エルベット編 1,【王族服】

礼竜の章 1,【王族服】



「では、これからのことをご説明いたします」

 走り始めた馬車の中、礼竜らいりょう鈴華すずかが並んで座り、その向かいに丁鳩ていきゅう、最後のもう一人が口を開く。

「これより、馬車はこのまま国境へ向かいます。関所にてお召替えいただき、入国、以後、王都まで馬車で歓迎のパレードにご参加いただきます」

「……随分とざっくばらんな説明だな……」

「いえ、丁鳩さま。どうせ行けば分かるんですし。形式ですよ~」

 魔国の風景は、エルベットに帰ればもう見ることはないだろう。丁鳩も魔国元首及び王太子籍を返上してきた。実質、魔国にはもう王族は居ない。

 礼竜が嫌がるし、もう鎧を着る必要もないので、武器の類も少ししか持ってきていない。

 ……というか、邸を出るときの、元娼婦の使用人たちの視線が生暖かった。サティラート流に言えば、『補正』で、おそらく丁鳩と礼竜(実質『ファム』)しか見ていなかったのだろう。

「こうしてご挨拶申し上げるのは初めてですね。鈴華様。

 俺はライオル・メドメス。礼竜さまの乳母兄です。本来はリディシア殿下の騎士ですが、特例により皆様の警護を任されております!」

「イオルはすごいんだよ。二十歳で青の一だもん」

「お褒めに上がり恐縮です~」

「近衛騎士の序列は、緑が一番下で、青、臙脂が最高。

 だが、若い段階で一気に力を持つと道を踏み外す奴がでるから、昇進に年齢制限がある。青の一ってのは、二十歳では最高だ」

 補足する丁鳩の言葉に、照れたように分かりやすくライオルは喜ぶ。

「普段、顔だけいいお調子者にしか見えんが……まあ、誰にだっていいところはあるしな」

「丁鳩さま? 今、さりげなくこき下ろしませんでした?」

「だから、顔は良いって言っただろ」

「好きでこんな顔に産まれたんじゃありません!」

 何が悪いのかと思っていたら、横から礼竜が補足してくれる。

「顔が良くて、騎士団でも出世頭で未婚でしょ? 女の子がイオル様イオル様って言って、追いかけまわしてるんだ。

 おかげで、城内の近衛騎士の宿舎から出ないようになっちゃったんだよ。実家に居ると、女の子が来るから」

 城内は基本、入れる人間が限られてて安心なんだ、と付け足す。

「イオル、早くいい人見つけないと、止まらないよ?」

「女性から逃げるために彼女無理矢理作れって……礼竜さまも随分と悪い思想に染まってしまいましたね?」

「すまん。俺の責任だ」

 平然と丁鳩が口にした言葉で、二人の視線は諦めたものになる。

「……そういえば、最近もらうお菓子の量が増えすぎて、軽い気持ちの相談でリデ様に見せたら……」

 リディシアは何も言わず、菓子を寄り分けて、『こちらは美味しくいただいて。こちらは私が責任もって処分いたします』という謎の対応をしたのだそうだ。

「何度リデ様にお聞きしても答えてくれないどころか、もらったお菓子は食べる前に持ってくるようにと言われて……」

「あー、よし。今度は俺のところに持ってこい。全部だぞ。その前に食うなよ」

 何があったか察した丁鳩は、とりあえず最善策を提示する。男同士で話しやすいということもあり、リディシアに持っていくより気楽だろう。

「ところで、ライオルさん、ファムータル殿下の乳母兄と伺いましたが……」

 鈴華が口を開くと、困ったような顔になり、

「申し訳ありません。鈴華様。王族として正式に登録されないのはお名前が決まっていないという理由だけですし、実質、準王族殿下として接するよう言われています」

「あ……ごめんなさい……じゃなかった、ごめんね?」

 エリシア邸で教育として聞かされたことを思い出しながら謝る。ライオルは、要するに『臣下』となるのだ。

「いえ、お気になさらず。

 お話の続きですが、俺の末の妹が礼竜さまの直接の乳母姉になります。その縁で、こうして皆様と親しくすることをお許しいただいております」

「まあ、エルベットは、基本仲がいい奴らだからな。……かく言う俺も、ライの異母兄ってことで入ったし」

 ――そういえば、礼竜が、丁鳩と共に帰りたいがために王族から降りなかったという話は、丁鳩の中でどう処理されたのだろうか……。

 事情を知る者は反応を見るが、普段通りだ。

「……?」

「もういいです。兄様」

「ライ? どうした? 何かまずいこと言ったか?

 ほら、謝るから機嫌治してくれ」

 礼竜は、懐に入れたサティラートの手紙を握り締める。

 サティラートがエルベットに付いてきてくれないと知った時は、必死に一緒に帰ろうとせがんだ。だが……

『ごめんな、礼竜。オレは魔国の一般人だ。そっちには行けない。

 レヴィスが撒いた種がどうなるか見なきゃいけないし……』

 そうして、最後に、手紙を託した。

『レヴィスのこと、オレにはどうにもできなかった。だから……頼む』

 丁鳩が心配なあまり、エルベット国王宛の手紙を礼竜に託したのだ。とても他国の一般人がすることではない。それほどまでに、案じてくれたというのに……

「ライ? おい、また冷たい目になったぞ? おい、謝るから言ってくれ!」

「知りません!」

 丁鳩が身を乗り出して礼竜の肩に手を置いて言うが、鈴華にしがみついてしまった。

 ――と。

 脇から女性が複数近づいてくる。周りの近衛騎士が警戒するが、

「大丈夫だ。通してくれ」

 丁鳩が馬車に留まらせている鳥の口を借りて言う。少なくとも害意もないし、危ないものも持っていない。

 女性たちが礼竜と丁鳩の側に来たので、窓を開けると、大きな花束が礼竜に渡される。

「……僕に?」

「ええ、幸せになってね」

「元気でね」

 口々に言う女性は、元娼婦だ。そして、『ファム』を祝福に来た。

 それを察した丁鳩は、頭を抱えたくなったが、もうエルベット王族として動いている以上、王族公務の笑顔を浮かべていた。

 その笑顔を見て、女性たちは安心したように去っていく。

「……魔国でもこういったお見送りはあるんですね……」

 分かっていないライオルが言う。確かに、エルベットでは王族に花束を渡すなどよくある。しかし、意味が違う。

 その後、続々と花束が礼竜に渡され、丁鳩の笑顔を見て、時には『よろしくお願いしますね』と言い残して女性たちは去っていく。理由の分からない礼竜は、ニコニコと花束を受け取っていた。

 馬車の中が花だらけになった頃、

「申し訳ありません。通常通り、こういったお荷物を移す馬車も用意すべきでした」

 ライオルがすっかり読み間違えたという顔で詫びる。

「……すまん、俺のせいだから気にするな」

 おそらく、鈴華もライオルも女性たちには『補正』で存在しないことになっていただろうが、それは言わないことにした。



◆◇◆◇◆



 馬車は国境に来ると止まり、降りる。

「…………?」

 出迎えの近衛騎士団がいるが、道はない。鈴華すずかが首を傾げると、

「鈴華様、あちらです」

 ライオルが手を向けた先は、前方に聳える白い山々だった。

「エルベット王国は、正式には『エルベット連峰』と呼ばれる山岳の上に位置します。世間一般の分かりやすい例で申し上げますと、『冬山登山のプロが挑んで帰ってこない山』です」

 そんなもの、どうやって登るのだろうと思っていたら、

「当然、ブリザードも舞う山は登れませんので、通称『運び屋』と呼ばれる専門の案内人が、魔力や登山技術で旅人や商団を運びます。これなら年中安全です」

 ならば、その『運び屋』はどこだろうときょろきょろすると、

「今回は、『運び屋』を呼んでおりません」

「……え……?」

「ということで、お願いします。礼竜らいりょうさま。

 いや~、誰より早く体感できるなんて、光栄ですよ~」

 あ、そうか、と思った瞬間。

 景色が吹雪舞う山頂になっていた。



◆◇◆◇◆



「はい、馬落ち着かせて!」

 ライオルは即座に周りに指示を出す。

「……俺の馬は平気だが……」

「ですから! そんな馬居ませんって!」

「いや、現に平気だろ?」

 いきなり景色が変わってパニックを起こし、ともすれば走り出しそうな馬を騎士たちが必死に宥める中、丁鳩ていきゅうが撫でている愛馬は平然としている。

「……噂には聞いていましたが……丁鳩さまがまさか精神改造とか!?」

「するか。普通に育てたんだよ」

「ですから! それ馬じゃありませんって! そもそも、遮眼帯どうしたんですか?」

「こいつには必要ない。嫌がるしな」

「絶対、馬じゃありません!!」

「馬だ」

 言い合う二人は無視して、礼竜は鈴華の肩に手を回す。

「寒いね。大丈夫?」

 言って、魔力で冷気を防いでくれる。

「ありがとうございます……」

 眼下を示しながら、

「普通の山なら登ってきた道が見えるんだけど……エルベットの周りはいつもこう。今は真冬だけど、それじゃなくてもずっと真っ白で視界はないんだ」

 遭難したら助からないから気を付けてね。と笑顔で言うが、今まで何人命を落としたのだろう。

「で、こっちがエルベットの守護結界内」

 なるほど、結界一つ隔てて、吹雪いてもいない、普通に雪が積もった地面と、しっかりした石造りの建物が並んでいる。

 それよりも――

 臙脂の近衛騎士たちがずらりと整列しているのを、皆、無視している。

 とりあえず、手近な場所に居た騎士に頭を下げると、

「光栄に存じます! 鈴華様!」

 ああ、これが最敬礼か……と、今更ながらに思った。

「では、礼竜殿下はお召し替えの必要はございませんので先にお待ちください。

 丁鳩さま、鈴華さま、こちらへ」

「ちょっと待て! 俺もか!?」

「丁鳩さま……」

 ライオルは呆れた顔で、

「九年ぶりにご帰還なさる王子殿下ですよ?

 そんな恰好で出られたら、責任者の俺の首が飛びますよ? ベリ様ベル様にしばかれますよ? 俺を殺すおつもりですか?」

「……う……」

「まあ、九年離れていらっしゃいましたから……しかも、こわ~い魔国漬けですから? 常識がズレちゃったのはどうしようもないですけど……矯正してくださいね~」

 そういえば、エルベットの王族仕様の服装など準備していなかった。鈴華を女性に任せて素直に用意された部屋に入る。

「きちんと選択肢をご用意するよう、国王陛下より重々申し付けられておりますので、複数ご用意いたしました。お好きなものをどうぞ。採寸関係はぬかりありません」

「……おい……」

 王族服は基本的に男女共通だ。丁鳩の色の濃紺の、中央に王家の紋章、左右の前垂れに彼の紋の月桂葉があしらわれたそれは、確かに王族服だ。

 だが――それが六着三列並んでトルソーにかかっているのはどういうことだろうか?

「選択肢をご用意いたしました!」

「同じじゃねぇか! 他にねえのか!?」

「だって、丁鳩さま、エルベットで騎士登録もなさっていませんし? それとも、一応ドレスもご用意していますが……」

「誰が着るか!!」

 ライオルは、心の中で舌打ちし、

「いえ、ですから……騎士登録のない王族男性だと、これしかないんですよ~。事前に騎士登録なさっていたら別だったんですが……。

 あ、間違っても、あんな物騒な鎧姿はやめてくださいよ~。あんな魔力強化の重装鎧、みんな逃げます!

 一応、選択肢で正面から絹、麻、綿となっておりま~す!」

「……分かった」

 ライオルの言っていることは正しい。それが分かっているので、仕方なく綿のものに袖を通した。



◆◇◆◇◆



鈴華すずか! 可愛い!!」

 出てきた鈴華の手を取ってはしゃぐ。散々着てもらえなかったドレスをやっと着てくれた。色は、予め礼竜が指定した淡い黄色だ。

「……ヒールは細くないんですね……」

 意外そうに言う。もっと歩きにくい、更に言えば腰を締め付けられるものかと思っていたが、その辺は普通だ。

「他所じゃ、女性に苦しい服装をさせるとこもあるけど……ここはしないよ?」

 言って隣に並ぶが、相変わらず鈴華のほうが背が高い。

 ――少しは伸びたのに……。

 どうやったら兄のような身長と体型になるか、未だに思いを馳せていると、

「まったく、物騒なもの持ち込まないでくださいよ! 何に使うんですか!?」

「だって、襲撃されたら要るだろ?」

「ですから、魔国の常識は捨ててくださいってば!! 国王陛下に報告しますらね!」

「兄様!」

 思わず飛びつく。腰にしがみついて、

「兄様~」

「ほら、礼竜らいりょうさまの笑顔だけでも、着た価値はあるでしょう?」

 何故、自分が王族服を着たぐらいでこんなに喜ぶのか知らないが、確かにこの笑顔は代償として充分だ。素直に受け入れて頭を撫でてやった。

「礼竜さまがそんなにくっつかれるんでしたら、絹にしたほうがよろしいかもですね。準備ございますよ?」

「いや、それは……」

 確かに、こんなに顔を擦り付けられては、弟のデリケートな肌に異常が出るかもしれない。

「ほらほら、丁鳩ていきゅうさま? お時間ございますよ?」

 本気で悩んでいる丁鳩にライオルが追い打ちをかけ、結局二度目のお召し替えとなった。

 この様子は、漏れなくライオルによって、王族の間に写絵として回った。双子の王太子に『盗撮って来なさい!』と言われれば、犬としては従う他ない。ライオルに罪はない。



◆◇◆◇◆



「ですから、丁鳩ていきゅうさま。いい加減分かってくださいよ~。

 今回の主役は、あ・な・たです!

 礼竜らいりょうさまは毎年帰っていらっしゃいましたけど、九年経ってやっと戻ってこられたんですよ?」

「……鈴華すずかもいるだろ……」

「たしかに、おめでたくはございますが、まだ王族として正式登録されておりません故、正式な登録が先です!

 その丁鳩さまが、王族服の上から剣下げて、騎乗して……なんてことになったら、俺がどうなると思われます? 本気で殺すおつもりですか!?」

 愛馬に騎乗して馬車の隣を歩こうとしたらこれだ。剣は譲らなかったが、ライオルはこれも取りたいらしい。

 外を、愛馬が退屈そうに歩いている。

「……まあ、俺が悪かった」

 愛馬に未練気な視線を送ったまま、とりあえずエルベットではそうだったと思い出しながら言う。

「この件も国王陛下にご報告させていただきます! し~っかり、魔国での非常識を払拭なさってください!」

 もしかしたら、王城に帰ったら、常識の徹底教育がされるのだろうか……。そんな不安が過る。

 と、愛馬が騎士に先導されて離れた。

 道の脇に人が立っている。

 ――ついにこれか……。

 表情に出さずに溜息をつく。笑顔で手を振るだけなのだが、それが丁鳩にはつらい。剣で斬り合って命のやり取りをするほうがしっくりくる。

 王家の紋章入りの馬車の中、魔国の時と同様に、礼竜と鈴華が並んで座り、向かい側に丁鳩とライオルという構図だが、ごく自然に一番見える位置に座らされていた。

 もはや公務として慣れている祝福王子こと礼竜がニコニコととびきりの笑顔を振りまくのを見ながら、とりあえず、精一杯笑顔を取り繕って手を振った。

 度々、ライオルが聞こえにくいように注意してくるが、これが限界だ。



◆◇◆◇◆



「……すまん、これ、何日続くんだ……?」

 国民が差し出してくる花束を笑顔で受け取るばかりか、礼の接吻までさせられ、げんなりとして問う。

 別の馬車には、今まで来た花束が山のように積んである。

「笑顔も接吻も固すぎます! もっと自然に!!」

 返ってきたのは、返事ではなかった。

「兄様……?」

「ああ、大丈夫だ」

 弟に笑顔を向けると、

「その笑顔ですよ! なんで礼竜らいりょうさまには自然に出て、ご公務では無理なんですか!? 今度からみなさまを礼竜さまだと思ってください!!」

「いや……無茶だろ……」

 言ってみるが、無駄だろう。散々、常識が魔国にズレていると言われている。

 比較的大きな町にて宿営でパレードは止まったが、歓迎ぶりに引く。というより……

 女性の視線が恐ろしい。

「ああ、お気づきですか? 礼竜さまが一般出身の鈴華すずか様を連れ帰られたでしょう? 今、一般の女性たちにも、だったら自分にも機会が巡ってくるのではと期待する人が増えてて……。

 顔良し。独身。妙齢。超優良物件です! というか、男性王族では丁鳩ていきゅうさま以外居ませんから!」

 日頃、自分が女の子に追い回されている鬱憤を込めているのか、ライオルは楽しそうだ。

 臙脂の近衛騎士が周りを固めているので、近寄ってはこないと思いたいが……。というより、青でありながら臙脂の騎士たちを指揮するあたり、ライオルは予想以上に評価が高いのだろう。

「兄様!」

 礼竜が手を取ってくる。

「鈴華と一緒に、街を歩きましょう!」

 散々魔国で閉じ込められ、鈴華とのデートを所望して敵わなかった礼竜には、いい機会だ。

「俺は疲れたから、鈴華と行ってこい」

 弟の頭を撫でながら言うと、少し考えて、

「兄様、抱っこして!」

 ああ、魔国で時々やっていたのが板についたか、と、そっと頭を抱いて頬にキスをしてやる。いつもと違って絹の王族服なので、袖で包み込む形になったが。

 満足そうに鈴華の手を引いて街へ向かった弟を見送り、適当に周りに手を振って宿に入り――すぐさま、身の回りには男性のみにしてほしいと責任者に言った。

 どうやら、女性たちの間で熾烈な駆け引きがあったらしく、責任者は慌てたが……予防しておいて良かったと思った。

 なお、今回の礼竜を抱きしめて接吻した写絵も、前回同様王族に献上されたが、それはまだ知らない。



◆◇◆◇◆



 エルベットでは、お忍びで出歩いている王族はそっとしておくのが常識だ。王家への畏敬も高く、『せめて穏やかにお過ごしいただけるように』と、囲んで騒ぎ立てることも、ましてや襲撃など有り得ない。

 幼いファムータル殿下が、少し背の高い鈴華すずか様と手を繋いで仲良く歩く様を、皆微笑ましく見守っていた。

「鈴華、あれ」

 礼竜らいりょうは目を留めた屋台に行く。肉や野菜などの餡を包んだ揚げパンのようだ。

「すいません、アレルギーがあるんですが……」

「存じております。大丈夫でございますよ。本日は殿下がいらっしゃるとのことで、皆、特に気を付けております」

 笑顔で言われ二つ買い、安心して近くのベンチに並んで座り、一緒に食べる。食べ終わると、雑貨屋に言って袋を買ってきて、屋台に戻る。

「おや? お気に召しましたか?」

「うん。兄様にお土産で持っていくから、包んで」

 言われて店主は丁寧に梱包し、

丁鳩ていきゅう殿下はたくさんお召し上がりになると聞いておりますので、少しオマケさせていただきました」

「ありがとう! 兄様、お疲れなんだって」

 屈託のない笑顔を浮かべる礼竜に、

「そうでございますか。魔国からやっとお帰りになって、さぞやお疲れでしょう。……あ、そうそう」

 店主は奥から何かを持ってきて、

「よく眠れる薬草茶です。試供品としてお配りしているものですのでご心配なく」

 兄が毒は効かなくても薬は効くと思っている礼竜は、笑顔で礼を言い、鈴華と手を繋いで街の散策に戻った。

 食べ物の屋台に多く立ち寄る姿は、成長期だと微笑ましく思われていた。



◆◇◆◇◆



「兄様!」

 用意された部屋で休んでいると、礼竜らいりょう鈴華すずかと一緒に入ってくる。

「お土産です!」

 言われて差し出された袋には、礼竜が食べて気に入ったものと、土産屋で選んできたであろう品々が入っている。

「ありがとな。……こんなに食べたのか? 晩餐は入るか?」

 その言葉に、少し考えてから、

「兄様、どうやったら背が伸びますか?」

 そのは必死だ。伸びるのを待てとは言いづらい。

「最初に言っておくが、牛乳をたくさん飲めばそれだけ伸びるっていうのはデマだ。たしかに必要な分は飲まないと伸びないが、それ以上飲むと腹を壊すだけだぞ?」

 こくこくと頷く様子を見て、

「お前さん、鈴華の料理じゃないと未だに食が細いが……成長期なんだから、他もちゃんと食べろ。……ま、これだけ食べられるなら心配ないと思うが。

 大丈夫だ。あと二年もすれば、背は鈴華を追い越す」

 ……それまで命が続くという保証はない。それでも安心させるように言う。

 笑顔で鈴華の手を引いて出て行った弟を見送り、晩餐でちゃんと食べているのを見てから休んでいたが……

丁鳩ていきゅう殿下、よろしいでしょうか?」

 声に応じて扉を開けると、

「ファムータル殿下が、少々……」

「分かった」

 すぐに行こうとするが、止められる。王族服に着替えていけということらしい。

 溜息をつきつつ、脱いでとりあえずかけておいた椅子を見ると、ない。代わりに、きちんと畳まれた新しいものが置いてある。

「…………」

 まあ、回収不能と諦めた。代わりに、

「俺が着ていた服、触るだけで死ぬ毒が塗ってある武器がけっこう入っているから、誰も触るな」

 必要なことを言い残して弟の元へ向かう。部屋の執事が腰を抜かしていたのは、言うまでもない。



◆◇◆◇◆



「やだ! 鈴華と一緒! すずか!!」

「ファムータル殿下、明日また会えますから……ね?」

「やだ!!」

 行ってみると、礼竜が鈴華にしがみついていた。別室、しかも離れた部屋と言われてこうなったらしい。

「ライ。どうせ、城に帰ったら邸は違うだろ?」

 袖で頭を包んでやり、言い聞かせる。

 王族の邸は、独身男性、独身女性、家族棟に分かれる。婚約ができるのが十六からで、婚姻は十八の成人の後だ。無論、同居は婚姻を挙げないとできない。礼竜は独身男性等のファムータル邸で、鈴華は独身女性棟の旧エリシア邸で過ごすことになる。

「……お泊りはいいって聞きました……」

 涙を貯めて訴えてくる弟に、魔国で普通に同居させて慣れさせてしまったことをすまなく思いながら、

「お前さん……まさか、お泊りと称して一緒に住むつもりだったのか?」

 涙を貯めたまま弟が頷く。

「いいか、お泊りはお泊りだ。ずっと棲みつくわけじゃない。あくまで、自分の邸に長く居なければいけない。分かるか?」

 説得を続けた結果……何故か弟は、今夜は自分のところで寝ると言い出した。

 ――まあ、別々の邸で納得してくれたし、いいか……。

 部屋に到着した時は、どうして絹の寝台なんだと変えてもらおうかと思ったが……自分にしがみついて寝息を立てる弟を見ていると、これで良かったと思った。



◆◇◆◇◆



「……おい、イオル。なんだこれは?」

 今朝手渡されたばかりの新聞を握り締め、ライオルに詰め寄る。

 昨日の夕方、お忍びで出掛ける弟を見送る際に、抱きしめて頬に接吻した様子が焼付写絵で出ている。

「だって、丁鳩ていきゅうさま、パレードの間のお顔が固いんですよ~。満場一致でこちらになりました。決めたのは俺じゃありませんから!」

「ライのほうがずっといい笑顔してたろ! 鈴華すずかと街歩いてたし!」

「お忍びには関与しないのが鉄則ですよ~。大体、何度も申し上げておりますが、今回はあなたが主役です!

 プライベートショットを出されるのがお嫌なら、パレードでもこれくらい自然に笑って接吻してください!」

 言い返せない。そもそも王族は公共の為に居る存在であって、プライバシーなどない。国民が許してくれるから配慮されるが、基本的人権を認める規約もない。そういう立場なのだと、思うことにした。



◆◇◆◇◆



 パレードは無事終わり、終着点の王城ではこれまでないほどの歓迎を受けた。

 馬車はわざわざ城から少し離れた場所に止まり、そこから民衆に応えながらゆっくり笑顔で歩いて入城する。

「だから母様そっくりはやめてよ~」

 人目が離れ、王族占有区画に入るなり、礼竜らいりょうが愚痴をこぼす。礼竜にとって、『エリシアそっくり』は、女に見えると同義なのだ。

「ほら、礼竜さま、丁鳩ていきゅうさまはぼやいていませんよ? 見習ってください」

 確かに、公務の笑顔も上達したと言われた。だが、納得しているかは別だ。

 言わないのは、言ってもどうしようもないからだ。

 最後に大量に持たされた花束を騎士が回収する中、女性王族棟のほうから三人やってくる。それぞれに騎士が従っている。

 女性王族は王族服かドレスが一般的だが、三人ともドレスを選んでいるらしい。鈴華は正式に王族となっておらず、ドレスしかないが。

「テイお兄さま! お久しぶり!」

「うわ~、写絵よりいい男!」

 真っ先に寄ってきたのは、深紅の揃いのドレスに揃いの髪型、アクセサリーまで同じの、一見して区別のつかない双子だ。顔立ちも身体つきも申し分ない、美女である。

「イ、 イザベリシア殿下、イザベルシア殿下、お久しぶりです」

「あら? お兄さま固い!」

「アナとアムでいいですわ」

 ともすれば絡みついてきそうな二人から遠ざかろうとするが、ライオルがいい笑顔で捕まえて二人の前に引きずり出した。

「……イオル……お前な……」

 文句を言う時間もなく、双子にそれぞれ両手を取られる。

「ずっと、心配申し上げておりましたのよ?」

「魔国で怖いお顔になっていないか心配でしたの。良かったですわ」

 幸い、双子はそれぞれ手を取るだけで満足しているようだ。王族服が幸いして、肌を撫でられることもない。

「こわ~い魔国の常識が染み着いてしまったので、お二方、矯正をお願いいたします!」

 イオルが追い打ちをかけてくる。

「魔国で何がありましたの?」

「何かされたんですの?」

「……いえ……あの……」

 困り果てていると、横から助けが入った。

「兄様が困ってるよ。やめて」

 双子に負けまいと自分の腰にしがみつく、弟だ。

「ライくん、大丈夫?」

「本当、魔国って怖いわね」

 双子は心配そうに礼竜らいりょうを撫で、様子を見る。当然、礼竜が『封印』寸前まで追い込まれたことは知っている。

 次いで、鈴華すずかに関心が移り、丁鳩はようやく解放された。

 ライオルが、今度は真面目な顔で誘導する。

「お久しゅうございます。丁鳩さま」

 ライオルが傍で跪いた彼女に歩み寄る。

「お久しぶりです。リディシア殿下」

 九年間文通を続けた王女の前で膝をつき手を取り、接吻した。



◆◇◆◇◆



 自分の邸に向かわなければならないが、先に向かう場所がある。

 行くとすぐに通してくれた先には、現国王と王婿がいる。

「やっと帰ってきてくれたわね。私たちの大事な子」

「お久しぶりです。義叔母おばさま、義叔父おじさま」

 覚えている限りの王族式の礼をすると、

「そう畏まらないで。積もる話はあるけれど……何か言いたそうね?」

「はい、スミゾの件ですが……」

 礼竜らいりょうが魔国に行った際、補助の目的でエルベットから同伴した貴族だ。アレルギーの主治医で、エルベットが王族を帰還させると発表して真っ先に帰国した。

「聞いていると思うけど、魔国の貴族から送られた毒入りのワインを飲んで、一命は取り留めたのだけれど、失明したわ。復帰は無理よ」

「はい。医療記録も拝見しました。それで、不審な点がありました」

 首を傾げ、国王は資料を持ってこさせて改めて見る。

「確かに、その毒では普通死亡し、助かった場合も失明します。医療記録も間違いなくその毒の処置です。そして、毒の入ったワインの瓶もあります。

 ですが、珍しい毒なので知られていないようですが、あの毒はかなり独特の味がします。ワインに入っていたら、一口で普通気づき、致死量は故意に飲まない限り有り得ません。

 それを得て、魔国の奴隷売買の記録を改めて見たところ、スミゾは魔国で奴隷を買っていたようです」

「つまり、その奴隷が……」

「はい、確証はありませんが鈴華すずかです。まさか弄んで捨てた奴隷がいきなりライと一緒に居れば、普通、何としてでも逃げるでしょう。エルベットの帰還令は渡りに船だったと思われます。そして、魔国でうやむやのうちに鈴華を暗殺して揉み消そうと思っていたら、ライと共にエルベットに帰ってきてしまったので、おそらく『失明で生存』を狙ったかと思われます」

 エルベットの貴族が奴隷を買うなど、有り得ない。それだけでも重罰は免れないのに、さらに暗殺まで企てた。丁鳩ていきゅうの言う毒の件を追求すれば、言い逃れはできないだろう。

「……いつ、気づいたのかね?」

 王婿の言葉に、

「パレードの間に、スミゾとライの今後の治療方針で話したいと言ったら毒のことを聞かされ、それで分かりました。魔国との記録のやり取りに時間がかかりましたが」

「……随分、毒に詳しいね……」

「魔国には溢れていましたから」

 王婿は言いたいことがまだあったようだが、話を変える。

「こちらからも是非話したいことがあったんだ。君が着ていたこれだけど……」

 王婿が出したのは、最初に宿で回収された濃紺の王族服だ。

「触ると死ぬ毒があるって聞いたから調べさせたら……本当に触っただけで死ぬね?」

「はい、最低限にしたつもりでしたが」

「こんなものを服に仕込んで、自分に毒が及ぶとは思わなかったのか?」

「……?」

 丁鳩の表情を見て、意味が分かっていないと判断した。ライオルの報告にも該当する部分が多い。

「……まあいいわ。とりあえず、それは預かります」

 国王が指した『それ』は、王族服の上に纏った剣だ。

「……いや、これは……」

「……丁鳩」

 王婿が肩に手を置き、

「ないと不安になるのは分かる。それだけ恐ろしい環境だったのだろう。

 だが、エルベットに帰ってきて、それは役に立ったかい?」

「……いえ……」

「もう大丈夫だから。ほら、預かるよ」

 言って有無を言わさず取り上げ、ついでにボディチェックもさせる。

「恐れ入ります。お願いがあるのですが……」

 大体察しがついていた国王は、

「騎士登録なら駄目よ。それと、貴方の荷物に入っていた……というより、殆ど武器類だったけど……危ないものも回収しました」

「君ね、自分の荷物はないの?

 どういう生活をしていたか、詳しく聞きたいところだけれど……まあ、今度にしよう。

 晩餐会、言わなくても分かっていると思うけど、礼装だから。いいね?」

「……はい……」

 王族服ですら抵抗があるのに、その上に礼装を言い渡されて、落ち込んで帰る甥を見送り――国王夫妻は深刻に溜息をつく。

「まさか、心を壊すなんて……あの魔国の連中、やってくれたわ……。

 ……絶対行かせたくなかったのに……」

 手にあるのは、礼竜が持ってきたサティラートの手紙だ。

「ああもう、エリシア姉様が勝手に駆け落ちなんてするから……!」

「いや、それがなかったら丁鳩はレヴィスのまま魔国王族になってたし、礼竜も産まれなかったよ……」

「いいのよ! 細かいことは!」

 言って夫を手紙ではたいてやった。

 復讐しようにも、魔国貴族の問題は丁鳩が片付けてしまったし、今あるのは後身の民主国家なので、振り上げた拳の下ろし場所がなかった。


◆◇◆◇◆





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