5:ギターと太陽
幽霊に会う。散歩をして、公園で歌を歌う。幽霊に会う。夜だから入れないショッピングモールを、外側から見る。彼女は二度とショッピングモールの内側を見ることがない。幽霊に会う。いつだったか冗談で言ったみたいに、公園でけんけんぱをする。大人でも、本気でやると面白い。幽霊に会う。幽霊に会う。幽霊に会う。
ちょっとくらいならいいだろうと思って、深夜の公園にギターを持っていって、練習してきた子供用の曲を演奏する。彼女のためだけに演奏する。できるだけ静かに、一人だけに届くように。
その日はギター以外にもサプライズがあった。日の出を映した写真集だ。幽霊の子は、どんなに頑張っても日の出とともに消えてしまう。すっと、空気に溶けるように消えてしまうのだ。それと同時に、この街のある場所の交差点でそびえたっている高い壁も、消える。壁には何度もチャレンジしたが、結局乗り越えることは出来なかった。日の出がどちらをもこの世界から消してしまうということは、壁と少女が同じ仕組みで存在していることを示しているのかもしれない。
壁を見るとやっぱり二人とも悲しくなってしまうので、最近は近づくこともなくなってきた。次に俺たちの前に現れたのが日の出の問題だ。壁と同じくらい絶対的に、太陽は少女を制限している。夏の日差し、といっても朝だから幾分弱い日差しは、夜の世界を全くのためらいもなしに破壊して、少女から居場所を奪ってしまう。夜の端がだんだん明るく色づいてくると、俺と少女の邂逅の制限時間が迫ってきていることが分かる。
大抵は、そんなに長く二人とも起きているわけじゃない。どこかでどちらかが疲れて寝てしまうから、日の出に邪魔されたことは、数回だけだ。それでもその数回が心に重かった。絶対の時間切れ。壁の次に現れた、第二の行き止まりだ。子供が夜更かしをするのは、夜更かしをすることができるという自由を体感するためだ。変な言葉だけど、可夜更かし性(夜更かし可能性)を確かめているのだ。幽霊の子が朝を見ることができないということは、同様の理由でもって悲しかった。心のどこかを、樽を作るときに嵌める金属のたが(・・)だとか、孫悟空が頭につけている緊箍児だとかみたいにきりきりと締め付けて、どこへも動けないようにしてしまうのだ。
今日のサプライズは、そんな子供へのかすかな慰めのつもりだった。日の出を集めた写真集には、富士山のご来光の写真だって載っている。見ることができない太陽を写真でだけでも見ることは出来ないかと思ったのだ。
公園のベンチの近くには、点滅している街路灯があって、それに照らして写真集を見た。少女は神妙な顔つきで、俺のめくるページを見つめている。木々の間から、ビルの隙間から、山のてっぺんから、様々な姿で太陽は顔を見せる。人間には変えられない、神様が決めたルールを体現するごとく、太陽は昇る。大いなる光。大いなる炎の球。夜を打ち砕き、一日を打ち砕いて、次の一日が始まってゆく。
少女の悲しみも光輝く太陽の写真を見ることで明るくなる。けれどその喜びは、まだ悲しみと隣り合わせだ。太陽は美しい。綺麗だ。写真を見て良かった。でもこの目で見ることができないことが悲しい。それを、少女は交互に言う。悲しみが太陽に照らされて喜びになり、喜びが照らされるとそれは悲しみになる。
ちかちかと、点滅する街路灯。一日が集まって一年になるみたいに、喜びと悲しみが無数に集まることが心っていうことなんだろう。きっと、喜びと悲しみ以外の感情も、たくさんある。名前のついていない感情だってあるだろう。太陽がぐるぐると回りながら地球をあちこち照らしているみたいに、心の動きはダイナミックで、ころころ変わる。
そして、ありふれた言葉だけど、悲しみの後にはきっと喜びがやってくる。
結局、感情の動きに体が追い付かなくて、彼女は泣いてしまった。その隣にいて、ただ見守っていると、時間はあっという間に過ぎてしまう。たまにギターを取り出して、子守歌のようなメロディを弾いてやる。
すうすうと寝息が聞こえて子どもが眠ってしまうと、いつものようにその姿は見えなくなる。腕を回しながら立ち上がって、ギターをケースにしまった。
いい音楽だ、と直感のような言葉が降ってくる。いい音楽だ。うん。独りよがりじゃないし、優しくて、温かい。今日引いたギターはいい音楽なんじゃないか?
家に帰るまでの道の間ずっと、自分の音楽への自信のようなものはあり続けて、俺を励ましてくれた。今日演奏したのは、簡単で誰でも弾けるような曲ばかりだ。それでもいいのだ。必要な場所に、必要な音楽というものがあるみたいだ。
路上ライブを始めたのは半年前のことで、きっかけは親への反抗心だった。夜は好きだったし、街は好きだ。音楽も好きだけど、親のことは苦手にしている。
親が苦手なのは現実的すぎるからだ。親の言うには、俺には音楽はできない。音楽で大成するなんてよっぽどの奇跡で、その奇跡はきっと起こらない。歌ってごまかしてその言葉を忘れようとすることはきっと逃げるということだ。逃げたって悪いばかりではないだろうけれど、一人の男が歌を歌い続けているという現実だけが確かにここにある。それをジャッジしなければならない日がいずれ来る。
でも、これからどうなるとしても、今日だけは音楽を続けていて良かったと思えたのだ。それだけで、十分なのかもしれなかった。
この音楽が、現実だ。
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