2 子育て始めました
太陽が天頂を通り過ぎた頃合い。
ローグヘルツ王国の王宮には、昼過ぎのゆったりとした空気が流れていた。
暖かな日差しが眠気をさそう――そんな中、1人の女性が毅然とした姿勢で廊下を歩いていた。
細身だが、長身の女性だ。
背の割りには可憐な雰囲気をまとっている。深窓の令嬢を思わせる容姿。面立ちには気品を感じさせる。長い銀髪を編み込んで、顔の横に流している。アーモンド形の碧眼を真っすぐ前へと見据えていた。
王宮仕えのメイドや兵士がすれ違うたびに恍然とした視線を送るが、それに気づいた様子もない。
彼女の腰には一振りの剣が差してある。女性が扱うには少々、武骨な物である。
その背には空色のマントが揺れていた。中央には白い羽が刺繍されている。それはローグヘルツ王国の近衛騎士団、
長い廊下を行き、一つの部屋の前で歩みを止める。騎士団で使用される会議室だ。
扉をノックし、彼女は凛とした声を上げた。
「フェリシカ・リーネル。参上いたしました」
そして、ドアを開ける。
そこで女性――フェリシカはわずかな時間、動きを止めた。
部屋にいたのは彼女を呼び出した張本人ではなかった。それどころか、騎士団の人間ではなかった。
だが、フェリシカは警戒することもなかった。道の端で野良猫と出くわしたかのような表情だ。
相手が子供だったからである。
短い金髪に色素の薄い緑色の瞳。年齢は十前後といったところか。立ち上がっても身長はフェリシカの胸ほどといったところだろう。華奢な体付きに、整った顔立ちの美少年だ。
少年は部屋の隅で椅子に座っている。
憮然とした面持ちだ。フェリシカと視線が合うと、鋭い目つきをする。
「君は……?」
フェリシカは戸惑った声で尋ねた。
少年は答えない。視線はぷいと逸らされてしまう。
フェリシカは困ったような表情を浮かべ、自分も席に腰掛けた。それ以上、声をかけない。
普段、訓練と任務に明け暮れる女性騎士は、子供と触れ合う機会がまるでない。どのように接すればよいかわからないのだろう。
微妙に開いた距離。少年は喋らない。
……かなり気まずい。フェリシカもそれは感じているだろう、所在なさげに視線をさ迷わせている。
だから扉のノック音が聞こえた時、彼女は安堵したように表情を緩めた。
「セレステ・クレム。参上いたしました」
ドアが開き、1人の女性が入って来る。フェリシカと同年代だ。歳は二十前後だろう。
だが、フェリシカとは対照的で、ふんわりとしたシルエットの女性だった。柔らかな茶髪。優しげな碧眼。花のように大事に育てられた少女が大人になった――そんな雰囲気である。
茶髪の女性、セレステはフェリシカの方を見る。
「フェリシカ、あなたも団長に呼ばれたのね」
「ああ……」
フェリシカは怪訝な表情で頷いた。
現在、王宮に勤めている女性の騎士隊長が2人そろう。召集したのは団長だ。いったいどんな用事なのか。
セレステは少年の姿を認め、目を丸くした。
「あら……?」
フェリシカの方を向き、
「もしかしてフェリシカの……お子さん?」
予想外の台詞にフェリシカは肩を落とす。
「そんなわけがないだろう。いったいいくつの時にできた子だ」
「あら……? フェリシカじゃないとしたら、もしかして……。私ったらいつの間に生んだのかしら」
「セレステ! それは本気で言ってるのか、それとも君なりの冗談なのか……?」
セレステはおっとりとした表情をしながら席に着く。
フェリシカは少年の姿を窺った。少年は2人のやり取りに興味がなさそうで、窓の外を見ている。
その時、部屋の扉が開く。
「集まっているようだな」
現れたのは2人を招集した人物――団長のオズヴァルト・キルシュだ。黒髪を獅子のように伸ばしている。厳つい表情をしているが、顔付きには若々しさが残る。所作も落ち着いた熟練兵というよりは、きびきびとした新星といったところか。年齢は20代後半である。
王宮と王族を警護する近衛騎士団。彼らがまとう空色のマントは国中の憧れの的だ。しかし、それにしては団長も隊長も20代とまだ若い。それは数年前の事件により、騎士団では大々的な世代交代が起きたためだった。
2人はすぐに席を立ち、団長へと礼をする。オズヴァルトは頷いて、席に着くように促した。
「お前たちに相談がある。その少年のことだ」
部屋の奥へと進みながら、オズヴァルトは切り出す。
セレステがふわふわと笑った。
「もしかして……団長のお子さんですか?」
オズヴァルトは真顔で頷く。
「うむ」
「なっ……!」
フェリシカはもちろん、言い出したはずのセレステまで絶句している。
オズヴァルトは顔色をいっさい変えないまま、続けた。
「……冗談だ」
そのまま2人は固まっている。
数秒の沈黙。
セレステが遅れて口元に手をやった。
「まあ、団長。いつの間に生んだんです?」
「セレステ、頼むからこれ以上、話をややこしくしないでくれ……」
オズヴァルトは部屋の奥に行き、2人の前に立つ。そして、少年の方に視線をやった。
「先日の任務で保護した少年だ。事情があり、身寄りがない。そこでしばらくの間、騎士団で預かることにした」
「預かるって……」
フェリシカは顔を上げた。
「この騎士団でですか?」
「孤児院には要請済みだが、受け入れる余裕がないとのことだ」
「ですが、なぜ騎士団で?」
「これは決定事項だ」
オズヴァルトは有無を言わせぬ口調で断言した。
机に手を付き、2人の隊長を見渡す。
「お前たち2人のうちどちらかに世話を任せる」
2人は黙ってオズヴァルトの顔を見返した。
フェリシカは困惑した面持ちをしている。セレステは事態を理解しているのかいないのか、ほんわりとした表情のままだ。
「団長、質問が」
セレステが生徒のように挙手をした。
「その子のお名前は何ですか?」
「ああ」
オズヴァルトは少年の方に顔を向けた。
「君、名前を」
と、促す。
だが、少年は答えるどころか、オズヴァルトの方を見もしない。
「君。聞こえているのか」
語気を強めるオズヴァルト。
すると、少年はむすっとした表情のまま、ようやく口を開いた。
「おじさん、うるさい」
子供特有の甲高い声だが、まったくかわいげのない口ぶりだ。
オズヴァルトは憮然とした表情で答える。
「……おじさんではない」
セレステは和やかに、
「まあ、かわいい」
と、的のずれた感想を述べている。
幸せそうな笑顔を崩さないまま、セレステは続けた。
「では、私が預かりましょうか?」
セレステの言葉にフェリシカは眉を下げる。
「すまない、セレステ……言いづらいことだが、君に任せるというのは……その……若干、不安というか」
「そうか」
オズヴァルトが口を開く。
「ならば、フェリシカ。頼んだぞ」
「え……ええ?」
フェリシカは慌ててオズヴァルトの方を向いた。
「私が? 子供の世話なんて今まで経験が……」
「お前は職務に忠実だし、勤務態度も真面目だ。その点については高く評価している。私としてもお前が適任だと思う」
「お、お褒めのお言葉はありがたく頂戴いたします……ですが、何をしたらいいものか……」
「おめでとう」
セレステが口をはさむ。手を打ち合わせ、フェリシカの方を向いている。
「とうとうフェリシカもお母さんになる時が来たのね……」
どこに感動したのか、瞳を潤ませているセレステ。
いきなりお母さんなどと言われ、フェリシカは赤面した。言葉を返せない。
そこにオズヴァルトが声をかける。
「フェリシカ。今日の業務は切り上げていい。その少年のことは任せた」
「え……あ、あの、団長……」
オズヴァルトはすでに背を向けて、部屋の入口へと向かっている。
「セレステ。お前は通常通りの勤務に戻ってくれ」
「はい」
返事をして、セレステも扉へと向かう。
セレステが最後に振り返り、
「それじゃあフェリシカ。がんばってね」
と、手を振る。
フェリシカは2人が退室するのを呆然と見送った。
それから少年の方を向く。
目が合った。フェリシカはとりあえずといった様子で、ほほ笑みかける。
だが、それは受け止められることなく、少年はそっぽを向いてしまう。
そのままフェリシカは肩を落とすのだった。
◇
廊下を行きながら、セレステはオズヴァルトに声をかける。
「団長。もしかして、あの子に魔器(まき)の『適正検査』を受けさせたのです?」
「ああ」
オズヴァルトは振り向くことも、表情を変えることもしない。前を見据えながら、わずかに頷いた。
それを受けて、セレステは笑った。優しげな笑顔だった。
「そうだったのね。だから、騎士団で預かる、と」
セレステは笑みをいっさい崩さないまま、続けた。
「団長の悪いお顔……かわいいわね」
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