第三九章 竜の王

 ドレイクでもワイバーンでもない、四肢と翼を持つリンドブルムと呼ばれる種の竜だ。

 実物を見るのは初めてだ。しかも、想像していたよりかなり大きい。

 リンドブルムは悠然と巨大な翼を羽ばたかせながらゆっくりと降下してくる。

 不思議なことに、その双眼はじっと俺を見据えているように思えた。


「まだ随分と若いようじゃのう」


 無事にドレイクたちの不死化を終えたのか、シエラとともに俺の側に歩み寄ってきながらサラが言う。

 若い――というのは、このリントブルムのことか……?

 何をもって若いとするのかはいまいち分からないが、古の竜の骨を媒介としているサラならではの基準みたいなものがあるのかもしれない。


《転生者とそれに使役される古の竜の王が現れたと知ってきてみれば、これはまた随分と無様な姿に身をやつしているようだな》


 脳に直接語りかけてくるかのように、そんな言葉が頭の中に響いてきた。

 そういう現象自体は脳内音声さんで慣れているが、ちょっとボリュームがデカいな……。


「若造め。共有知を得ておるわりに、姿形に捕らわれることの愚かさが分からぬと見える」


 緩やかに降下を続けるリンドブルムを睨め上げながら、サラが言った。

 その下ではシエラがすっかり萎縮してしまっており、俺の腕にしがみついて震えている。

 ラシェルもアイシャも眼前に迫る竜の存在に戦慄しており、俺たちの後ろに控えるように位置取りながら各々の獲物を手に固唾を飲んでいた。


《ヒト如きに滅された弱き竜の王……ましてその残滓が何を宣おうと我には響かぬ。貴様もろともそこな下等種を滅し、神の力など竜の前には児戯に等しいことを証明してみせよう》

「ふん……よほど自分の力に自身があるようじゃのう。600年前に交わされたあの盟約を反故にしてでも、己が力の誇示にこだわるか」

《くだらぬ。貴様らが交わした盟約など、我には関係なきことよ》

「じゃが、あの盟約ゆえに我ら竜の王はヒトとの共生を果たし、この世界の均衡が保たれてきた。若造、貴様はその狭量で我らが築いたこの安寧を崩そうと言うのか」

《愚問だ。何ゆえ我ら気高き竜がヒト如き矮小な存在と共生などせねばならぬのか》

「かつての竜の王もそのように驕り高ぶったがゆえに滅びの道を歩んだのだ。紅き竜王がその身を贄に盟約を結ばねば我ら竜は種としての力を失い、今ごろはただの魔物の一種族となり果てていたやもしれぬのじゃぞ」

《世迷言を。我ら竜が滅びることなどあり得ようか。かくなる上は我が力をもって神の僕を滅し、愚かなる始祖の残滓の殲滅をもって今日という日を新たなる夜明けとしよう》


 ――と、リンドブルムがそう告げたところで、不意に後ろから服を引っ張られた。

 振り返ると、ラシェルとアイシャが困ったような顔で俺を見つめている。


「あ、あのさ……」

「アイツ、なんて言ってんの……?」


 どうやらリンドブルムが何か喋っていることは察しているものの、その言語を理解できないでいるらしい。

 なるほど。竜も竜で独自の言語を用いているらしいな。

 まあ、内容的にはおまえらぶっ殺してやる的なことしか言ってないので、そんなに気にしなくても大丈夫です。


「はぁ!? つまり、こんなバカでっかい竜と戦うってこと!?」

「さ、さすがにコレは無理じゃないかなぁ……!?」


 二人が目ン玉をひん剥きながら後ずさった。

 まあ、確かに先ほどのレッサードラゴンとは体のサイズも威圧感も明らかに違う。

 とはいえ、威圧感だけで言えば目の前のリンドブルムよりも怒ったときのラシェルのほうが怖いし、さらにこちらには不死化した三匹の竜もいる。

 倒すことは不可能でも、撃退することくらいならできるのではないだろうか。


「……キョウスケくんがそう言うなら、やるしかないね」

「ちょっ! あたしが先に言おうと思ったのに!」


 うむ。どうやらやる気になってくれたみたいだ。

 

「し、シエラは怖いから、マスターが守ってくれる?」


 ギュッと俺の腕を胸に抱き寄せながら、潤んだ瞳でシエラが見上げてきた。

 最近、ちょっとずつ分かってきたんだが――コレ、たぶん演技だな。


「……ちぇっ。マスター、かよわい子はキライ?」


 シエラが唇を尖らせながら俺の側を離れ、地面に置かれたブロードソードを拾い上げた。

 かよわい子は嫌いじゃないけど、シエラは別にかよわくはないからね……。


「緊張感のないやつらじゃのう。そら、竜の王がくるぞ!」


 サラがシエラの頭の上から飛び上がり、使役したワイバーンの頭の上に移る。

 ――と、その一言を合図にしたかのようにリンドブルムが羽ばたきをやめ、その巨躯が重力に引かれるままに落下してきた。

 リンドブルムの着地とともに岩山全体が鳴動し、この近隣で羽根を休めていたらしい野鳥の類が一斉に空へと飛び立っていく。


《矮小な下等種どもめが。己が無力さに打ちひしがれながら朽ち果てるがよい》


 顎を薄く開きながら発したその言葉とともに、リンドブルムが前脚で大地を打ち据えた。

 その瞬間、大地を割りながら鈍色に光る刃が次々と突き立ちはじめ、猛烈な勢いで俺たちのもとに迫ってくる。

 な、なんだ、この力……コイツ、魔術を使うのか——!?

 竜族は通常の魔物とは違うというくらいは心得ているが、まさかいきなりこんな芸当をしてくるなんて、予想外もいいところだ。


「ドレイクを上手く使え!」


 サラが叫び、俺たちは言われるままにドレイクの背中に飛び乗った。

 ドレイクたちは巧みに地中から突き出す刃を跳び避けながら、リンドブルムの躰の周りをぐるりと駆け廻る。

 一方、サラが乗ったワイバーンは翼を羽ばたかせながら宙に舞い、血走った眼をギョロつかせながらその顎を開き、赤黒く不気味な輝きを放つブレスを吐き出した。

 しかし、リンドブルムは翼をはためかせながら大きく後退してそれを躱し、そのまま何を思ってかワイバーンに対して背中を見せるように前脚を伸ばして前傾姿勢を作る。

 すると、その背中を覆っていた鱗が逆立つようにそそり立ち、あろうことかその鱗が矢弾のようにワイバーン目がけて射出されていった。

 サラは最初から想定していたとばかりにワイバーンを操って回避しているが……こ、コイツ、マジでなんでもありじゃない!?


「な、なんなのよアイツ!」


 ドレイクの背中から振り落とされないよう必死にその背中にしがみつきながら、ラシェルが驚愕の声を上げている。

 彼女は俺とは別のドレイクに乗っており、その前にはアイシャの姿もあった。

 アイシャもドレイクの背中に必死に掴んでいるが、その手には鈴楽器が握られている。

 隙を見て【神楽】を使うつもりなのかもしれない。


「マスター、見て! アイツの背中!」


 俺と同じドレイクに乗っているシエラが、リンドブルムの背中を指さした。

 見やると、鱗が射出されて表皮が剥き出しになっている部分が目に映る。

 ――と、次の瞬間、その部位に新たな鱗が生え、瞬く間に表皮が覆い隠されてしまった。

 おいおい、無敵か……?


「こなくそっ!」


 ドレイクの上という不安定な場所にも負けず、ラシェルがオレイカルコスの弓につがえられるだけの矢をつがえて一気に斉射する。

 ――が、あろうことかリンドブルムの鱗はあっさりとそれら矢弾を弾き返してしまった。

 まるで硬質な金属に弾かれでもしたかのような音がしたが、あるいはそれほどまでにこのリンドブルムの鱗は強靭なものなのか……?


「どうなってんのよ!」


 ラシェルが悔しそうに歯噛みする。

 というか、オレイカルコスの弓ですら射抜けぬ鱗など、どうやって傷つけろというのだ。


「【舞神楽・旋風】!」


 シャンッ! ――と、アイシャが鈴を鳴らした。

 刹那、再び不可視の波動が広がり、今度は身体が軽くなるようなそんな感覚に包まれる。

 それは使役された竜たちも同様のようで、空を舞うワイバーンや大地を駆けるドレイクの動きも目に見えて軽やかさを増していた。


「良いぞ! いっせい砲火じゃ!」


 サラが飛翔するワイバーンの上から声を上げ、それと同時に俺たちの乗っていたドレイクたちも脚をとめてリンドブルムに向き直る。

 そして、大きくその顎を開いたかと思うと、一斉に黒紅色のブレスを放射した。

 同時にワイバーンも空中からブレスを吐き、三方向から同時に浴びせられた熱波にリンドブルムの鱗が赤黒く染め上げられていく。


《戯れを……遊びの時間は終わりだ!》


 しかし、涼しい顔でレッサードラゴンたちのブレスを受けとめると、リンドブルムはその首をもたげ、大きく顎を開きながら大地を鳴動させるほどの咆哮を上げた。

 瞬間、ドレイクたちの動きがビクッと震えたと同時に静止し、宙を待っていたワイバーンですらその羽ばたきをとめて降下してくる。

 傍らのシエラも目を見開いたまま硬直しており、気になってもう一匹のドレイクのほうを見やると、ラシェルやアイシャも完全に身動きが取れなくなっているようだった。

 まさか……何か特殊な状態異常か――!?

 俺だけ影響がないのは、以前に獲得した【絆】スキルの効果によるものかもしれない。

 リンドブルムはゆっくりとワイバーンのほうに向かって足を進め、とどめでも刺そうとするかのようにその前脚を高く掲げている。

 このままではサラの身が――と、思ったが、よく見るとワイバーンの頭の上からはサラの姿が消えていた。ど、何処に行った……?


「ここじゃここじゃ」


 うおっ!? いつの間にか俺の太腿にくっついてる!


「咆哮がきそうな気がしたので逃げてきたのじゃよ。ワイバーンはぺちゃんこにされてしまうじゃろうが、まあよい。不死じゃし、頭くらい潰されてもまだ使いようはある」


 サラはそのままシエラの体に飛び移ると、その頭の上によじ登ってポカポカと小さな拳で彼女の頭頂部を叩きはじめた。


「ほれ! いつまでボーっとしておるのじゃ! 目を覚ませ!」

「……んあっ!? さ、サラ!?」


 シエラが驚いたように我に返る。

 というか、そもそもサラはなんで大丈夫だったんだ……?


「ワシは五百年の時を生きた紅き竜王じゃぞ。あんな若造の咆哮ごときにビビるものか」


 むう、よく分からんが、咆哮が効かないならそれでいいか。


「それより、急いで彼奴の注意を引くのじゃ。見よ、ラシェルたちはまだ咆哮の呪縛に捕われておる」


 サラに言われて見やると、確かにその二人は未だに目を見開いたまま硬直している。


「シエラがいち早く呪縛を抜けられたのも魔族ゆえじゃ。竜の王の咆哮は魂を捕らえる。たとえラシェルやアイシャほどの手練れでも、その呪縛からはおいそれと抜けられぬ」


 ま、マジかよ……逆に言うと、俺の【絆】スキルってそれだけすごいんだな……。


「当たり前じゃ! 神の加護じゃぞ!」


 それもそうか。よし、ならばこの若造とやらに神の力を見せてやるぜ。


 ――って、ドレイクは固まったままなんだよな。

 ど、どうしよう……?

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