第10話 返しにいく。

 ゆっくりと、張り付いたページをめくっていく。青色の蝶のイラストが、大きく描かれていた。



「青色……」



 右下に、小さなクセのある文字で何か書かれている。その文字は間違いなく、おばあちゃんのもの。



 ――朔月に、夜凪の時刻。海の中で、青色の蝶を放つ。全てのものから解放される。




「朔月……新月の日? 今日だ。夜凪の時刻って、何時?」



 新月で、夜遅い波が静かになる時。青色の蝶を解放しに、私は海の中に入らなくてはいけないようだ。

 "全てのもの"から解放されるというのが、少し引っ掛かる。



 あの男から、解放される。ということは、黄泉の国に連れられることも無くなるのだろうか。



 私は、立ち上がった。今住んでる場所から近くの海まで、少し距離がある。車という手段は存在しないので、電車を乗り継いで向かわないといけない。



 大きめのカバンに、濡れてもいいようにタオルやら着替えまで中に入れる。そして、すぐに家を出て電車に乗り込む。


 この時間帯は、人が少なくてどの座席も空いている。適当な場所に、腰を下ろした。

 大きく揺れる車体に身を任せ、目を閉じる。




 自分の体重によって沈む椅子に、自分の意識を沈める。ギリギリまで意識を繋いでいたが、限界が来て手を離してしまう。




 重たい瞼を開けると、そこは薄暗い空が広がっている。太陽が地平線に落ちかけて、薄暗くなりつつある。

 太陽の代わりに、照らすはずの月もない新月朔月の夕方。



 オレンジ色の空を、紺色の海が飲み込んでいく。




「夕凪ともいうよね」



 海風と陸風とがケンカをして、打ち消しあう。その時間は、無風となり海が静かになる。

 それが、1日に何度かあり朝、夕方、夜にある。




(でも、夜凪って書かれてたもんなぁ)



 そう思いつつも、一度海の方へ行ってみる。スニーカーが、海水を含んだベタつく砂を踏み締める。


 

 足が、海に濡れるぎりぎりのところに立つ。私の肩にいた青色のアゲハ蝶が、パタパタと羽ばたいて海の方に向かった。

 ぐるりと一周して戻ってくる。





「やっぱり、夜なんだね?」

 


 私の伸ばした指先に、チョンッと止まる。返事の返ってこないアゲハ蝶。

 蝶を連れて、この海で時間を潰す。ただ、何もせずに海が立てる潮の音を聴く。

 その光景を、静かな中眺めていた。




 星の輝きだけが、空を照らす。ふっと、私は腰を上げてスニーカーを脱いだ。

 海水を含んだ砂が、足の指にまとわりつく。



 海の中に、夢の中で見た朔がいる。彼は、腰まで海の中に浸かっている。



 ぱしゃっと音を立てて私は、海の中に足を入れた。ロングスカートの裾が、海に触れて濡れた。

 そんなこと構もせずに、足を進めて中へ入っていく。



 膝が浸かったところで、私は足を止める。




「朔? なぜあなたがここに?」



 黒のフードを脱いで、長い黒の髪を揺らす。ハイライトのない、全てを見抜く黒の瞳と目が合う。



「本当は、お前を連れて行かなくてはいけなかったんだ」



 

 月の無い真っ暗な夜。大きな銅鑼どらの音がする。耳を塞ぎたくなるほどの大きな音が、轟いた。


「ほら」


 そう言われた先には、真っ白の光を纏った女が現れた。あの夜に出会った、黒のベールの女とは別人だ。

 白い服をはためかせて、空から降ってくる。



 その女が、海の上でふわりと浮かぶ。その女に向かって青色のアゲハ蝶が飛んでいった。


 

 青色のアゲハ蝶は、白スカートのドレープに溶け込むように消えた。



「早見しおりさん。本当は、お迎えが来ていたのですよ。……でも、あなたのお祖母様が"まだダメ"というのですよ」


 

 くすくすと、その女性は笑った。その笑顔は、なんの裏もない純粋な笑みに感じる。

 朔が、私を指さして眉をひそめた。



「次は、俺の名前忘れるなよ? 早見しおり」



「でも、次会った時には連れていかれるのですよね?」


 



 小さく朔が頷いた。それを最後に、海が大きく荒れて私を飲み込む。

 怖くなり目を瞑った。




 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る