魔国編 5,【廃嫡】

ファムータルの章 5,【廃嫡】



 ――弟が、何故あんなことを言うのか本当に分からない。

 とりあえず落ち着くのを待って会いに行こうと、普段通り公務に励み、ふと必要があって資料室に行くと、一部資料が持ち出されている。

 奴隷関連の書類だ。資料とし価値は低く、盗まれたとは思いにくい。

「誰が持って行ったんだ?」

 資料室の管理に聞くと、意外な返事を聞かされる。

「サティラート様が、ファムータル殿下の命にて。エリシア邸に運ばれました」

「……?」

 サティラートは奴隷関連の知識あるが、弟は関わらせていない。そもそも、自衛に必要と判断して『必要最低限を具体的言動は避けて』話した時も、受け入れられないようだった。あれで怖くなってエルベットに帰ってくれればと思って話したが、本人は怒り出すし、訳が分からない。

 考え込んでいると、サティラートが戻ってきた。

「お前なぁ……。あくまで礼竜らいりょうに、自分が狙われた理由を話して、辛い治療に耐えさせるって目的で話してたんじゃなかったのか?」

 自分の姿を見るなりそう言いながら、新たな資料を抱える。

「妙に男娼――しかも『極上』の話が多いから変だと思ったんだが……エルベットに追い返す為って最初に知ってたら、絶対止めたぞ」

「兄貴、その資料は……」

「礼竜が読んでる。条件出された。『資料を読ませてくれるなら、しばらくはエリシア邸から出ない』ってな」

 ――ライが!?

「ちょっと待て! ライに見せていいもんじゃない!」

「ほぉ~。散々『極上』の話で脅しておいてそれか?」

 振り返ったサティラートの目は冷ややかだ。

「お前さんの目論見が外れて……っていうか、そもそも考え方そのものが間違ってるんだが……結局礼竜は、自分は魔国の第二王子だからって、『勉強』始めたってことだ」

「ライが耐えられる内容じゃ……」

「ああ。吐くもんもないから、胃液吐きながら読んでる。鈴華と前国王陛下に、限界まできたら休ませるよう頼んであるから大丈夫だ」

「どこが大丈夫だ!!」

「お前さん……誰のせいでこうなったと思ってる?」

 兄にずっと隠されたこと。兄が自分だけ魔国に置いて帰れと言ったこと。あの純情な王子様には、『極上』の話より応えただろう。

「ライに会ってくる」

 どうしても止めようと歩き出すと、

「礼竜から伝言だ。『お会いしたくありません。どうしてもなら、王太子権限で命令してください』だとよ」

「…………」

「分かったら、何が悪かったかじっくり考えろ。じゃあな」

 サティラートを見送り、丁鳩ていきゅうの頭にはひとつの解決方法しかなかった。



◆◇◆◇◆



「……うう……」

 もう胃液も出ない。典医が散々やめろと言ってくるが、自分の手を握ってくれる鈴華すずかの手を握り返して、次の資料に目を通す。

 サティラートは、もっと軽い犯罪から閲覧したほうがいいと言いながらも、意思を尊重して資料を持ってきてくれている。

 花に満ちた寝室は、大量の紙と、わずかな吐瀉物で散らかっていた。

 鈴華は、止めることもなく、ただ背中に手を当ててくれる。ともすれば鈴華にしがみついて泣きたくなるのを堪え、必死に書類を見る。

 ――と。

「会いたくないって言ったはずです。兄様」

 やってきた兄を一瞥し、今までなら絶対有り得ない反応をする。

 だが――兄の口からはもっと有り得ない言葉が出る。

「聞いた。だから、『王太子権限で命令』で、会いに来た。これならお前さんの言う通りだ」

 そして、一枚の羊皮紙を出し、

「俺の魔国元首及び王太子権限で、お前の魔国第二王子籍を廃する。わかったらエルベットに帰れ」

 呆然と、兄と羊皮紙を見比べる。彼が何か反応するより早く――

 平手打ちの音が響く。

 こういった攻撃を躱してはいけないと学習した丁鳩が、鈴華の平手を受けたのだ。

「ファムータル殿下のお気持ちが分からないんですか!?」

「分からない。俺は、お前さんにも安全のためにエルベットに行ってほしい。お前さんがいれば、ライも落ち着くだろ?」

 いくら考えても分からなかった。だから、自分の正しいと思う行動を取る。

「もともとライが魔国に来たのも、第二王子だからだ。その王族籍さえなくなれば、留まる理由はない。もう一度言うが、廃嫡だ。帰れ」

 また平手が当たる。

「ファムータル殿下がどうお思いになるか、分からないんですか!?

 あなたの大事なものは何ですか!?」

「大事なのは、ライだ。

 いつも幸せに、笑っててほしい。魔国に来て、閉じ込めて寂しい思いさせた上に危険な目に遭わせた。俺の責任だ。

 ここに居たら、いつまた危険が来るか分からない。ライを失う前に、笑顔で居られるうちに送り返すのが最善だ」

 呆気に取られた鈴華を無視し、

義祖父様じいさま。即刻、この二人連れてエルベットに引き上げてくれ」

 今まで沈黙していた祖父に言う。

「……私は、元から『二人揃って』の帰国を考えている」

 丁鳩から羊皮紙を奪い、出て言ってしまった。

 残された部屋で、丁鳩は、ファムータルの身体を抑え、

「もうよせ。これ以上は血反吐吐くぞ?」

 心配して言っているのに、弟は振り払う。

「…………」

 無言で、また弟の頭を抱きしめた。普通の服に下ろし髪で来ていてよかった。

「ほら、ここは片付けるから、もう休め。

 本当に、最近はお前は変だ」

「そんなの……」

 言いかけて、少し前から考えていたことを口に出す。

「兄様が全部一人でやるんなら、僕は邪魔になるので、適当に娼館探してそっちに行きます」

「――は!?」

 『極上』の話で脅したのに、何故そうなる?

 弟は読んだ資料を前に出す。付着している吐瀉物が比較的重湯と思われるものが多いことから、最初に読んだのだろう。『極上』の関係書類――しかもかなり生々しいものだ。そして、もう一つ、写絵が入った箱が出される。見れば分かる。『ご主人様』が観ては悦に浸っていた、嫁入りからの詳細なものだ。

「全部……見たのか……?」

「はい。写絵は長すぎるので、直接頭に流しました」

 とんでもないことを言う。普通に閲覧するより、余程きつい。

「……で、お前さんは、これ全部を見て、その上で娼館に身売りすると。

 どういうことだ?」

 ――だって、兄様が自分を大事にしないから!

 兄にとって自分が大事なのは分かっている。この幼い王子の思考では、自分を痛めつけてそれを兄に見せたら分かってくれるのではと思うのが精一杯だった。

 それを言う前に――

「……俺のせいか……つくづく、すまん……」

 自分の頭をぎゅっと抱いて、兄が呟く。

 ――分かってくれた!?

「俺が、あんな害虫を典医にして、薬漬けにさせたから……まだその影響でおかしくなっているんだな……。悪かった」

「――!?」

「安心しろ。エルベットにも、既に、俺が治療することは許可を取ってある。

 緊急だから、今すぐやるぞ。苦しいから……俺を恨んでくれ」

 訂正しようと口を開こうとすると、既に舌を噛まないように魔力で拘束されている。そのまま、全身魔力で縛られたまま、横向きに寝台に置かれ、

「……ごめんな」

 一方的に『薬抜き』が行われる。終わる頃には、ファムータルの意識は当然なかった。

 丁鳩ていきゅうは、薬が残っていないか調べ、

「……よし。まあ、酷い有様だな……。

 俺が風呂入れてくるから、その間にここ使えるようにしてくれ」

 侍女に、使用不能になった寝台を指して言い、浴室に弟を抱えていく。

 もともと華奢な身体は、ここのところの出来事ですっかり瘦せ細っていた。

「……本当に、ごめんな。お前は『封印』されてもおかしくなかった。俺のせいだ……」

 言いながら魔力で湯を沸かし洗ってやる。洗髪料をとってみると、やはり弟というか、花の香りのものだった。それに、微苦笑する。

 清め終えた弟を連れて戻ると、寝台の上は取り替えられ、すぐに寝かせられるようになっていた。そっと、横向きに寝かせ、

「……いくらでも責めてくれていい。恨んでくれていい」

 そう言い残して立ち去った。

 後で、鈴華に事の次第を聞かされたサティラートに思いっきり説教されたが、何故か分からなかった。それを察していたサティラートは、『宿題』を出した。

「どうして礼竜が娼館に行くなんて言い出したか、考えろ!」

「麻薬の後遺症だろ?」

 何の疑問もなく答えたら、殴られた上、もう見捨てようかとまで言われた。

 分からない仕様なのだ。



◆◇◆◇◆



 花に満ちた寝室は――普段通りだった。

 話を聞くと、兄が『王太子権限』で、資料を全て片付けさせたらしい。

 しかも、兄から命令が下りた。――通常通り食事ができるようになるまで何もしないこと、と。

 権力濫用に濫用を重ねられ、拗ねているファムータルの前に、鈴華が作ってくれた重湯が置かれる。当然、兄の言う『通常通り』とは、鈴華が襲撃される前まで食べていた、普通食を年相応に、だろう。

 だが、重湯から始めなければいけないのは分かっているので、仕方なく食べる。鈴華が作ってくれたものだろうと、状況が状況だけに味わえない。

 ――そこへ、要らない追い打ちが来る。

丁鳩ていきゅう殿下がお見えです」

「会いたくない!」

「『王太子権限』で、面会のご命令です」

「…………」

 目の前の重湯をひっくり返したかったが、そんなことのできる性格ではない。すぐに普通の服に髪を流した兄が入ってきた。

「……どうだ? 気分は?」

 言いながら頭に手を置いてくる。ただ置いているのではない。薬が残っていないか調べている。それくらい、魔力の流れを見れば分かる。

「……ごめんな……」

 そういう前に、もっと考えてほしいが、そういう兄ではない。せめてサティラートが来ていないかと期待したが、兄一人らしい。

 椅子を持ってきて横に座られる。重湯を食べ終わるまで見届けるつもりらしい。

 既に弟の笑顔など諦めたであろう兄は、何を言っても通用する相手ではなかった。こちらを見詰める穏やかな笑顔は、以前のファムータルなら大喜びで笑顔を返したが、そういうことはもうできない。



◆◇◆◇◆



「……これ、全部か……」

 灯りもない自分の寝室で、寝台の上に問題のものを並べ、無気力に呟く。

 弟の部屋にあった資料を回収させた。書類よりも、大問題の写絵の箱が複数見つかった。

 もともと人身売買関連は、被害者から証言を得ることが難しい。例えば、弟に話した『極上』の被害者は、最初こそ証言を取ったが、安全になったと自覚した途端、皆、自分の境遇を受け入れられず、自殺した。もちろん、自殺を考えてできないようにしていたが……それで拘束してしまったら『ご主人様』と同じだ。結局、何らかの手段を探して、苦しみ抜いた後に死ぬよりも、苦しまないように最後を迎えられるように、分かりにくいところに遺書を書く道具とナイフを置いた。どうしようもない事態で、尊厳を守るためにせめてできたことだ。遺書には,自分の遺体は消し炭になるまで燃やしてくれ、誰にももう触らせないでくれと綴ってあることが多い。全て、丁鳩ていきゅうが呪われた魔力でその通りにした。

 それだけはない。書類で得られる知識より遥かに多く、残虐なことがこれらの写絵には入っている。それを、弟は『頭に流し込んだ』。

 壊れなくて良かった。あの平和頭の弟に、どれほど衝撃だったか……。

 ――全て、自分が麻薬に漬けさせてしまったため、その後遺症でやった。

 と、入ってくる音がする。これは被害者ではない。

「やっぱり起きてやがったか。レヴィス」

「兄貴……なんでこんなの、ライに渡した?」

 無気力に問うと、

「もう言わん。自分で考えろ」

 冷たく言い、連れてきた魔法医に指示を出す。

「お前さん、毒も薬も効かないからな。とりあえず寝ろ。どれだけ考え込んで徹夜する気だ」

「俺はいい……ライのほうを……」

 言いながら、魔法医の治療を魔力で弾く。

礼竜らいりょう、ねえ……」

 サティラートは大いに溜息をつき、

「だったら、魔国に居る間に『王太子権限』で、記憶を消したらどうだ? 前の何も知らない笑顔の礼竜が戻ってくるぞ?

 尊厳もなにもなく、ただ、お前の望むままに傍でニコニコしててくれる。エルベットじゃ殺人より重いが、魔国じゃアリだろ?」

「……兄貴……」

 無気力だった丁鳩ていきゅうの声が怒気に染まる。

 今まで自殺した被害者たちも、記憶を消せば助かることは分かっていてしなかった。『尊厳』それに尽きる。

 弟を、その尊厳のない『人形』になど……

「できるだろ! 廃嫡した時みたいに!」

 サティラートを殴り倒したいのを必死に耐えた。自分の力でやってしまえば、死んでしまう。

「この話はここまでだ。……で、いくらお前さんが血色良くても、もう少し疲れれば礼竜もお前さんの様子に気が付く。

 これ以上疲労が重なる前に寝ろ」

「…………」

 抵抗を辞めた異父弟おとうとを、魔法医の魔力で強制的に眠らせる。

「……礼竜が可哀想だ。お前さんも……」

 聞こえていればいいと思いつつ、呟いた。



◆◇◆◇◆



 鈴華すずかのレースが呪いの傷の痛みを和らげると知った後、鈴華が一生懸命織ってくれたレースを肌着に仕立ててくれた。本当に、傷が安らぐ。

 久しぶりに王族服に袖を通す。

 中心にエルベット王家の紋章、左右の前垂れには自分の紋章のエルベット・ティーズの紋。そして色は白。

 鈴華の料理を普通通りに食べ、着替えた。普通の食事をする事という兄の命令は遂行したが、兄は来ない。ようやく分かってくれたのだろうか。

 まだ痩せているが、それはこの先食べればいいだろう。

 空を見ると、曇っているので、鈴華と一緒にエルベット・ティーズの墓地に行った。

 墓石から少し離れた花畑に並んで座る。

「……鈴華……ごめんね……」

 開口一番そう言うと、頬をつねられた。

「ファムータル殿下も、丁鳩ていきゅう殿下と同じです。謝ってばっかり!」

「え……? 僕、兄様みたいな感じに見える?」

 大いに焦った。あの、自分への愛情が欠落した、話の通じない兄と同列とは思わなかった。

「私は、ちゃんと聞いてるんですよ? エルベット王族の務めも行く末も、殺される危険も」

 ファムータルが言い洩らしていたことは、彼が教育を受けている間に、聞かされていたそうだ。

「全部分かってて……僕と居てくれるの?」

「先に傍に居てって仰ったの、どなたでしたっけ?」

「……う……」

 勢いとはいえ、そう言って鈴華をエリシア邸に引きずり込んだ。その事実を思い出し赤面する。

「それで……鈴華はいいの?」

「ものすごく、今更ですよ?」

 確かに今更だ。毎食手料理を食べさせてもらって、一緒に寝てもらっている。おまけに、手のかかるレースで肌着まで作ってもらった。

 しばらく、沈黙が流れたが――

「鈴華、これ、もらって」

 言いながら懐から出してきたのは、銀糸の髪を使って作ったお守りだ。エルベット・ティーズの紋がついた留め具がある。

「魔弾とかなら、少しは防いでくれるから……」

 受け取ってくれた鈴華を横目に、懐のもう一つを出そうと必死に言い訳を考える。

 だが――ついにその勇気は湧かなかった。

「陽が射しはじめましたから、戻りましょう?」

 雨でも降ってくれれば良かったのに……と思いながら、鈴華に引かれるまま邸に戻る。鈴華の身長を早く追い越したい。そんな切実な思いもあった。



◆◇◆◇◆



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