魔国編 3,【呪いの傷】

ファムータルの章 3,【呪いの傷】



「……で、これからどうするんだ?」

 大量に送り付けられてきた無駄に豪華絢爛な贅沢品を、贈賄の証拠として処理した後、サティラートが丁鳩ていきゅうに問う。

「元々、呪王がいなくなって混乱した政治を押し付けるために、身勝手な貴族連中がお前さんを呼びつけたんだろうが」

 魔国の元首であった呪王は死に、王太子も第二王子もエルベットの王族となってしまった。烏合の衆の貴族たちが集まってどうにか国を動かしていたが、根を上げ、エルベットに魔国の王族を返せと言い出したのである。

 無論、エルベットは応じなかった。だが、呪王を討ったのがエルベット国王だったと言い張り、引かなかった。既にその時点で、王政が崩壊するのが明確な事態だったが、それは棚の上だ。

 そうして協議する中――丁鳩が、自分から魔国に戻ると言い出したのだ。

「お前さんも、『レヴィス』の名前を捨てた時点で、もう魔国に関わる気はなかったんだろ?」

 丁鳩は、エルベット王族として洗礼を受け、御名みなを授かった際、元の名の『レヴィス』を捨ててしまった。故に王族同士か特別な者以外は『御名呼び』はできなくても御名しかないため、御名みな丁鳩ていきゅうで呼ぶ。どうしても畏れ多い時は、『フォン・ディ・エルベット(王族殿下)』と呼んでいる。

 そうして丁鳩が王太子として戻ってきたことと、当時の丁鳩が十歳という年齢であったことから、貴族たちは良い傀儡にし、責任を負わせればいいと思ったようだが……丁鳩はその時点でエルベット王族として帝王教育を受けており、エルベットの基準で改革を始めた。都合よく考えていた貴族たちは焦っただろう。

 まさかそんなことになるとは思わず、形だけのつもりで丁鳩を元首としそれに無条件で追随することを書面で宣言していたのだから、もはやどうしようもない。おまけに、要望通りとはいえ第二王子まで帰ってきたことで、第二王子の後見人としてエルベット国王が娘に譲位し付いてきてしまった。完全に、目論見とは違う展開だった。

 そうして、一方的に丁鳩が改革を推し進め、頻繁に暗殺者が差し向けられる現状となった。


 だが――最近、状況が大きく動いた。魔国貴族出身の男が、典医としての権限を利用し、エルベットでも前代未聞となる王族への精神操作を行っていたことが露見した。生き証人と証拠の毒物・麻薬がエルベットに渡り、エルベットは二人の王子を引き揚げさせると言い出した。

 王太子が思うように動かないとはいえ、貴族たちは自分が責任を負うのは御免だ。かくて、こうして賄賂を贈るというエルベットでは絶対にない方法にまで走り、自分たちの地位を守ろうとしている。

 特に、典医の出身の貴族の家をこれでもかというほど叩き、見せしめにすることで難を逃れようとする動きが大きいが……それでは何も起きないことが何故分からないのだろうか。


「……まあ、モノや金を送ってくるだけなら、まだいいんだけどな……」

 金品なら、証拠として処理すればいい。だが――所謂『花』を送り付ける貴族も激増している。自分たちが政略結婚の為に手塩に育ててきた娘を、差し出してくるのだからどうしようもない。

 丁鳩邸には保護した被害者たちが雇われているが……そもそもお育ちからして違うのでそちらに入れられるわけもない。

 悩んだ末、神殿に向かわせている。神の道に入るということで、生涯結婚もできない身となるが、道具として使われた事実があるのだから、神殿のほうが余程いいと判断してのことだ。


「……まあ、これはある意味チャンスだ。この機会に貴族連中を黙らせる」

「あ~、民主化か……できるのか?」

 サティラートは、丁鳩が前々から言っていた最終目標を口にする。

 現に、エルベットは例外として、他国では王政、皇政に弾圧されてきた民衆が次々革命を起こし、ある国では王族が全員処刑され、ある国では王族が逃亡し、次々と民主国家が誕生している。

 魔国は、呪王が筆頭として腐敗体制が酷かったが、丁鳩が王太子となって改革に勤しんできたのは、最終的に貴族も排して民主制に持っていこうという腹積もりだった。


 事態は、大きく動いている。

 それを逃す手はなかった。



◆◇◆◇◆



「う~ん……」

 ファムータルは、色とりどりの生地を手に取って見比べる。

「これとか、似合いそう!」

 無邪気に広げて見せるのは、花の飾りが沢山ついたドレスだ。勧められた鈴華は引き気味だ。

 『鈴華すずか』の名前が決まってから、ファムータルは、服飾の取引先を呼んだ。もともと彼女が持っていたのは、丁鳩邸で支給されたお仕着せと普段着だけだったので、ならばというのはこの平和頭の王子では普通のことだった。

「あの……ファムータル殿下……」

「何? どれが好き?」

「ええと……あの……」

 王族ともなれば、着るものからして違う。ファムータルは普段、彼の色の白い王族服を着ているが、別に王族服でなくても良いらしく、彼の従姉の王女たちは普段から王族服よりもドレスを選んで着ている。この王子には、それが常識なのだ。

 だが――世間一般の感覚から言えば、はっきり言って豪華すぎる。

 それをどう言おうか迷っていると――


「これなんかどうだ? 似合うと思うぞ?」

 やってきたサティラートが、一枚ファムータルに渡す。広げ、王子は赤面し――

「こんな……こんな……無理!」

 『控え目に言って煽情的』なドレスをくしゃくしゃに丸めて投げ、

「どこからこんなの持ってきたんですか!?」

 真っ赤な顔のまま頬を膨らませる。

「娼館摘発の時に出てきたヤツだ」

 あっさりと言うと、ファムータルは深刻な顔をする。この王子は、丁鳩が徹底してそういうものを見ないようにさせている。

「ま、お前さんが、鈴華に可愛い格好をしてほしいと思うのも分かるが……鈴華だって、王族育ちでも貴族の娘でもないんだ。せめて、希望を聞いてからにしろ」

 言って、丁鳩そっくりな仕草で、頭をぽんぽんと撫でてやる。

「鈴華……どんな服がいい?」

「……普通の服がいいです」

「……?」

 困った。普通の服を集めたつもりだ。可愛さに走ったのがいけなかったのだろうか。

「あ~、よしよし。オレが一緒に選ぶから、な?」

 世間一般とそもそも感覚の違う王子様には難しいだろうと、サティラートはこの際に教えることにした。



◆◇◆◇◆



 ようやく鈴華の服が数着決まり、そのうち一着を着た鈴華を連れて向かったのは、エリシア邸の一部を占めるエルベット・ティーズの花畑だ。

 服は、もっとたくさん準備したかったのだが、鈴華は数着しか受け取ってくれなかった。サティラートがこれ以上はやめろと諭してきたので、そこで諦めた。

 エルベット・ティーズは高山植物なため、魔国の気候では咲かない。魔力で咲かせたものだ。

 花畑の中に、墓地がある。

「僕が産まれた時に、母様も亡くなって、他の人もみんな呪王に焼き殺された。

 母様の遺体は無事だったけど、他の人たちは判別もつかなくて……お祖父様が僕たちを連れて引き揚げた後に、まとめて埋葬されたんだって。

 だから、ここには墓標はあるけど、遺体はないんだ」

 被害者のうち、当時エリシア邸にいたと記録のある者たちの墓標を並べたのだそうだ。主に、身の回りの世話をしていた女官や、出産に立ち会った医療関係者、警護の兵士たちなどだ。

 エリシア邸も焼かれて全壊していたが、ファムータルたちが戻ってくる際、修復された。そして、その横に丁鳩邸が建った。今では、この二つが『王宮』となる。

 そして、すぐ側に、呪王が拠点としていた『王宮本殿』があるのだが、こちらは呪いの巣窟となっており、誰も近づかないように封印されている。

 エリシア邸と丁鳩邸は、王宮本殿に不審な動きが起きたらすぐに察知できるよう、近いという利点で拠点となった。

「普段は、ここのティーズは摘まないんだ。命日だけ、摘んでお墓に捧げる」

 だから、大量の花をわざわざ抱えてきたのかと理解した。

 ファムータルは、遺体のない墓標にこうべを垂れながら、花を捧げていく。

 大量に持ってきたとはいえ、墓標の数が多すぎる。最後の奥の墓標に辿り着いた時には、花はちょうど一輪だった。

「……母様」

 膝をつき、色々なことを報告する。そして――

「鈴華です。僕の大事な人。……まだ、付き合ってないけど……」

 墓標に鈴華を紹介する。

 ――婚約したら、改めて紹介に来ます……。

 その言葉は、口に出さなかった。



◆◇◆◇◆



「スミゾまで帰ったか……」

 エリシア邸に来て弟と話した後、祖父と二人で話していた。

 エルベットの王子を引き戻すという決定を受けて、二人の補助で付いてきていたエルベット貴族も続々と帰国し始めた。その中に、ファムータルのアレルギー対策を筆頭していたスミゾ伯爵の名前があった。どうやら、最初のエルベットの声明で即、帰国したらしい。

 ファムータルは、遺伝病だけでも困ったものだが、重度の食物アレルギーを抱えていた。羊肉、瓜類は、エキス一滴でも口に入れば助からない。数日寝込む程度だが、ナツメグも食べられない。

 人間の遺伝子を弄るのは違法なので、遺伝病には対症療法しかなかったが、アレルギーは研究が進めば改善する余地があった。スミゾが帰ってしまったのは惜しい。

「まあ、エルベットは総撤退を考えているからな……」

 暗に、二人も帰れと祖父は言っている。

 それについては、もう少し余裕が欲しいと丁鳩が言おうとした時――

「兄様、お祖父様」

「どうした? ライ。何か話し足りないか?」

 忙しいで返すこともできないので、頭をぽんぽんと撫でてやると喜んで、二人に封筒を差し出した。


 ――『遺書』。

「……!?」

 いつもの通り、宛名と日付が入っている。


「……義祖父様じいさま、すぐに診てくれ。俺はライの医者呼んでくる」

「え? 何ですか? 兄様、これじゃ動けません!」

 魔力で動けないように弟を封じて、すぐさま典医二人を連れて戻ってくる。

「薬物の後遺症が出てる。頼む」

 二通の『遺書』を見せると、典医二人はすぐにファムータルの様子を祖父と一緒に診はじめる。

「なに~!? 先生、今日の治療は受けました!」

「こんなもの寄越す時点で、危ないだろ!」

 『遺書』を目の前でちらつかせると、

「いつも、いつ死んでも後悔がないように書いてお渡ししてるじゃないですか!」

 事件のあと、証拠となるか確かめるために丁鳩は『遺書』の山を全て開封した。その結果、証拠として申し分ないうえに、これらに都度目を通していれば事態は防げたと後悔したものだ。

 今回も、教訓を生かして開封し、目を通す。


 ――ごく普通の、感謝と、最近の嬉しいことが綴られていた。


「……お前さん……つまりは、いつ死んでも思い残すことがないように、これを書いて渡した、と」

「いつもそうじゃないですか!」

 魔力束縛のうえ、徹底的に調べられていることが不満な弟は抗議する。


「なんで『遺書』なんだ?」

「……え?」

「『遺書』って普通、自殺する人間が最後に書くものだぞ!?」

「……?」

 ああ、それが悪かったのだと、やっとこの王子は気がついたようだ。

「……今度からは『気持ち』にします」

「……よし! 分かったならいい!」

 無駄に冷や汗をかいた兄と祖父は、できればお灸を据えてやりたかったが……今後ないなら、それでいいと思った。


◆◇◆◇◆



 丁鳩邸の自室の寝室にて。自室だろうと質素を旨にしていることは変わらない。サティラートに言わせれば、武器の類が多くて『物騒な部屋』だそうだが。

 普段より少し遅れて寝台に入り、これからのことを考える。

 ――エルベットが自分たちをいつまで居させるか。

 ――この最後の機会に、どうやって貴族たちに特権を放棄させるか。

 そんなことに思いを巡らせていると、ノックもなしに扉が開けられる。


 ――またか……。

 珍しいことではない。奴隷市掃討作戦は最近成功に終わった。つまりは、元奴隷が多く、新たに丁鳩邸に使用人として入ってきている。

 洗脳の強い者は、丁鳩ていきゅうを『新しいご主人様』と認識し、こうして夜に『奉仕』に来る。責められることでもないし、丁鳩が責任を持って説得するつもりなので、周りにも無条件で通すように言ってある。

 身体を起こし、入ってきた人物を見ると、少し意外な顔だった。

「……ジュディ?」

 支給品の寝間着ではなく娼婦の夜着に身を包んだジュディが、そこに居た。



◆◇◆◇◆



「言ったろ、お前は自由だって。もうこんなことをする必要はないんだ」

 二回目、三回目と来るものも珍しくないので、説得を始める。

 ただ、ジュディは、洗脳が最初の一度以来かなり良くなったと思っていたので意外だった。

 聞いているのかいないのか、ジュディは、持ってきたワインをグラスに注ぐ。

「…………」

 ――そういうことか。

 ジュディの狙いは分かったが、理由を聞かなくてはならない。彼女からグラスを受け取り、中身を半分ほど飲んで、話を進める。あっさり飲んだことにジュディが動揺しているが、無視する。

「そりゃあ、ずっと男どもの玩具にされて、何度も堕胎させられて、辛かったのは分かってる。……いや、俺はその立場になったことはないから、分かってないかもな。

 現に、お前さんがこうして、またやってくることも予想してなかった。だいぶ、洗脳が抜けてきたと思ってたからな……」

 言って、グラスを空けて立ち上がると、クロゼットから一枚出して、

「サイズ大きすぎるが、着ろ。その格好はないだろ」

 言われた通りジュディは丁鳩の服を被り、またグラスにワインを注ぐ。今度は自分の分もある。

 ジュディと並んで寝台に座り、グラスをまた受け取って少し飲み、ジュディが自分も飲もうとした時は自然に止める。

「……で。

 ここに情事目的で来るのは珍しいことじゃないんだが……無理心中狙いは珍しいな……。話を詳しく聞かせてくれるか?」

 その一言に、ジュディはグラスを取り落とす。割れたガラスと、溢れたワインが床に散る。

「……毒が効かないって知らなかったんだな……」


 ――毒が効かない!?

 入れたのは猛毒どころか、一口飲めば死ぬような神経毒だ。

 易々と丁鳩が飲み干すので、間違えたかと思っていたのだが……。


「……事情は聞く。話してくれ」

 これが暗殺者なら問答無用で取り押さえるが、そういう相手ではない。立ち直らせる必要がある。特に、今まで見てきてここまで追い込まれているのに気付けなかった責任はある。


「あの……ファムータル殿下のところへ行った、彼女……」

 ジュディの瞳には、悪意も殺意もなかった。

「どうして……どうしてあの人は……見初めてもらえたんですか……」

 その一言に、丁鳩は、ここでもまた自分が失敗したと悟った。

 ジュディの瞳にあったのは、嫉妬だ。

 同じ境遇の、しかも名前も覚えていない元奴隷が、いきなり弟に気に入られて傍に望まれた。

 今まで、丁鳩の『特別』になることを望んだものには、到底受け入れられないことだろう。弟がやったと言っても、丁鳩も認めたことだ。

 ――なので。

「俺が全面的に悪かった。結果として、一人だけ特別扱いになったな……」

 素直に謝罪する。

「それで、俺と無理心中か……。本当にすまん。俺の責任だ」

 この時ばかりは、代償に情事を求められたなら応じようと覚悟した。

「……まあ、お前さんが、俺に矛先を向けてくれて良かった」

 弟や鈴華に何かされたら、流石に理性を保てた自信がない。自分が悪いと分かっていても。


 ――ジュディは……ただ、泣き始めた。

 丁鳩の名を呼びながら、必死に縋りついてくる。

「ごめんな。俺は、お前さんの『特別』にはなれない。

 そういうつもりで助けたんじゃないんだ……」

 ジュディを抱き寄せ、そっと、語り掛ける。そういうつもりで助けたのではないと、必死に説く。

 とにかく立ち直ってもらおうと、説得して夜が明けた。



◆◇◆◇◆



「……お~……」

 朝一番に来るように頼まれていたサティラートは、寝室の状況をしげしげと観察する。

 寝間着姿の丁鳩と、夜着の上から丁鳩の服を被り、寝台で涙のあとをつけて眠っているジュディ。


「ついに『お手付き』か。リディシア殿下に言ってやろう」

 予想より粘ったな、と納得するサティラートに、丁鳩は、

「違う! 未遂だ!」

「いや、言わなくていい。事後処理はオレに任せろ」

「だから違うって! ワイン飲んで話しただけだ!」

 サティラートが問題のワインの瓶を手に取ったので、毒が入っていると教える。もちろん、サティラートは普通に毒で死ぬからだ。

 まあ……ジュディが代償に情事を求めれば、サティラートの言う通り『お手付き』となっただろうが。それは幸運なことに求められなかったので黙っておく。


「兄貴……俺の尻拭いで本当に悪りぃが……俺が処理するわけにもいかなくてだな……後、頼めるか?」

 丁鳩邸に置くこともできない。かといって、今までの暗殺者のように闇に葬ることもできない。

 そんな弟の心境を察してか、

「難しいこと言ってくれるが……分かった」

「起きたら自殺する可能性があるから、その辺も頼む」

「ますますだな……。分かった」

「本当に、すまん」

 夜通しジュディを説得したのだろう、弟の顔は、通常の徹夜よりも酷く疲れている。

「今日は、礼竜のとこに行けないって、上手く言っておくわ」

「……ありがとな」

 とりあえず、その格好ではあんまりなので、退出して着替えを持ってきて着替えさせてから、ジュディを抱えて、異父兄は去っていった。


「……自覚無し、だな……」

 反省はしているようだが、そもそも発端である、『助けられた被害者から見れば丁鳩は英雄としか映らない』という点を自覚していない。その時点で、反省の論点もズレている。

 自分に瓜二つな異父弟といい、白い義弟といい、とことんズレている弟たちをフォローするのが兄としての自分の役割だと思っていた。




◆◇◆◇◆



「本日の時間割でございます」

 鈴華の手料理をたらふく食べ、今日は鈴華とどう過ごそうか楽しみに悩んでいたファムータルは、突きつけられた『時間割』を呆然と眺める。


 ファムータルは、魔国に来ているが、エルベットの王族だ。故に、相応の帝王教育を受けなければならない。

 それは分かっている。現に、あの事件の前まではそれが普通だった。

 しかし――

「鈴華と一緒に居る時間は……?」

 時間割は隙間なく、とても鈴華に会える時間はないと分かる。

「ございません。鈴華様には、別室で家庭教師をお付けします」

 つまり――鈴華も教育される、と。

「ひどい!!」

「当然でございます。お立場をわきまえください」

 侍女長に圧され、最後の抵抗を試みる。

「でも、ここ最近、ずっとなくて……」

「事件と殿下のご体調を推し量っての特別措置でございました。この通り、本日より『通常』でございます」

「……はい……」

 項垂れるしかなかった。鈴華は……どうしているだろうか……。



◆◇◆◇◆



 王族教育には、家庭教師を呼ぶよりも適任が居る。前国王だ。

「気を散らすな」

 いつもは優しい祖父が、こういう状況になると容赦ない。頭も撫でてくれないし、出来たときに褒める声も硬い。

「あの……お祖父様じいさま……乗馬したいです……」

「今日は陽射しが強いから駄目だ」

 きっぱり斬られ、時間割通りに進み……魔力制御の時間が来る。

「……兄様みたいに、剣に乗せてみたいです……」

「剣術が上達しないと無理だ。お前の身体では、丁鳩のように肉体を主に戦うことはできない」

 またぴしゃりと斬られる。祖父はこういう時は言い方が容赦ない。別人ではないだろうか。

 ファムータルの魔力は、風属性である。何故、魔国の呪いの血なのに風なのか聞いたことがあるが、分からないと言われた。

 兄の炎が良かった。

 延々と講義、実践を繰り返し、全ての『時間割』が終わったのは夜だった。

「鈴華~!!」

 夕食の席でやっと出会えた鈴華に縋り付く。鈴華は、兄と同じように、頭をぽんぽんと撫でてくれる。そうすると大喜びすると兄が教えたからだが、ファムータルは知る由もない。

 だが――次にまた、衝撃の事実が来る。

「鈴華様は、ファムータル殿下のお部屋ではなく、続き間にご用意いたしましたお部屋にお移りいただきます」

 侍女長がとんでもないことを当然のように冷酷に告げる。

 続き間――つまり、配偶者が入る部屋だが、要するに別室になるということだ。今まで自分の部屋に一緒に居てもらって、散々甘えていた。それができなくなる。

「……夜は?」

「お部屋にて。それぞれのお部屋にてお過ごしください」

 一緒に寝られない!!

「今までが特例でございました。殿下は、引き続き治療を受けていただく必要はございますが、通常に戻っていただきます」

 鈴華の料理だというのに、あまり味が感じられなかった。



◆◇◆◇◆



 兄が来ないと言うと、今まで特別に苦労して時間を作っていてくれたのだから自制しろと言われた。サティラートも今日は用事があって来てくれないらしい。

 就寝まで時間はある。お菓子を焼いて兄のところに行こうかとも思うが、他に気になることがある。

 ――鈴華の部屋……。

 続き間である。エルベットに居る時は、従姉のところに平気で入っているし、エルベットでは十二になった王族としての正式なお披露目以降、公務も任されており、その中で女性の部屋に入ったこともあった。

 だが――それらとは遥かに、難易度の高い部屋だ。

 何と言って入ればいいのだろう? 中に何があるのだろう。

 ――兄様かサティ義兄様にいさまが来てくれれば、聞けるのに!!

 蒸気が出らんばかりに真っ赤な顔で、悩んだ後――意を決して、勇気を振り絞ってノックした。

「あ、あの……」

 顔を出した女性執事が、彼が何か言う前に通してくれる。

 部屋に入ると、見慣れぬ台に向かって、鈴華が木の棒を動かしていた。

「……?」

 近づいてみると、木の棒に糸を巻き付けて動かしているらしい。細いピンが無数に立てられている下には、白い布のようなものが見える。

「ボビンレースでございます。ご覧になるのは初めてですか?」

 鈴華は集中しているようでこちらに気づいていない。執事が声をかけてくれる。

 ――ボビンレース……レースなら、よくアムやアナが沢山使ってた……。

 双子の従姉がよく、レースの小物やレースのついたドレスを愛用していた。リディシアは時折、レースのショールを羽織っていた。

 ファムータルは、兄がレースを使わないので、使っていなかった。

「見たことはあるけど、編んでるところは初めて見るかな……」

「ボビンレースは、【織る】と言います。

 糸をボビンに巻き付け、動かして織るのです」

 ということは、この木の棒が『ボビン』ということか。

 それにしても、物凄い数のボビンをすごい速さで動かしているのに、レースは遅々として進まない。こんなに手間のかかるものだったとは……。

 やがて――

「……! ファムータル殿下」

 鈴華が気が付いて顔を上げてくれた。

「……あ、ごめん。忙しかった……?」

 緊張して声が変になる。

「いえ、気が付かずにすみません。ご用は?」

「え、ええと……」

 特に用はないが、会いたくて来た。そう言えばいいのだが、そういう思考はこの王子にはない。

 逃げるように視線を彷徨わせ――

「あれ、僕の服?」

 トルソーにかかっているのは、まぎれもなくファムータルの白い王族服だ。

「普段、こちらをお召しのようでしたので、サイズを見たくて」

 言って、鈴華は何か白いものを差し出してくれる。

「……カフス……」

 ボビンレースで織られたカフスだった。

「はい、殿下のご衣裳の造りから、付け襟は難しいのでカフスだけでもと」

 ――女の子の手作りプレゼント……。

 そういえば、乳母兄のライオルはもらいすぎて嫌になるほどお菓子をもらっていたが、ファムータル自身は、女の子から手作りのものをもらうのは初めてだ。

 緊張しつつも着けてみると――なるほど、しっくりくる。

「ありがとう、大事にするね」

 レースを織るのは大変、それを織ってくれた……。その事実に顔がふやける。

 そのまま、鈴華がレースを織っているのを眺めさせてもらっていたら――

「ファムータル殿下。お休みになる時間でございます」

 侍女長が無情な宣告に来る。

「……鈴華と一緒に寝たいです……」

 勇気を出して要望を言うが、聞き届けられる筈もなく、背中の傷の痛みに苛まれながら一人寂しく眠った。



◆◇◆◇◆



 ――今日は兄様が来てくれた!

 喜んで玄関ホールに向かうと、兄は笑顔で、

「今日はこれから遠出だから、先に会いに来た」

 言って、一冊の本を渡してくれる。

「お前さんにぴったりだと思ってな。読んで勉強しろよ?」

 喜んで受け取ってから、よく見ると――

 【初心者必見! 初夜の作法 ~恥をかく前に読め!】

 タイトルだけで返却したら、兄はページを開いて、

「中もしっかり確認したが、変な焼付写絵もなくて、文章と簡単な図解と、お前さんの役に立つ、ありがち失敗談とかだ。読め」

 中の『図解』を見せた後、もう一度渡される。

「……要りません……」

 この王子が、兄にもらったものを喜ばない、それどころか返品など、初めてだった。

 頑なに弟が受け取らないので、

「じゃあ、鈴華に預かってもらうか。お前さん、読みたくなったら鈴華に頼め」

 とんでもないことを口走る。

「に、にいさま! それは……!」

「なんだ? お前さんが持つか?」

 にこにことした笑顔は、愉しんでいるようにしか見えなかった。

「も、持ちます!」

 受け取ったものの、こんな本は要らない。

 ――あとでこっそり捨てよう……。

 そう思いながら兄を見送ったが、ゴミ出しまで徹底されて管理されているこの王子さまは、この先何度捨ててもこの本が戻ってくるなどと、予想していなかった。



◆◇◆◇◆



「いや、無理だ」

 弟の顔をじっくり見ながら、提案をバッサリと斬る。

「お前さん、変装って意味分かるか?」

 身長も低く、美少女と見間違えるような愛らしい顔立ち、細く華奢な身体つき、そして何より、神秘的な雰囲気の漂う遺伝病の外見――。

 変装して町を歩いてみたいという弟の要望は、当然却下だった。

「髪を纏めてカツラ被ればなんとか……」

「礼竜。……お前なぁ……」

 カツラの問題ではない。どんなに頑張って変装しても、美少女が男装して歩いていると思われて人攫いに遭うのが目に見えている。もしくは、男と分かっていて『極上の獲物』として狩られるか。変装が甘くて正体が分かれば、飢えた狼の群れの前に兎を出すほうが安全なくらいだ。

 もし声を出せば、それこそお終いだ。

「鳥と感覚を合わせて飛ばせばいいだろ?」

「……鈴華とデートしたい……」

 ぽつりと言うと、兄二人は、やっと分かってくれたようだ。

 鈴華と手を繋いでデートをしたい。それが始まりだった。

「エルベットに帰ってからにしろ? な? どうせ聖祭節には帰るだろ?」

 魔国でこんなエサを歩かせるわけにはいかない。話から察するに、護衛にも離れていて欲しいようだし、危なすぎる。

 だが――自分の容姿がいかに危ないか分からない弟は、譲らない。

 ――言うと怒るが……言ったほうが身のためか?

「聖祭節って……今、夏ですよ?」

「ああそうだな……。で、お前さんは、夏の魔国の陽射しの下でも出歩く、と」

 エルベットは標高が高いために陽射しは弱いが、魔国は普通に陽が射す。魔力で光から守ると言っても、少なくとも馬車に乗らないと無理だろう。

 それを指摘されると、弟は、

「馬車でデート……」

 なおも食い下がる。

 馬車が停車した途端に襲われるのがオチだ。もしくは、並走して襲う場合もある。

「駄目だ。エルベットに帰るまで待て」

「サティ義兄様にいさま~」

 不満そうな弟に、丁鳩は卑怯だが強制的に諦めさせる言葉を放つ。

「エルベットから帰国しろって散々来てるし、今すぐ送り返してもいいんだぞ?」

「――……!!」

 諦めた弟に、今のは流石に可哀想だったと反省した。



◆◇◆◇◆



 今日は、兄と長時間一緒に居られる。

 魔国の呪いは嫌だが、呪いによる血呪の訓練だ。


 こればかりは、使える人間が兄しか居ないため、兄の邸で習う。曇りの日に、中庭を完全に人払いし、周りを信用できる兵で固めてもらった環境で訓練を受ける。


 だが――

「お前さん、【眼】以外はてんで駄目だな……」

 一通り終わってから、丁鳩が呟く。

 無理もない。初夜の入門書で拒絶反応を示すような純情かつ平和頭の王子には、向いていない。頭の中にはお花とお菓子しか詰まっていないのだから。

 呪いは負のものだ。できるだけ関わらないほうがいいが、血筋上必要なことは知らなければ、取り返しがつかなくなってから後悔する。

「まあ、【眼】だけでもいいか……よく頑張った」

 頭を撫でてやりたいところだが、手は二人とも傷だらけだ。

「さて、後処理するか……」

 呪術を使ったということは、呪いが辺りに散っている。普通は祓呪師の出番だが、もっと効率的な方法がある。

 丁鳩が自分の傷口から血を撒き――それが呪いに触れて燃える。

 炎が収まる頃には、呪いは消えていた。

 ――いいなぁ……。

 ファムータルは、何故か、呪いの血を引くのに属性が風だ。つまり、燃えない。

 呪いに対して、血をかけることで中和することはできても、燃えたりしないので効率が悪く、あとで血の掃除をしなければならない。

「ほら、手ぇ出せ」

 言われるままに手を出す。呪術を使うために自分で食い破った跡がある。それを兄が魔力を込めて撫でると、傷が消える。

 次にファムータルが、兄の手の傷を同様に魔力を込めて撫でると、兄の傷も消える。

 呪術が使える、呪術の傷も消せる。ということは、呪いの血は引いているのだが……。

 今度こそ、兄が、ぽんぽんと頭を撫でてくれる。

「最終手段だ。分かってるな? 呪術は使えば使うほど呪われる」

「……はい……」

 兄が指示を出すと、控えていた祓呪師が入ってくる。呪いの浄化に漏れはないが、念には念を入れてのことだ。

「さ、傷が痛むだろ。送ってく」

 兄に付き添われてエリシア邸に帰る。

 自分の部屋に入ると、侍女のメリナが待っていた。

 ――この顔は――!

「嫌だ!」

 メリナがこの顔をしているときは決まっている。採寸だ。

「傷に触る!!」

 ただでさえ、先ほど呪術の訓練をしたせいで余計に背中の呪いの傷が痛むのだ。これ以上は嫌だ。

 メリナを避けて、続き間に入り、レースを織っていた鈴華にしがみつく。

「……どうなさったんですか?」

 何も知らない鈴華にファムータルが何か言う前に、

「失礼します。ファムータル殿下の採寸です」

 そういうことかと、自分にしがみついていたファムータルを、ごく自然に引き剝がしてメリナの前に出す。

「嫌だ! 傷が痛い!!」

 言って、鈴華の後ろに隠れたファムータルを見て、メリナは、

「では、鈴華様にお願いいたします!」

 言って採寸道具を鈴華に渡す。

「……え? す、すずか……?」

 鈴華はごく自然に、採寸個所を確認すると、ファムータルの白い王族封を引っぺがし、採寸を始める。

「ちょ、鈴華!」

 誰も助けない。

「わぁ! 前の採寸結果こちらですよ!」

「背もお伸びになっているようですが……」

「はい、私もそれは感じております! これは……ご衣裳全て作り直しですね! 成長期ですね!」

 薬漬けで阻まれていた第二性徴が始まったのだということだろうが……危機は去っていない。

 残りの採寸は、背中からだけだ。

「……傷、嫌……」

 言って鈴華の後ろに回り込むが、それならば鈴華が更にその後ろに行った。

「……うう……」

 観念した、その時――

 ――暖かい……?

「ねえ、鈴華……。ちょっとそこ触って」

 言われて鈴華は『そこ』に該当するものを探すが、

「呪いの傷ですか?」

 決して触るなと言われた傷は、義兄の言う通り、トラウマものの禍々しさだ。

「そう、そこ……」

 ならばと触れてみると、

「あったかい……すごい、痛くない……」

 ほぅ……と、ファムータルは安堵の息を漏らす。

「そのまま触ってて……。痛くないって……こんな感じなんだね……」

 状況が分かっているメリナと執事は大いに驚いた。

 ファムータルと鈴華は、意味が分かっていなかった。



◆◇◆◇◆



 


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