第四九章 神護の剣

「ねぇ、キョウスケくんはどうやって親父に勝ったの? 親父はもうアタシのほうが強いって言うけど、アタシ、まだ親父から一本取ったことないんだよね」


 あれから皆でいったん工房のほうへと戻ってきた俺たちだが、中に入るなり適当な椅子に腰を落ち着けたアイシャがそんなことを訊いてきた。

 グスタフは工房に入ってすぐに奥にある作業台のほうに向かってしまったので、これは俺が答えなければならない流れだろうか。ううむ……。


「どうせまた砂かけでもしたんじゃないの?」


 工房のそこかしこに並べられている作りかけの家具を興味深げに眺めながら、そう言ってラシェルが鼻を鳴らす。

 その隣ではサラが同じように彫刻中の石像に見入っており、シエラは壁側に置かれた木樽に雑然と収められた刀剣類を見つけるやいなや、勝手に手に取って振り回している。


「そんな単純な方法で親父がやられるかなぁ?」


 一方、アイシャは椅子の上で腕組みをしながら、ラシェルの言葉に首を傾げていた。

 実際のところ、あのときはとにかく俺もがむしゃらだったので、もはや単純だとか複雑だとかそういう問題ですらなかったような気もするが……。


 およそ一年前――グスタフからたった一度だけ一本取ることができた戦いにおいて俺がとにかく意識していたことと言えば、とにかくなんでも良いから隙を作ることだった。

 俺が盾を持ってグスタフに戦いに挑んだのも、その日が初めてである。

 もちろん、それは彼の攻撃をいなすためではない。

 ただ、そうは言ってもまずは『防御のための盾』という認識をグスタフに持たせる必要があると考えていたので、最初は下手くそながらも盾で攻撃を受けることに専念していた。


『そんな付け焼き刃の防御術で俺の攻撃を防ぎ切れると思ってるのか?』


 やがて、グスタフはなかなか攻勢に出ない俺に向けてそんなことを言ってきた。

 おそらく防戦に徹しているこちらの姿を見て、グスタフは俺がスタミナ切れを狙っているのだと判断したのだろう。

 そのためか、グスタフの攻撃はこちらを嘲笑うかのように苛烈なものとなり、盾の扱いに慣れていない俺ではすぐに彼の攻撃を捌き切れなくなった。

 ――だが、それこそが俺の狙いなのだ。

 いつしかグスタフは、こちらが防御を固めることに必死であると完全に思い込んでいた。

 俺はグスタフの表情や立ち回りに感じる気の緩みからそれを確信し、それを絶好の機会と見て彼の剣戟のタイミングに被せるように盾を投げつけた。


 さすがにグスタフもいきなり盾を投げつけてくるとは思わなかったのだろう。

 思わぬ俺の反撃に、グスタフの動きにも明らかな乱れが生じていた。

 ただ、それでもまだわずかな乱れだ。

 その程度では、まだ俺の拙い剣技ではグスタフに触れることすらかなわなかっただろう。

 俺はすぐにグスタフの側面に周り、今度は地面の砂を蹴り上げて目潰しをした。


「ほら、やっぱり砂かけじゃない」

「やっぱり砂かけかぁ。アタシもやられちゃったしね」


 う、うるさいですね……。


 といっても、その砂かけはグスタフには通じなかった。

 彼はしっかりと顔をかばい、俺の蹴り上げた砂が目に入るのを防いだのだ。


「えっ、じゃあ、どうしたの?」


 アイシャが目を丸くしながら訊いてくる。


 うむ……まあ、実を言うと、当時の俺はそうなるだろうと思っていた。

 逆に言うと、そこまでがすべて布石だったとも言える。

 俺は彼が腕で自分の顔を覆った瞬間を狙い、そのとき身につけていた短めの外套を即座にはぎ取って、彼の頭に被せるように投げつけたのだ。


「……は?」


 ラシェルが露骨に怪訝な表情でこちらを睨みつけてくる。


「そ、そんなことまでしたの?」


 アイシャも少し引き気味に乾いた笑いを浮かべていた。


 だ、だから、勝てばよかろうなんだって!

 さすがにグスタフも俺がそこまで目潰しに全力を尽くしてくるとは想定してていなかったようで、頭から外套をかぶったグスタフは完全に視界不良になっていた。

 もちろん、それでも彼は達人的な勘で俺の剣を防ぐかもしれない。

 だから――次に、俺はグスタフの体に思い切り体当たりをぶちかました。

 レスリングのタックルのように股の下に腕を入れて、そのまま彼の体をすくい上げるように思いっきり地面に押し倒した。


「ま、マジでなんでもありじゃない……」


 だんだん俺の無法っぷりが楽しくなってきたのか、ラシェルの顔に笑みが浮かんでくる。

 ラシェルも以前に酔っ払いと喧嘩になったときに大立ち回りをしていたし、根っこの部分では少し血の気が多いところがあるのだろう。

 実際、俺がグスタフに対してやっていたことは、もはや剣の稽古ではなくただの喧嘩だ。


 そして、グスタフ本人がそのことに気づいたとき、すでに状況は俺の手の中にあった。

 俺は以前にアイシャにやったときのようにグスタフの腕を取ると、そのまま彼の腕の関節を極めて降参を迫った。

 グスタフは最初こそ抵抗を試みていたが、俺が技でもなんでもなく単に力で締めつけているだけであることに気づくと、諦めて素直に降参してくれた。

 俺がそういった技巧に関して素人であることから、下手に抵抗するとかえって大怪我になる可能性が高いと判断したのだと思う。


「なるほど……関節技かぁ……」

「いや、違うでしょ。ちゃんと聞いてた?」


 アイシャが神妙な顔で腕組みしながら頷き、ラシェルが半眼でツッコミを入れている。

 まあ、この調子だとアイシャがグスタフから一本取るにはもう少し時間がかかるかもしれないな……。


「キョウスケ、少しいいか」


 ――と、作業場のほうからグスタフが声をかけてきた。

 呼ばれるままにそちらに向かうと、グスタフが手振りで作業台の上に置かれたものを確認するよう伝えてくる。

 そこにあったのは、白銀に煌めく巨大な鱗――あのリンドブルムの鱗のようだった。

 グスタフがその鱗の端を手にとって裏向けると、なんと鱗の裏側には鋼で作られたと思われる板金が接合されており、そこには腕に固定するためのグリップもつけられている。


 これは――リンドブルムの鱗で作るといっていた盾か!


「ああ。あとは板金と鱗を圧着するだけだ。といっても、そこが難儀するんだがな……」


 どうやら今は鋼のビスのようなもので無理やり鱗と板金を固定しているだけで、まだ実用に耐えうる状態ではないらしい。

 しかし、この傷一つない美しい流線型をした白竜の鱗がそのまま盾になるとは、防御性能のほうもそうだが、投擲武器としてもかなり活躍してくれそうだ。


「持ってみるか? 重量やバランスで気になることがあれば教えてくれ」


 グスタフにそう促されて、俺は少し身構えながらも白銀に輝くその盾を手にとって見る。

 それは思っていたよりはずっと軽く、しかし、決して軽すぎるということもなく、まるで俺が好む重量バランスに最初から調整されていたかと思えてしまうほど手に馴染んだ。

 白竜の鱗自体はそこまで重量のあるものではないから、半分以上は鋼鉄製と思われる板金の重さだろう。

 軽すぎると投擲の際などに逆に不便を感じるので、耐久度との兼ね合いから考えても盾の裏地がこれだけしっかりしたものになっているのは安心感がある。


「ほう、美しい盾じゃのう。お主さま、ついでに剣のほうも新調してみてはどうじゃ」


 後ろからずいっと身を乗り出してきながら、サラが言った。

 どうやら石像の見物には飽きたらしい。


「あのようなナマクラではこの先も苦労するじゃろう。この鍛冶師なら、チョチョイっとお主さまに見合った剣を用立ててくれるのではないか?」


 いやいや、藪から棒に無遠慮な物言いをするんじゃないよ。

 それに、あんまり俺の剣のことを悪く言うと、また脳内音声さんに怒られちゃいますよ。


「あいにくだが、お嬢ちゃん、俺にキョウスケの剣より立派なものは打てねえよ」


 しかし、グスタフはそう言って首を振った。

 一瞬、どういう意味で言っているのか理解ができなかったのだが、少なくともグスタフの表情を見るに、皮肉や冗談を言っている様子はなさそうだった。


「……あのナマクラが、立派じゃと?」


 サラが怪訝な表情で訊き返す。

 すると、グスタフは近くにあった棚から一振りの長剣を取り出すと、おもむろにそれを振り上げ、作業台の上にある白鱗の盾に向けて振り下ろした。

 ガインッ! ――と、鈍い音がして作業台の上で盾が跳ねるが、しかし、パッと見るかぎり特に盾のほうが傷ついているということはなさそうだ。

 その一方で――グスタフが盾に叩きつけた剣は、刃の部分がガッツリとひしゃげていた。


「これは俺が打った剣だ。念のために言っておくが、別に失敗作ってわけでもナマクラってわけでもねえ。ここにある剣はどれも似たようなもんだ」


 グスタフは使いものにならなくなった剣をポイッとぞんざいに投げ捨て、それから白鱗の盾の表面を指先ですっと撫でる。


「いろいろと試してみたが、今のうちにこの鱗を加工することは不可能だ。こうやって無理やり板金を圧着して、盾っぽく仕立て上げるのが精一杯だな」


 なんだと? というか、加工ができない……?


「素材として、硬すぎるんだ。グラインダーで削ろうにも、そっちのほうが負けちまう」

「な、なんじゃと?」


 サラが驚嘆したように目を見開き、空恐ろしいものでも見るように自分の腕に生えた白い鱗を指先で撫でる。

 そういえば、今のサラの手脚を覆っている白い鱗はあの白竜王のものなんだものな。

 竜に関して博識なサラでも、さすがに何もかもを知っているわけではないらしい。


 グスタフは俺の腰に下げられている長剣に視線を向けると、肩をすくめながら言った。


「確かにキョウスケの剣は、鋭くはねえ。だが、とにかく頑丈だ。一年前、こいつが旅立つ前に手入れだけでもしてやろうと預かったことがあるが、手入れすら必要なかった。錆も刃こぼれもないどころか、頑丈すぎて研いでも研いでもグラインダーが削れるだけだった」


 そういえば、そんなこともあったっけな……。


《当然です》


 ――と、唐突にまた脳内に音声が響いた。

 やはり監視されていたか。

 す、すみません、これからも大事に使わせていただきますので……。


 というか、やけにこの長剣に関しては脳内音声さんが反応するな。

 実は何か特別な剣だったりするのか……?


「錆びず、刃こぼれせず、研磨することすらできぬほど強固な剣……もしや……いや、お主さまが転生者であることを考えれば、むしろ、それしか……」


 一方、サラは何か思うことでもあるのか、何処か一点を睨むように腕組みをしたまま真剣な面持ちでブツブツと呟いていた。


「……神護の剣」


 そして、スッとその顔を上げたかと思うと、じっと俺の顔を見つめながらその口を開く。


「古の時代における最も古き転生者アカシャが携えていたという神の依代……まさか、それをお主さまが……?」


 サラのその言葉に――気のせいかもしれないが、腰の長剣が少し震えたような気がした。




      ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




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