8 喪失の恐怖


 ロイが帰ってこない。

 とっくに辺りは暗くなっている。


 フェリシカは宿舎や、訓練所、王宮の図書館など、心当たりのあるところを歩いて回っていた。どこを探しても、少年の姿は見つからなかった。やがて、フェリシカの胸底がじりじりと焦げていくような感覚を覚える。

 どこに行ったのか。やはり、フェリシカに愛想を尽かしてしまったのか。そうだとしたら自分の責任だ。


 もしかして、セレステの元に行っているのだろうか。

 その可能性に気付いて、胸が切ないほどに苦しくなった。


 セレステの部屋に向かいながら、フェリシカは考えた。

 少年ともっと話をするべきだったと思う。フェリシカは「子供」を相手にしていることばかりに意識が向いてしまい、ロイがどんな少年であるのかを知ろうとしなかった。


 何が好きなのか。嫌いなのか。前はどんな暮らしをしていたのか。大人相手に人間関係を築くように、小さなことから知っていくべきだったのだろう。

 何より、


『セレステ姐さん』


 セレステに向かってそうしていたように、フェリシカもそう呼んでもらいたかった。何気ない会話をしたかった。

 ……今さら、遅すぎることだろうけど。


 フェリシカが普通の女性であれば――他の人と同じような感情を持っていれば、どれも当たり前にできたことかもしれない。

 重い頭を抱えて、フェリシカはセレステの部屋の前に立った。


 ここにいてほしい。いや、いてほしくない。


 相反する思いを胸に扉を叩く。


「はーい?」


 セレステののんびりとした声が返ってくる。

 セレステはちょうどくつろいでいるところだったのだろう、寝間着にカーディガンを羽織った格好だった。


「あら、フェリシカ。どうしたの?」

「こんな時間にすまない。ロイが来てないだろうか」

「え?」


 と、セレステは目を丸くする。


「ロイくん? いいえ、今日は朝、見かけたきりだけれど……」

「……そうか」


 フェリシカは息を吐いた。その表情から事情を察したらしく、セレステは顔を曇らせる。


「まだ帰ってきていないの?」

「そうなんだ。どこに行っているのだろう」

「もうこんな時間なのに。私も一緒に探すわ」


 と、セレステが言った時のことだった。


「フェリシカ隊長!」


 声をかけられ、振り向く。

 駆けてきたのは城門の番をしている衛兵だった。焦った表情を浮かべている。


「先ほど、こんな手紙が届けられたのですが……」


 差し出されたのは1枚の紙。

 受け取って、フェリシカは広げた。


「これ……!」


 隣から覗いていたセレステが顔を青くする。

 フェリシカはその内容に身体を固くした。


 騎士団に出入りしている子供を預かったこと。街の外の廃屋まで、騎士団長が来ること。


 と、乱雑な文字で書かれている。

 セレステがフェリシカの方を向き、焦った声を上げる。


「フェリシカ、どうしよう……団長は今、外に出ていて、いないのよ」


 呆然とその手紙を見つめるフェリシカ。

 セレステの言葉すらまともに耳に入ってこない。

 指先が震える。


 脳裏にあの光景が蘇った。

 魔法士に殺された彼。溢れ出る鮮血。温かさを失っていく身体。彼は最期にフェリシカのことを見つめていた。その顔はやはり思い出せない。


 フェリシカは俯いて、その残像を消した。手紙をセレステの元に預ける。


「セレステ、君は団長にこのことを知らせてくれ!」


 それだけを告げると、フェリシカは駆け出した。


 消したはずなのに何度も浮かんでくる。それは彼の姿ではなく、その命を奪った魔法士の顔だった。




 手紙で指定されたのは王都の外。今は寂びれた街道の休憩小屋だった。

 元は隣町へと続いていた街道だ。12年前の暴動による被害で隣町は滅んでおり、それ以来、街道は使われることもなく放置されている。


 周りには人影1つなかった。

 フェリシカが小屋にたどり着くと、闇に沈んだそこは不気味なくらいに静まり返っていた。

 手元に掲げたランタンが細く先を照らし出す。うっそうと生い茂る藪。小屋の壁には蔦が這っている。


 小屋の中に向かって、フェリシカは声を張り上げた。


天上騎士団セレスティアル・ナイツ、第2部隊、隊長フェリシカ・リーネルだ。王宮に届けられた手紙に指示されて来た。子供は無事か?」


 声は闇夜の中で反響する。

 物音が小屋の中から漏れた。誰かいるようだ。フェリシカは緊張に手を握った。


 扉が重い音を立てて、開く。内側から溢れる光が、辺りを照らした。

 警戒するような表情を浮かべ、男が顔を出す。その奥にはもう一人の男が座っている。その隣に後ろ手を縛られたロイがいた。外傷はなく、意識もはっきりしているようで、隣の男を睨み付けている。無事な姿にフェリシカは息を吐いた。


 男2人は顔を赤くし、焦点の定まらない目つきをしている。床には酒瓶が転がっていた。酔っているようだった。

 それ以上にフェリシカは驚いていた。男たちはフェリシカの見知った顔だったのだ。


「君たちは……去年、騎士団を脱退した……」


 男2人は、元は天上騎士団の一員だったのである。去年、騎士団を辞めている。

 フェリシカの言葉に奥にいた男はぴくりと眉を上げた。


「脱退だと……?」


 どん、と鈍い音が響く。フェリシカの心臓が縮まった。

 男は拳を床に振り下ろしていた。その隣でロイが驚いたように男を見上げている。


「ふざけんな! てめーらが俺たちを捨てたんだろうが!」


 男は声を張り上げる。その声は薄闇の中、どこまでも響いていった。


「俺はもう20年以上、騎士団のために勤めてきた! 厳しい訓練にも、つらい任務にも耐えてきたんだよ! それが魔器が使えないからって……たったそれだけの理由で、てめーらが俺たちを放り出したんだろうが!」


 拳を握り、フェリシカを睨み付ける男。その瞳の奥には激しい憎悪がくすぶっている。


 騎士団は戦場に魔器が投入される前より存続している。魔器が使用されるようになったのは、12年前のことだ。そのため、騎士は魔器の扱いの習得が義務化されたのである。だが、魔器を使うには特殊な才能が必要であり、それに適さない者たちが大勢いた。


 そうした騎士たちがとうとう昨年、一斉に脱退している。騎士団側からの「戦力外通告」である。その中には何十年も国のため、市民のために剣を握った者たちも含まれていた。


「それがどうだ? 今度はこんなガキが騎士団に出入りしてるっつーじゃねーか。騎士団のために身をささげた俺たちをゴミみたいに捨てておいて、このガキはいいのかよ? こんなガキを使って、団長さんは何しようってんだ?」

「その子は先日の事件で保護した。身寄りがないから、騎士団で面倒を見ているだけで……」

「んなわけねーだろーが! この国の近衛騎士団が、いつから子守り集団になったんだよ!」


 男は唾を飛ばして激昂する。


「てめえじゃ話にならねえ! 団長を呼べっつってんだよ!」


 そして、ロイの顔にナイフを突きつけた。


「待ってくれ……!」


 フェリシカはすがるように声をかける。


「君たちの主張はわかった。団長と話ができるように取り図ろう。その代り、その子のことは解放してほしい」

「は、そんな言葉が信用できるかよ!」

「団長が来るまでは、私を人質にするといい」


 フェリシカは腰から鞘を外すと、藪の中へと投げ捨てた。男たちは目を細めた。


「何……?」

「抵抗するつもりはない。だが、それが信用できないのなら、君たちが納得できる程度に私を拘束するなりして、動けないようにしてくれて構わない」


 その言葉に男たちは酒気を帯びた顔を更に赤くした。フェリシカの体に舐めつけるような視線を向ける。


「おい、こっちのガキより、隊長さんの方がいいんじゃねえか」

「そうだな。どうせなら、団長が来るまで俺たちの世話でもしてもらおうぜ」


 と、下卑た笑みを浮かべている。


「こっち来な、フェリシカ隊長。ガキと交換だ。ちょっとでも妙なことしたら……わかってるよな」


 男はロイにナイフを突きつけたまま告げた。

 フェリシカはそれに頷き、ゆっくりと小屋へと近づく。


 歩きながら考えた。近づけば男たちを押さえつけるチャンスがあるかもしれない。だが、問題は一人は扉に立ち、もう一人は部屋の奥でロイにナイフを向けていることだ。扉の男は制圧できても、奥の男が逆上して少年に刃を向けたら間に合わない。

 魔器は藪の中だ。他の武器も持ち合わせていない。

 だから、少年を救うにはこれしか方法がないのだった。


 不穏な空気であるにもかかわらず、フェリシカの心臓が落ち着いていた。とく、とく、と鼓動が一定の周期で鳴り、それが自分はまだ生きているのだということを知らせている。

 フェリシカの足元が小屋の中の明かりに近づく。扉の男までわずか半バンズ(約50cm)。


 と、その時だった。


「――あのさ」


 幼い声がフェリシカと男の間に割って入った。フェリシカはハッと顔を上げた。


「そのナイフ、本物?」


 凪いでいた海原に強い風が吹くように。フェリシカの心臓が跳ねる。

 小屋の奥で、ロイが隣の男を睨み付けている。


「ただの脅しだよね? 本当はおじさんたちにそんな度胸、ないんでしょ?」

「何だと、このクソガキ……!」

「ロイ、やめろ……!」


 どく、どく、と途端にうるさくなる胸。フェリシカは鋭い声を上げる。

 しかし、ロイはフェリシカのことは気にも留めずに、男のことを睨み続けている。


「本当に元騎士だったの? ずいぶんと情けないんだね。そういうものを持ち出さないと、話も聞いてもらえないんだ?」

「てめえ……!」


 扉の男も後ろを振り返り、フェリシカに背を向けた。両開きの扉だ。男の横には隙間がある。迷っている暇はない。フェリシカは地面を蹴る。


 男がナイフを振り上げるのと、同時だった。

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