第11話「覚悟(Side Aaron)」
「どうだ……これで大体の状況は、理解出来たか? 敵の軍勢は我が軍の倍以上で、しかも、不意打ち。援軍が来るには時間が掛かるだろう。誰しも聞けば驚くほどに、絶望的な状況だ」
国境にある要所。そこに砦の中、大きな円卓の上に置いた地図を指し示し、ここに居る自分たちが、今どれだけ死に近い状況にあるかを懇々と説明した。
我がシュレイド王国軍は、この地を守る辺境伯の護衛騎士団と合わせて、やっと三万。対して、ひとつひとつは小国とは言え、三国合わせた連合軍は十万。
隠され秘密裏に準備されていた不意打ちの襲撃に、我が軍は十分な軍勢で臨めるはずなどなかった。
しんとした沈黙の中、司令官の俺が最優先にすべきことを言った。
「よく聞け。開戦早々、俺は死ぬことになる」
「は?! なんと仰いました!?」
「閣下、一体何を?!」
「そうです! まだ、確かに我が軍が不利ですが、勝敗が決まった訳ではないでしょう!」
ざわざわと慌てふためき騒ぎ出した部下に、とりあえず鎮まるようにと、俺は片手を上げて制した。
「そう結論を急くな。この絶望的な状況を好転させるには、そうするしかない……それに、語弊があった。実際に死ぬ訳では無い。死んだ振りをするんだ」
「死んだふり……ですか?」
揃いも揃ってぽかんと間抜けな表情を晒す部下を見て、やはり俺には時間が足りなかったのだと冷静に思った。
俺がいくら優秀だとしても、優秀な部下に育て上げるには、あまりにも月日が足りない。
「……作戦を立てる司令官が居ないとなれば、敵軍は有利と見て浮き足立つはずだ。油断を誘う。俺は死んだように見せかけて、実のところ死んでいない。居ないと思わせて、すべての作戦は万全を期す。少しでもわが軍の犠牲を抑え、この国を守るためには、まず最初に必要なことだ」
「しかし、閣下。それでは、閣下の名誉が……」
「そうです。もし、今回の戦いを勝利に導かれても……それでは、生涯不敗を誇る経歴が笑い者になりましょう」
まだ分かっていない。死ぬかどうかの瀬戸際の時に、何を言い出すのかと俺は鼻で嗤った。
「何を、馬鹿馬鹿しいことを。このまま正々堂々と向き合えば、敗北確実の戦いを前にして、万が一勝利した時のことを考えているのか。おめでたい頭だ」
急拵えで連れて来た部下たちは、まだこの状況を掴み切れていないようだ。ここで正々堂々戦っても、全員で死のうと言っているに等しいということを、まだ理解していない。
……何が笑いものだ。そう言うなら、喜んで道化になってやるさ。
それで……国を守れるのだとしたなら。
「閣下。しかし……」
「俺たちがここで敗れれば、国民は数多く死ぬだろう。残った多くは敗戦国の民として奴隷となり、王族貴族も見せしめのために公開処刑だ」
「……それは」
「平和ボケした貴族たちとて俺が死んだと聞けば、慌ててここまで軍勢を率いてやって来るだろう。俺の死がまず必要な事だという理屈は、理解することが出来たか?」
敗戦国の国民は、地獄を味わう。
だがシュレイド王国は、あまりに平和な時間が流れ過ぎた。どうせ今だって、自分が行かずとも勝利の知らせを待てば良いだろうと、のんびりしている貴族も多いだろう。
もし、この事態を正確に理解しているならば、絶望のあまりに自死を選ぶ者も居るかもしれないので、何もわからない方が幸せなのかもしれない。
「俺の名誉が、どうした。そんなくだらないもので、国や国民が救えるのか。俺たち軍人は、国を守るために存在している。数を見ろ。我が軍三万に対して、連合軍は十万の軍勢だ。三倍以上の軍勢を相手取るというのに、お前は俺が名誉などという無駄なものを取ると本気で思っているのか」
部屋の中には緊張が走りようやく、少々は理解することが出来たのかもしれない。
しかし、こんな絶望的な状況だとしても、なんとか我が軍の心を鼓舞して戦うしかないのだ。
完全に追い詰められた窮地に万が一にも勝利する奇跡があるとするならば、勝利を諦めない自軍があることが大前提なのだから。
「そうだな。今ここで七万の兵を処理してくれる良い方法を思いつく者が居るなら、すぐに手を挙げてくれ。互角の数まで持ち込んでくれるなら、その後は俺がなんとかする。必ず、我が軍を勝利へと導こう……出来ないのならば、俺の命令に黙って従え。何を犠牲にしても、ここで死に物狂いで食い止め勝つしかないんだ」
ここまで言って、ようやく部下たちも、どんな状況であるかを理解出来て来たようだ。
誰しも目を伏せ口を閉じ、しんとした空気となった。
まぁ、そうだろうな。何百何千の差ならまだしも、あまりに数が多すぎる。
「……開戦時、俺は敵軍の前で派手に矢を射られ死ぬ。その時は、一旦砦へと兵を引く。狼狽した演技をさせて、相手の油断を誘え。そこからは、籠城しての持久戦へと入る」
「砦へと籠城戦ですか? しかし……今の状況ですと、補給路が確保できません」
「それも計算の内だ。何、向こうで司令官の俺が死んで、統率が乱れると思い込んでくれれば、それで重畳だ。油断した奴らはすぐに総力戦を選びはしまい。そこから時間を掛け、慎重に敵の数を削り、時間を稼いで援軍さえ来てくれれば、反撃に打って出る」
相手が十万ならば、後は多数の援軍を待つ。近隣の貴族たちも、慌てて出て来るはずだ。そこまでの時間さえ稼げれば、なんとかなる。
なんとかなる……ではなく、なんとかするが、言葉としては正しいけども。
「閣下……勝てると、思っていらっしゃいますか」
しんと静まり返った中で、副官ジェームスの言葉に、俺は笑みを見せ鷹揚に頷いた。
「それは、心配するな。俺の作戦がすべて、上手く行けば勝てる」
「おお……!」
上手く行く可能性は低いことは伏せていても、嘘ではない。
「……良いか。この国を守るために、要らぬ物などすべて擲つ必要がある。正々堂々として敗れるとすれば、汚い手を使ってでも勝つ。それには、お前たちの協力が不可欠になる。誰かがしくじれば、全員が死ぬと思え。これは演習ではない。生と死が隣り合わせの実戦だ」
部下たちの目の色が変わり、俺はこれならば勝てるかもしれないと思った。
すべては、ここからだ。
心中にある焦りなど、司令官たる俺だけは、絶対に部下相手に見せてはいけない。
常にゆったりと構え余裕ある態度を崩さず、どんな不測の事態も予定通りであるという表情を見せなければ、部下に対し不安を呼ぶことはしてはいけない。
ああ……そうだ。とにかく俺の言う事さえ聞いて居れば、絶対に勝てるのだと信じさせなくは。
事実にするのも、この俺だ。絶対に負ける訳にはいかない。
深夜に及ぶ長い作戦会議を終え、俺が部屋へ戻ろうとすると、副官ジェームスが後に続き、静かな廊下で質問をした。
「閣下。しかし、閣下は出征前に、結婚されたばかりではないですか。亡くなったと聞けば、細君は悲しまれるでしょう」
それは、そうだろう。この男も参列する予定だった、結婚式のことだ。
あと数時間襲撃の知らせが届くのが遅ければ、花嫁から離れがたかったはずなので、逆に運が良かったのかもしれない。
それに、絶対に負けられないという理由も出来た。
「ああ……軍の将たる俺がここで敗れれば、その妻が敗戦国でどんな扱いを受けるかを考えてみろ。死ぬよりも、辛い目に遭うだろうな」
言葉に詰まったジェームスはそれからは、何も言わなかった。
開戦の時、俺は敵側が矢を射はじめた時、命じていた通りに、肩に刺さった矢を見て大袈裟な動作で馬から落ちた。
自分では少々わざとらしかったかもしれないとは思ったが、作戦を知る士官の部下以外は、大いに狼狽してくれたようなので、俺の作戦通りに上手く行った。
頼みの司令官が開戦早々に死んだと知って、兵にも逃亡者が出始めた。
俺はそれを、止めるなと命じた。逃げた奴らが話を広めてくれれば、こちらとしても作戦がやりやすい。
とはいえ、実際に怪我を負う事になった俺は、起き上がれるまで二週間の時間を要した。その間に戦いは籠城戦へと突入し、敵側はこれは勝ったと思い込み完全に油断している。
自軍に被害を出すことなくじわじわと時間を掛け、追い込もうと思うはずだ。俺ならばそう思う。籠城戦で補給路もない軍など、勝ったも同然だ。
……援軍がここには来ない、前提ならば。
「閣下。肩はいかがですか……」
「ああ、この程度。これで、国が守れると思えば、安いものだ」
優秀な弓兵に命じ事前の予定通りの場所だったが、矢は深く肉をえぐり、傷跡が残るだろう。別にこのくらい、大したことはない。
本当に、安いものだ。こんな傷程度で、愛する妻の命が守れるのならば。
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