魔国編 2,【鈴華】
ファムータルの章 2,【鈴華】
――ファムータル・
前代未聞の出奔をして王族としての禁忌となった姫・エリシアの息子であり、エリシアの王族籍が廃棄されたために、国王
魔国からの強い要望により、一時的に、客員王族であった異母兄
――私情で、死にかけた人間を助けてしまったのである。
王族の魔力行使は厳しく律せられ、全てに平等でなければならない。一人だけ助けたいなど、もってのほかだ。
当然、王族としての『封印』という末路を辿る筈だったが……後に一報がもたらされる。
ファムータルは、医者に成りすました悪意ある相手に常習的に麻薬と毒物の混合物を摂取させられ、精神操作の末に希死願望を抱き、事態を起こした、と。
既に、犯人と毒物・麻薬、その間王子が兄に宛てて気持ちを綴っていた『遺書』が証拠として送り込まれている。
結局、神殿は、ファムータルの件は、その犯人を王室と議会に処分させる方針に変え、今回の件は不問とした。
◆◇◆◇◆
「大丈夫ですか?
やってくるなり、心配げに顔を覗き込んでくるのは、主リディシアの使いで時々魔国にやってくる騎士・ライオルだ。
今回は、リディシア王女の件とは別に神殿からの最終判断を持参していた。既に鳥を介して聞いているが、書簡の形が正式となる。
「城も大騒ぎでしたよ。
最初、ベリ様とベル様が国王陛下に
「閉じ込めて散々寂しい思いさせて、それでこれだからな……」
弟のためにと必死になっていたが、完全に失敗した。丁鳩が薬草茶の臭いに気が付かなかったら、食事の直後に行かなかったら、ファムータルはそのまま『封印』されて消されただろう。
相変わらず質素が主流の丁鳩邸の執務室だが、一階からは楽し気な声が聞こえる。
やっとエリシア邸から出してもらえたファムータルが、サティラートとはしゃいでいるのだ。
「ほら、丁鳩さまも行きましょう? 礼竜殿下も喜びますよ」
ライオルに引っ張られ、どんな顔をしていいか未だに分からない丁鳩は居間に向かった。
◆◇◆◇◆
「イオル! 兄様!」
嬉しそうに無邪気に声を上げたのは、正気になったファムータルだ。
すぐさま二人の手を取り、嬉しそうに上下させる。死の影を引きずる様子は微塵もない。
相変わらず、美少女と間違われそうな容姿と、それを引き立たせる遺伝病の容貌は、危うい。
だが、この場の誰もが、ファムータルは女に見られることを嫌っていて、例えば母エリシアに似ていると言われただけでも、「僕は男です!」と怒り出すのを知っているので、それは言わない。
「良かったですね。礼竜さま。
お邸から出られましたね」
「うん! 兄様にいつでも会いに来て良いって!」
「お留守だったらどうなさるんです?」
「泊まって待ってて良いって!」
ファムータルの側には、皆で食べようと作ってきたのだろう。菓子の詰まったバスケットがある。
「でもな、護衛が居ないときは駄目だからな? その辺はきっちりしろよ? 一人で抜け出したりするなよ?」
「はい!」
兄に頭を撫でられ、ごろごろと喉を鳴らさんばかりに上機嫌な王子は、時折、誰かを探すように辺りを見回す。
女性の使用人が来るたびにそちらを向き、違うことを確認すると残念そうに視線を外すのは分かっている。
「レヴィス、どうするんだ?」
「……ああ」
弟の視線の意味――探す相手が分かっている丁鳩は、観念したように、弟に目線を合わせ、
「ライ。彼女に会いたいか?」
「いいんですか!?」
「どうせその菓子、彼女に持ってきたんだろ?」
言うと、見る間に色素のない顔が真っ赤になる。
「今、連れてくる。もう事情は説明してあるから」
言って退出し、お仕着せ姿の少女を連れて戻ってくる。
彼女を前にすると――ファムータルは、手を取ったまま、泣き出した。
「ごめん……ごめんなさい……。
僕、君に、責任を押し付けて……」
自分のやってしまったことを不幸にも覚えている王子は、自分が消えるために彼女を利用したことを必死に詫びる。
「でも……本当に、君を一目見て、惹かれたんだ……。
君に、生きて欲しくて……。できれば、一緒に居たくて……」
助けたかった……と、素直に言葉にする。
やがて――
「助けてくださってありがとうございます。ファムータル殿下」
そっと、彼女が手を握り返す。
自分の目より高い位置にある、翡翠の瞳を見つめる。
ややあって――
「僕の……僕の……」
何を言おうとして言葉を詰まらせているか分かっている面々は、からかうような快感を覚えつつ黙って見守っている。
「僕の……側に、居てくれる?」
やっと、紡ぎだす。
「……好き……です……」
あの時は、希死願望に囚われていたが、それでも、彼女に惹かれたことも、助けたいと思ったことも本当だ。
それも残さず言葉にする。
「……すぐには、お返事できませんが……お互い、側にいて、知り合って、それからのお返事でよろしいでしょうか?」
いきなり、人生を決める決断を――しかも、知り合ってばかりの相手と、下せるわけはない。ファムータルが助けたといっても、それはあくまでひとつの要因にしかならない。
「うん。それに、僕の妃になると、君は本当に苦労するから……その辺も、それまでにちゃんと話すよ!」
ぎゅっと彼女の手を握り、幼い恋心が叶った喜びを噛み締める。
「ま、とりあえず、知り合い以上恋人未満にはなれたな!」
無責任にサティラートがファムータルの肩を叩く。
「じゃ、説明しないといけないことが沢山あるから、順番に説明するね!」
言ってファムータルは、応接用のソファに誘導する。
「兄様とイオルは?」
「悪りぃ。俺は計画の後処理が山積みだ」
「俺も、丁鳩さまからリデ様へのお返事いただいたら帰りますので、失礼します。
あ、これはベリ様とベル様から。ちゃんと見なさいよ!とのことです。見てくださいよ? 俺という憐れな犬がしばかれますから」
二人の返事に不満そうだったが、これ以上はいくらなんでも贅沢すぎると思ったのか、双子の従姉からという写絵が入っている箱を白い王族服に仕舞いこみ、サティラートを伴って話を始めた。
◆◇◆◇◆
――魔国の王族の子を産むと母体は死ぬ。
これは、事実そのものの【呪い】だった。
この呪いがいつかけられたのかは分からない。しかし、魔国は、嘗てあったであろう国の名も消え、呪われた国として忌避されている。
魔国の王族は、子を産めば死ぬ女と、いつしか婚姻をあげることをしなくなり、【道具として使い棄てる】という手軽かつ効率的な方法を選んだ。既に、倫理感も常識も廃れていた。
呪王にも異母兄弟が居たらしいが、即位するために全て葬ったそうだ。
「……で、
「魔国の王家の子どもは男ばっかりで、魔力以外は母親の遺伝子しか持たない。だから、レヴィスも
ちなみに、偶然だけどオレも母さんに似ててな。そっくりだろ?」
「はい、本当に瓜二つです……」
侍女が用意してくれたお茶と、ファムータルが大量に持ってきた菓子を挟んで話している。サティラートと丁鳩は、目の色が同じでサティラートの髪が長ければ、区別はつきにくいだろう。
「魔国の王族の特徴は、呪いの炎の魔力と赤い瞳。
まあ、赤い瞳は、エルベットの遺伝病も同じなんだけどな……」
サティラートは、向かい合って座っている
「礼竜は、陽が射しても目はどうもないって言ってるから、これは呪いの赤だと思う。遺伝病の赤なら、光に灼かれるからな……。
で、レヴィスが産まれてすぐに、
とはいっても、当時エリシア様は王太子、加えて
「ところがまぁ、エリシアが我を忘れて本気で恋に狂い、エルベット王室を散々混乱させた末に出奔し、呪王の妃となってしまった」
ふと入った声に振り向けば、老人が来ていた。額には王族冠がある。
「前国王陛下」
慌てて立つ彼女に、
「いや、気を遣う必要はない。ここ、いいかな?」
言って、空いていたサティラートの隣に座る。
「あの
そして、八人目の礼竜を身籠った時、どうしても子どもをこれ以上殺したくないと、女の子だと嘘をついた」
魔国の呪いは、女児が産まれれば解けると言われていた。歴代王の記録には、女児を求めて手当たり次第に種付けし、男と分かった時点で全て殺していた王も居たとある。しかもそういった例は、両手で足りる程度ではない。
「魔国の王族の子を身籠ると、腹が膨らむ以外に変化はないらしいんだよ。
で、エリシア様は、悪阻をはじめ、妊娠の兆候を演技して、完全に
「そこで僕が産まれて母様が亡くなったから、
兄様に聞いた話だと、母様の遺体以外、全員生きたまま焼き殺したらしいよ」
もともと、王宮の離れとして、エリシアの為に建てたのがエリシア邸だったそうなのだが、炎に包まれ全壊したらしい。エリシアの遺体だけは呪王が運び出していたのだとか。
「私が事態を知ったのは、エリシアからこれが来た時だった」
言って、前国王は、ロケットを開く。
お腹の大きな、ファムータルを大人の女性にしたような外見の、しかし遺伝病ではない健康そうな女性が穏やかに語り掛ける。
「ごめんなさい、お父様。あの人には女の子って言ったけど……本当は、多分男の子。
この子で八人目……もう、子どもを一人も殺したくない。
でも、あの人は……絶対にこの子を受け入れないと思う。
だから、お父様。この子をお願い。この子の名前は、
あの人がそう呼ばなくても、呼んであげて。あの人がこの子に害をなしたら、護ってあげて。
我儘ばかりでごめんなさい。もう、お父様に頼むしかないの……。
お願いします」
大事そうにお腹を撫で、写絵は終わった。
「私はこれを受け取って、すぐに、授乳のできる女性騎士を礼竜の乳母にし、彼女を含めた精鋭を連れて、礼竜を迎えに行った。だが、悪いことに早産だった。
私が王宮に着いた頃には、燃えた残骸と焼死体の山、そして、エリシアの遺体の周りをぶつぶつと意味不明なことを呟きながら徘徊する
絶望した時――当時魔国王太子だった五歳の丁鳩が、礼竜を匿っていた場所に案内してくれた。丁鳩は、王宮内で唯一信用できた乳母に礼竜を託していた。山羊の乳を飲んで、光で灼けた肌は丁鳩の魔力で治療を受け、礼竜はどうにか生き延びていた。
そして私は、礼竜をエルベット王族として、丁鳩を礼竜の恩人として客員王族に迎えることにし、生き残っていた丁鳩の乳母とサティラートも伴って魔国を去ろうとした」
「でもまあ……呪王が礼竜が助かったって聞きつけて、襲い掛かってきた。レヴィスは魔力あるって言ってもまだ子どもだし、オレも魔力もない足手まといだし。
前王陛下がやっと勝ったと思ったら、最後に、礼竜を攻撃してな。丁鳩の乳母もろとも殺しやがった……」
丁鳩の乳母とは、実は、サティラートの父方の祖母だった。これ以上話を重くしないために黙っていたが。
「即死に見えたが、礼竜の傷は背中の一ヵ所だけだった。私は丁鳩と共に魔力を注ぎ込み、礼竜は息を吹き返した。
……背中に、禍々しい呪いの傷が残ったがな……」
王族が暗殺されかかった時のみ、死ぬ運命の者の魔力治療が認められているそうだ。ただ、王族でも病死や事故死では認められない。
ファムータルの魔力容量は王族でも飛び抜けていて、前王と丁鳩が魔力を使い果たして動けなくなって、やっと命を取り留めたらしい。
「お嬢、礼竜の背中の傷、絶対触らないでくれよ。ものすごく痛むんだと」
「……本当に、すごく痛いから、触らないでね」
「……はい」
「というか、一度見たら忘れられない、トラウマもんだぞ。生きてるのが不思議なくらいだ」
「その後、報せを聞いた娘が来てくれて、エリシアの遺体を王宮跡地から回収してエルベットに帰った、というわけだ」
エリシアの遺体を連れ帰ったはいいが、やはり、王家にあるまじき出奔をしたという時点で受け入れてもらえるわけはない。それだけでなく、子どものために父親、延いてはエルベット王室を他国の問題に一方的に巻き込み、永世中立国の例外を作った人物である。神殿が王族廟に入れることは当然なく、エリシアの墓は寂しくひとつだけで建っている。それでも、幼いころのファムータルには、母に繋がる唯一の場所だったという。
沈黙が落ちた。
重い話だけに、何も言えないでいると、
「お嬢、ほら、さっきから何も食ってねぇぞ?
礼竜の菓子は、食べるだけで幸せになれるって評判だから、食え」
確かに、ファムータルが作ってくれた菓子は、見た目からすごく愛らしくて違っている。
「レヴィスと一緒に魔国に来てからも、レヴィスは忙しくて無理だが礼竜だけは聖祭節にエルベットに帰国させてるんだ。
毎年、一般人に混ざって菓子コンテストに応募しててな……すごい評判だぞ」
「エルベットの
ねえ、今度帰るときは、君も一緒に来てくれない?」
「それなんだが……言わなければならないことがある」
希望を込めて彼女を誘うファムータルに、祖父は、言い出しにくそうに、
「エルベット側は、元からお前たち兄弟を魔国に送るのに消極的だったのは知っているな?
今回の件を受けて、早々に見切りをつけて帰還させろと、私に言ってきている。二人同時が無理なら、礼竜、お前を先に、どうあっても戻せ、と」
「――え?」
一瞬で、希望に溢れていたファムータルの顔が真っ青になる。
「嫌です! 兄様とバラバラなんて、嫌です!」
席から立ち、祖父にしがみついて泣き始める。
「兄様と離れたくないから来たのに、兄様だけ置いて帰るなんてできません!」
祖父が頭を撫でるが、嫌だ嫌だと首を振るばかりだ。
――レヴィスなら……礼竜だけでも帰すな……。
ちらりとお仕着せ姿の少女を視界に入れて、
――多分、お嬢が付いていくことで交渉するだろうな。
そんな義兄の思惑など知らず、祖父に必死に、兄と一緒にいると訴えている。
ただの王族暗殺未遂ではない。厳重な警戒網を潜り抜けて王族を長期にわたって薬漬けにし、精神操作で禁忌を犯させた。
こんな事案はエルベットの王室の例にもない。魔国がいかに異常で恐ろしいか、エルベットも感じたのだろう。
そして――手を引こうとしている。
丁鳩が魔国王太子として必死に法整備や違法行為の撲滅に動いているが、それでもこの現状だ。応援を出すより、兄弟を回収して以後関わらないようにする判断も頷ける。
元より、エルベットは永世中立国だ。ここまで他国に関わったことが異例なのだ。
泣き続ける
「お嬢、お前さん、料理は得意か?」
「あ、はい。……王宮のようなものではなく、普通のものなら……」
「じゃ、ちょっと今から大至急作ってくれ。礼竜の奴、三日間ろくに食べてないから消化しやすいの。アレルギーが酷いから、侍女に聞いてくれ」
言って、彼女を厨房に案内する。
泣き続ける
ならば――新たな可能性に賭けるしかなかった。
◆◇◆◇◆
「お疲れ様です。……いや~、魔国の連中って、本当に我欲ばっかりですね……。エルベットの常識じゃ有り得ませんよ~……」
短い茶髪を丁寧に編みこんでいる様子からも分かるように、魔力は一般人並だ。それでも青の近衛騎士装は、年齢からすれば異例の才覚だと分かる。そして、その無用に面食いが飛びつく顔で、本人が悩んでいるのも知っている。
「俺も、魔国に産まれてたら、男娼として売り出されたかもしれませんね~……」
女の子が放っておかない顔ということは、要するに男色家も好むのだ。確かに、今は筋肉も均整についていてそういう気を起こす人間も少ないかもしれないが、その手の趣味の変態から言えばアリだ。
「……権力持ってる女に、強制的に相手させられるほうがしっくりくるな……」
たとえ、情事が男主導といえど、麻薬なりなんなりで思うように操ればいいのだ。そういう被害者も居る。
「ちょ、ちょっと、何ですかそれ!?
魔国怖いです! よく丁鳩さま、こんなところに居られますね!」
「俺は、せいぜい暗殺者を仕向けられるくらいだからな……」
「だから! そもそもその暗殺者が頻繁に来るって時点」
イオルが身体を旋回させ、次の瞬間には人混みに紛れていた一人の喉元に剣を突き付けていた。
「……良かったな。丁鳩さまが応対してたら、腕の二、三本は供述に必要ないから斬られてたぞ」
「いや、切り落とすと失血死だから折る程度だ。ありがとうよ」
言いながらイオルが捕らえた暗殺者を手際よく魔力拘束して兵士に引き渡す。
「ていうか、丁鳩さま、気が付いてたでしょ?
俺が動くの見たかったんですか?」
「ああ、昇進してるって聞いてたから、ちょうど良かった。ダメだったらいつでも返り討ちにできたし」
「勘弁してくださいよ~。これで護れなかったと知れたら、ベリ様ベル様だけじゃなくて、リデ様にも本気でしばかれますよ~」
「リディシア様には、お前がちゃんと活躍したって言っとくよ。
そうそう、返事だったな」
鎧姿なので、携行していたポーチから貝殻を出す。リディシア王女がいつも写絵を入れて送ってくるものだ。エルベットでは輸入品の二枚貝に入れるあたりが、いかにも彼女らしい。
「部屋で撮る。お前もこんなところに居ると危ないから来い」
「はいはい、本当に怖い国ですよ。どんだけ人身売買と暗殺なんですか」
「違法行為の坩堝だ。ひとつひとつ教えてやるから、全部リディシア様に報告するか?」
「じょーだんじゃありません!! リデ様、卒倒なさるどころか寝込まれますよ!! 丁鳩さまも、写絵にぜぇっったいに!物騒なこと入れないでくださいね!!」
エルベット王室のお嬢様には、確かに受け入れられない現実だ、と頷きながら、次にエルベット王室が言ってくることも大体予測していた。
自分は、ここで魔国を放り出すことはできない。弟だけでも……と思うが、あれだけ酷い目に遭わせておいて、弟の言い分を聞かずに送り返すのも酷だった。
◆◇◆◇◆
泣いていたファムータルは、食器がテーブルに置かれた途端、そちらを振り返った。
――彼女が、侍女と一緒に食器を並べている。消化に良いものばかりだ。
「……君が作ってくれたの?」
泣くのに必死で義兄が彼女に頼んだことに気が付いていないファムータルは、無邪気に笑顔を浮かべ、期待を込めて聞く。
「はい、お口に合うか分かりませんが」
「いただきます!」
テーブルの上に並べられた料理の中から、気になったものから順にどんどん口に入れる。
――美味しい! こんな美味しいご飯は初めてだ!
「あの……ご小食と伺いましたが……」
「ああ、それは……」
消化に良いものを作ったとはいえ、年相応以上に食べている。
「……現金なヤツだな……。もう泣いてねえし、ていうか、見るからに嬉しそうだし」
天然の性格であるが、本当に素直だ。
「ご馳走様! ありがとう! 美味しかった!」
満足そうなファムータルの首根っこを、猫の子のようにサティラートは掴み、
「さて、分かってると思うが、診察の時間だ。オレが一緒に行くからエリシア邸に戻るぞ」
ファムータルが長年摂取させられていた麻薬と毒物の混合物は、前国王の治療で正気に返すことには成功したが、長期間の治療を要する。それはファムータルも説明されているので、エリシア邸に帰ることには異論はなかった。だが――
手を伸ばし、彼女のお仕着せの袖をしっかり掴む。
「……ファムータル殿下……?」
「君も来てよ。なんなら、兄様のところじゃなくて、こっちに住んで」
「おー、礼竜。いつになく積極的だな?
そういうことは、レヴィスに許可もらおうな?」
「あとで兄様に言うから!」
どうあっても彼女の袖を放さない義弟に、
「分かった。ただ、やっちゃいかんことだとレヴィスが判断したら、叱られるからな?」
「はい!
行こう?」
そのまま彼女を引っ張って、自分もサティラートに引っ張られて、エリシア邸に向かった。
◆◇◆◇◆
「……で、今後も彼女に食事を作ってほしい、と」
丁鳩の言葉に、侍女長は頷く。
「あの、食が細くて散々でしたファムータル殿下が、お代わりまでなさいました」
「現金なヤツだなぁ……」
サティラートと同じ感想を漏らす。流石に思考パターンまで一緒だ。
エリシア邸の入口ホールである。相変わらず、場所があれば弟が花を置いてしまうので、調度品はなく花だらけだ。
夜まで手が離せなかったが、それでも終わるなり会いに来てみた。そうしたら、侍女長のこの報告である。
「お嬢様を、こちらのお邸に移してほしいと、ファムータル殿下が仰っていました」
「ライは? 今会えるか?」
「いえ……たくさんお召し上がりになったら、お身体を清める間もなく、眠ってしまわれました。それで……」
「それで?」
言い淀む侍女長に先を促すと、
「お嬢様の手を握って放さないどころか、お嬢様の膝で寝てしまいまして……引き剝がそうにも、どこにこんな力があるのかというほどしがみつき……結局、お嬢様が添い寝して子守唄を……」
「……ああ、分かった」
あの、毒と麻薬の薬草茶には、確かに精神を病ませ希死願望に誘導する効果もあったが、第二性徴を徹底的に阻止する狙いもあった。
大量の写絵、写音からも、経過記録を詳細に纏め、高値で広く販売するつもりだったのだろう。「憎い王太子の弟」が「消される」末路だけでも充分に売れるが、第二性徴が始まって、少女のような愛らしさに影がさしては、商品価値が下がる。
要するに、それが抜けた今、これまで抑えられていた第二性徴が始まるということだ。
寝室に行ってみると、確かに、花だらけの大きな寝台で、まだ彼女より背の低いファムータルが、必死に彼女にしがみついて、安心しきった寝息を立てている。
「……ま、俺も頑張ってみるから。せいぜい頑張って口説き落とせ」
エルベットには側室も妾も存在しない。完全な一夫一妻だ。一緒になるなら、ただ一人の妃とするしかない。……ファムータルの魔国の王室の呪い、発現している遺伝病。それらを使って周りを説得するしかないが……言うほど簡単なことではない。
だが――。平和そうな弟の寝顔を眺めながら。
――俺がしてやれることは、少ないからな……。
今まで散々閉じ込め、寂しい思いをさせた上に、それで失敗したのだ。せめてこれくらいは名誉挽回に役立てようと思った。
◆◇◆◇◆
「どうしたんですか? 彼女は?」
丁鳩に彼女のことを頼まれていたジュディは、朝、何事もなく部屋へ行き――唯一あった私物の織り台がなくなっていることに気が付いた。
用意していたお仕着せや普段着も片付けられている。
「ファムータル殿下が、お傍に居てほしいとお望みになり……丁鳩殿下がお許しになり、エリシア邸に移りました」
丁鳩邸の家令の言葉が、信じられない。
もちろん、ジュディは、ファムータルが魔力を使って彼女を助けたことは知らされていない。どうして王子殿下が、出自も分からない、記憶もない元奴隷を欲するというのだ。
彼女は過去、丁鳩邸に来て間もない頃、夜に丁鳩の部屋に行ったことがあった。
彼女なりに精いっぱい、返せる恩を考え――その行動をした。
だが――当の丁鳩は、驚くでもなく、彼女を取るわけでもなく。
「大丈夫だ。もうそんなことはしなくていい。
……長年洗脳されてたから、抜けねぇよな……。
お前さんは自由なんだ。この先、好きになった男と過ごすのも夢じゃない。頑張れ」
そう言って、彼女を慰め、気遣いながら部屋まで送っていった。
――好きになった男と過ごすのも夢じゃない。
――あの日……娼館を摘発し、彼女を保護し、「もう大丈夫だ」と優しく言ってくれた彼は――まさしく、絶望の底に射した光だった。
――好きになった男――
そんな人、貴方以外の誰が居ると仰いますか……。
せめて一晩の思い出があれば、諦められたかもしれない。だが、彼がそういうことをしない人間だというのは、今ではわかる。
ならば――出自の分からない元奴隷を、何故……。
昏い炎は、灯って消えなかった。
◆◇◆◇◆
「美味しかった! ご馳走様!」
昨夜に引き続き、ファムータルは、聞いていた以上の量を食べ、お代わりをしてご満悦だ。
この邸は、とにかく花だらけだ。
そんな花だらけの邸のファムータルの私室で、席を外していたファムータルは、両手に植木鉢を持って戻ってくる。
いずれも白い花だが――
まず、背が高い鉢を見せてくる。これは、この邸の周りに沢山咲いていた。
「これがエルベット・ティーズ。外国では愛称の『リーリアント』で呼ばれるけど……。
母様の紋章だった花で、僕に引き継がれたんだ。エルベットで雪解けの頃に咲き始めて、これが咲くと、皆、冬の終わりが来たって喜ぶ。
エルベットの冬は、長いからね。
それで、こっちが――」
背の低い、小ぶりな花がシャワー上に咲いている花を見せてくれる。
「鈴華って言って、エルベットでは鈴華が咲くと春が来たことになる、春告の花なんだ。
エルベットで最も神聖な時期は聖祭節。エルベット・ティーズの開花――冬の終わりから始まって、鈴華の春告までを祝う大事な時期」
鈴華の鉢を、彼女に渡し、
「名前、軽々しくつけるなって兄様に言われたけど……いつまでも名前ないと困るから……。
仮の名前で、君が思い出すまで、『鈴華』って呼んでいい?」
最後の台詞は、たどたどしく、顔は真っ赤だ。
それでも彼女の顔を見上げ、視線は離さない。
赤い双眸には、決意と、優しさがあった。
「……ええ。仮の名前で良かったら……」
鈴華の鉢を抱いて彼女が頷くと、ファムータルは、安堵したように微笑み、
「よろしくね! 鈴華!」
言って、腰が抜けたように座り込む。
「……? どうなさいました?」
鈴華に助け起こされ、
「断られたらどうしようって、不安だったから……」
言って、自分より背の高い鈴華にしがみつく。抱きしめたつもりなのだが、身長差という悲しい現実がある。
――僕には、この人だけ……。
そう、心で誓っていた。
◆◇◆◇◆
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