第四八章 勝てばよかろうなのだ

「のう、どうじゃ、お主さま? 愛らしかろう? 麗しかろう?」


 少し前方を歩きながら、サラが買ったばかりのワンピースを着てくるりと回って見せた。

 洋人形が着ていそうな可憐なデザインのそのワンピースは、襟元やスカートの裾にレース生地のフリルがあしらわれており、腰のあたりは大きめのリボンでキュッと絞られている。

 袖は全体的にゆとりをもった形状になっており、少し丈の短いスカートもふんわりと外側に広がるような構造となっているようだ。

 サラがその場で回転するたびにスカートの裾がふわっと舞って、その下の真紅の鱗に覆われた部分がチラチラと見えてしまっている。

 ま、真っ赤なパンツにしか見えねえ……。


「んぁッ……! お主さまの熱い視線を感じるっ……!」

「公衆の面前で盛ってんじゃないわよォ!」


 ぐおぁっ!? 蹴るな! 公衆の面前で蹴るな!

 くそっ……最近、ラシェルのツッコミが激しくなってきている気がするな……。


 あれから俺たちは仕立て屋でサラが一目惚れしたというワンピースとラシェルが適当に見繕った女性者の衣類、それからシエラの所望したスカーフを購入し、店をあとにした。

 その後、冒険者ギルドの業務に戻るというソフィアを広場まで見送り、今はグスタフたちの工房に向かっている最中である。

 グスタフの工房に向かっている理由は二つで、まずはダンジョン攻略においてアイシャの力を借りたいことが一つ、そして、もう一つは俺の新しい盾を見に行くためだ。

 リンドブルムの鱗で作るという盾が完成するまではまだしばらくかかるだろうが、以前に使っていた盾はもうお釈迦になってしまったし、ひとまず代用品を用意する必要があった。


「ねえ、なんでサラはマスターに見られるだけで興奮するの?」


 買ったばかりのスカーフを執拗に俺の手や腕に擦りつけながら、シエラが訊いてくる。

 どうやら彼女は彼女でスカーフに俺の匂いをつけようと必死のようだが、いっそしばらく預かって懐にでも入れておいてやったほうが良いのだろうか……。


「別に見られるから興奮されるわけではないぞ。なんというか、支配されてると感じる瞬間がたまらなくゾクゾクするのじゃ」

「平然とヤバいこと言ってんじゃないわよ」


 サラがさらっと問題発言を口にし、ラシェルが半眼で冷ややかな視線を送っている。

 やはり【絆・屈服】が変な方向に働いてしまったのだろうか……。


「変なの。シエラには分かんないや」

「おぬしはまだ子どもじゃからの。いずれ情緒が育てば、分からせられる悦びというものにも気づこうぞ。のう、ラシェル?」

「はっ!? な、何言ってんのよ、分からせとか……あ、あたしには関係ないしっ!」


 最近になって気づいたが、コイツら三人揃うとすぐそういう話になんのな……。


 ちなみに、けっきょくカーテンは買わなかった。

 ラシェル曰く、フィーの密かな楽しみを奪うわけにはいかないから――だそうだ。

 ううむ……。


     ※


 ほどなくして鍛冶屋『グレンストスの槌』にやってきた俺たちだが、何故か店内には客の姿はおろかグスタフやアイシャの姿すらなかった。

 その代わりなのか、カウンターには『御用向きの方は裏庭まで』と書かれた立て札だけが置かれており、防犯のためかショーケースには珍しく錠前が取りつけられている。


「なんか奥で稽古でもしてるみたいね。そういう気配がするわ」


 ラシェルの【探知】スキルが普段とは違う気配を感じ取ったのか、店の奥のほうを見やりながらそう呟いていた。

 となると、グスタフとアイシャの二人で――ということだろうか。


 ひとまず俺たちは店を出てぐるっと建物を裏手に周り、以前に俺やシエラが打ち合い稽古をした裏庭のほうを覗いてみることにした。

 工房の横を通りかかるころにはすでに木剣の打ち合う乾いた音が響いてきていて、何か闘争心でも駆られるのか、シエラが耳をピクピクと震わせながら小走りに裏庭のほうへと駆け出していく。

 やがて、裏庭に辿り着いた俺たちは――目の前で繰り広げられる剣戟の嵐に、ただ絶句することしかできなかった。


 いつもの作業着に身を包んだグスタフとアイシャが、目で追うことすらできないほど信じられない速度で互いに木剣を打ち合っているのだ。

 ――いや、実際には少しアイシャのほうが優勢に見える。

 袈裟懸けに放つ一閃、返す刃でもう一閃、さらにそれすら弾かれれば、体ごとぐるりと回してそのままさらにもう一閃――。

 それら剣戟が瞬く間すら与えられぬうちに繰り出され、しかし、グスタフはそのすべてを巧みに受け流す。


 ――しかし、そういった猛攻の応酬は長くは続かず、やがて疲れからかグスタフの動きが精細を欠いてきた。

 そして、その隙を見逃さず、アイシャが猛攻をかける。

 

「あっ……!」


 シエラが小さく悲鳴を上げるように声を上げた。

 ついにアイシャの剣戟を受けたグスタフの手許が崩れたのだ。

 アイシャの目がギラリと輝き、低い姿勢から返す水平切りがグスタフの胴に迫る。

 グスタフは強引に木剣を持ち替えてそれを受けようとするが――カンッという乾いた音とともに彼の手から木剣が弾け飛んでいった。


 勝負あり、か……?


「……まだだ。これが実戦なら、俺はここからでもおまえを殺せるぞ、アイシャ」


 ゼェゼェと荒い息を吐きながら、それでもその目に確かな戦意を宿してグスタフが言う。

 アイシャは振り抜いた木剣を今一度構え直し、ともすれば殺意すら感じさせる凄絶な視線で眼前のグスタフを睨みつけていた。


「往生際が悪いよ、親父。気づいてるんでしょ? 今のアタシ、さっきまでとは違うよ」


 ザッと足を踏み出し、膂力を溜めるように低く構えながらアイシャが告げる。


「……そうか、キョウスケが近くに来たから……!」


 俺の隣で、ラシェルがハッとしたように息を飲んだ。

 そうか……今まであまり気にしたことはなかったが、俺の【絆】スキルにだって有効範囲くらいはあるはずだ。

 もちろん、二人が稽古をはじめた当初はまだ俺も離れたところにいただろうし、アイシャのステータスも【絆】スキルの補正を受けていない素の状態だったのだろう。

 それが——俺たちの訪問によって、状況が変わってしまった。

 稽古の途中であるにも関わらず、あのとんでもない数のスキルによるステータス補正が再びアイシャの能力を強化してしまったのだ。


「今のアタシをとめられるヤツなんていない!」

「……やってみろ!」


 ダンッ! ――と、アイシャが踏み込んだ。

 もはや俺の目で追うことは完全に不可能なほど、あまりにも早い踏み込み、そして、アイシャの振り抜いた神速の一太刀がグスタフの肩口を目掛けて閃いて——。


「……ッ!?」


 刹那、ドバンッと何かが破裂するような音がして、次の瞬間、床の上に転がっていたのは……アイシャのほうだった。


「……ゴホッ!?」


 強烈に背中を地面に打ちつけながら、アイシャが激しく噎せ込む。

 グスタフの構えから見るに、どうやら合気道で言うところの入身投げのような技で勢いのままに投げ伏せられたらしい。

 入り身投げというのは、正面からの攻撃に対して、その勢いを活かしたまま地に叩きつける技だ。

 こ、こんな技まで使えるヒトだったのか……?


「どういうからくりかは知らんが……力に頼ったな、アイシャ。まだまだ甘え」


 ふーっと長く息を吐きながら、グスタフが地面に落ちた自分の木剣を拾い、未だ起き上がれずにいるアイシャの首筋にその切っ先を突きつける。

 どうやら、今度こそ勝負ありのようだ。


「す、すごっ……えっ、でも、前はシエラのほうが勝ってたわよね?」


 ラシェルが驚嘆したように目を見開きながら、グスタフとシエラの顔を交互に見やる。

 当のシエラは、以前に稽古をつけてもらったこともあってか、先ほどからずっと固唾を飲んでグスタフたちの様子を見守っていた。

 グスタフはチラッと目線だけこちらに向けると、未だ地面の上で大の字になって膨れっ面をしているアイシャの額を木剣の先でコツンと小突きながら肩をすくめる。


「コイツに剣術を教えたのは俺だからな。剣筋から踏み込みの癖までお見通しだ。さすがにそっちのおチビちゃんは、そういうわけにはいかねえ」


 そう言ってから再びその視線をアイシャに戻し、うんざりと言った様子で溜息をついた。


「馬鹿娘が。俺に勝ちたかったら、頭を使えといつも言ってるだろうが」

「だって! 今のアタシなら絶対に親父の上をいけるって思ったんだもん!」

「甘え甘え。あんな真っ正直な太刀筋なら、今の三倍早くても俺には届かねえぞ」

「そんなことないし!」


 アイシャは駄々っ子のように地面に寝そべったまま手足をバタバタ振り回している。

 大きな子どもだなぁ……。


「おじさん、すごい。この前、シエラと稽古してくれたときは、きっと手加減してたんだ」


 何やら真剣な表情で、シエラがそう呟いた。

 あのときは最終的にスタミナ切れでシエラに軍配が上がっていたが、考えてみれば、あのとき二人がどの程度の時間をかけて打ち合いをしていたかまでは分からない。

 あるいはシエラの言うとおり、本当に最初から最後まで本気ではなかったという可能性もありそうだ。


「……っていうか、キョウスケ、ほんとにこのグスタフさんから一本取ったわけ?」


 ——と、ラシェルが急に疑わしい目で俺を見てくる。

 し、失礼ですね。ちゃんと取りましたよ。


「心配するな、お嬢ちゃん。キョウスケは間違いなく俺から一本とった。まあ、多少の油断はあったが、相手の油断を誘うのも立派な戦法のひとつだ」


 こちらを見てニヤリと口の端を歪めながら、グスタフが親切にフォローしてくれる。

 まあ、確かに最初から本気で来られていたとしたら、当時の俺などグスタフに触れることすらできなかっただろう。


「じゃあ、どうやって一本取ったのよ」


 しかし、ラシェルはなおも食い下がってくる。

 仕方ない。それなら、俺がグスタフから一本取った華麗なる戦法を教えてやろう。


 それは——目潰しアンド目潰し、そして、極めつけの不意打ちだぜ!


「……聞いたあたしがバカだったわ」

「マスター、ズルい」

「まさに外道というやつじゃな」


 な、なんでよ!? 勝てばいいのよ! 勝てば!

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