心臓
妹が生首となってしまったことがそれだけショックだったのか、姉は、人々に恋心を抱かせるような、その甘やかな歌声を失うこととなる。
どれだけの折檻を受けても元には戻らない。話すことはできても、歌うとなれば途端に音程が外れる。鼻歌すらも駄目だった。
諦めた館の主は、双子の姉妹の演出方法を変えることにした。
生首とおそろいの顔をした娘に生首を運ばせ、娘の言葉は控えめにし、生首にたくさん喋らせる。そして、希望者を募り、生首にその者の血を吸わせるのだ。
普通に吸血されるよりも、生首に血を吸われる方が気味が悪くて面白いだろうからと、そう企画したものの、実際には姉妹からの同時吸血が多く望まれた。結局はその方がより快楽を感じたからだ。
これまではただ単に、吸血鬼、吸血鬼の姉妹として、娘達は舞台に上げられてきたが、そこにもう一つか二つ何かしら加えたくなった館の主。
そうして考えられたのが、読み姫と侍女の設定。
朗読を得意とする妹と、その妹を運んで介助をする姉。娘達にぴったりの可愛らしい設定だと、館の主は嬉々として押し付けてくる。娘達に拒否権はない。
館の主は加えてこう命じた。これからもし人前で名乗る時は、とある姓を名前の後ろに付けるようにと。
吸血鬼となって売られた時から、娘達に姓はなかった。久し振りの姓に、娘達は特に喜びを抱いたりはしないが、命令されたのだからと、抵抗することなくそれに従う。
姉はリコリス・グレンヴィル。
妹はイベリス・グレンヴィル。
人気演目、生首の読み姫と吸血鬼の侍女という設定は、そのようにして決まった。
◆◆◆
心を落ち着けたい時は、お互いの髪を手櫛で梳かし合う。
心細い時は身を寄せて、お互いの心臓の音を聞かせ合う。
だが、イベリスは生首だ。
今や手もなければ心臓もない。リコリスは自分で髪を梳かさなければいけず、相手の心臓の音を聞いて不安を紛らわせることがもうできない。
故に、話し掛ける。
時間の許す限り、話し掛ける。
「イベリス、イベリス」
「なあに、リコリス」
「舞台が壊れないか心配だわ。昨日ね、誰かが話しているのを聞いたの。今日私達より先に舞台に上がるの、鰐ですって。百年を生きた喋る鰐」
「鰐って百年も生きると喋るんだね」
「そうね。前にちらりと見たことがあるのだけど、とっても大きいの。舞台からはみ出そうなくらいに。そんなに大きいならきっととても重いのよ。ここはどこもかしこも古いから、今に壊れてしまうわ」
「大丈夫だよ、リコリス。もしも壊れてしまったら、直している間は休めるんじゃないかな」
「休むだなんて、そんなこと、許されるのかしら」
「あたし達は頑張ってるんだから、休んだって罰は当たらないよ。そもそも、休ませてくれないのがおかしいんだから」
「……」
「ゆっくり休もう、リコリス」
「……イベリス」
リコリスの胸に抱かれ、彼女の心臓の音を聞き、落ち着いた状態で相槌を打つイベリス。リコリスは返事があることに少しだけ救われながらも、憂いを完全に晴らすことはいつもできなかった。
出番だと呼ばれて、娘達は舞台に向かう。そして舞台上で本を投げられ、リコリスが拾った本の内容を、イベリスが凛とした声で語り、語り終えれば客を何人か舞台に呼び寄せて、姉妹で共に血を吸っていく。
明くる日も明くる日も変わらぬ苦行。
「──ルーディス・ダリ、『少女幻想壊忌憚・足の章』」
ずっと、
「──ジェームズ・カルマ、『遠き国に在りし秘法』」
ずっと、
「──フランチェスカ・スアド、『黒霰』」
ずっと、
「──ニコラス・メイビー、『美しき人間の作り方』」
ずっと、
「──ジェラード・アビントン、『冴えない頭に叩きつける石』」
永遠に続く──はずだった。
「領主の息子は酒が何よりも好きだった。目が覚めている時は常に坂瓶を片手に持ち、好きなタイミングで中身を呷る。彼には歳の近い妹がいるのだが、妹は彼のことを心底憎んでいた。自分は女だから後を継ぐことはもちろん、何かを学ぶことすら許されていないのに、男だというだけでその権利を全て持ち、それなのに真面目に取り組まない兄が許せず、殺してやりたいとすら思っていた。ある時、兄は一人森へ行き、妹は呼びに行くよう命じられる。これは絶好の機会だ。妹は」
そこまで語っていた時、ふいに、
「──ふざけるな!」
そんな怒声が劇場内に響いた。
次いで、大きな物音と共に床が揺れる。椅子に座るリコリスの膝から、イベリスが落ちそうになるほど揺れは大きく、リコリスは本を手放し慌ててイベリスの頭部を掴んだ。本は落ちたがイベリスは落ちずに済み、リコリスは思わず安堵の息をもらす。
イベリスの顔を自分に向け、その赤い瞳を覗き込みながら、リコリスは訊ねた。
「大丈夫?」
「大丈夫」
よく似た淡い笑みをそれぞれ浮かべ、イベリスの顔を客席に向けると、リコリスも正面を見た。その時になってようやく気付く。
自分達の目の前に、誰かが立っていることを。
「……どちら様、ですか?」
リコリスが訊ねたが、相手は答えない。
──女だった。
豪奢な黄色のドレスを身に纏っている。宝石でもちりばめられているのか、ドレスは所々光っており、ウェーブの掛かった長い金糸の髪も、ドレスに負けず劣らず煌々と輝いていた。
美しい顔立ちをしているが、何故だかその顔は怒りで歪んでおり、血を思わせる深紅の瞳でリコリスとイベリスを睨み付けている。
その視線と顔に恐れをなし、リコリスはイベリスを持つ手に少しだけ力を込めた。イベリスが何か言おうと口を開いたが、それよりも先にリコリスが声を出す。
「あの、貴方はいったい」
「──グレンヴィルの吸血鬼よ、貴様らは見せ物としてこの後、人間相手に吸血行為をすると聞いたが、それは真実か」
「え。……は、い」
「そのような愚行、自発的なものか、それとも脅されてやっているのか」
「愚行って」
「自発的なら吸血鬼の面汚しだ、即時やめろ。吸血とは本来、人目を忍んで行われる密事。見せ物にするようなものではない!」
「……っ」
「脅されているというなら何故抵抗しない? 貴様らは吸血鬼、それもバッキンガムの子供達の中で一番力に秀でた、グレンヴィルの吸血鬼ではないか!」
「……グレンヴィルが力に秀でるって、どういうことでしょうか?」
バッキンガムの子供達、というのも、リコリスとイベリスにはよく分からない。
「わたし達は、名乗れと言われているからグレンヴィルの姓を名乗っています。この姓には何か、意味があるのでしょうか?」
そう口にするリコリスの表情には、ありありと困惑が浮かんでおり、それは女にも分かったのだろう。怒りが幾分か薄らいだようだった。
「知らないのか?」
「知らない、とは」
「自分達が何なのか」
「……この館で長い間囚われ、命じられるまま行動する、その、吸血鬼、です」
「そのようなこと、あってはならない。他のグレンヴィルの吸血鬼は何をやっているのか。同胞の愚行を何故止めない」
「他のって、他にも吸血鬼がいるのですか?」
「そうだが? 何なら、目の前にもいるだろう」
何故分からないと言いたげな顔で、女は自分の胸元に左手を添えて、名乗った。
「──我が名はジェム・ヴィリアーズ。貴様らと同じバッキンガムの子供達が一種、ヴィリアーズの吸血鬼だ」
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