6:怪異ハンターとラーメン

 先輩に連れられてラーメン屋に行くと、そこには先輩の用意した執行人が座っていて、塩ラーメンを食べている。

 怪異ハンター。幽霊や妖怪の殺し屋。彼はそう名乗る。彼の隣には萩色のワンピースを着た少女が座っていて、同じくラーメンを食べている。「そう、ころしや」と少女は復唱する。こいつのことは一旦気にしなくていい、と怪異ハンターが説明する。

 突然のことに足がすくんでしまって、テーブルの横で立ったまま動けなくなる。怪異ハンターは黒い革ジャンを着ていて力強そうだ。隣に座っている少女は、俺がいつも会っている幽霊よりはもう少し上の年齢くらいに見える。中学校には入っているんじゃないだろうか?

 俺の横を通り過ぎて先輩が椅子に座り、勝手に俺の分もラーメンを注文する。先輩はこういう店で、よく考えずにおすすめを頼むタイプだ。ラーメンはすぐに届く。仕方がないので席についた。

「食えよ。うまいぞ」

「そうだよ。熱いラーメンを熱いうちに食べないのは損だよ」

 怪異ハンターとその隣の少女が口々に言う。仕方がないので食べてみるが、塩気が強すぎて俺の好みじゃない。

 先輩が俺を連れていく店は、高級料理店かラーメン屋のどちらかだ。庶民だったころの暮らしを忘れないため、と言い訳をしながらラーメンを食べているが、本当は俺と一緒にラーメン屋を巡っていたころの青春を忘れられないだけなのだ。

 今いる店も最近できたばかりのラーメン屋で、海鮮の出汁が魅力的だと口コミには書いてある。

 先輩が怪異ハンターの方を向いて手を組む。

「お二人に来ていただいたのは他でもない。この男が抱える幽霊騒ぎを解決していただきたいのです。それも、二体あります」

「先輩」

 二体? 先輩は解決すべき幽霊が二つあると言った。それはどう考えても、交差点にある壁に加えて、幽霊の少女も含む表現だ。先輩を止めようと目くばせをするが、こちらの方を見ようともしない。

「敬語なんていらないと言いたいけどな。むしろ、俺の方が雇われる側じゃないか?」

「ビジネス・パートナーです」

「建てつけは何でもいいけど、ではそれで。料金体系は既に伝えたとおりです。伝わっていますか? 特別な危険性が無いようなら、特に増減はないでしょう」

「料金は部下から聞きました。既に前金を送金しています。ご確認ください」

 怪異ハンターは足元の籠に入れてある膨らんだリュックサックからタブレットを取り出して見始める。その口調は敬語に変わっていた。しばらくして、彼はゆっくりと首を縦に振り、タブレットをしまう。

「お金ばっかり見ている。それは、大事なことなの?」

 ワンピースの少女が、横から声を上げる。怪異ハンターは体をそちらの方へ向けて、返答した。口調は子供に向けるようなものに変わっている。

「大事だよ。顧客も大事だし、生活も大事だ。もちろん、お前のことも大切だし、よく見ているつもりだよ。大事なことってたくさんあるんだ」

「純粋じゃないよ。本当の仕事からどんどん関係がなくなっていく」

「関係がないことも、大事だから。ビジネスだしね。それに、必要のないものを切り落としてどんどん綺麗にしていったら、最後には生きるか、死ぬかになる。そういう理屈を言いたいの?」

「生と死の問題だけじゃないことは、勉強したつもり」

「もっと勉強すると良いかもね」

 ワンピースの少女は口を閉じて、納得した顔になる。その前に置かれているラーメンの器は、スープも含めて全て飲み干されている。食べるのが速い子だ。

 俺も麺をすすろうとするが、のどにつかえて上手く呑み込めない。

「了承いただけたようなので、詳細に入りましょう」

 先輩が有無を言わせず話を進める。そして、俺が先輩に話した、幽霊との遭遇の話を伝え始めた。幽霊の少女と、壁の話。怪異ハンターは時折メモを取りながらそれを聞いている。隣の少女も話を聞いている様子だ。

「その壁や、幽霊っていうのは、あなたは確認したんですか?」

「いや、全てこの男の証言です」

 先輩が親指を横にして俺を指す。自分に話をさせてくれと、何度か声を上げようとしたが、何故か声にならなかった。体に裏切られたみたいだ。

「まあ、信用しているようなら文句は言いません。実際現地に行って、確認できなくても前金は返しませんよ」

「問題ありません。その場合でも、良好な関係が続けられることを期待しています」

「もちろん」

 ぱたんと音を立てて、怪異ハンターが手帳を閉じた。革で装丁されていて、頑丈そうだ。それをしまって、ラーメンの残りを食べ始める。

「先輩」

 ようやく俺の口が、声を発してくれた。

「俺は幽霊の子と離れたくありません」

 先輩の声は冷ややかだ。

「幽霊なんかとかかわっている時間は人間にはない。俺たちは生きているんだ。生きて、生活しているのを、幽霊に邪魔される筋合いはない」

「この人は、先輩の言っていた新しい事業ですか?」

「そうだ。俺たちの会社は、これから妖怪退治にも手を伸ばす。怪異ハンターに依頼を斡旋する仲介業だ。お前が、つまりお前の幽霊を取り除きたい俺が、その第一の顧客となる。信頼性を確認するためだ」

「リスクだからやりたくないんじゃなかったんですか? 俺の幽霊を嫌うのと同じ理由で」

「そうだ」舌打ち。「そうだが、部下に押し切られた。稼ごうとする意志があるから、まだマシだ。こんなもんは一つで十分だ」

 ビジネス・パートナーの手前、顔には出していないが、その口調には苦々しい思いが含まれている。おそらくは、俺に対して思っているのと同じ苦々しさがあるのだろう。

 怪異ハンターが手のひらを水平に俺に向けて言う。

「今、何をすることが必要なのかを考えたほうが良いぜ。協力してくれるんなら嬉しいし。協力しなくても、幽霊は俺が処理する。壁の方も、予想はついている。そう決まっているうえで、何をすればスムーズかってことだ」

 多少の怒りを込めて怪異ハンターを睨むと、その唇の端が、僅かに上がっているのを見る。目にも、敵意が見られない。この言葉は彼なりの優しさなのかもしれないと思い直した。少なくとも、今日の先輩より、俺の方を見てくれている。

 ハードボイルドな日々を送ってきたのだろう四角い顔が、手を下ろしたとたんに無表情になる。その無表情に、声をかけた。

「壁の方を、先にしてもらえませんか? 幽霊の子は、壁の向こうに行きたいみたいなんです」

 怪異ハンターはわずかに顎を上げて、「ふん」と鼻息を漏らした。「いいだろう」と言葉が後からやってくる。

 隣のワンピースの少女が、初めてこちらを向いた。物が切れそうな、真っすぐな視線だ。

「良いと思う。綺麗な言葉だよ」

 俺が聞き返す暇もなく、彼女は視線を戻して、斜め上の空間を眺め始める。一瞬の言葉だった。ただ、その一瞬で、何かを見透かされたような、言い表せない感触を感じたのだった。

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