第十七話 人を殺すのは、これで最後よ!
「参ったな…。」
モアちゃんと別れた後、僕はベンチのそばから動けず、ヘキザさんに電話で事情を説明すると、車で迎えに来てくれた。
僕はヘキザさんの運転する車に乗り、モアちゃんに会った事情を詳しく説明した。
「てか誰だよモアちゃんって…、そいつは間違いなくキスリールだ。」
ヘキザさんの吸うタバコの煙が車の中に充満する。
灰皿を見ると、いつもより吸う量が多い。
かなりストレスを溜めているようだ。
「下手に外出してると、いつあいつがお前にくっつくかわからない。あいつはそれをわかってお前を誘った。ここはあいつの罠に乗っかるしかないな…。」
「え!?僕会っちゃうんすか!?」
「ああ。さっきも言ったが、お前がルゥを連れている時にでも、いつでもあいつは死角からお前とすれ違い、ルゥを巻き込んだ爆発を起こす事だってできる。なら、あいつの言う通りに会い、訳を聞いた方が安全と言える。」
「……、僕も、そう思います。」
「明日の十八時だな。」
「はい。」
「行く時、このイヤホンを耳の裏につけろ。」
ヘキザさんは、僕に薄っぺらいイヤホンとレコーダーを渡した。
「骨伝導式の小型イヤホンだ。俺が会話をレコーダーで聞き取り、イヤホンで指示を出す。お前はその指示通りに話し、事件の話に誘導させる。レコーダーは尻の近くにでも置いとけ。あいつの目に触れない場所にな。」
「わかりました…。」
「パンペルシェラは奥の手だ。あいつが躍起になってパンペルシェラを呼ぼうとしたら、すかさず合言葉を叫べ。あいつの合言葉は知らん。だが、あいつもお前の合言葉を知らん。それどころかお前がまさかニアのパンペルシェラ持ちだとは思ってもいないはずだ。先に呼んだ方が勝ちに見えるが、お前はまだニアのパンペルシェラを使いこなせない分、いくらニアのパンペルシェラが最強格だろうと、あいつの経験値に劣るかもしれん。油断するな。」
「…はい。」
「大丈夫。当日は俺ら親衛隊全員がバックアップに回る。」
「…ありがとうございます。」
「礼を言いたいのは俺の方だ。お前のおかげで、見えない事件の糸口が見えた。これを突破すれば、お前はもう立派な親衛隊だ。」
ヘキザさんは僕を最大限、鼓舞してくれた。
嬉しい反面、怖さがまだ勝っていた。
そして、心の準備がまだ上手く整っていないまま、当日の十八時を迎えた。
僕は予約されている駅前の居酒屋の暖簾をくぐり、ドアの引き戸を掴んだ。
『いいか。言った通りに動け。パンペルシェラの使い時には注意しろ。合言葉を言う際、合言葉だと悟られてはいけない。』
僕は耳の裏につけた小型のイヤホンから聞こえるヘキザさんの言葉を信じ、深呼吸をする。
そしてガラッと引き戸を開けた。
「いらっしゃい。」
「連れです。」
「連れ一名様入りまーす!」
ごく普通の居酒屋。
店の中は、仕事帰りのサラリーマンが数グループ楽しそうに呑んでいる。
こんな中に僕は、爆弾を持ち込んでしまっていると思うと、膝が震え始める。
「こっちだよー。」
入り口から続く一般の通路の突き当たりに、薄いカーテンが掛けられた半個室から、モアちゃんの顔が見えた。
僕の事を、手招いていた。
こいつが、ルリアさんを含め、大勢の人を爆死させた張本人…。
意図的に出会いの場を設けて、酒を交わそうなんて呑気な事言いやがって、くそったれ。
僕を好きだと言う奴らはみんな、人殺し大好き女かよ…。
憤りを抑え、僕はゆっくり部屋へと進む。
「あ!ちょっと待って。」
モアちゃんの一声に、僕は無言で待った。
「私の方に傾かずに、そこに座って。」
モアちゃんは対面にある椅子を手で指した。
僕は部屋に入り、座ったと同時に、レコーダーをモアちゃんから見えない尻の近くに置いた。
「何頼む?いや、まずはハイボールよね。」
「何で知ってるんだよ…。」
「ふふ。最初の飲み物だもの。当てずっぽうでも当てれるわ。」
やばい。調子を狂わされる。落ち着け…。
「タバコ、吸ってもいい?」
「どうぞ。火はつけてあげられないけど。火、つけようとあなたに近づいたら、タバコどころか店に火がつくわ。」
「そんな事、させるかよ。」
僕は胸ポケットから出したタバコを咥え、自分でライターで火をつけた。
「私の正体、わかったみたいね。」
「うん…。」
「それでも会いに来たと?」
「君が会おうと言ったんじゃないか。」
「断る事もできたはずでしょ?」
「僕のバックに、親衛隊がいる事も知ってるんだろ?」
「まあね。メロちゃんとは特に仲が良かったんだけどねえー。」
「君は、何人の人を殺したと思う?」
「一人よ。」
「冗談じゃない!大勢だ!もう二十人は超えてる!お前は計画的で残虐的な複数殺害犯で一発死刑だ!」
「それこそ冗談じゃない?私達、死人よ?罪を問う裁判所もない。今の私を裁けるのは死神だけよ。」
「じゃあ死人に鞭打つような事はもうやめろ!」
「セツリ君、どうしてこんな事をしてるの?」
「僕が聞きたいよ!お前はどうしてこんな事をする!?」
「お前って言わないで!モアって名前があるのよ?」
「あ、えと…、ごめん…。」
ダメだ…。
口喧嘩は昔から翠葉に負けていた。
いつも僕が根を上げて、反論するのを諦めた。
でも、今回ばかりは引き下がれない。
確実にこっちが正しいんだから、堂々としろ!
「モアちゃん。死んだとしても、人間という感情を持った生き物に生まれ落ちた以上、無関係の人を巻き込むのは、おかしいと思うよ。」
「それはあなたの価値観の話じゃない?私、あなたにそんな臆病で回りくどい言い方はしてほしくない。」
「それは君の勝手な僕の価値観に対する当てつけだ。僕は臆病で回りくどい言い方をする、ヘタレ野郎だ。そんな僕が嫌なら、好きにならなきゃいい。嫌なんだから。」
「はい、お待ちどお!」
不穏な空気の僕らの真ん中に、二つの光の柱が立つ。
僕の目の前にはジャンボハイボール、モアちゃんの目の前にもジャンボハイボールが置かれた。
僕はジョッキを手に取り、乾杯もせず、間髪入れずにグビグビと半分くらいまで喉に流し込んだ。
モアちゃんも負けじと、両手でジョッキを持ち、ゴクゴクと飲む。
「許せないの…。」
「え…!?」
ジョッキを置いた途端、先に話を切り出したのはモアちゃんだった。
モアちゃんもタバコに火をつけ、吸い始める。
「覚えてない?私の事。」
「覚えてるって…?どの事…?」
「私、あなたに告白するのは二度目なのよ。」
「ええ!?」
『惑わされるな!嘘かもしれない!お前の気を引こうとしてるかもしれないぞ!』
ヘキザさんの声が、僕を記憶を海から引っ張り出した。
「小学五年生の頃よ。あなたにラブレターを書いたの。」
「小学五年生!?十五年も前の事なんて覚えてるわけないじゃないか!!」
「いや。もし渡せていたら、記憶に残ってたかもしれないわ。」
『さっきから何の話をしているセツリ!俺の話を聞け!話題をすり替えられている!戻せ!』
「ラブレターをあなたの机の下に入れたの。五月七日。火曜日だって事も覚えてるわ。」
「机の下…。気づいていなかったかもしれない…。」
「そりゃ当然よ。邪魔されたんだから。」
「誰に…?」
『おい!セツリ!会話を戻せ!!』
「あなたのその右目、その人にね。」
「っ!?」
「あなたが付き合っていたあの人は、きっとあの時からあなたの事が好きだったのよ。だからあの人は、私の初恋相手であるあなたへ勇気を振り絞って書いたラブレターを入れた私の行動をしっかり覗き見して、あなたが机の下を見ない内に、ビリビリに破って処分したの。」
「…………。」
言葉が出なかった。
こんなの、人の気持ちをまだ完全に理解しきれていない時期の小学生の話だ。
とも突っぱねられない。
僕は知らず、翠葉はモアちゃんの気持ちを踏み躙り、やられた本人は十五年経っても、日にちと曜日まで覚えている。
いや、だからと言ってだ。
「だからと言って、殺人をしていいとはならない!」
「なら、人の心を踏み躙っていいともならないわ!」
『セツリ!今だ!話を戻せ!今しかない!!』
「その眼帯、取って見せてよ。」
モアちゃんは、顎で僕の眼帯を指した。
「その汚物を、見せて。」
『セツリ!クソ!なんだこいつ!さっきからちっとも俺の話を聞かん!』
僕は眼帯を取り払い、床に置いてみせた。
「そうよ!その目よ!私はビリビリに破く泥棒猫を覗き見してたわ!そしたらあいつ、私が覗き見しているのに気づいてこっちを見た瞬間、その目を細めて私を嘲笑うかのように、ニヤけたわ。忘れもしない、はっきり覚えてるわ!」
「翠葉が…、君をこんな風にしたのか…?」
「そうよ!私の人生、あいつにめちゃくちゃにされたのよ!!晴れてあいつは中学に進級してセツリ君を奪った!私からね!純粋にセツリ君を好きだったのは私だったのに!」
『何を感情移入している!!もういい!!パンペルシェラを呼べ!!呼ばないなら俺が出るぞ!!』
「現にセツリ君を殺したのは誰!?セツリ君の首を斬ったのは誰!?セツリ君をここに連れてきたのは誰!?」
「……、翠葉だ。」
間違いない。
両の目で、彼女の目を見ればわかる。
嘘なんて一ミリもついていない。
この人は純粋に、復讐の為に、幸せを嫌っている。
こんなの、僕には責めれない…。
いや…。
負けられない。
ルリアさんの為にも。
もう僕はヘタレ野郎なんかじゃない。
絶対に勝たなくちゃいけない。
「それなら!翠葉とその場でちゃんと話せばよかった!先生に言えばよかった!僕に面と向かって、気持ちを伝えればよかったんじゃないのか!!」
『よし!いいぞ!いけ!!ぶつけろ!!』
「簡単に言わないでよ!小学五年生に、その場の正しい判断なんて、まだできるわけないじゃない!私は負けず嫌いなの!あいつだけは絶対許さないと思っていたら、あなたが現れた。右目にそんな汚物をぶらさげてね!」
「許せないのは、当時の翠葉だろ!人を爆死していいわけあるか!冗談じゃない!!」
「冗談じゃないのはこの世界よ!!」
ダン!!
痺れを切らしたモアちゃんは机を思いきり叩き、立ち上がった。
薄いカーテンからは、客の視線が痛く突き刺さる。
「あなたはここにいちゃいけない存在!そして私も、人を殺した罪人!メブの采配は間違いなく二人とも消滅の判断に下る!!」
『まずい!セツリ!今すぐパンペルシェラを呼べ!!』
「人を殺すのは、これで最後よ!!」
「だって私、しにがあぁ」
シュッ。
僕がパンペルシェラの合言葉を言う途中、何かが僕の顔の前を空気を切るような音と共に縦に落ちていった。
それを目で追うと、そこにあったのは注意喚起などによく使われる、斜めに黒と黄色の模様が交互に描かれた大きな針が、僕の千切れた舌をシュラスコの肉のように串刺しにしていた。
「ーーーーー!!!!??」
言葉が出ないっ!!
痛い!!
口から出た事もない血の量がドパドパと溢れ出している!
「さっきのが、私の合言葉よ。」
ダッ!!
モアちゃんは机に乗り掛かり、僕の目の前まで向かってきた。
モアちゃんと僕の胸元からは、太陽のような眩しい閃光が浮かび上がり始める。
それはすぐに大きくなり、僕とモアちゃんを包み込んだ。
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