5 気付いてしまった…


 セレステにアドバイスをもらった翌日。

 フェリシカは少年を連れて、街へと出ていた。

 活気のある大通りを歩く。明るい日差しが街並みを照らしていた。通りの両側に様々な店が並び、店員が売り文句を口にしている。すれちがう人々の表情も明るい。

 だが、相変わらずロイは不機嫌顔のまま、つまらなそうにフェリシカの後をついてくる。


 人が多い。フェリシカは先日読んだ本に書いてあったことを思い出した。後ろに手を差し出す。


「迷子になったら困る。手を」


 しかし、ロイは半眼でフェリシカを睨み付け、2歩下がった。

 行き場をなくした手。フェリシカは眉を下げてその手を握った。


「行きたいところはあるか?」

「……別に」


 少年はフェリシカの顔を見ずに呟く。


「では、食べたいものとかあるか?」

「ない」


 フェリシカは肩を落として、息を吐く。

 普段、仕事に明け暮れてばかりいるフェリシカには、子供をどこに連れて行けば喜んでくれるのかもわからない。


 両者の間には気まずい沈黙が流れる。

 数秒の間、考えて、フェリシカは顔を上げた。そして、自分の行きつけの店に行こうと決めるのだった。




 ◇



(で……? 何で、パン屋なんだよ)


 ロイは辟易としていた。突然、外に行こうと誘われ、渋々と着いてきたら、なぜかパン屋に連れこまれたのだ。てっきり何か自分に関わる用事があると思っていたロイは呆れるしかない。


 店内には甘ったるい匂いが充満している。

 棚の上には色とりどりのお菓子が並ぶ。ケーキやクッキーといったものだ。菓子類も扱っているパン屋のようだ。


 それらを眺めるフェリシカの眼は輝いている。いつもは結んでいる銀髪を今日は下ろしている。ウェーブかかった髪が肩の上からはらりと落ちる。真剣にお菓子を選ぶ表情は、普段より幼く見えた。


「君も欲しいものがあれば、買ってあげよう」

「……いらない」


 そう答えると、フェリシカは悲しそうに目じりを下げる。


「そうか……」

「フェリシカ隊長! 来てくれたのね」


 明るい声が割って入った。

 エプロンをつけた赤髪の少女だ。素朴な顔つきをしているが、元気いっぱいの表情がかわいらしい。店の奥からフェリシカの元へと歩み寄って来た。


「今日はね、新作のケーキが並んでいるのよ」

「そうなのか。今度はどんなケーキだ?」

「南方のオレンジをたっくさん使った、甘酸っぱいチョコレートケーキよ。試食してみる?」

「いいのか?」

「ふふ、戦場では負けなしの隊長さんも、このケーキを食べたら、腰砕けになっちゃうんだから。このケーキのオレンジはね」


 少女は笑顔でフェリシカと会話している。フェリシカはどうやらこの店の常連らしい。

 少女はぺらぺらと喋っている。それを真面目な表情で聞いているフェリシカ。


 その様子を見ながら、ロイは思い出していた。

 自分の妹も、この少女のようにお喋りであったこと。今日あったことや見たこと、友達のこと、いつも楽しそうに話す子だった。

 頭がくらっとした。店内に満ちる甘い匂いに、胸やけを起こしたのかもしれない。


 外の空気を吸いたくて、扉へと足を向ける。フェリシカの方を一瞥すると、店員の少女に体を向け、話を聞くことに夢中になっていた。

 扉を開ける。少しひんやりとした風が頬を撫でた。

 すると、雑多とした音がロイを囲う。


 店員の売り文句、値引きをする客、通りを歩く人々の話し声。太陽は眩しいくらいの光を街全体に注いでいる。

 その声と、陽光に耳鳴りを覚える。逃げるようにその場を後にした。


 裏路地に入ると、声も光も遠のいた。建物の狭間にはじめじめとした空気が漂っている。表通りの騒音からは離れて、別の世界に迷いこんだかのような錯覚を起こす。

 行く当てもない。どこに行こうとしているのかもわからない。


 だけど、静寂なその場所を歩いていると、少し心が落ち着いた。

 そうして、とぼとぼと裏路地を進んでいた時だ。

 短い悲鳴が聞こえた。その声に吸い寄せられるように足を向ける。


 開けた場所。そこに子供が5人、たむろしていた。正確に人数を言うのなら、4人の男の子と1人の少女だ。少女の方が幼い。2つか3つは年下だろう。対する少年たちは、ロイと同い年ぐらいに見えた。少女が追いつめられるように壁を背にしている。


 一人が素早く足をかけた。少女は派手に転倒する。

 他の子供たちは皆けらけらと笑っている。そのうちの一人が少女を踏みつけようと、足を持ち上げた。




 ◇



「それじゃあ、試食用のケーキを持ってくるわね」

「ああ、2人分頼めるだろうか」


 と、フェリシカは口にして、振り向いた。

 そこで眉を寄せる。

 少年がいなくなっていた。


「ロイ……?」


 辺りを見渡すフェリシカ。

 店員の少女が目を瞬かせる。


「もしかして、金髪の男の子? あの子、フェリシカ隊長のお連れさんだったの? さっき、外に出ていったけど……」

「え?」


 フェリシカは慌てて店の外へと目を向けた。


「すまない、後でまた寄らせてもらう」


 そう言い残して、店を後にした。

 外に出て、視線を走らせる。表通りは人通りが多い。少年の姿は見当たらなった。フェリシカは内心の焦りを抑えるようにして、通りを進んでいった。

 歩きながらフェリシカは考えた。


 パン屋はつまらなかったのだろうか。あの少年は甘い物があまり好きではなかったのかもしれない。では、どこに連れて行ってやるのが正解だったのだろう。ロイに聞いても答えてはくれない。

 ますます少年とどう接していいのかわからなかった。

 子供とは難解なものだ。何を考えているのか、さっぱり読めない。


 ロイがパン屋を出てどこに向かったのかも、フェリシカにはまったく見当もつかなかった。

 そうして、辺りを見渡しながら通りを進んでいた時だった。

 耳朶を小さな声がかすめた。


「きゃっ……」


 それは幼い少女の声だった。

 裏の通りからだ。フェリシカは声の方へと駆け出した。

 声のした方角からは物音も聞こえてくる。肌を打つ音だ。物騒な気配を感じ、フェリシカは足を速めた。


 開けた場所へと出る。表通りからは死角になっているところだ。陽光も建物に阻まれ、辺りには陰気な空気が満ちていた。

 そこではロイを含めた少年たちが、殴り合いの喧嘩をくり広げていた。


「何をしているんだ!」


 フェリシカが声を上げると、


「まずい……!」


 少年たちは一目散に逃げていく。

 ロイは殴られた跡を手でこすっている。

 ハンカチを取り出して、頬をぬぐってやろうと差し出した。だが、それは乱暴な仕草でロイに払われる。


 フェリシカは身を屈めて、少年と目線を合わせた。


「喧嘩か? どうしてそんなことをしたんだ?」


 ロイはむっとした表情で視線を逸らす。


「向こうから殴りかかってきたんだから、正当防衛なんだけど」

「そういうことではない。そもそもの原因は何だ?」


 フェリシカがそう口にした時だった。

 隣からおずおずと声をかけられる。


「あの……ありが、とう……」


 それは幼い少女だった。服が汚れている。

 少女はロイの方を見ている。


「……ん」


 ロイは照れているのか、仏頂面のまま赤くなっている。

 この子は誰だろう。どういうことだろう。

 わけがわからず、フェリシカはその様子を見つめる。


 そこで目を留めた。少女の腕。破れた服の袖から、きらりと輝くものが見える。

 それは紛れもない魔法士の証。魔痕まこんだった。


(魔法士……)


 フェリシカの胸はずきりと痛んだ。

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