第四一章 龍

「ええい、千載一遇のチャンスを無為にしよって! もっと勢いをつけるのじゃ! 何か良い方法はないかのか!?」


 サラが俺の髪の毛をグイグイと引っ張りながら言ってくる。

 そうこうしているうちにリンドブルムは体勢を立て直し、立ち上がる勢いでその躰を旋回させながら尻尾を叩きつけてきた。

 直撃はなんとか回避するが、大地に触れた瞬間に尻尾の先端から刃鱗が射出され、咄嗟のことに回避が間に合わなかったドレイクの前脚がその刃に深く傷つけられてしまう。

 さすがにこれではもう今までどおりに駆け回ることは難しい。

 俺の回復法術はおそらく不死化した身にとっては効果がないだろうし、少し厄介なことになってきたな……。


 ――いや、逆に考えろ。

 追い詰められ、窮地に立たされたときこそ意表を突く好機だ。

 俺はいつだって相手の裏をかく戦いかたで勝ってきた。

 それはたとえリンドブルム——いや、竜の王だろうと変わらない。


「【シールドタウント】!」


 俺はドレイクの背から飛び降りると、歪んだ盾と剣を打ち鳴らしながら叫ぶ。

 首だけ曲げて俺を睨むリンドブルムが尻尾を振り上げ、こちらに向けて鞭のように叩きつけてくるが、これは盾で受け流しながら回避した。

 リンドブルムはぐるりとその躰を回し、今度は前脚を俺に向かって振り下ろしてくる。

 俺は長剣を強く握りなおすと、迎え撃つように鋭く斬り上げながら吠える。


「【マルチウェイ】!」


 リンドブルムの鈎爪と俺の長剣が交錯し、それと同時に実体をもった残像が絡みつくようにその前脚を斬り刻んでいく。

 しかし、堅い鱗で覆われた前脚は金属が擦れ合うように火花を散らすだけで、あいにくとろくなダメージは与えられてはいないようだ。

 だが、それで良い。少なくとも勢いは完全に殺せた。

 盾で今の攻撃を受けていたら、いよいよお釈迦になってしまっていたかもしれない。

 しかし、それではダメだ。俺には盾を温存する必要があった。


《転生者……貴様だけは生かさぬ……! 貴様さえ殺せば、我が名誉は保たれる……!》


 リンドブルムがさらに前脚を叩きつけ、大地から鋼の刃を突き出させる。

 俺はとにかく無我夢中で飛び回りながら刃を躱し、その最中に魔術を展開する。


「【ライトクレイモア】!」


 配置する位置はリンドブルムの首の下の足許――もちろん、地面にしか設置することのできない【ライトクレイモア】で高い位置にある逆鱗を狙うことは不可能だ。

 俺は頭の中で念じ、リンドブルムの前脚に向けて【ライトクレイモア】を起爆する。

 陣の上に浮かんだ光球が炸裂し、勢いよく飛散した光の刃が銃弾のようにリンドブルムの前脚を穿った――が、やはり強靭な鱗の前には火花を散らすだけで傷一つ与えられない。


「くそっ! ちっとも効かぬではないか!」


 サラが本気で抜けそうなほど思い切り俺の髪を引っ張ってくる。

 や、やめてェ! ハゲちゃうからァ!

 というか、これでいいのだ。俺は再び同じ位置に地雷魔術を展開する。


「【ライトクレイモア】!」

《愚かな……ここに来て血迷ったか……!》


 リンドブルムがその動きをとめ、ニヤリとその巨大な顎を歪めたような気がした。

 ――血迷ってなどいるものか。

 血迷うというのは、俺がこれからやろうとしていることをいうのだ。


「【エクスプロッシブ】!」


 俺は盾を構えて前方に駆け出しながらさらに魔術を放つ。

 リンドブルムの足許――【ライトクレイモア】の光球に重なるように、ゆっくりと光の束が収束していった。

 【エクスプロッシブ】は発動まで時間のかかる魔術だ。

 今まではそのことに不便さを感じていたが、今回ばかりはその仕様に感謝したい。

 でなければ、こんなことを試してみようだなんて思いつかなかった。


「【シールドブーメラン】!」


 走りながら、さらに俺は収束する光の束に向かって盾を投げる。

 そして――その上に飛び乗るように、高く跳躍した。


「ま、まさか主よ、おぬし、もしや……!?」


 舌を噛むなよ、サラ……!


 狙いどおり空中で静止する盾の上に飛び乗った瞬間、収束した光の束が爆裂し、それに合わせて俺はさらに【ライトクレイモア】を上方に向けて起動する。

 足許で同時に炸裂した衝撃が盾ごと俺の身体をすさまじい勢いで上方に押し上げ、その勢いのままに俺はリンドブルムの逆鱗に長剣の切っ先を突き立てた。

 金属の板を貫くような鈍い手応えとともに、長剣が深々とその首に突き刺さる。


《ゴッ……ォオオォ……ァアアアアァァ――ッ!》


 喉の奥からくぐもった叫びを轟かせ、リンドブルムが喉許に食らいつく俺を引き剥がそうと前脚を動かしてくるが、その動きを遮るようにラシェルたちのドレイクが突進してくる。

 さらに前脚を傷つけられた俺たちのドレイクも後ろ脚の力だけで立ち上がりながら果敢に飛びかかっていき、そのままリンドブルムの躰を完全に横転させた。


 大地に降り立った俺は両手で長剣を握りしめたままひたすらリンドブルムの逆鱗に突き立てた長剣を深く深く押し込み、抉るように捻り込んでいく。

 傷口から吹き出る血潮は熱湯のように熱く、直接触れた皮膚などは焼け爛れているのではないかと思うほど痛んだが、構わず長剣を突き立て続けた。

 とにかく生きてさえいれば、あとは回復法術でなんとでもなる。


 そのままどれほどそうしていただろうか。

 やがて、吹き出す血の勢いが収まってきたと感じるころには、リンドブルムは完全にその動きをとめていた。


「や、やった……やったぞ!」


 頭の上でサラが歓喜の声を上げた。

 そうか……やったか……。


「【キュア】……」


 俺は最後の力で自分自身に回復法術をかけると、そのまま地面に倒れ伏した。


《特性【竜の血】を獲得しました》


 最後にそんな音声が聞こえた気がしたが、俺の意識はそこで途切れてしまった。


     ※


 ——何やら真っ白な空間の中を漂っている。

 いつだったか、神だかなんだかと邂逅したときの空間をよく似ているような気もするが、少し違うような気もする。


 ひょっとして、俺はあの竜の王との戦いで死んでしまったのだろうか。

 意識を失う前に自分の身を回復法術で癒やした記憶はあるのだが、すんでのところで間に合わなかったのか……?


《心配することはない。君は死んでなどいないよ》


 急に頭の中に声が響いてきた。

 それとともに、視界の中に金色の大蛇のような存在が姿を見せる。

 いや――これは、龍か……?

 つい先ほどまで死闘を繰り広げた竜ではなく、どちらかと言うと前生の俺がいた世界の伝承にあるような東洋龍に近い姿をしている。

 その身は全身を金の鱗で覆われ、獅子のような鬣と鹿のような角を持ち、ナマズのような長い髭がゆらゆらと宙にたゆたっている。


《此度は我が子が世話になったね。おかげで他の子らも己が立場を見つめ直したようだよ》


 金色の竜は白い空間の回遊するかのように廻りながら、そう言った。

 我が子というのは、もしやあのリンドブルムのことをだろうか。


《あの子は最も若い竜の王でね。神の使徒である君を滅することができれば、それが竜族の力を示すことになるだろうと思っていたようだ。まあ、本当に君があの子に滅ぼされる程度の存在であるなら、それはそれで仕方がないとも思っていたけれどね》


 くつくつと金の龍が喉の奥を鳴らすように笑った。

 言っていることの意味はよく分からなかったが、俺もいちおう愛想笑いを返しておいた。


《だが、やはり君が勝った。転生者が竜の洗礼を受けるのは実に六百年ぶりのことだ》


 竜の洗礼……?

 そういえば、六百年前の転生者は神と竜の両方の力を得ていたと言っていたが……。


《あれは竜と人とが互いに血を流し合う悲惨な時代だったね。紅き竜王が現れなければ、遠からず竜は滅びを迎えていたことだろう。彼女はその大いなる力で竜の王を統べ、その上で神の使徒たる転生者と雌雄を決することで人と竜との争いに終止符を打とうとした。結果として紅き竜王は転生者に討たれ、転生者は竜の洗礼を得た》


 竜が滅びる……? それを止めるために紅き竜王が竜の王をまとめ上げたが、結果的に当時の転生者に倒されてしまったと……?

 なんだかよく分からないな。

 確か、サラはリンドブルムとの戦いの前に盟約がどうとかも言っていたが……。


《紅き竜王は力強く賢い竜の王だった。最初から転生者が自分を討滅するだけの力を持っていることも感じていたようだね。力を示した転生者と自らの死を悟りながらもその戦いに殉じた紅き竜王に誓い、知恵ある竜はみだりに人と争わぬことを約束した。それが盟約だ》


 ゆらゆらとたゆたう金の龍の躰がゆっくりととぐろを巻きはじめ、気づけば俺はその長い躰で作られた檻の中に捕らわれるような形となっていた。


《此度の君の働きは、今を生きる竜の王たちに今一度その盟約の意義を再認識させることになったと言えるだろうね。そして、紅き竜王の転生体すら従える君ならば、次こそはこの世界の歪みを正すことができるかもしれない》


 そう言って金の龍がゆっくりと顔を近づけて来たかと思うと、何を思ったのかおもむろに巨大な顎を開き、そのまま身動きすら取れずにいる俺の体を丸呑みしていった。


《我々の力を正しく使ってくれることを期待しているよ》


     ※


 目を開けると、何故か眼前にシエラの顔があった。

 伏せられた双眸に薄く開いた唇――って、コレ、キスされるやつなのでは……?


「なにしてんのよっ!」


 ものすごい勢いでラシェルがシエラの首根っこを掴んで後ろに引きずっていく。

 なんだなんだ……? いったいどういう状況だ……?


 ざっとあたりを見回したところ、どうやら俺は岩陰か何かに横たえられていたらしい。

 意識を失ってからそれほど時間が経っているわけではないようで、あたりには不死化を解かれたレッサードラゴンやリンドブルムの亡骸がそのまま無様に転がっている。

 体を起こして自身の状態を確認してみるが、全身が血みどろになっていること以外はとくに目立った異常もなさそうだった。


「ラシェル、知らないの? 王子さまは運命のヒトのキスで目覚めるんだよ」

「運命のヒトならあたしでしょ!? まずはあたしに試させなさいよ!」

「ダメだよ。もしそうだとしても、それならシエラが先にしたほうが二人ともキスできるからそっちのほうがいいでしょ?」

「何が良いのよ!?」


 何やらよく分からない言い争いをしている。

 とりあえず、俺は王子さまなんかではないし、そもそも運命のヒトのキスで目覚めるのはお姫さまのほうだと思いますよ……。


「まあ、勝手に目覚めたということは、まだ主に運命のヒトはおらぬのかもしれんのう」


 ――と、少し離れたところでサラの声がしたような気がしたが……。


 何故かそこに立っているのはサラではなく、見覚えのない妙齢の女性だった。

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