第三六章 悪女の片鱗

 何やらいろいろと寄り道をしてしまった気もするが、ようやく俺たちは魔物退治のために村の北にある岩山に向けて出立した。

 工房を出る前にシエラがグスタフから一振りの剣を譲ってもらっていたようだが、代金を支払わなくても良かったのだろうか……。


「いいよいいよ! 親父のお古の中の一本だって話だからね!」


 大事そうにブロードソードを抱えているシエラの姿を見ながら、アイシャが言った。

 グスタフは工房を構えて職人業に勤しむ傍ら、今でも村の周辺に魔物や野盗などが出た際は積極的に討伐に出向いており、そのための武器も自作しているという。

 つまり、シエラが譲り受けたのはそんなグスタフが過去に使っていた代物だということなのだろうが、それにしたってただで頂くというのはさすがに気が引けた。


「遠慮なんてしなくていいよ! アタシたち、これから家族になるわけだしさ……」


 言いながら、アイシャが頬を染めながらスススッと歩み寄ってきて、俺の腕を取りながら身を寄せてくる。

 あ、あれ……? けっきょくその話は有効だったの……?

 ちなみに今回のアイシャは以前に会ったときに着ていた作業着ではなく、冒険者時代に使っていたという少し変わった装衣を身につけている。

 袖のない白い装束の上に鋼のチェストアーマーを着け、プリーツのある朱色のキュロットをはいて、腕と脚には同じ朱色の飾りつけがついた白地の装具をつけていた。

 これは彼女の職である【戦巫女】にあやかったものだそうで、大陸の東端にあるちょっとオリエンタルな雰囲気のある地方に立ち寄った際に気に入って買い揃えたのだという。

 暗褐色の肌とのコントラストもあり、見た目にもなかなか華やかだ。


「ノティラスに教会があるから、結婚式はそっちでやろうね。村の人も呼んでさ……」


 俺の腕を胸許に抱き寄せながら、幸せそうに笑ってアイシャが言った。

 くっ……こんな笑顔を見せられたら、俺はもう何も言えなくなってしまう。


「あっさり絆されてんじゃないわよーっ!」


 ぶふっ!? す、すみませんーっ!


 ラシェルにものすごい勢いでぶん殴られてしまった……。

 あまりの威力に首がもげるかと思ったぜ。

 そのままラシェルは俺を腕を掴んでアイシャからベリッと引き剥がすと、殺意すら感じる凄絶な目つきでアイシャを睨みつける。


「アイシャ、悪いけど、キョウスケの妻はあたし一人で十分なの。あたしでさえまだ結婚式を挙げてないのに、勝手に話を進めないでくれる?」

「別に奥さんが何人いてもいいと思うけど……」

「それはオーガの価値観! 人間は一夫一妻制なんだから!」

「人間だって、南のほうじゃ奥さんを何人も娶ってるヒトはたくさんいたよ?」

「南方貴族は特別! キョウスケは西の出身なの!」


 何やらやいのやいのと言い合っている。

 別に俺は西の出身ではないが、話がややこしくなるから口は挟まないでおくか……。

 二人が言うように、大陸の南方が少し変わった風土であることは事実だ。

 南部地方はオーガ族が多く、人間とオーガ族の混血が多いことも無関係ではないだろう。

 とくに南方貴族と呼ばれる地方領主などは後宮を構えていることも多く、いろいろと賛否はあるだろうが、それが貧困層のセーフティネットになっている側面もあった。


「じゃあ、ラシェルが一番で良いからさ! まだなら一緒に結婚式挙げようよ! どうせならフィーちゃんも誘えばいいんじゃない? きっと盛大な結婚式になるよ!」


 アイシャがラシェルの手を取りながら、キラキラした瞳でそんな提案をしてくる。

 さすがにその提案は予想していなかったのか、ラシェルは目を白黒させていた。


「そ、そういう問題じゃないわよ! キョウスケは優柔不断だから、きっとみんなが奥さんになっちゃったら、みんな平等になっちゃうに決まってるんだから!」


 おお、さすがラシェルだ。俺のことをよく分かっている。

 別に平等で何が悪いのかとも思うが、まあラシェルは納得しないよな……。


「大丈夫! キョウスケくんはいつだってラシェルが一番だよ? ねえ?」


 ――と、ものすごく唐突にアイシャがこちらに話を振ってきた。

 あ、えーと、はい。俺はいつでもラシェルが一番です……。


「言わされてるだけじゃない!」


 ラシェルは牙を剥いて俺を睨みつけている。

 いやいや……確かに今のはちょっと言わされてる感もあったかもしれないが、アイシャの言うとおりラシェルが俺にとって特別な存在であることは純然たる事実だ。

 少なくとも、俺がこの世界に降り立ってから最も長い時間をともに過ごした女性であるという事実だけは揺るぎない。

 そして、それはきっとこれからも変わることはないだろう。


「キョウスケ……」


 こちらを見るラシェルの瞳から剣呑さが消えていく。

 良かった……闇は浄化されたのだ。チョロいとは言うまい。


「結婚って、従魔契約と何か違うの?」


 不意にシエラが俺の側に歩み寄ってきながら訊いてくる。

 そうだな……従魔契約は場合によっては信頼関係がなくても結べてしまうが、結婚は互いに信頼と愛情がないと――と、言いたいところだが、実際はそのかぎりでもないか。

 ええと、結婚は基本的に男女の間で行なうもので――って、これも最近ではなんとも言えない感じになってきてるしな……。

 そもそも結婚は相手の占有権を確約するための契約のようなもので……いや、それだってその土地の風土によって異なるわけだし……。

 あれ? ひょっとして、実は従魔契約と結婚ってそこまで大きな違いはないのか……?


「じゃあ、シエラはマスターのおヨメさんってコト?」


 シエラがキョトンとした顔でさらに訊いてきた。

 いや、おヨメさんではないんじゃないかな。


「なんで?」


 な、なんで……!? なんでかなぁ……!?

 とりあえず、シエラからおヨメさんになりたいと言われた覚えはないし……。


「キョウスケ、それ以上はダメよ!」


 ――と、唐突にラシェルが駆け寄ってきて、今度はシエラの首根っこを掴んで俺の側から引き剥がしていった。

 シエラは後ろ向きに引きずられたまま、じーっと俺の顔を見つめている。


「シエラもマスターのおよ」

「ダメよ!」

「むぐむぐぐ」


 何か言いかけるシエラの口を、ラシェルが無理やり手で塞いだ。

 シエラの背負う鞄からいつものように顔だけ出しているサラが、そんなラシェルの様子をニヤニヤと見上げている。

 俺が得も言えぬ脱力感を感じていると、アイシャが再び俺の側まで歩み寄ってきて、腕組みをしながら困ったように鼻を鳴らした。


「ラシェルもワガママだなー。あたしだって昨日までだったら我慢もできたけど、あんな気持ちいいこと知っちゃったらもうあとには引けないよ。ねえ?」


 そう言いながらアイシャがパチッとウィンクをしてくる。

 ねえ、と言われてもさ……。


《スキル派生の条件を達成しました。【絆・争奪戦】を獲得しました》


 うおっ!? 俺が言えた義理じゃないが、みんな仲良くしてぇー!


     ※


「岩山に住み着いた魔物って、どんなヤツなの?」


 山道を進む最中、山頂のほうに顔を向けながらラシェルが言った。


「ヴァーチャーだね。いわゆる禿鷲ってヤツ」


 隣を歩くアイシャが告げる。

 彼女の腰には朱色の握りがついた奇妙な形状の鈴楽器が提げられていて、それが歩くたびに涼し気な音を立てていた。

 これは【神楽】という特技の効果を高める魔導具なのだそうで、アイシャが着ている装衣と合わせて東部地方に赴いた際に入手したものだという。


「なるほど。確かにヴァーチャーは近接職だとちょっと不便ね」

「でしょ? ラシェルに協力してもらえるなら百人力だよ!」


 アイシャがニカッと微笑みかけ、ラシェルも満更ではなさそうな顔をしている。

 ラシェル、誉められるとチョロいからな……。

 曰く、魔物が現れたのは山頂付近の岩場らしく、山道を進んでいけば一時間足らずで辿り着けるとのことだ。

 たまたま石材採取の際に魔物の羽根を見つけ、怪しげに思って山頂を確認に行った昨日の時点ではすでに巣らしきものまで作られつつあったらしい。

 発見が遅れただけで、魔物が住み着きはじめたのはもっと前のことだということだろう。


「シエラも上手く戦えるかな」

「なに、おぬしなら問題なかろう」


 やや不安そうに呟くシエラを彼女の頭の上に乗ったサラが励ましている。

 すっかり鞄の中が定位置になっていたサラだが、魔物と戦闘になれば彼女の手を借りたくなる局面も出てくるかもしれないので、今は表に出てきてもらっている。


「存外、鞄の中も悪くはなかったぞ。なにせワシは太陽光が苦手でのう」


 サラが両手で目の上に庇のようなものを作りながら言った。

 まあ、眩しいというのもあるのだろうが、単純にその身が不死者だからだろう。

 苦手という一言で片づけられている時点で、むしろ大したものだと思うが。


 ――それにしても、先ほどからシエラが俺の手を握ったり離したりしているのはなんの目的があってのことなのだろうか……。


「あのね……ラシェルを見てて」


 シエラが背伸びをしながら俺の耳許でそう囁き、そのまま俺の手をギュッと握ってきた。

 すると、まるで何かを察したかのようにラシェルの肩がピクッと動く。

 そして、ラシェルの首がこちらを振り返るように動きかけるが――それよりも先にシエラは俺から手を離しており、ラシェルの首もそこで動きをとめ、また正面に向き直る。


「……ね? おもしろくない?」


 シエラが俺の顔を見上げたままニッコリと笑って言う。

 こ、コイツ、悪女の片鱗が見えるんだが……。


「シエラは幼体といえ魔族の娘よ。見た目に騙されては魂まで吸いつくされるぞ?」


 シエラの頭の上でサラがニヤニヤと笑っている。

 ちょっとこれはいよいよ面倒なことになってきたかもしれんな……。


《スキル派生の条件を達成しました。【絆・からかい上手】を獲得しました》


 えぇ!? 俺はやってないよ!?


     ※


:絆・争奪戦 【これはすべてあなた自身が蒔いた種です(自身に対して特定の感情を持つ仲間が二人以上いた場合、それぞれの全ステータスに1.1倍補正。さらに以下のスキルの発動条件が緩和されます。【絆・嫉妬】【絆・独占欲】【絆・ヤミ】【絆・恋の鞘当て】)

:絆・からかい上手 【思わせぶりな仕草で相手の心を捕らえましょう(タウントの効果が上昇)】

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