其の四 鶯や
鶯が鳴く音が聞こえる。メドウさんは小さい声で「鶯や」とつぶやいた。俳句を練っているのかもしれない。
「誰がために、じゃない。誰がこの花瓶を割ったのか、それが問題だ。メドウ、本当にお前じゃないんだな?」
「当然だ」と彼女は腕組みをして答えた。
「私がこんなチンケな騒動を起こすと思うか?私だったら、そうだな、もっと派手にやるだろう」
「新歓を掻き回した奴に言われてもな…」
「あれは向こうの不手際だ。時間が押してると抜かして私の順番を飛ばしやがった」彼女は吐き捨てるように言った。
「その上、許可のない発表は禁止だと?こっちは委員長直々の許可を取り付けているんだぞ。ありえない。部員が三人しかいないからって、舐めているんだ」
部員が三人もいるのか、諷子は驚いた。てっきり一人で活動しているのかと思い込んでいた。
「まあいい」ひとしきり毒を吐き終え、彼女はまた腕を組んだ。
「とにかく、私はここでヘッドホンを無音にして気持ちよく寝ていたんだ。誰にも眠りを邪魔されないように、ほうきで細工をしてな。知ってのとおり、私は一度寝たら何があろうと起きないので、花瓶が割れても気づかなかったんだろう」
一度寝たら何があっても起きないのに、ヘッドホンをしたり、扉を閉める必要はあるのかと思ったが、私は言わないことにした。それより、あのほうきのつっかえ棒はメドウさんの仕業だったらしい。そうすると、この部屋は軽い密室状態にあったことになる。
「どうして鍵じゃなくてほうきを?」
「なんとなく、だな」メドウさんは言葉を濁した。とてつもなく怪しい。きっとこの人は何かを隠している。
「いつから寝ていたんですか」いづるが尋ねる。
「30分くらい前だ」
「この部屋に、他に人はいました?」
続けてきくと、彼女は記憶を辿って答えた。
「私が入った時には美術部が帰るところだった。何やら作品を制作していたが。そのあとはしばらく一人で俳句を作っていて、寝たあとは知らん」
「その間、ずっとほうきはあの状態だったのか?」鈴木が扉の方を眺めながら問いかけた。
「ああ。扉を通って外から入るのはほぼ不可能だろうな、中から外に出るのは頑張ればできたかもしれないが」
「通路側の窓から出入りしたかもしれませんよ。鍵はかかってなかったし」いづるが扉と扉の間にある、磨り硝子のはまった窓を指して言う。窓は扉と同じくスライド式で、かなり小さめだった。
「ここを通れるのはよっぽど小柄な人物ですね」
いづるのいうとおり、例えば大柄な男性などは、通り抜けることも無理そうだ。
「その場合、犯人の逃走経路だが」メドウはどこからともなく鉛筆と紙を取り出すと校舎の図面を描き始めた。
「知っての通り、うちの校舎はコの字型。いま我々がいるのが、西校舎2階の209教室だ。奥の階段は現在改修工事中で通行はできない。ときに鈴木、お前はどこからここまで来た?」図面の校舎の右側にばつ印をつけて、彼女は尋ねる。
「三階の階段近くで、次号の壁新聞の題材を考えていたときに、下から大きな音が聞こえて、それで慌てて階下に駆け降りて行ったというわけだ。そのときは誰ともすれ違わなかったぞ」
「ふむ、君たちは?」
「下の階からです」二人を代表していづるが答える。
「誰かとすれ違ったかい?」
「いえ、誰にも」
「なるほど、そうするとどこかに隠れていない限り、犯人が逃げることができたのは…」
校舎の図の中央に丸印をつける。
「二階の渡り廊下か…」
「行ってみましょう」
いづるの提案に、メドウは笑って
「話が早くて助かる」と応じ、「ところで、まだ君たちが誰なのか聞いていないな」と、今更とも言える台詞を口にした。また、どこかで鶯が鳴いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます