第9話「義妹との再会」

 私には会ったこともない夫だったとしても、形式上はアーロン・キーブルグの未亡人なので、一年間は黒い喪服を着ることになる。


 執事クウェンティンは、いくらでも私のドレスを作って良い。生前アーロンからはそう聞いていると何度も言ってくれたけれど、一年が経とうとしている今も喪服を何着か必要なくらい作っただけで終わった。


 だって、喪が明けてしまえば、キーブルグ侯爵家で悠々自適に暮らすヒルデガードは、義姉の私に結婚するように求めてくるだろう。


 だから、もしそうなれば、私は違う男性との再婚をそうそうに決めて、キーブルグ侯爵家の財産を全て彼に譲り渡し逃げ出すつもりで居た。


 ある日、私は領地の取り引きの商談もあり、社交のため夜会に出ていたのだけど、そこで義妹のハンナに久しぶりに会った。


 ハンナは先日、貴族令嬢として社交界デビューを果たしていた。


 彼女は亡くなった父似のようで金髪碧眼に華やかな顔立ち、そして、目にも鮮やかなドレスを身にまとい、目立たぬように壁際に居た私を見つけ無遠慮に近づいてきた。


「あらあら! お義姉様。なんだか、お久しぶりです。会った事もない夫のために、顔をヴェールで隠し、黒い喪服を着て大変ですわね。嫁入りされてから、肌荒れは良くなられました?」


 ハンナは周囲をはばからずに大きな声で、エタンセル伯爵家に居た頃のように私へ嫌味を言って来た。けれど、近くにいる面々は貴族らしく素知らぬ顔を決め込んでいた。


 私はこれでハンナが義姉の私を嫌って虐げているという噂が、社交界で流れてしまうだろうとは思った。私の肌荒れが酷かったのは、そのままにしてしまうと乾燥する肌質なのに、義母に化粧品をすべて取り上げられていたからだ。


 クウェンティンの差配で、キーブルグ侯爵家では最高級品が用意されており、すぐに肌は良くなった。けれど、それをハンナに伝えたところで良いことはないと思った。


「ええ。ハンナ……社交界デビューしたのね。おめでとう」


 そんな知らせもなかった義姉の私は苦笑いをして、ここではそう言うしかない。


 周り中、よると触ると噂好きの貴族ばかりだ。


 だと言うのに、為さぬ仲の義姉だとしても、こんな風にあからさまに侮辱しない方が良いと思うけれど……きっと私が注意してもハンナは聞かないと思うし、仕方がないわ。


「ええ。お義姉様のように、社交界デビュー前に素敵な男性との縁談が決まり、そうそうに結婚出来れば良かったのですが……」


「……ハンナ」


「ああ。亡くなってしまった義兄様にも、私もお会いしたかったです。どうやら、軍人らしく荒い性格だけど美男子であったことは間違いないそうですよ。ええ。まあ……もう、二度とお会いすることも出来ませんけどね。ふふふ」


 わざとらしくアーロンの話を持ち出し、扇を開いて嘲るようにハンナにクスクスと笑われても、私には何も言えない。


 ここで、私が何が言えるだろうか。


 義母の実家の公爵家には力があり、それはキーブルグ侯爵家よりも家格が上で、それに私は血を継ぐ当主でもない未亡人としてとても立場が弱い。


 そんな私には、ハンナに何も言い返せるはずがなかった。


「ええ……ハンナにも良い男性が現れるように、願っています」


 静かに微笑んで、こう言うしかなかった。同じエタンセル伯爵家の者であろうとも、私たちには明確な違いがある。


 確固たる後ろ盾を持って生まれて来たか、否か。


「ああ。ありがとうございます。お義姉様に願ってもらわなくとも、私は別に大丈夫なんですけどね……ですが、お元気そうで良かった! それでは、失礼します」


 優雅にお辞儀をしてから去っていく妹の背中を見ながら、私は大きくため息をついた。もうあの義妹と会話わずに済むのなら、どんなにか気が楽だろう。


 けれど、私たちは義理とは言え姉妹で、同じ国の貴族だ。何かと折につけ顔を合わせれば、ああして嫌味を言われてしまうだろう。


 この夜会に来た主な目的だった領地の作物の商談相手とも会うことが出来たし、今夜は帰った方が良いわね。


 そう思った私が馬車へと向かえば、執事のクウェンティンは、お行儀良く馬車の前で立って待っていた。


 他の貴族の従者たちは要領よく適当にサボっていると言うのに、本当に真面目なんだから。


「……クウェンティン。外で待つのは寒かったでしょう。中に入って待っていて、別に構わないのよ」


「奥様はお気になさらず。執事として主人の帰りを待つことも、僕の仕事の内です」


 彼は私の手を取って馬車へと乗せると、踏み台を片付け前の席へと座った。


 クウェンティン本人はああ言っても、私には長時間外で待たせたままであることは抵抗がある。


 貴族として使用人の立場を理解していないと言われてしまうかもしれないけれど、アーロンの残してくれた執事クウェンティンは、母の死後、初めて私の味方になってくれた人だった。


「主人の私が、それで良いと言っているのよ。命令は聞けないの? クウェンティン」


 私が重ねて彼へ言ったことで、これは逃げられないと観念したのか、クウェンティンは片眉を上げ息をついてから言った。


「かしこまりました。旦那様より自分が居ない時は、奥様が望むことを叶えるようにと申し渡されておりますので。そのようにいたします」


 この時、クウェンティンの言葉に少しだけ違和感を抱いたけれど、私は気のせいだろうと思った。


 久しぶりに義妹ハンナにも会い、疲労を感じていた私は、夜空の映る窓へと目を移した。


 ……あんな風に人前で罵られて、打ちのめされた気持ちになってしまうのは、仕方ないこと。


 私にだってそれなりに自尊心は持っているけれど、それを大事にしてくれた母は、もう亡くなってしまった。


 ハンナが義理の姉である私を馬鹿にすることは、いつものことで、それは仕方ない。


 義母グレースが、亡くなった先妻の娘である私を嫌ってしまうことだって、仕方ない。だとするならば、彼女の娘ハンナだって、それに歩みを合わせても仕方ない。


 父だって娘一人よりも、エタンセル伯爵家を大事にすることも当主として仕方ない。


 アーロンは軍人だし、戦場に向かえば命を落としてしまう危険性があることも仕方ない。


 放蕩者の義弟ヒルデガードだって、勘当されて長いと聞くし、キーブルグ侯爵家の使用人たちにも「まさか、あんな風に出ていったのに帰って来ると思わなかった」という言葉が多く、けれど実際に帰って来てしまったからには仕方ない。


 愛人サマンサだって、身重な身体で一人では生きて行けず、子の父アーロンの肉親を頼っても仕方ない。


 私はいつまで……こうして、仕方ない仕方ないと嘆く日々を、過ごすつもりなのだろう。


 亡き夫と愛人だというサマンサの子をこの腕に抱いた時にも、私はキーブルグ侯爵邸へ居るべきではないと思った。


 ……いいえ。もう、決めたわ。


 アーロンの喪が明ける一年後が来れば、どうにか新しい出会いを探して、こんな光が見えない生活から抜け出さなくては。


 ヒルデガードはきっと、無条件で彼に家督を譲ると聞けば、私のことなんてすぐに忘れてしまうはず……サマンサの子をどうするかは、当主の彼に判断して貰いましょう。


 そうしましょう。


 私を愛してくれる人と再婚して、自分を狙う義理の弟と亡き夫の愛人と同居しているという……良くわからない生活から、抜け出すのよ!


 私は邸へと帰る馬車で三日月をぼんやりと見ながら、そんなことを心の中で誓っていた。


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