7 もう戻れない光景
フェリシカの様子がおかしい。
ロイはすぐに気付いた。
いつもはうるさいくらいに世話を焼きたがるのに、急に距離を置かれた気がする。今朝も「おはよう」と声をかけてきたきりだった。その時の笑みがどこか寂しげなものに見えて。
――気になる。
そんなことを考えながら、宿舎前を歩いていると。
「あら、ロイくん」
セレステが笑顔で声をかけてきた。
「目つきが悪いけど、寝不足かしら?」
穏やかな笑みを見上げながら、ロイは口を開いた。
「あの人、何かあったの?」
そう尋ねると、セレステは小さく笑った。
「フェリシカのこと? 昨日、悩んでいたようだから」
「俺のこと?」
セレステはあからさまに目を逸らした。
「え、ええっと。花壇に何を植えようかって! お花にするか、食べられる野菜にするか……」
「……そんなわけないじゃん」
ジト目で睨み付けると、セレステはバツが悪そうに笑った。
「あらら……」
「だいたいあの人、いつもお菓子しか食べてないし」
「あら」
と、目を丸くするセレステ。
「意外と見ているのね。フェリシカのこと」
「いや、見てない」
仏頂面のままロイは答える。セレステは笑みを深めた。
「そんなに気になるなら、フェリシカに声をかけてみたら?」
「なんて?」
「それは、自分で考えないと」
そう言って、セレステは拳を握ってみせるのだった。
セレステに言われて考えてみたが、よくわからなかった。
フェリシカは何事に対しても、一生懸命に取り組む人なのだと思う。方向性は間違っているものの、真面目にロイの世話を焼こうとしてくれているということはわかる。素直な性格なのだろう。
昼休み、騎士団の食堂に向かうと、フェリシカは難しい表情で座りこんでいた。
机にはシロップがたっぷりとかかったパンケーキが乗っているが、手は付けられていない。フェリシカは考えこむようにして、紅茶ばかり飲んでいる。
その隣に黙って座る。
フェリシカが気付いて、こちらに視線を向けた。
朝から考えていたが、結局どんな言葉をかけるのがいいのかわからない。だから、直接、聞いてみることにした。
「何かあったの?」
その言葉にフェリシカは苦笑した。
「いや。大したことではないよ」
フェリシカの笑みにはわずかに影がかかっている。
ロイは目を細めた。
「……嘘だよね?」
フェリシカはハッとしたようにこちらを見る。それからゆっくりと視線を外した。
「実を言うと、君に謝らなければいけないと考えていたんだ」
「謝るって……」
「私がふがいないばかりに……君の力になってやれなくて、すまない」
何故フェリシカがそんな顔をするのか、自分に謝ってくるのかがわからない。
その横顔をじっと見つめていると、フェリシカは更に続けた。
「君には迷惑をかけてしまったな」
自嘲気味な笑顔だった。
迷惑――と言えば確かにそうだろう。
家族がいなくなり、環境が変わって、何もわからない状況のまま騎士団で暮らすことになって。同居することになった女性騎士は自分を幼子扱いして、振り回してくる。
人には誰しも自分のペースというものがある。ロイにもそういったものはある。フェリシカはある日突然、それに土足で上がりこんできたようなものだ。
でも同時に、いつでもフェリシカは一生懸命であることも知っていた。
「確かにアンタには向いてないよ。いつも俺を子供扱いするし、やってることめちゃくちゃだし」
言いながら、ロイは下に目線を向けた。
「でも……そうやってアンタがむちゃくちゃだから……あんまり思い出さなくてすむっていうか……」
小さく呟いた台詞はフェリシカには届かなかったようで。
「そうだな。私には向いていないのだろう」
フェリシカは笑った。目元を下げた、寂しげな笑顔だった。
「明日、団長に相談してみよう。君も、私よりセレステの元の方がいいだろう?」
フェリシカと視線を合わせる。
ロイは答えない。
答えられなかった。
夕焼けが人々の影を長く伸ばしている。
すれ違う人たちはきっと、自分の家に帰るところなのだろう。一人で道を歩いていると、そんな人の波に逆行しているように思えた。彼らの交わす会話はどこか遠い世界のようだ。
橙色に染まった大通りを1歩。踏み出すごとに寂寥感が募っていく。
フェリシカお気に入りのパン屋。昨日たどった場所を思い出しながら、ロイは同じ道を行く。
結局、フェリシカに何て声をかけたらいいのかわからないままだった。
フェリシカに伝えたいことはもっと別のことであったはずなのに、それがうまく形にならない。だから、言葉の代わりに彼女の好きなお菓子でも渡せば元気になってくれるかもしれない。そう思って、街へと出たのだった。
フェリシカのことは苦手だ。自分のことをいつも子ども扱いする。それもまるで幼子を相手にしているかのような態度だ。もうそんな年齢ではないのに。
だが、同時に救われてもいた。フェリシカといると騒がしい日々ばかりで、あの時のことを思い出さなくて済む。
そんなことを考えて、顔を上げた。
街門に沈む夕日。眩しさに目を細める。
その色が強く網膜に焼き付いて、もう聞こえないはずの声がどこか遠くから届いた。
「待ってよ、お兄ちゃん……!」
自分のことでないと痛いくらいにわかっていたのに、反射的に振り向いてしまう。
幼い兄妹が2人、じゃれ合いながら道を駆けて行った。その光景から目を逸らす。夕日の赤が目に刺さったままだ。
蓋をしていたはずのあの日のことが鮮明に浮かび上がった。
その日はちょうど妹の誕生日だった。そのため、家族で食事に出かけたのだ。
妹ははしゃいでいた。母と一緒に出かけられることが嬉しかったのだろう。母はあまり身体が丈夫でなく、普段は寝込んでいることが多かった。だが、その日は珍しく身体の調子も良かったのだ。
妹は喜んで母にたくさん甘えていた。本当はロイも嬉しかったのだが、妹の手前、それを押し隠していた。
家族で訪れたレストラン。妹は喋り通していた。時折、ロイがちょっかいをかけると、顔を赤くして怒る。それを温かな眼差しで見守る父と母。
事が起きたのは、そんな穏やかな時間を過ごしている時だった。
怒声が聞こえた。客の一人が店側と揉めている。話の内容を聞くに、ウェイトレスが注文を間違えたようだ。些細なミスだった。しかし、客の方は怒髪天をつくような勢いだった。尊大な物言いで怒鳴り散らしている。
男が乱暴にウェイトレスの肩を押した。まだ若いウェイトレスが後ろに倒れる。
見かねて、父が声をかけた。父は正義感の強い人だったから、見て見ぬふりはできなかったのだろう。
父はその客の元へと向かう。そこで眉をひそめた。客の両腕は黒い手袋。腕の方まで覆って、肌が露出しないようになっている。
父と言い合いになる男。がなり声が店の中に響く。その男は何度も口にした。俺は、
店側からは支配人が現れた。男を外に追い出そうとする。
その途端だった。男が暴れ出したのだ。そこから先の出来事はおよそ現実のこととは思えなかった。何かの冗談かと思えたほどだ。
まずは男を追い出そうとした支配人から。次に父。ミスをしたウェイトレス。父に駆け寄った母。泣き叫ぶ妹までも。人形が次々に倒れていくように呆気なさすぎて、実感が湧かない。
腕の魔痕が禍々しい色に輝いている。
男は笑っていた。マギサに逆らうからだと――。
その時の光景がまざまざと頭の中に蘇った。男の笑い声。混乱と悲鳴に包まれるレストラン。妹の怯えた表情。
同時に吐き気がこみあげてきて、口元を抑えた。
ロイは走り出した。逃げ出したかった。夕日の色が温かすぎて、家路につく人々の顔つきは穏やかで、そこに自分の居場所はないから。
あの日の出来事は夢だったのかもしれない。何度も、何度も思った。目が覚めれば悪夢は終わる。すべて夢だったのだと泣くことができたら。母は優しくほほ笑み、父は呆れたような表情をしつつも頭をなでてくれ、妹はおもしろがってからかってくる。そんな日常が戻ってくるにちがいない。
だが、騎士団で過ごし、日にちが経つごとにあれは現実だったのだと、実感していくのだった。
人目から逃れたくて、裏路地へと入った。優しい色をした夕焼け、いつもと変わらない日常を送る街の人たち、すべてが見えなくなる。壁に背を持たれて、息を吐く。
頭がずきずきと痛む。呼吸がうまくできなくて、心臓がうるさく鳴っている。
と、しばらくそうしていた時だった。視界に誰かの足元が映る。
「お前が騎士団に出入りしているという子か」
ふいにかけられた声。顔を上げる。
一人の男がこちらを見下ろしていた。
建物に遮られ、夕日が差しこんでこない。その表情は窺えなかった。
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