4:経営者と恐怖
「幽霊の子とはまだ会っています」
俺が言うと先輩は顔をしかめる。今日来ているのは中華料理屋だ。こうなってくると、本当に何の料理を食べているのかが分からない。先輩だって、料理の名前が分かって食べているのではないに違いない。「それ、フカヒレだぞ」と言って俺を驚かせたが、それ以外のメニューについては説明してくれないからだ。
先輩は、金持ちの素人だ。急に得てしまった金の使いどころに困っている節がある。
「カスミだぜ、それ。前にも言っただろう」
「構いません。俺が会いたいんです」
今度は、しっかりと前を向いて先輩に反論することができた。幽霊の少女にはあれから三度ほど会いに行っている。夜の街の常連だ。
「大学は? どうしてる?」
「行っています。先週試験でしたが、悪くないと思います」
「ふん。幽霊に会った次の日は休んでいるんだろう?」
「そうですけど」
「出席は?」
「ギリギリです。何単位かは、回収できませんでした」
先輩がにらみつけてくる。どうして、こうも機嫌が悪そうなのだろう。会社の業績は悪くないと聞いている。それとも、何か社内に問題を抱えているのだろうか。
中華ということで飲んでいる紹興酒(これに関してはワインの方が好みだというので意見が一致した)のグラスを干して、先輩が続ける。
「新しい事業をしようとしているんだ」
「へえ、いいじゃないですか」経営のことを知らない俺の相槌。
「ちょっと、ことが面倒くさくてな。本来の業務と関係があるようで、遠い。役に立つようで、役立たない。将来性があるようで、それは非常に楽観的な観測に基づいた将来性だ」
「随分と曖昧ですね」
「俺にも目標がうすぼんやりとしか見えていないし、きっと他の会社でも同じことだ。これからどんな風に成長していくか、まるで分からない。でも、社員の一人がそれに入れ込んでいてな。これこそ本当にやりたかったことだというんだ。そいつの後押しで、プロジェクトがどんどん進んでいる。分析が進んで、どうも不確実な業務だと分かった段階でも、もう止められない」
名前の不明な料理が目の前には並んでいる。食べてみると美味で、中華料理の味。先輩も同じものを食べているが、物憂げな顔だ。
「メインの仕事にこれがなることは、無いだろうと思う。そんなに稼げる仕事じゃないように見える。社員たちに言わせれば、そんなことはないと言うだろうが。なんだか、妙な熱意だけでことが動いているんだ」
「でも、先輩もそうやって成功したんじゃないですか?」
「くそ。そうなんだよ。当時にしたら無謀なことをやって、結果として成功したのは確かだ。俺の会社はまだベンチャーだから、そういう熱を持った人間が残っている。あいつらは第二の俺なのかもしれない」
「じゃあ、支援するのは」
「怖いんだ、それが。ここで失敗したら、会社が傾く。そういうリスクの二回目を抱えるのが、怖い。俺は、もう、失敗できなくなってしまった。俺だけじゃないんだ。抱えているのは。プロジェクトにかかわっていない社員もいる。一回手に入れた地位は手放しがたい。お前から見たら俺なんて、料理を奢ってくる金持ちくらいにしか見えていないかもしれないが、それだけじゃない。それだけじゃないんだ。社長になって初めて知ったことが山ほどある。今失敗したら、その地位には戻れなくなる。最近は、それが怖くて夜に眠るのに苦労するんだ。でも、寝なくちゃいけない。寝られずに徹夜して業務に支障をきたすのが、もっと怖い。怖いばかりで働いている」
俺には言うべき言葉もない。先輩は苦しみを話してくれたが、実感を伴っては理解できない。何も持たない俺。持たないが故の軽さがあるということか。それを先輩は暗に責めているのか?
食事の最後に、天心が提供される。杏仁豆腐は俺でも理解できた。きっと、この店もそういう王道から外れられない。有名な料理ばかりを出しているのだろう。俺は、その有名すらも知らなかったけれど。
「お前の音楽と幽霊は、リスクだと思うよ」
別れる間際に先輩は言う。
「先輩が、もはや経営者だからですか?」反抗の言葉。
「そうだ」端的な肯定が返ってくる。
先輩は、振り返らずに去って行った。その高級そうな靴のかかとを、俺は最後まで見つめ続けた。
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