア・テュルトティアリデ・フォーセル・エルベット。

 フォーセルの名を持つ王族の御名は上書きされている。彼女は幼いころに妹の死を切っ掛けに魔力属性が水のみから地水火風の四属性に変質、御名が『神々の舞手テュルトティアリデ』に上書きされた。

 その名の通り、舞踏にて右に出るものはおらず、誰もが見惚れる。その美しい大輪の花に婚姻を申し出るものは少なくなかったが、彼女は全て断っていた。

 そのリディシアがまず一人で舞い、場を盛り上げてから、主役と踊る。

「ほ~ら、丁鳩ていきゅうさま?」

 結局、ライオルにしっかりと捕まえられ、舞台の端から逃げられなかった。

 分かっている。礼竜が躍るより、自分が躍ったほうが場が盛り上がるし、そういう立場だ。

「一般教養程度で恐縮ですが、お相手願います」

 笑顔で手を差し出し、リディシアの手を取って舞う。

 絹の――しかも礼装は動きづらいことこの上ないが、舞う程度なら問題ない。皆が見守る中、曲と舞が終盤を迎え――

 しまったと気づいたが、既に遅い。リディシアと身体か離れる直前に、彼女の頬に手を回し、接吻していた。

 接吻は手でいい。しかも、しなくても良かった。

「丁鳩さま、自然な動作になりましたね~」

 合格とばかりにライオルが言う。礼竜が寄ってきたので、誤魔化しとばかりに抱き寄せて接吻した。

 ――あれは……。

 リディシアは熱のこもった頬を撫でる。

 あれは、パレードの間に見せていた、作りものの笑顔や接吻ではない。礼竜に向けるのとは別の、本物だ。

 そう確信し、満足してリディシアは舞台を降りた。



◆◇◆◇◆



「……どうなの?」

 立食が始まってから、国王と王婿の席で近衛騎士団長も交えて話している。

丁鳩ていきゅう殿下は……少し取って食べられていますが、すぐに同じ食材を同じ食器でファムータル殿下の分を取って、勧められています。

 つまりは……毒見をなさっているのではないかと」

 溜息がこぼれる。

「魔国で何があったのよ……」

 ややあって、礼竜らいりょうが食べないとなると壁に行こうとしたようだが……当然、ご令嬢やその保護者に囲まれて逃げ回っている。

「ああ、もう。

 可哀想だからこっちに連れてきて!」

 言って、近衛騎士団長に連れてこられた丁鳩は、明らかに精神的に疲れている。

「ごめんなさいね。あくまで主役だから、退出はできないの。

 ここには――一部は来るけど、追い回されるよりいいでしょ?」

 普段なら落ち着く薬草茶でも飲ませるところだが、この甥には意味がない。かといって、魔力で眠らせては主役としての務めにならない。

 そうこうするうちに、丁鳩がここにいると知った一部がやってきた。

 所謂、王家外戚の貴族と、そのご令嬢である。これは国王でも安易に追い返せない。

 談笑しているように見えるが……どうしたものかと思っていると、ちょうどいいのが来た。

「テイお兄さま!」

「探したんですのよ!」

 やってきた双子の王太子に、流石に外戚も去った。

「いい? まだ未発表だけど、かなり重い病だから。明日発表するわ。それまで、他のご令嬢が近づかないように、終わりまで頼むわよ」

 囁くと双子は分かってくれたらしい。時折『大丈夫?』の言葉が入るが、二人で脇を固めて誰も入れず、談笑している様子を続けている。

 そして翌朝――帰国したばかりの丁鳩殿下は、魔国で重い病に侵されたので静養の為に公務に出ないことが発表された。

 礼竜らいりょうは寝耳に水のそれを聞き、丁鳩邸に兄が居ないことで騒ぎ、やっと国王夫妻の部屋で会った兄にしがみついて離れなかった。

 おそらく、自分が常に死ぬと言われているのが常態化し、兄が死ぬと思ったのだろう。宥める術を、丁鳩ていきゅうは持たなかった。



◆◇◆◇◆



「……これほどまでとはね……」

 医者が問診を中心に判断した結果だ。無論、サティラートの手紙に書かれていた、『自分を大切にするという発想がない』、『人が傷つかないよう必死になるが、自分が傷ついて人がどう思うか理解できない』という言葉を元に問診させた。明らかに、王婿が言った『毒の治療』とは内容がズレているのに、何の抵抗もなく答えたあたりで既に、かなりのものと分かる。

「……どうする?」

「本人に見せます」

 言って、医師を連れて二人で丁鳩ていきゅうに貸している部屋に入る。

 ノックもなしに入ってきた二人にも、丁鳩は疑問を呈さない。

「問診だけで、『既に廃人になっているレベル』。分かる?」

 問診の結果を突き付けると、

「……よく言われますが、分からないんです」

 素直に白状した。

 本人が認めたので、治療は可能だ。実際、医師の診断には、本人の同意がないと治療できないものが多くある。

「これに目を通して、同意するならサインして」

 並べられた三枚の紙に目を通し――次々サインした。

「……ちょっと!」

 今サインした紙を見せて、

「読んだの!?」

「……はい」

「君ねぇ……」

 王婿おうせいがまた肩を叩き、

「記憶を残らず、本人の意思を無視して覗いて記録する、なんて、普通は絶対拒むよ」

「そうですね。魔国でも流石に俺もやりませんでした」

 あっさりと言ったその言葉で、彼が、尊厳を踏みにじられることに同意したと分かった。

「ああ~! もう!」

 国王が甥を抱きしめる。

「こんなことになるなら、貴方を閉じ込めてでも行かせなかったのに!」

 ――義母かあさま……。

 エリシアの妹というだけあって、よく似ている。外見がそっくりなのは礼竜だが、女性という点で違うのだろうか。

「しっかりしなさい! 何があっても、諦めないわよ!」

 強く抱きしめられ、何故か安らぎを感じていた。



◆◇◆◇◆



 とりあえず、同意書がある。

 通常、それは滅多にやらないしやってはいけない。本人も拒む筈なのだが……記憶を取られることにあっさり同意したので、本当に実行することにした。

「すまない、魔力があると抵抗されるから、封じさせてもらうよ」

 そう言って王婿おうせいが手を伸ばすが、

「いえ、眠らせてくださればそれで充分です」

 本人の今までを見ても、魔力で抵抗しないと判断し、医者に眠らせてから記憶をのぞかせた。

 そして――

「全て、出ました」

「……え?」

「間違いございません。ご年齢から察するに、『全部』だと判断されます」

 眠っている甥を見る。記憶を覗くと言っても、可侵不可侵くらいある。それが――あっさり全て出た!?

 涙を浮かべ、甥の金髪を撫でる妻に、そっと寄り添うしかなかった。



◆◇◆◇◆



義母様かあさま!】

 義母ははが腕に抱いてくれて、その隣には乳母が居る。

 ――これはかつての、戻らない光景ときだと一瞬で自覚した。


 目を覚ますと、誰も居なかった。

 あの記憶が出たということは、多分そこまで引き出したのだろう。

 着替えさせられてはいなかった。安堵して、小さな指輪を出す。

 一度どこかに行ったら、おそらく戻ってこないだろう。それを掌で弄んでいると、ノックもなく扉がまた開く。

「起きていたのか……何か食べるかね?」

「……いえ……」

「すまないが、すべて見た。リーナのことも」

「……はい……。

 本当に、俺のせいです」

 いくら謝っても、もう彼女には届かない。帰ってこない。

「……リーナは、そう思っていると思うか?」

「……え……?」

「今こうなってしまった君を見たら、悲しまないか?」

「眠ったものに会うことはできません」

 王族とは、死しても公益のために消費される存在だ。遺体は永遠に朽ちることも赦されず、いつか魔力が必要になった時に『魔力源』として利用されるために王族廟に納められる。故に、死後の世界や来世などの信仰はない。死ぬのでなく、眠るのだ。

 王族としての言葉を紡いだ甥に、王婿は溜息をつく。ここで抗ってくれれば、まだ可能性はあった。

「……治療としてできることはない。すまない。

 だが、治ってもいない君を公務に出すわけにはいかない。ゆっくりしなさい」

 そう言われても、何がいけないのか分からない。それを口に出せば、もっと義叔父おじを困らせるだろうと黙った。

 ――『宿題』か……。

 未だにあの答えは、『麻薬の後遺症』だ。それが何故違うのか分からない。

「考えることを、放棄してはいけないよ。苦しくとも」

 優しく肩を叩くと、食事の載ったワゴンを押す侍従を入れる。

「食べなさい」

 食べたくないという前に、ぴしゃりと言われた。



◆◇◆◇◆



 以前のような、女性たちの怖い視線は感じない。

 礼竜らいりょうがしがみついている。鈴華すずかと手を繋げと言うが、絶対に離れない。それなりに、弟を追い込んでしまったと自覚しているので、敢えてそのまま歩く。

 魔力で周りの声を拾うと、丁鳩ていきゅうを気遣う声が聞こえてくる。

 自分が公務に出ないことは知っていたが、エルベット・ティーズの紋を持つ、この聖祭節に主役を割り振られる『祝福王子』まで公務を休むとは聞いていなかった。無論、個人の意思で休めるものではない。誰かが決めたのだろう。現に、『ファムータル殿下も、魔国で受けた薬物の影響が抜けるまで公務から離れる』という発表があったと聞いた。

「鈴華! 見てみて!」

 礼竜が兄にしがみついたまま道の端を指さす。

 エルベット・ティーズだ。

 初咲きのエルベット・ティーズが見つかると始まる聖祭節は、とっくに始まっている。

「エルベット・ティーズは……エルベットの残り雪っていう意味でね。雪が解け始めるころに咲くんだ」

 花は摘まず、嬉しそうに礼竜が語る。本当に、花とお菓子に触れている時は嬉しそうだ。

 立ち止まっていると、一人、若い女性が花束を持ってくる。

「……お大事になさってください」

 礼に公務の接吻を返すと、はにかんだように去っていく女性を見送って、

「兄様、花言葉知らないでしょ?

 『安らぎ』、『健康』、『あなたに幸福を』」

「……?」

 『兄様は分からない』と、礼竜はそれ以上言わなかった。

 むくれたようになる礼竜に慌てて謝ったが、何を謝っているんですか?と言われ、沈黙した。

 きまずい沈黙が流れる中歩き、大きな菓子店の前に着く。

 『ファムータルのメレンゲ人形』と呼ばれるその、可愛らしい人形型の菓子は、礼竜が九歳の時にお菓子コンテストで大賞を取ったものだ。

 それが――白と黄色の対になって売られている。

 思わず近づくと、菓子店の主人が飛んでくる。礼竜と、もともとは茶色だったメレンゲ人形を魔力を使わずに色替えした話などをしている。

「これ、城まで届けてもらえるか?」

 店員に王族全員の分を頼み終わったころ、礼竜も話が終わったらしい。

「……濃紺は難しい?」

「そうですね……頑張ってはいるんですが……鈴華の節までには、できればと思います」

「……?」

 最後の会話の意味が分からずにいると、礼竜がまたしがみついてくる。

 微笑ましいその様子は、お忍びということで公開されることはなかった。



◆◇◆◇◆



「あの子、泣いたことある?」

 丁鳩ていきゅうが買ったメレンゲ人形を向かって食べながら、王婿が呟く。

「リーナが死んだときでさえ、ね……」

 今まで丁鳩を見たどの人間に尋ねても、丁鳩の記憶を探ろうとも、泣いたところは一度とてなかった。

 昨夜、甘い言葉を交わして愛し合った女性が昼には無残な遺体で運ばれてきた時も、一度とて泣いていない。

 記憶を消すという最終手段は、おそらく魔国に居た間全てを消す必要があるとのことで断念した。記憶喪失ということでやり直すにも、惨すぎる。

 ちらりと、丁鳩を住まわせている部屋に視線を向ける。未だにそこに住むように言われていても――当初の邸の人員の入れ替えはもう終わっていると分かっている筈だ――何の疑問も言わない。

 そもそも、所持品というものがない。武器防具の類は取り上げたが、それで残ったのが、サティラートが送ってきた指輪と、礼竜がパレードの間に買ってきたお土産だけだ。つまり、魔国を出るときに持っていたものはない。せいぜい愛馬だ。

「そういえば、これ」

 却下の印を押した書類。度々こうして口で言わずに書類で寄越してくるということは、自分の言っていることがおかしい自覚はあるのだろう。

「……まあ、確かに、酷い仕打ちだけど……」

 王婿も一度目の当たりにし、次は国王も同席した。

 魔国の呪いの血は、通常の避妊では防げず、丁鳩が魔国から連れてきた医者が身体的苦痛を伴う『呪封』をすることで妊娠を避けられる。簡単に『身体的苦痛』というが、拷問でもここまで酷くない。身体に傷がつかないというだけで、呪王がこれを嫌がってエリシアを八回妊娠させたのも、まあ、責任感と愛情を考えなければ有り得ることだった。……そういう痛みを避けることを、愛する女性より優先させたのは、本当に愛していたのか分からないが。

 本人は、自分の苦痛よりも、将来礼竜らいりょうが同じ目を見ることを嘆いている。

「二言目には、『ライ』、か……」

 おそらく、自分を大事にできない彼を支えているのは、いつまで生きるか分からない弟だ。

 ややあって、国王が立って、丁鳩を引っ張ってきた。

「後で行きますって言って、いつまで出てこないのよ? もう食べ終わっちゃうわよ!」

 座らされた丁鳩はおとなしくメレンゲ人形を食べ始めるが、甘いものが好きと聞いていた割に普通の食べ方だ。

 魔国に居たころの食事量も調べたら、今はかなり減っている。ライオルにも確認したが、エルベットに入ってからはずっとこうらしい。本人に問い詰めたら、運動をしないから腹が減らないのだと思うと言っていた。

 ――食べないなら買わなきゃいいのに……。

 王婿おうせいはそう思いながら見つめるが、そういうことが分かる人間なら苦労はない。

「そうそう、誕生日だけど、悪いけど、こればかりは公務として出てもらうから」

「……誰のですか?」

 もう突っ込む気も起きず、

「君、自分の誕生日、言える?」

「……あ……」

 言われてようやく思い出したようだ。

「礼竜の誕生日にはエリシア姉様の式典をしてたけど……貴方の誕生日は何をしていたの?」

 フォークを置いて、

「いえ、何も……。兄とライがくれるくらいで……」

「ほら、食べる手が止まってる」

「……はい」

 再びフォークを取り、ふと、

「すみません、回収された荷物の中に、銀のラピスラズリがついた小さなナイフがありませんでしたか?」

「ああ、よく覚えてるよ。君にしては珍しく貴金属だし、殺傷能力もほぼないし、魔力も毒もなかったから」

「兄が……誕生日にくれたもので……」

 二人は大きな溜息をつき、

「そういうことは早く言いなさい! 危うく他のものと一緒に処分するところだったわよ!」

 言って、問題のものを持ってこさせる。

「……ありがとうございます」

 大事に胸に抱く姿には、安堵が見える。

「あの、他の荷物は処分されたんですか……?」

「ええ。魔力が籠ってて苦労したわ」

「そうですか……」

「今度から、消えモノじゃなくて残りモノを買ってきなさい。店先で気になっただけのものでもいいいし。そうやって、荷物を増やそう。ね?」

 おそらく、目の前の花瓶の花が、今日城下でもらった花束だということにも気づいていない甥に、くどくどと言って聞かせた。

 鈴華の節の誕生日には、いくらなんでも出さないわけにはいかない。ただでさえ、様子を見たいという声が多いのだ。十中八九、言えばきちんと公人の顔で演じるだろうが、そういう問題ではない。



◆◇◆◇◆







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