3 子育て必死です!


 フェリシカは騎士団の宿舎へと少年を連れ帰った。

 宿舎は王宮内に設置されていて、各団員に部屋が与えられる。隊長格のフェリシカには普通より大きめの住居があてがわれていて、部屋も1つ余っていた。それを少年に自室として与えることにした。当面の生活に必要なものは騎士団の方で手配してもらえるそうだ。


 宿舎へと向かう途中、少年は不機嫌そうな表情で何も喋らない。

 緊張しているのだろうかとフェリシカは思った。


 気分を落ち着かせるため、部屋に着いてからホットミルクを淹れた。砂糖を4杯も投入して作った、フェリシカお気に入りのドリンクである。


「さっき聞こえていただろうが、しばらく君の面倒を見ることになった。フェリシカ・リーネルだ。よろしく頼む」


 カップを目の前に置いてやりながら、そう声をかける。

 だが、少年はフェリシカと目を合わせようともしない。返事はない。

 コツコツと時計の針が進む音がやけに大きく聞こえた。


「君のことは何て呼べばいい?」


 対面に座って、フェリシカもカップに口をつける。甘すぎるそれはフェリシカの胸をじんわりと満たした。

 少年が仏頂面のまま、ようやく言葉を継いだ。


「……ロイ」


 フェリシカは表情を緩める。


「そうか、ロイ。君は……」


 なぜ騎士団に保護されたのか。そう聞こうとして、思いとどまった。

 オズヴァルトの「身寄りがない」という話を思い出したからである。

 任務で保護したということは、何かしらの事件に巻き込まれたのかもしれない。


「お菓子でも食べるか?」


 言いかけた言葉を呑みこんで、戸棚から様々なお菓子を取り出し、机の上に並べる。

 クッキー、チョコレート、マドレーヌ――すべて甘い物である。1人で暮らしている女性が所有している量としてはかなり多い。

 ロイはそれを一瞥しただけで、また視線を逸らしてしまった。


「…………いらない」


 その言葉にフェリシカは眉を下げた。


「すまない。こういうのは、好きではないか?」


 答えはない。

 その日、結局ロイが口を開いたのはそれだけだった。




 次の日の朝。

 フェリシカは真っ直ぐ団長室へ向かった。


「少年の様子はどうだ」


 部屋に入ると、さっそくオズヴァルトが尋ねてくる。


「それが……だいぶおとなしい子と言いますか……」


 遠回しな言い方をするフェリシカに、オズヴァルトは頷いた。


「あまり口を聞かないか。無理もない」

「団長、あの子の素性はいったい……?」


 オズヴァルトは机の上で指を絡ませた。


「ロイクヴェルト・フォスナー。歳は10。先日、街で起きた魔法士による暴動の際、騎士団で保護した」


 魔法士による暴動。

 その言葉にフェリシカは目を見開いた。


 今の時代、さほど珍しい事件ではない。

 この世界で魔法を使えるのは「魔法士」のみだ。その力を持つ者は生まれながらに決まっている。魔法士の能力は親から遺伝し、一般人が魔法士になれることはないのである。


 そのためローグヘルツ王国では長年、魔法士が王や貴族の地位に就いていた。

 だがある日、1つの事件をきっかけに国は変わる。


 未曾有の大飢饉――十数年前に起きた大事件だ。その日から、魔法士の身分は剥奪され、彼らが支配者であった時代は終わりを告げた。

 以降、貴族であった魔法士の地位は転落した。だが、それに納得できずにいまだに特権階級(マギサ)を名乗る魔法士が、暴動事件をしばしば起こすのだ。


 オズヴァルトは低い声で続ける。


「ロイクヴェルトの家族は皆、その魔法士に殺された」


 フェリシカは言葉も出ない。


「そんな……」


 手の先が冷えていく感覚。

 フェリシカは拳を握った。心臓が震え出す。


(そうか……)


 目をつぶる。すると、フェリシカの脳裏にある映像が蘇った。


 狂った目つきの魔法士。フェリシカの前で大量の血が舞う。

 めまいを覚えて、フェリシカは頭を払った。まぶたの裏に浮かんだ光景は消え去っていく。


(あの子も……)


 フェリシカは目を開いた。オズヴァルトの顔を正面から見る。


「団長。あの子の世話は私にお任せください」


 確かな意思を宿した声音で告げる。

 ――それがたとえ暗い過去を共有するゆえの、親近感だったとしても。




 その日の勤務が終わると、フェリシカはすぐに街へと向かった。

 目指すのは街中でもっとも大きい本屋だ。

 本屋の入り口を抜け、カウンターへと歩み寄る。


「すみません。この店にある子育て関連の本……すべて売ってください」


 それは戦場に向かう兵士の顔だったと、のちに店員は語る。




 ◇



「ロイ、風呂に入りなさい」


 フェリシカがそう声をかけてきたのは、夕食後のことだった。


「……うん」


 短く返事をして、ロイは風呂場へ向かう。

 脱衣所で1人きりになると、彼はため息を吐いた。


(何で俺は……ここにいるんだろう)


 数日前までは家族と過ごしていたはずなのに。気が付けば見知らぬ女性と一緒に住むことになっていた。突然の環境の変化に、少年は戸惑っていた。


(あのフェリシカって人も、俺のこと迷惑そうにしていたし……)


 彼女が自分の存在に困っていることは手に取るようにわかる。団長に世話を命じられた時も、困惑しきっていた。

 だからロイにとってこの家は居心地が悪かった。自分が彼女にとって迷惑な存在であることを知っている。早くこんな所から出て行きたいと少年は思っていた。しかし、家族はみんないなくなってしまったのだ。ロイには他に身寄りがない。


 どこにも自分の居場所がない――それは少年にとって泣きたくなるほどに悲しい現実だった。

 

 暗い顔をしながら、ロイは服を脱ごうとした。その時だ。

 扉が開く。


「し……失礼するっ」


 わずかに上ずった声。フェリシカだ。

 緊張しているのか、頬を染めている。


「え……」


 ロイが唖然としてフェリシカを見やる。

 フェリシカはぎこちない手つきでシャツのボタンへと手をやった。


 そのままボタンを外していく。白い肌が露わになり、さらにその下のピンク色の布――大きさは控えめ――が顔を出したところで、ロイは我に返った。


「ちょ、何してんだよ!」


 慌ててフェリシカを廊下に追いやる。


「何って、一緒に風呂に入ろうと」

「は……はあ?」

「心配ない、君のことは私が洗ってやろう」

「い……意味わかんねーよッ!」


 ロイは今までになかった声量で声を上げた。

 フェリシカは真面目な声音で続ける。


「つまり、私と一緒に風呂に入ろう」

「だから、何で! 子ども扱いすんなよ、1人で風呂くらい入れる! あーもー、とにかく出ていって!」


 そのまま勢いよく扉を閉めた。

 顔を真っ赤にしたまま、ロイはドアに背をつける。


「な……何あれっ」




 ◇



 一方、フェリシカは脱衣所の前で拳を握っていた。


(一緒に風呂に入る。本に書いてあった通りだ)


 未遂に終わったとはいえ、大成功だとフェリシカは思った。

 だって、今まであまり喋らなかった少年が口を開くようになった。少し恥ずかしかったが、試してみて良かった。

 子育て本に書いてあったことはやはり間違っていないようだ。


 ――それが幼児教育用の本であったことに、フェリシカはまったく気づかなかった。

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