第5話 夢うつつ。

 静かな空間に、血の滴る音。骨が崩れていく音が響く。


 

 自分の足元には、血の海ができている。むせ返るほどの生臭い血の匂い。


 

「一緒に帰ろうか」

 


 知らない男が、私に色白の手を差し伸べてニヤリと笑う……。



 

 また、同じ夢。夢の中なのにも関わらず、"これは夢"と理解している。



 どうせこれで手を伸ばしたとて、消えるんだろう。そう思いつつも、足をその男の方へ進めていく。水たまりのように音を立てて、血の海の上を歩く。

 近くまで来て、私は立ち止まった。



「ねぇ、あなたはだれ?」



「……」



 男は何も答えず、差し出した手を下ろした。





「さぁ、一緒に帰ろうか?」


 


 ――あの時の女性と影が重なる。


 夢の中なのに、嫌な汗が垂れる。恐怖で口が渇く。緊張感で、心臓が音を立て始めた。



「……私は、あなたと一緒に帰れない」



 ここでまた『うしろに注意』を思い出して、振り返ったならば……また、青色のアゲハ蝶が飛んでいきこの男は消えるかもしれない。



 振り返らない。すっと、その男を真正面から見据える。




「ハハハッ」



 上を見上げてその男は、笑い声を上げた。彼が両手を広げて、ヒラヒラとさせる。

 ひとしきり笑ったかと思えば、腰を折って私と視線を合わせた。



「どうして?」


「どうして……?」

 


 思わぬ質問に、私はおうむ返しをしてしまう。黒くて、ハイライトのない瞳に見られる。なんだか、全てを見られているような気分だ。


(一緒に行けない、に理由が必要だろうか?)



 じっと見られて、たじろいでしまう。目を泳がせ、視線を外した。

 それを見た男は、背筋を伸ばして再度手を伸ばしてくる。

 


「早見しおり。お前は、俺と一緒にくるんだ」



 心臓に指を刺される、そんな感覚になる。"早見さん"と呼ばれることはあっても、"早見しおり"とフルネームで呼ぶ人はいない。


 ましてや、下の名前で呼ぶ人間が近くにいない。個人を示す名前。それを呼ばれて、スルーすることもできない。



「私の名前を、知っているのですね?」



「逆に、俺の名前を忘れているんだな?」



 回らない頭を巡らせる。ぐるぐると思考が回り、頭から血の気が落ちていく。



(何か、忘れている?)



 何度、思い出そうとしても分からない。この男は、知らない男だ。伸ばされた、白い手が私の肩に置かれる。



 巡らなくなった血液に、頭の芯が抜かれたようになった。顔を近づけられて、耳元でボソリと囁かれる。




「うしろに注意……」




 ふわつく頭でも、瞬時に思考が結びつく。


 

(またこれ!?)


 

 そう思って、私は一歩後ずさる。微笑む笑みからは、冷たさしか感じられない。

 口を結んで、私はその男をにらみ上げる。



「忘れたのは、お前のほうだろう?」



 くるりと背中を向けて、手を後ろ手に振ってくる。そして、足を踏み出す瞬間に光に包まれた。

 眩しくて、私は目を閉じた。



 

 

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