第十六話 ミツバチを連れてくる女。


夕日を背に、一人街を練り歩いた。

モモバースに来て以来、しっかりと街の風景を探索した事がなかった僕だが、新しい世界は特に新鮮さもなく、至って普通の現代の日本の風景そのものだった。

駅を中心にして大都市が形成されていて、道路では車が走り、街には人が自転車や歩行者で賑わっている。

下町もあるし、田舎もある。田んぼもあるし、川もある。

そんな街で、僕は未知の能力を目の当たりにし、その未知の能力を翠葉に右目ごと渡されていて、それを持ったまま生活している。

そして死後の世界にも関わらず、殺し合いが起きている。

その殺し合いを止める為に、生前と同じように警察のような組織、親衛隊が治安を守る為に動いている。

しかも僕は死んですぐ、その親衛隊の一人になった。


日常にものすごい近く似ているのに、明らかに非日常なものが違和感なく混ざり合っている。


そんな中だとしても、皮肉だが、ルゥや親衛隊のみんなを守りたい気持ちと、翠葉にもう一度会って話したいという、工場勤務時代の生前の自分にはない、目指すところ、生き甲斐がここにはある。


死んで、生き甲斐を見つけるなんて、変な話だ。


夕日が沈みそうになり、僕は道の脇に設置されたベンチに腰掛け、タバコを吸おうと思い、タバコを一本咥えてライターを探すが、


「あれ?」


うわ、しまったーーー。

ない。どっかで落としたか、忘れてきたか…。


どこを探したところでないのには変わりなかった。


仕方がない…。もう帰るか…。

そう思って立ちあがろうと思った直後だった。


チャカ。


耳元で、聴き慣れた音が聞こえた。

僕の目の前には、ちょうどいい高さで灯る火が向けられていた。


「火、ないんですよね?」


隣を向くと、透き通る長い金髪に、右肩に三つ編みを乗せた整った顔美人の女性が、ワインレッドの瞳を輝かせながら、僕の咥えたタバコにライターで火をつけてくれた。


「あ、どうもありがとうございます。」


白いヒラヒラなワンピースが夏らしく、思わず見惚れてしまう美貌。

こんな子も、モモバースに来てしまったのかと思うくらいだった。


「私、モアと言います。」


「モアさん…。」


「モアちゃんでいいです。」


何故か、ここへ来てからというもの、実に初対面ながらにグイグイと距離を詰めてくる魅惑で魔性な女性とよく出会う。


「あなたの名前は?」


名前を訊かれる。


「セツリ。」


「もしかしてそれは、本名ですか?」


「そうだけど?」


「ここへ来て、本名を覚えている人なんてなかなか見た事がないですよ。」


「え?そうなの!?」


「はい。ここで生身になる際には、生前の記憶のほとんどがメブに消されちゃって、本名も忘れてしまいますからね。そして、メブから新しい名前を授かるんです。」


「へー。それは初耳だなあ。」


タバコを一吸いし、夕日を覗く。

夕暮れ時だろうと、座っているだけでも汗が滴る夏なのに、やけに涼しい風がヒューっと斜めに吹き込む。

何だか、夏なのに肌寒くさえ感じる。


タバコを、もう一吸いする。


……。


「あの…、何か?」


隣に座るモアちゃんは、まだ僕の顔を興味津々で見つめっぱなしでいる。


「あなたの首筋、いい匂いがします。」


ふいに、彼女から再び第一声があがる。


「え…?何?何の匂いがするの…?」


「血の匂いです。」


ゾクッ。

背筋をなぞられたような寒気を感じた。

この言葉を聞いた瞬間、もうモアちゃんの瞳を見る事は直視できなくなってしまった。


「あなた、首を斬られてここへ落ちたんでしょ?」


「どうしてそれを…。」


「私も、首でここへ落ちたんです。一緒ですね。」


静かに辺りを薄暗くしていく夕暮れの静かさの中、少し物寂しそうに鳴いていたヒグラシやセミが、鳴くのをやめた。

夜が始まり、不穏な空気が辺りを包み込む。


「君…、何者…?」


「あなたの事、好きになりました。」


「はっ!?」


人生初の告白は、突然やってきた。


「え!?はっ!?なんて!?」


「あなたの事、好きです。」


改めて、彼女は言いのけた。

僕の事を好きだと。目を見てはっきりと。


摘んでいたタバコの火はもう消え、短く冷たくなっていた。


「私のアドレス、あなたのスマホに入れておきました。」


「あ!何で勝手に!!」


「ふふ。暗くなりましたのでそろそろ。また連絡します。」


そう言って彼女は、僕が喋る機会を与えず、ベンチから立ち上がり、暗闇の向こうへとスキップで去っていった。

あの子は、自分の死因を知っていた。

これがどういう意味を指すのか、この時の僕にはまだ知りもしなかった。


僕も立ち上がり、帰路につこうとはしたが、

気になる。

スマホに入れられたアドレス、彼女のプロフィールが、何故か後ろ髪を引かれるように気になった。


スマホを取り出し、彼女のプロフィールだけでも見ようと思って画面を開いた。

すると、変なアプリがダウンロードされている事に気づく。

そのアプリの名前は『臨時群青』と書かれていた。


「なんだこれ…?」


何気もなしに、そのアプリを開いてしまう。

開いて最初に画面に映ったのはチャットページだった。

その画面にはモアちゃん一人だけのチャットルームが映されていて、何やら文章がいくつか受信されていた。


『セツリさん、こんばんわ。親衛隊の皆様はお元気ですか?』


この一文を見た瞬間、僕の疑心は確信に変わった。

続いて文章が何件にもわけて送られている。

少しずつスクロールしていく。



『また、セツリさんとお話したいんです。』




『酒呑みだと聞いたので、明日の十八時、駅前の居酒屋で食事でもどうですか?』





『ご心配なさらず。私、こう見えてもタバコは吸いますし、酒も大好きなんです。きっと、セツリさんと相性がいいはずです。』






『では、明日の十八時に駅前の居酒屋、一番奥のテーブルを予約していますので、待ってます。』







『わかりました。明日の十八時ですね。楽しみです。』



「うわああっっ!!!」


思わず手に持っていたスマホをぶん投げた。


何を見たんだ僕は!?

誰と誰のチャットを覗いた!?

僕は一文字も送っていないのに、会話が成立している…。

最後の文章は、僕が送っている事になっている…!

いつだ!?いつ…?


「はっ!!」


勝手にスマホにアドレスを入れられた時だ!

あの時しかない!

あの時…!

あの時、もうすでに…、

このチャットをすでに完成させていたんだ…!!


「やばいじゃん…、僕…。」


AOのチャットでの会う約束。

それは爆発のトリガーが引かれ、フラグが立ってしまっている状態という事…。

今、政府が削除したAOの利用権限を僕とあの子だけ復元させれる人なんて、このモモバース中では一人しかできない…。


「デベロッパー…、ホーネット…。」


あの子の正体は…、ホーネットと名乗るAOのデベロッパーであり、元親衛隊の紫傘五人衆の一人であり、ハチのパンペルシェラの持ち主…。


「キスリール・ピンクラッチだ…。」


今、僕に置かれた状況は、どこにいるかも、つけられているかもわからない彼女がすれちがった瞬間に、自分が爆発するという絶望的状況だった。

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