6.暴走

「牧場をぐるーっと一周すると大体15kmちょっとなんだけど、それを3週だから全部で50kmないぐらいかな。20分ぐらいでゴールできると思うよ」


 フィンがレースについて一生懸命説明してくれているが、私はまったく別のことを考えていた。


――開けた草原だからコース取りは関係ないけど、集団に複数で前を塞がれると……? いや、流石に生身で接触は危ないから少し膨らんででも避けたほうが……。


「ちょっとサラ聞いてるの!? とにかく、映像中継の魔石があるからズルしちゃダメだよ。あとブルームには衝撃吸収の魔法陣が付与されてるけど、他の人を故意に引っ張ったりとかは――」

「えっ? それって接触の衝撃も吸収してくれるの?」

「そりゃそうだよ。時速100キロ以上で飛ぶんだもん。もし地面に転がっても擦り傷ぐらいで済むよ」


 魔法ってすごい。沙羅時代はゲームでモンスターと戦うようなファンタジーな魔法しか知らないし、サラの記憶にある魔法は家の中で使う生活必需魔法ばかりだった。娯楽の質を高めるだけの用途で魔法が使われていると新鮮な気持ちになる。


「レース始まるけど、後ろでゆっくり走るんだからね?」


 フィンは念を押すように注意を重ねる。その危機感は正しい。後ろでゆっくりと走るつもりなど毛頭ない。


 参加する選手全員がブルームに跨り、場が一瞬だけしんと静まる。間もなくレースが始まるようだ。前に立つユーイさんが旗を上げるのをみんなが待っている。


「フィン」

「ん?」

「無理してついて来なくても大丈夫だからね」

「ちょっとサラ!?」


 ユーイさんが旗を振るのと同時に、私はありったけの魔力をブルームに叩き込んだ。


――うわぁあああああああ!!!


 沙羅時代に経験していたレースマシンとはまったく違う、科学を無視したような急加速。私はブルームの制御もままならならずに先頭集団へと一気に追いついてしまう。


「このバカ娘が!!」


 後ろから一気に迫ってくる私に気づいたペルシさんが怒鳴り声をあげる。一瞬にして時速100キロ以上は出たのではないかと感じるほどだが、ブルームを持つ腕や体に負担はない。まるで高速で走る新幹線の中にいるような感覚だった。


「どうして後ろで大人しくしてられねえんだ!」

「なんだこのガキァ!?」

「初心者が調子乗ってんじゃねえぞコラァ!」


 ペルシさんやよそ者連中も、ブルームを制御できず暴走する私に追い抜かれまいと一気にペースを上げてくる。


――い、一旦スピードを緩めないと……。


 制御できないブルームのスピードを落とそうと、踏ん張るようなイメージで魔力を後ろのほうに留めてみる。しかし、ブルームは私の予想を超えてビタッと空中で止まるようにブレーキがかかった。


「急に止まるなぁああああああ!!!!」


 後ろから聞こえてくる悲鳴のような叫び。ぱっと頭の中に思い浮かんだのは玉突き事故だ。私はその危機感から慌ててブルームに魔力を叩き込むが……。


――今度は急加速っ!!


 どうにもブルームの制御がままならない。一気に先頭を走るペルシさんやよそ者集団に追いついてしまった。


「サラ、お前一旦降りろ!」

「だからクソ田舎は嫌いなんだ! カスみてえな初心者がレギュラークラスに混ざりやがって! レースの邪魔すんじゃねえよ!」


 急発進と急ブレーキを繰り返しながら暴走する私を見て、ペルシさんやよそ者連中は私に怒声をあげてくる。後ろのほうからは「サラのバカー!!」というフィンの怒った声が聞こえてきた。


――どうする?


 ここで降りるも一つの道だ。きっと沢山怒られるけど、その後で丁寧にブルームの乗り方を教えてもらえるだろう。上手に操縦できるようになったらスタートクラスのレースに参加させてくれるはずだ。


――いや、ありえない。


 けれど、私の魂がレースから降りることを許さない。ここでサラとしての生きる道が決まってしまうと直感できる。レースは一度降りたら、もう戻れないからだ。


 沙羅時代、日本人女性初のF1レーサーになるまでの道のりは簡単ではなかった。同世代に勝つのは当たり前。才能に秀で、経験を積み、環境にも恵まれた男たちと、スポンサーから提供されるマシンを奪い合ってきた。競争に負ければ次シーズンの席はない。たった一度の失敗で誰も私にマシンを用意してくれなくなるシビアな世界だ。


――いま、マスターすればいい。


 F1レーサーへステップアップする道のりの中で、マシンの規格が変わるのは当たり前のことだった。初めて乗るマシンで誰よりも速く走ることをずっと求められてきた。何も変わらない。それと同じだ。


「ペルシさん!」

「あ? 降りるならもっと横に逸れてから……」

「私がこのレースで勝っても賞品もらえるよね!?」


 返答はなく、ペルシさんは引きつった顔を見せる。そして、そのやり取りを間近で見ていたよそ者連中は怒りで顔を歪ませた。


「生意気抜かしてんじゃねえぞこのド素人が!」


――大丈夫、速度を保てば安定している。


 未だにブレーキングの制御がままならないが、スピードを維持すれば走りは安定している。速く走ることができるのならば、何も問題はない。


 レースは先頭を走る者がいつだって正しいのだから。

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