11 甘いお菓子と誘惑と


(またか……)


 フェリシカはそれを見つけて、複雑な思いを抱いた。

 騎士団の厩舎。自分の部屋に届けられる無数のプレゼント。

 大部分は熱烈なラブレターだったり、ファンからのプレゼントだったり。真面目なフェリシカはどの届け物にも丁寧に返事の手紙を出すので、それだけでけっこうな作業量になる。そして、返事が来ることにファンは喜んで、また大量のプレゼントを送り付けてくる。そのくり返しだった。


 普通はフェリシカからの返事欲しさに、プレゼントには住所と差出人の記名がある。


 しかし――いつからだろう。

 記名のないお菓子がその中に混ざるようになっていた。それも毎日のように送られてくる。


 ラッピングもプレゼントというにはとても粗雑なものだ。色気のない紙袋に包まれているだけ。

 始めは毒などの可能性も考えて、フェリシカはそれを口にしていいか悩んだ。が、そのお菓子はまるで既製品のように綺麗で、そして、とんでもなくいい匂いを放っていた。

 フェリシカは甘美な誘惑につい陥落した。恐る恐る口にしてみれば……


「ん……!?」


 美味しいなんてもんじゃない。脳髄が蕩けそうなくらいの幸福が、その菓子にはぎゅっとこめられているのだった。

 フェリシカはいつしかその菓子を楽しみにするようになっていた。


(しかし、いったい誰なんだ? こんな手のこんだお菓子を毎日となると……)


 今日の1品は『チョコレートパイ』。食べやすいように小さ目に作られ、パイ層の間の1枚1枚に丁寧にチョコレートが挟まっている。手間のかかる代物だ。味はもちろん、手で簡単につまめるように形が配慮されているらしく、気配りも感じられる。


 今日もそれを仕事の合間に食べようと、騎士団の執務室に持ちこんでいた。


 書類仕事の合間に、1つつまんでみる。サクサクのパイ生地に、チョコレートは甘すぎず苦すぎず、絶妙なとろけ具合。完璧だ。名も知らない誰かは完全にフェリシカの味の好みを把握しているらしい。あまりの美味しさに、つい頬が緩んでしまう。


 と、その時だった。


「フェリシカ隊長。失礼します」


 扉が開かれ、入って来たのは1人の少年だった。

 いや、見た目だけならば青年と言っても通じるような体格をしている。鍛え上げられた体つきに、精悍な顔付きは男らしい。

 しかし、どこかすねたような双眸は子供の時から変わらないもので、そこだけがわずかに幼さを残している。


 フェリシカはその少年に視線をやって、ほほ笑んだ。


「ああ。ロイ、何か用か?」

「届け物」


 相変わらず感情の読めない仏頂面で、少年がフェリシカの机に歩み寄る。ぞんざいな仕草で書類の束を置いた。


 ロイクヴェルト・フォスナー。彼は今年で18歳になった。

 彼の体を包むのは、騎士服に空色のマント。ローグヘルツ王国近衛騎士団に所属することを示すものだ。


 ロイが騎士団に入団したのは、今から4年前のこと――彼が14歳の時のことだ。彼は魔器に対するたぐいまれなる適性を持ち、更にはフェリシカが教えこんだ剣術でも才覚の芽を出した。入団テストでは試験監を戦かせるほどの好成績を残した。早くも「次期隊長候補」との噂が流れているほどの有望株だ。


 その見た目の良さと相まって、近頃では街の住人(特に女性)からも絶大な人気があるという。


 ロイはむすっとした表情のまま、視線を移動する。机の上の菓子を見ている。


 また菓子の食べ過ぎだと苦言を呈されるのだろうか?


 フェリシカは照れくさくなって、苦笑しながら説明する。


「これか? 誰かの差し入れのようなんだが……ここのところ毎日、送って来てくれていてな。とても美味しいんだ。君も1つどうだ?」

「……いらねえよ」


 昔と変わらない素っ気ない態度で、ロイは告げる。


「味見はしてるから」

「…………え?」


 その言葉で、フェリシカは目を点にした。


 まさか!? と、思って、菓子とロイを見比べる。


 ロイが意外と料理上手であることはフェリシカも知っている。彼が14歳の時までは一緒の部屋で暮らしていたのだ。その間、台所は完全にロイの領域になっていた。彼が騎士団に入団することが決まった後は別々に暮らしていたが、「作りすぎた」だのなんだの理由で夕食に招かれることも多かった。


 しかし――今まで1度も菓子を作ってくれたことはないのである。何度か甘いものを作ってほしいとフェリシカがお願いしてみたことがあるが、ロイは顔をしかめて、「嫌」と拒否ばかりしていた。


 だから、


「いや、というかそもそも、君、お菓子が作れたのか!?」


 フェリシカがまず驚いたのはその点であった。

 ロイは面倒くさそうに頷く。


「ん、まあ。フェリシカにしか作んないけど」

「え?」

「あんたのために練習したから当然だけど」

「ええ!?」


 突然のことで、フェリシカの脳内は混乱を極める。

 その様子を静かに見下ろして、ロイが口を開く。無愛想なのは相変わらずだが、その目の下がわずかに赤みを帯びていることに――残念ながらフェリシカは気付かなかった。


「それ、気に入った? 俺、合格圏内?」

「え? 何の話だ……?」


 合格とは何だ。いったい何の試験なんだ。菓子職人でも目指すつもりか。せっかく騎士として適性があり、名を上げている時に、そんなの絶対に許さないぞ。


 と、いろいろな思いが頭を駆けめぐり、フェリシカは眉をひそめる

 すると、ロイは呆れたようにそっぽを向いた。


「まあ、いいや。あ、そうそう。今日の夜、予定空けといて」

「何だ、どこか外にでも食べに行きたいのか?」

「ん、そんなとこ。ついでに大事な話があるから。というか、プロポーズするから」

「そうか、そういうことなら……って、え?」


 話の流れで頷いたフェリシカは、一拍遅れて驚愕した。


「は……!?」

「じゃあ、また後で」

「いや、今の聞き違いか!? おい、ロイ……!」


 羞恥が全身をめぐり、顔を真っ赤にした頃にはロイはすでに部屋を後にしている。


「ど……どういうことだ……?」


 何か質の悪い冗談か? あの子は昔から考えが読めない。

 しかし、一番わからないのは自分の反応だ。


 なぜこんなにも顔が熱くなるのか。なぜ口内に残るチョコレートの風味がこんなにも甘く香っているのか。なぜ、こんなにも鼓動が早まっているのか……。


 フェリシカは事態を呑みこむことができずに、顔を覆った。


「フェリシカー。おーい」


 そこに呑気な声がかかる。気が付けば机の横にセレステが立っていて、手をひらひらと振っている。


「せ、せ、セレステ……! 私……!」

「どうしたの? ……ああ」


 フェリシカの顔を見て、セレステは何かを悟ったらしい。ふわふわと笑った。


「とうとう結婚が決まったのね……おめでとう」

「へ!?」

「ロイくんがあなたに惚れてるの、周りから見たらバレバレだったわよ? 気付いてなかったの、あなたくらいじゃない……?」

「な……な……っ」


 その一言で、フェリシカはようやく理解した。


 どうやら、さっきの一言は聞き間違いでも、質の悪い冗談でもなかったらしい……!


 どうする? どうしたらいい?


 混乱を極めていく頭の中。どんどんと上がっていく熱。対処すべき事柄はたくさんあるというのに、フェリシカの頭を占めるのは1つの難題だけだ。


 フェリシカは勢いよく立ち上がると、頼りになる(かどうかはわからない)親友にすがった。


「――今日の夜は、どんな服を着て行ったらいいだろうか!?」





 2人の関係が今までのものから少しだけ変化するのは。

 今から数時間後のお話。





終わり

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