10 君のためなら
日差しが瞼に突き刺さる。
夢と現実を行き来しながら、意識がゆっくりと浮上していく。
目をこすりながら、フェリシカは身体を起こした。柔らかな朝の陽ざしが部屋に差しこんでいる。
ベッドサイドの時計を手に取る。その針を見つめた。
「……えっ」
そして、愕然とした。
かなり遅い時間だ。完全な遅刻だった。
上体を起こし、覚醒していない頭が眩暈を起こした。目を覆いながら俯く。
それから昨日のことを思い出した。
ロイの誘拐事件。戻ってから団長に報告をした。その際、怪我を理由に今日の休暇を言い渡されたこと。
服の上から肩に触れてみる。痛みはもうなかった。魔法による治療のおかげで、昨日のうちに傷も塞がっている。
夜の間の記憶がないことに、フェリシカは不思議な気持ちを覚えた。
フェリシカにとって夜とは長いものだ。ベッドに入ってもなかなか寝付けないし、朝は朝でいつも決まった時間に目が覚める。
だから、こんなに長い時間、眠れたことは本当に久しぶりだった。――彼が死んだ日以来だ。
そんなことを考えながら、ベッドから出る。
洗面台の前に立つと、自分の寝ぼけきった顔に少し笑ってしまった。表情はぼんやりとしているし、いつもはきっちりと編みこんでいる銀髪には寝ぐせまでついている。
顔を洗ってから、手櫛で髪を撫でつけながらリビングへと向かった。
キッチンから物音がして、フェリシカは首を傾げた。ロイはもう起きているのだろうか。
扉を開く。そのままフェリシカはその場で立ちすくんだ。
「……おはよう」
意外な光景を見てしまい、呆然と口を開く。
「ん……おはよ」
相変わらずの不機嫌面で少年が振り向く。
じゅー、と火の通る音。卵を炒めるいい匂いが部屋の中に漂う。
「何をしているんだ?」
見れば十分すぎるほどわかるのだが、フェリシカは思わず口にしてしまう。
「朝ごはん」
ロイはむすっとしたまま答える。少年はコンロの前でフライパンを手にしている。
「それならケーキの残りが」
「……飽きた」
「え? ……え?」
フェリシカは二度、聞き返してしまう。飽きたとは何だろう。あんなに美味しいのに。
疑問符を浮かべるフェリシカに、ロイは冷ややかな視線を送る。
「だってこの家、お菓子しか置いてないし」
「君も甘い物は嫌いではないだろう」
「食生活、歪んでるって言われない? フェリシカ」
「そんなことはない、好物をとるのが一番効率が……」
言いかけてからフェリシカはハッとした。
「今、フェリシカと……」
確かにそう言った。名前を呼んでくれた。
フェリシカが少年を見つめると、
「……何」
ロイは仏頂面のままだ。
フェリシカは近寄ると、少年の頭に手をのせた。
「私の分の卵には砂糖をたっぷりと……」
「嫌」
フェリシカの手から逃れながら、ロイはきっぱりと言った。
それでもフェリシカは嬉しさを抑えきれず、笑顔のままだ。
「そのうち菓子も作ってくれるようになると助かる」
「それも、嫌」
素直でないのは性格のせいか、とフェリシカは思った。
その「素直じゃない」ところを増長させたのが、自分の誤った子育て方法のせいだったとは思いもしなかった。
朝の爽やかな風が、辺りを通り抜ける。
見上げると眩しいほどの青空が広がっていた。
休暇と言われても、フェリシカには普段あまり予定がない。さて、何をして過ごしたものかと考えていたところ、ロイの方から意外な提案があった。
「今日、暇なんでしょ? 剣、教えてよ」
やはり半眼で睨んでくるし、それが果たして人にものを頼む態度だろうか、といささか疑問ではあったものの、言われてすぐに訓練所から模擬剣を借りてきてしまった。
しかも、多少わくわくとした気持ちもある。風と太陽と青空に、気持ちの良さを感じてしまうほどに。
嬉しいのかもしれない。誰かに頼られることが。いや、他の誰かではダメかもしれない。あのいつも不機嫌そうな少年に頼られることが、嬉しいのだろう。
そんなことを考えながら、少年に剣の握り方や、構え方を教える。
「筋がいい」
と、稽古の合間に声をかけると。
「へへ、まあねー」
にこりと目を細めて、ロイが言った。
フェリシカの胸はドキリとした。まじまじとロイの顔を見る。
この少年が明るく笑うところを初めて見た。いつも無愛想だから、その笑顔はキラキラと宝石のように輝いて見える。
じわじわと温かな感情が湧き上がってくる。
「君は、そうやって笑っている方がいいな」
素直な言葉を口にする。
すると、少年は途端に仏頂面に戻ってしまう。
「何それ。何でフェリシカにそんなこと言われないといけないの?」
(なぜ、怒る……)
子供とは本当に難解なものだ。フェリシカはわけがわからずため息を吐く。そのため目の前の少年がわずかに顔を赤くしていることに気付かなかった。
不思議な感覚だとフェリシカは思った。
この少年と一緒にいると、今まで感じたことのないような思いが胸を満たしていく。温かで、優しくて、陽だまりのような感情。どんどん湧き起こってきて、枯れることを知らない。
背筋が伸びるような気持ちだった。自分がしっかりしなくてはならない。
そして、この子の力になってあげたい。と、そう自然と思えるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
――それから数年後。
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