独身税が導入されることになり愚痴をこぼしていたら、隣にいた女友達が「なら、私にしとく?」と結婚をほのめかしてきた
のりたま
極論:お金で愛は買えるのか?
――人生ってやつは、なにが起こるかわからないものだ。
神様ってやつがきっと、遊び半分で決めた個人のステータス。自身が置かれた環境から分岐していくネズミ算ばりのレール。
それらを生かすも殺すもソイツ次第であり、赤の他人がとやかく口を出すもんじゃない。
正解か不正解か、良かったのか悪かったのか、なんてのは寿命が尽きるなかで初めて出せる答えなのだから。
「ま、だからこそスリルがあって面白いんだがな」とは友人の談である。堅実派の俺には考えられない発言なんだが。
「でも、これには口出しすべきだよな……」
朝、自宅のリビングにて。俺――
視線の先にはテレビがあり、朝の臨時ニュースが流れている。テロップには『
――曰く、この国が直面する少子化問題、その現状に対する打開策のひとつとして、来週より子ども・子育て支援金なるものをスタートすること。
高校を卒業した十八歳以上を対象とし、月額一万円を公的医療保険に上乗せするということ。
ただし、結婚をすると上乗せが免除され、出産のたびに政府からの手厚い支援があるとのこと。
ざっくりとではあるものの、
社会全体で次世代の子どもを育てる家庭を支えるため、という名目があるらしいが、俺に言わせれば暴論というほかない。
なんだよ、来週からって。いくらなんでも早計すぎだろ。
それに、月額一万円とかぼったくりにもほどがある。俺のような彼女いない歴=年齢のやつはただお金を搾取されるだけであり、なんのメリットもない。
「……これはあれか、独身税ってやつだな」
独り身では損をするだけ、だから結婚しましょうね、子作りしましょうね。そんな風な謳い文句で、重い腰をあげさせるのが目的なんだろうが。
果たしてそこに愛はあるのだろうか……? 無理やりくっついたやつらが長続きするはずないと、考えればわかるだろうに。
画面内では俺と同じような考えをもったらしい記者たちが、おっさんに詰め寄っている光景が映し出されていて。
俺もその場にいたらきっと、おっさんの胸ぐらを掴んでいたかもな。
「――っと、そろそろ行かなきゃな」
チラと時計に目をやれば、家を出ないといけない時間が迫っていた。今日は一限から大学での講義があるので、もたもたしてられんな。
慌ただしく身支度をすませ、玄関ドアを開け放つ。外に出ると空気がピリピリしてるような、なんとなく嫌な感じがあって。
俺はかぶりを振ってそれを振り払うようにしながら、歩を進めていったんだ。
◇
「おっす悠人、今日はいつにも増して辛気臭い顔してんな」
大学の構内に足を踏み入れると、後ろから肩を叩かれた。振り返れば友人のやつが軽く手をあげ、ひらひらと振ってみせている。
「そういうそっちはのんきな顔してるよな。お前、ニュース見てないのか?」
「もちろん見たさ。オレら大学生には酷な話だよなー、もっと合コンの頻度をあげろってか」
「余計なもんに金使うなよ。来月から出費かさむんだぞ」
「ははっ、オレは金を落とすことで愛を買おうとしてるのさ。堅実童貞のお前とは違うんだよ」
「お前だって童貞だろーが。てか童貞に堅実もなにもないだろ」
友人のやつとあれこれ言い合いつつ、教室へと向かう。適当に空いた席を探していると、俺を呼ぶ涼やかな声が。
振り返った先にいた人物をみて、つい頬が緩んだ。
「
「もちろんよ。奏のために取っといたんだからさ」
ふわりとはにかむ彼女に両手を合わせて感謝のポーズ。ちなみに友人の席は用意してないらしく、うなだれながら明後日の方角へと消えていったが。
心のなかで南無南無と唱えていると、続けざまに声がかかった。
「それで、奏は今朝のニュース見た? 少子化問題の打開策ってやつ」
「おう見た見た。いくらなんでもやりすぎだよな。あんなの下手したら暴動とか起きるかもしれないだろうに」
「だよね、私も似たような考え。――で、これからどうするの?」
「んー……とりあえずはバイトのシフトを増やそうかな、と。お国のために身を粉にして働くというのが気に食わんけど」
「へぇ、奏は払う気でいるんだ」
机に頬杖をつきながら白い歯をみせニヤリと笑う氷宮。払う気でいるんだ、ってまさかコイツ支払わないつもりかよ。
予期せぬ政府への喧嘩腰の姿勢にこっちが顔を青ざめさせてると、氷宮はすぐに表情を引き締め、人差し指で机を叩いてみせる。
「忘れてない? 抜け穴があるって」
「抜け穴? ……って、もしや結婚か?」
「そ、わっかりやすくエサ撒いてたじゃん。ならここは生活にゆとりを持たせるためにも食いついた方がよくない?」
「っ、そうは言ってもだな……」
氷宮の主張はもっともなんだが、その……肝心の相手というやつがね、こちとらいないわけで。
年齢=彼女なしの男にはハードルが高いというか、残り時間的にも厳しい選択というか。
現実逃避をするかのようにふいっと目逸らししてると、彼女の楽しげな声が耳朶を叩いてきて、
「その反応、相手がいないって言いたげね」
「うぐ……おっしゃる通りです」
「ふーん……――なら、私にしとく?」
「え?」
突然、漂ってきた甘い蜜の匂いに誘われるかのように、俺はそっちを振り返った。あまりの衝撃に開いた口が塞がらない。
感情の奔流が身体中を駆け巡ってるせいか、心臓がこれでもかと早鐘を打っているし、顔だって熱い。
だというのに、提案をしてきた当の本人は悪びれる様子もなく、柔らかな笑みを浮かべながら、
「お互いに気心の知れた仲でしょ? だから結婚しても上手くやっていけそう、って私は考えてるんだけど?」
「っ、それは、そうかもしれないが……」
「――ま、考えといてよ。もし抵抗あるんなら、紙切れ一枚で穏便に済ませるのもアリだけどね」
パチンとウインクをひとつして、会話を切りあげた氷宮。まるで世間話をしたかのようなあっさりめの反応。
対して、アプローチされた身としてはもう頭のなかが氷宮一色で。これから講義が始まるってのに、まともに受けられる自信がない。
純情かよと思うなかれ。相手が相手なだけに、動揺がすさまじいのだから――。
――
大学に入ってからの付き合いではあるものの、休日には一緒に出かけたり、自宅を行き来することもしばしば。
お互い波長が合うとでもいうのだろうか? 話してても気疲れしないし、趣味嗜好が似てるのも状況に拍車をかけたのかもな。
一緒にいて居心地のいい間柄、というのももちろんあるが――それ以上に彼女が放つ魅力にあてられたせいでもあって。
まず氷宮はこれまで出会ってきたどんな女性よりも、優れた容姿をしていた。
息をのむほどの整った顔立ちに、モデルのようなプロポーション。肩までかかる黒髪をかきあげるさまは、さながらCMのワンシーンのような迫力があった。
そんなだからか去年に開かれた大学内でのミスコンで、一年生ながらグランプリに輝いたほどだしな。
性格はわりとさっぱりめでくよくよ悩んだりせず、いつも前向き思考。容姿も相まってか交友関係も広く、告白とナンパは日常茶飯事。
そのせいで、「友達ではあるが高嶺の花」という印象がどうしてもついてまわったりする。マジでお近づきになれてるのが奇跡みたいなもんなんだよな……。
「そんなやつにアプローチされたんだぞ……? こんなの落ち着いていられるかってんだ」
誰にともなく独りごちながら構内を歩く俺。
ちなみに氷宮は横にいない。ほかの友達と取ったべつの講義に出てるからだ。
受けなきゃいけない講義をすべて済ませたこっちは、身体の火照りを抑えるべく歩き回ってる状況下である。
「人生ってのはなにが起こるかわからないもんだな……」
歩き疲れたので近場にあったベンチに腰かけながら、オレンジ色に染まる空を見上げぼやく。
ずっと平行線をたどる関係だと思ってた存在、このままお互いがべつべつの相手とくっついて余生を過ごすんだろうな、と考えてたってのに。
「でも、なんで俺なんだろうな」
女子と交友関係の少ない俺とは違い、向こうは男など引く手数多のはずだ。俺よりイケメンのやつとか、金を持ってるやつとかもいるだろうに。
あれか、同情してくれてるとかか……? 友人の野郎が童貞だってバラしやがったから、女の影がないって知られてるし。
それとも単にからかわれてるだけ……? 童貞が慌てふためく様子が楽しいとかか?
などとあれこれ考えてしまっているが、ぶっちゃけこっちからしたらありがたい申し出でしかない。
大学内でマドンナ的扱いを受けてる氷宮との結婚。独身税の回避などもはやオマケだと言えるだろう。
断る理由なんか、あるはずもなくて。
「やべぇ……いまの俺すげーキモい顔してる」
両手で顔を覆ってみるとわかる、表情筋がゆるっゆるだ。こんな顔を彼女に見られでもしたらアプローチを取り消されるかもしれない、そのレベルの崩壊具合である。
それだけはマズいと福笑いの要領で顔のパーツをいじくっていると、トントンと肩が叩かれた。
すわ氷宮か!? と、おそるおそるチラ見すれば、友人のやつだったよう。
紛らわしいやつめ……それより、なんか憐みの目を向けられてる気が。
「そんな悲嘆にくれんなって。いくらモテないからって思い詰めすぎだ」
「……べつにそんなんじゃねーよ」
「ま、強がるのは自由だが、息抜きも大事だぞ。追い詰められすぎてこんな行動に出ないようにしろよ」
「いやいやどんな行動だよ」
「どんなって、お前ニュース見てないのか?」
友人が珍しく真剣な様子だったのが気になり、顔をあげる。すると持っていたスマホを差しだされ、画面を覗きこまざるを得なくなった。
「なんだこれ、キノコ狩り……?」
「例の政策を撤廃させようと女に男が襲われる事件が頻発してんだってよ。男がいなくなりゃすべて解決、だとか考えてんのかもな。まったく、過激なやつらだぜ」
「……言わんこっちゃない」
俺は再び両手で顔を覆う羽目になった。
遅かれ早かれ暴動が起きるだろうと思ってはいたが、まさかその日のうちにとはな。
これは俺も出歩く際には注意を払わなきゃな、という考えに至るなか、もうひとつの可能性が脳内をよぎりもして、
「てかこれ、女に男が襲われるなら、逆のパターンもあるんじゃないか?」
「ま、あるだろうな。むしろそっちを心配するべきだろ」
「っ」
思わず二の句が継げなくなる。頭に浮かんだのは、悪意に満ちた男どもに囲まれる氷宮の姿。
最悪の光景がすぐそこまで迫ってるかもしれない。全身におぞけが走るには充分すぎる情報が、画面のなかにはあって。
「悪い、俺行くわ」
「ん、行くってどこにだ?」
キョトン顔の友人に向かって、俺はぐっと親指を立てながら、真剣な眼差しで答えてやる。
「愛を貫きにだよ」
◇
カッコつけて教室に来たものの、氷宮の姿はすでになく、その場にいた友人の話によれば、「バイトに向かった」とのことだった。
とたん、その場でくるっと反転した俺は、急ぎ足で大学を飛び出す。
彼女のバイト先には何度かお邪魔したことがあるので、むしろ探す手間が省けるというものだ。
「頼むから、無事でいてくれよ……!」
先ほどのニュースの件もあってか、焦りの感情が身体のなかをぐるぐると巡っている。
それだけ俺にとって、氷宮結愛という女友達の存在が大きいのだと改めて実感させられた。
守りたい、隣でいつもみたく笑っていてほしい。その一心で足をつぎつぎ踏み出していく。
「――っ」
身体が悲鳴をあげてる気もするが、不思議と疲れを感じない。アドレナリンの奔流が疲労感を押し流してるせいかもな。
と、大学から走り詰めだったおかげか、視線の先に見覚えのある背中が見えてきた。
バイト先にはまだ到着してなかったらしい。内心でホッと安堵の息を吐く。
「ひとまず無事は確認できたな……ん?」
少しばかり落ち着けたことで周囲の状況が視界に入ってきた。そこで不審な人影に目が留まる。
彼女から見て右手側、少し離れた距離。呼気を荒げながら氷宮に近づいていく男がいたのだ。
その足取りに迷いはなく、その瞳は小動物を狩るときの肉食動物のようなぎらつきがあって。
なんだか嫌な予感がする、という俺の考えはすぐさま現実のものとなった。
「あ、あ、アワビ狩りじゃあぁぁぁっ!」
「え? えっ――きゃああぁぁぁっ!?」
氷宮に覆いかぶさるようにしながら腕を伸ばす男。彼女は突然の暴挙に戸惑っているせいだろう、声をあげながらもその場に押し倒されてしまった。
必死で抵抗をみせるも、相手は男だ。彼我の差は歴然であり、華奢な氷宮では太刀打ちできない。
でも、だからこそ、俺がいる――!
「――ひとの女になにしてんだてめぇ!!」
「ぐげっ……!?」
駆けつけざま、力強く握ったこぶしを男のあごに叩きこんでやった。
人体の急所のひとつ、たとえ相手がプロの格闘家であったとしても意識を保つのは容易じゃない。
そしてその男はどうやら通りすがりの一般人だったらしく、地面に転がったまま意識を手放したようだった。
無事に無力化できたことを確認してから、俺は氷宮の両肩に手を置いた。
「――氷宮っ、大丈夫か!? ケガとかしてないか!」
「あ、あっ……か、奏……? う、ううっ……!」
俺の顔を見て緊張の糸が切れたのかもしれない、普段の整った顔をぐしゃぐしゃにしながら嗚咽を漏らし始めたんだ。
そんな彼女を安心させてやりたくて、俺は氷宮を抱き寄せた。震える身体に温もりを与えるように、強く強く抱きしめてやる。
しばらくそうしてると震えが落ち着いてきたらしい。俺の肩に顔を埋めていた氷宮が、ぽつりと言葉をこぼした。
「ぐすっ……ありがと、助けてくれて」
「お礼なんかいいよ。それよりも氷宮が無事で、ほんとによかった」
「……無事じゃない。こんなことされて、無事でいられるわけないじゃん……」
「っ、そう、だよな」
俺は自分の発言が迂闊すぎたことに遅れて気づいた。
なんせ見ず知らずの男に襲われたのだ、身体にケガがなくとも精神的には傷を負ってるに決まってるだろうに。
あまりの情けなさから顔を下げると、顔をあげてたらしい氷宮と目が合う。
彼女は泣き腫らしたせいか目元が真っ赤だったが、それ以上に顔が朱に色づいていて。
熱でも出てしまったのではと心配になるほどだ。試しに額に手を当ててみるが、さほど熱くもない。
「……奏のバカ」
俺個人としては及第点の判断だとは思ったんだが、氷宮的にはご立腹らしい。頬をぷくっと膨らませながらジト目を向けられる始末。
ただ、そんな姿も愛おしいと感じられるのはきっと、身も心も彼女に捧げる覚悟が決まってたからだろうな。
◇
その後、一部始終を見ていた通行人たちが呼んだ警察の手によって、男は取り押さえられた。
俺たちも警官からいろいろと話を聞かれたのち、家に帰っていいという流れに落ち着いた。
ちなみに氷宮は今日のバイトを休むことになった。まぁ、あんな目に遭ったわけだから仕方ないが。
警察署から出たところで、氷宮が俺にくっついてくる。潤んだ双眸がこちらに向けられた。
「ねぇ……怖いから家まで送ってよ」
「あぁ、もちろんそのつもりだぞ? むしろお姫様抱っこしてでも送ってくつもりだったんだが」
「なら、してよ」
場の空気を和ませる目的の発言だったんだが、まさか食いつかれるとは。エサをつける際に使った針がデカすぎたらしい。
「じょ、冗談ですよね……?」
おそるおそる氷宮に訊ねれば、「もちろん本気だけど」とのこと。目が据わってらっしゃる。
提案した手前、引くに引けなくなっていると、氷宮が声を弾ませた。
「ま、冗談だけどね」
「っ、え?」
「奏のこと、からかっただけだから」
「そ、そっか」
「その代わり、おんぶしてよね?」
なるほど、これがいわゆるドア・イン・ザ・フェイスってやつか。要求したの俺からだから厳密には違うけども。
なんて思考を切り替えなきゃいけないぐらいには、背中に絶えず幸福が押し寄せてきていて。
ちょっとだけ前かがみになっている理由はまぁ、察してくれ。
歩きづらさを感じつつも、どうにか足を動かして氷宮の家を目指していく。といってもここからなら徒歩五分とかからない。
目的地である氷宮宅(マンションの一室)にたどり着いたところで、彼女に手渡されたカギで開けてやった。
「ほら着いたぞ。入ったらすぐカギかけて、早めに寝ろよ? もし困ったことがあるんなら電話でもメッセでもいいからすぐ呼べよな」
「……なんで帰る流れになってるわけ?」
「えっ?」
「奏も入ってよ。私を、ひとりにしないでよ……っ」
か細い声をあげた氷宮が、俺のすそをギュッと握ってくる。かすかな震えが布越しに伝わってきて、俺はすぐにでも迂闊すぎる自分をぶん殴りたくなった。
でもそんな反応をしたら氷宮に余計な心配をかけるとわかっていたから。握ったこぶしを開いて、彼女の背中を撫でるに留めたんだ。
「ごめん、怖いに決まってるもんな。俺で良ければいくらでもそばにいるから」
「うん……」
氷宮が小さくうなずきを返したところで、連れ立って部屋に入っていく。
リビング横の寝室、そこにあったベッドに腰かけさせ、こぶしひとつ分開けたところに俺も座らせてもらった。
すると、開いた距離を縮めるように、氷宮が俺の方に近づいてくる。
「ひ、氷宮……?」
「……」
トンと肩が触れ、彼女の伸ばした手が俺の手のひらに触れた。白魚のような指先のひとつひとつが伸びてきては、指の隙間に絡んでくる。
まるで恋人のような繋ぎ方をしてるみたいで、ドキドキが止まらない。ごくりと生唾をのむ俺をよそに、氷宮が口を開いた。
「……今朝、結婚の話、したじゃない?」
「っ、そう、だな。お互いに気心の知れた仲だから結婚しても上手くやっていけそう、って言われたときは正直、驚いたけど」
「……私がなんで、そんな提案したかわかる?」
「そりゃお互いのため、とかだろ」
結局、考えても答えの出なかった問いに、無理やり答えを導き出してみる。すると、彼女は呆れたとばかりに大きなため息をついてきて。
まぁ、やっぱ違うよな。氷宮は良いやつだから、きっと「俺のため」というのが正解だったんだろう。
ひとり納得したようにうなずいていたら、隣で小さく息をのんだ彼女が、俺の耳元にささやいてきたんだ。
「(……そんなの私が奏のことを、――好きだからよ)」
「――っ!?」
突然の別解、そのあまりの衝撃に目ん玉が飛び出そうなほど驚きながらも、隣を振り返る。
そこにいた氷宮は、湯気が出るんじゃってほどに顔を紅潮させ、頬をぷくっと膨らませていて。
まるでさっき助けたときのような反応が、そこにはあって。
驚きと再びの愛おしさから二の句が継げないでいる俺をよそに、氷宮がひとつひとつ言葉を紡いでいったんだ。
「ねぇ、覚えてる……? 私と初めて会ったときのこと」
「っ、そりゃまぁ、な。俺がけっこう勇気出したやつだし」
「あのときの心情そんなだったんだ。たしかに、奏の顔赤かったかも」
「思い出すなよ、忘れてくれ」
「忘れられるわけないじゃん」
氷宮が力強く口にして、柔らかくはにかむ。俺にとってはなんてことない場面だったんだが、彼女にとっては人生の分岐点だったとでも言いたげな表情で。
氷宮と初めて会ったのは大学に入学してすぐのタイミング。サークルの勧誘が始まった辺りだったな。
「たしかあのときの氷宮、構内で迷子になってたんだっけ」
「……ひとつ訂正しておくけど、私が方向音痴なわけじゃなくて、サークルの勧誘がしつこかったせいだからね?」
「そう、だったな。んで、逃げ回ってたら迷子になったんだよな?」
「うん。それでどうやって戻ろうかなって考えてたら、奏が現れたの」
そんときの光景は覚えてる。視界の先になんか挙動不審な女子がいるなって思ったんだ。
で、聞いたら迷子になってたらしくて。俺がどうにか大学の入り口辺りまで連れてったんだっけ。
「正直、最初はナンパの口実で近づいたんだろうなって思ってた。いっつもなにかにつけてそんな目に遭わされてきてたから、警戒してたの。――でも、そうじゃなかった。奏は私を助けた後に、名乗りもしないで去っていった。その時、思ったの……あぁ、この人は私じゃなくて、困ってる人を見過ごせない人なんだなって。そんな風に考えたらさ、いつの間にか、好きになってたの」
「……っ」
とつとつと語る氷宮の言葉にますます顔が熱くなり、心臓が熱い音を奏でだす。
まさかそんな風に思われてたなんて気づかなかった。俺がなにげなくとった行動が、彼女に響いてたなんて普通、考えもしないだろ。
「さっきね、私のこと友達じゃなくて……女としてみてくれたこと、ほんとに嬉しかった」
「氷宮……」
ふわりと花が咲いたような笑みを浮かべる彼女に、強く心を揺さぶられる。
視界いっぱいに広がる女友達の表情は、なんだか憑き物が取れたかのようで。
それでも彼女の瞳はなにかを期待するように、俺の真っ赤な表情を写し取っていて。
覚悟は決まってる、言葉も決まってる。ならここで応えなきゃ、男じゃないよな?
俺はひとつ深呼吸をしてから、彼女と視線を触れ合わせた。
「……俺はさ、氷宮の隣にいられるだけでよかった。なにげないことで笑ったり、一緒に美味しいものを食べたりとかして、それで堅実な人生を送れたら最高だなって考えてた。――でも、いまにして思えば逃げてたのかもな。氷宮を好きだって気持ちからさ」
「っ」
「これからは、氷宮の一番近い距離にいたい。例の政策がきっかけにはなったかもしれないけどさ、ずっと一緒の人生を歩んでいきたい。――だから、俺と結婚してください」
「っ、うん……うんっ」
俺の告白を聞いた氷宮は、瞳から大粒の涙を流しながらも、何度も大きくうなずいてくれた。
そんな姿も愛おしくて、彼女をギュッと抱きしめてやる。身体はまだ震えていたけれど、これなら治まってほしくはないな、と願わずにはいられない。
彼女の温もりをその身で受け止めていると、氷宮が顔をあげた。
お互いの顔が自然と向き合うような形になり、まるで磁石のS極とN極のように引かれていき、
「んっ……」
気がついたら氷宮とキスをしていたんだ。
彼女の甘くて柔らかな唇を堪能するべく、しっかり触れ合わせたり、軽く吸いついたりしてみる。
どれくらいそうしてただろうか? 数秒か数分かはわからない。
どちらからともなく唇を離せば、銀色の糸が橋のように伸びて、ぷつんと途切れた。
真っ赤な顔で呼気を荒げる氷宮が、上目遣いでささやきかけてくる。
「ねぇ奏……私の心をもっと、あなたの愛で満たして」
「そんなの、お安い御用だ」
◇
――翌朝、目を覚ますと見知らぬ天井だった。
いや、見知った天井ではあるな、氷宮の部屋の天井がこんなだったわ。よくよく見ればベッドも彼女の部屋にあるもんだし。
なんて思考を巡らせていると、記憶が鮮明になってきた。
そういや昨日、氷宮を家まで送って、流れで結婚することになって、そのままベッドで――、
「――俺ただの送り狼じゃねーか!? これ、弱みにつけ込んだって思われてないよな?」
「ふふっ、そんなの思うわけないじゃん」
ふいに近くから声がした。おそるおそる顔を向けてみれば、部屋着に身を包んだ氷宮が呆れたように笑っていて。
「バカなこと言ってないで起きなよ。朝ご飯もう出来てるからさ」
「お、おう」
彼女に急かされながら身支度を済ませ、リビングに案内される。テーブルの上には美味そうな朝食が並んでおり、匂いに釣られて腹の虫が騒ぎだし始めたんだ。
恥ずかしさから逃れるべく席に着いた俺をよそに、彼女は気遣いからかテレビをつけてくれた。
すると、画面内には臨時ニュースの文字が。氷宮がぽつぽつとそれを読み上げていく。
「なになに……例の政策撤廃。各地での暴動を受けて、だってさ」
「……結果的にお金じゃ愛は買えなかったか……」
「ごめん、いまなんて言ったの?」
「なんでもないぞ。それで、どうする?」
「どうする、って?」
「いやその……例の政策がなくなったわけだしさ」
「――私、言質はとったからね? すぐにでも結婚してもらうから」
俺の言葉からすべてを読み取ったらしく、氷宮に至近距離で詰め寄られる。目が据わっているせいかちょっと怖いんだが。
まぁ、そんな風に感じたのはほんの一瞬で。
温かな感情がこみあげるなか、俺は氷宮の頬に手を添えながら、笑いかけてやる。
「望むところだ。もうひとりじゃいられないぐらい幸せにしてやるからな」
「うんっ!」
――人生ってやつはほんと、なにが起こるかわからないものだ。
ただの女友達が恋人になり、将来を共に歩む仲になる日が来るんだもんな。
まるで夢みたいな光景に頬を緩ませながら、胸に飛び込んできた最愛の人を、俺は強く抱きしめてやるのだった――。
独身税が導入されることになり愚痴をこぼしていたら、隣にいた女友達が「なら、私にしとく?」と結婚をほのめかしてきた のりたま @kirihasan
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