第二八章 再誕

 この違和感はなんだ……?


 真っ直ぐに宙天を見上げる死霊術師の目には悲嘆の色が感じられない。

 まだ終わっていない――そんな嫌な予感がした。

 だが、もはや死を待つことしかできないこの男に、この後に及んで何ができる……?


「貴方には……感謝をいたしましょう……グブッ……順序は違えましたが……これもまた私の悲願……ゴホッゴホッ……」


 苦しげに言いながら、男がその腕を力なく天に向かって伸ばした。

 すると、まるでその動きに呼応するように、茂みの奥に弾き飛んでいったはずの白い杖がふわりと舞い戻ってくる。

 そして、男は両手でその杖を握り直したかと思うと、何を思ったのか自分の体に向かってその杖を思い切り突き立てた。


「ゴフッ……!」


 な、何をしているんだ…!?

 ギョッとしながらその光景を見下ろしていると、急に何者かに後ろへと引っ張られた。


「ま、まずい! 離れて!」


 フィーだった。彼女に腕を引かれ、俺とラシェルはそのまま後方へと引っ張られていく。

 なんだ……? 何が起ころうとしている……?


「あれはきっと死霊術師の最後の奥義……不死転生だ!」


 真っ青な顔をしながらフィーが告げる。

 不死転生――!? それってつまり……。


「自分自身を不死者にしちゃうってこと……!?」


 驚嘆したように言って、ラシェルが死霊術師の倒れているほうを見やる。

 いつしか突き立てられた白い杖を中心に暗澹としたオーラが立ち込めており、まるで男の体から何かを吸い上げているように、白い杖が下のほうから赤黒く染まりはじめていた。


「なんか、すごくイヤなニオイがする……」


 怯えたようにシエラが俺の体に縋りついてくる。

 まあ、俺の体も今やフレッシュゴーレムの返り血まみれで、わりと酷い臭いがしていそうな気もするが……。

 なんにせよ、危険なことが行われようとしていることは間違いなさそうだ。

 ——ならば、それが完遂される前にとめられないものなのだろうか。

 幸いにも俺にはまだ魔術がある。

 ひとまず俺は【エクスプロッシブ】の残数が残っていることを確認すると、立ち込める黒きオーラの中心に向けておもむろに術を放った。


「【エクスプロッシブ】!」


 瞬間、炸裂した閃光が赤黒く染まりつつあった杖を男の体から弾き飛ばす。


「……は?」

「えっ……?」


 愕然とした面持ちで、ラシェルとフィーが俺の顔を見上げてきていた。

 あれ? ひょっとして、なんか変なことしちゃいました……?


「いやいや……え? コレってどうなっちゃうの? フィー、分かる?」

「わ、分からない。だって、まだ術式は途中で……ええぇ?」


 二人はアワアワと慌てふためいている。

 ひとまず死霊術師の体の周りに立ち込めていた不吉なオーラは晴れたようで、爆破魔術で弾き飛ばされた杖だけが寂しく地面に転がっている。

 何故か完全に困惑状態に陥っている二人はいったん放置して、俺は地面に横たわっている死霊術師のもとに歩み寄った。

 すでに男は完全に事切れているようで、開き切った瞳孔が虚しく宙を仰いでいる。

 一方で、少し離れたところに転がっている杖は、赤黒く変色した部分が脈動でもしているのか、まるでその部分だけが生き物にでもなったかのように不気味に蠢いていた。

 気づいたとき、俺は引き寄せられるようにその杖を拾い上げていた。


「ちょ、あんた、勝手に何やってんのよ!?」

「あ、あぶないよ! すぐに離して!」


 そして、ものすごい勢いで二人に咎められてしまう。

 確かに、ちょっと軽率な行いだったかもしれない。

 どんな危険があるかも分からないし、こんな不気味なものは捨て置くか――と、素直に杖を手放そうと思ったところで、思わぬ自体に見舞われてしまった。

 というのも、何か不思議な力で杖が手から離れなくなってしまったのだ。


「ああああっ! そうやって考えなしに拾うから!」

「ていうか、手! あんたの手が!」


 言われて自分の手を見下ろすと、気づけば杖を握っている部分から侵食されていくように俺の手も赤黒く染まりはじめていた。

 え……? ひょっとして、これってヤバい状況では……?


「ど、どうなってるの!?」

「た、たぶん、この杖が不死者化の触媒になってるんだ! 本当ならこの男の亡骸から力を吸い上げて不死者としての新たな体を作り出すはずだったのに、それを途中でとめちゃったもんだから、きっと足りない部分をキョウスケの体で補おうとしてるんだよ!」


 ま、マジかよ。じゃあ、このままだと俺もこの杖に吸い取られてしまうのか……?


「な、なんとかできないの!?」

「死霊術は法術で無効化できる場合もあるけど、ボクは法術は使えないし……」

「法術なら、キョウスケが使えるじゃない! なんか適当にやってみなさいよ!」

「ええっ!? キョウスケ、魔術だけでなく法術まで使えるようになったのかい!?」


 フィーが目を見開きながら驚きの声を上げる。

 そう言えば、彼女には俺のスキルについてまだ詳しく説明していなかったな。

 まあ、それについては追々説明するとして、今はこの杖についてだ。

 俺の法術でなんとかなるかもしれないなら、ひとまず試すだけでも試してみるか。


「【リフレッシュ】!」


 まず俺は最初に覚えた【リフレッシュ】を使用してみた。

 柔らかな燐光が俺の体を包み、なんとなく気持ちがスッキリした気がする。

 これは毒などの状態異常を治療するための法術で、俺がこれまでに使っている魔術のような【絆】スキル独自のものではなく、この世界に一般的に普及しているものである。

 ただ、やはり他の術式と同様に回数制ではあるらしく、使用すると同時に視界の端にいつもの表示が現れていた。


 リフレッシュ 4/5 CT残:600


 思った以上に一回あたりのCTが長いな……。

 そう何度も使うような状況にはならないと思うが、使いすぎには注意しないとな。


「変化ないわね……」

「キョウスケ、他には何かないのかい?」


 うむ。まだもう一個あるぞ。


「【キュア】!」


 今度は回復法術だ。

 目にも心にも優しい若草色の淡い光がドス黒く変色しはじめた俺の腕を包み込み、不思議な温もりが皮膚を通して俺の腕の中へと染み渡っていく。

 そして、視界の端に先ほどの【リフレッシュ】と同様に残り回数とCTの表示が現れた。


 キュア 4/5 CT残:3600


 おお、こっちはもっと長いのか……。

 まあ、回復法術は即死さえ防げればほぼあらゆる傷を癒せる術式だからな。

 最大で五回まで連続使用できるだけでも十分と考えるべきか。


 ――と、そのとき、何か強烈な力に弾かれるように俺の手から杖が飛び出していった。

 どうやら、期待どおり杖に宿った死霊術の力と俺の回復法術の力が反発してくれたらしい。


「やった! うまくいった!」

「よ、良かったぁ! んもう! あんた、たまにワケ分かんないことするんだから! もう勝手に怪しいもの拾ったりしたらダメなんだからね!?」


 なんだか子どもみたいに叱られてしまった。

 まあでも、今のところ俺の体に異常はなさそうだから、大きな問題は……。


「マスター、あの杖、なんか変だよ」


 シエラが俺の服の裾をくいっと引っ張りながら、勢い余って少し離れたところに転がっていった杖を指差している。

 言われて見やると、先ほどまでは先端が白かったはずの杖がいよいよその全体を赤黒く染めており、表面をぬらりと輝かせながら不気味に脈動している。


「ま、マズい……! キョウスケの力を吸ったせいで、不死者化に足りてなかった分を補えちゃったのかも……!」


 フィーが口許をおさえながらまた顔を青くしている。

 よし、それなら今度は叩き折ってやる――と、長剣を握りしめながら杖に斬りかかろうとする俺だったが、今度は後ろからラシェルに羽交い締めにされた。


「だーかーらーっ! そういうのをやめろって言ってんのよ!」


 そうは言うが、おめおめと不死者化するのを待っていたら、それはそれで面倒なことになるかもしれんのだぞ。


「……なんか、あの杖、シエラとおんなじ感じがする」


 ――と、そのとき、脈動する杖を見つめながらシエラがそんなことを言った。

 同じ感じ……? それはつまり、魔族になるとかそういう意味での話だろうか。


「……それって……」


 ふと何か思いついたように、フィーがシエラの顔を見る。


「ひょっとして……シエラ、あの杖からまだイヤなニオイはするのかい?」

「あ……しない、かも。なんか、あの杖からマスターのニオイがする」


 ――なぬ? いや、さすがに杖に臭いがつくほどクサくは……。


「いや、そういう意味じゃないでしょ」


 いてっ! 背中をどつかれてしまった……。


 ――となると、何かこう気配のようなものという意味で、あの杖から俺と同じニオイを感じるということだよな。

 ふーむ……不足した力を補う過程で俺の力を吸い上げたのであれば、その過程で俺の因子のようなものでも混ざり込んでしまったのだろうか。


「分からないけど……でも、キョウスケのせいで本来とは違う結果になりつつあるのは確かだと思う」


 自信なさげにそう言いながら、フィーもじっと杖のほうを見やる。

 やがて、脈動する杖はふわっとその場に浮かび上がったかと思うと、ぐにゃりと周囲の空間ごと捻じ曲げながら漆黒の球体を形成した。

 そのまま黒い球体は放電するように赤黒い雷光を放ちはじめ、さらにその形を小さな人型へと変容させる。


「ふ、ふ、ふ……」


 俺たちが固唾を飲んで見守る中、人型になってフワフワと浮かぶ黒塗りのその物体は、まるで笑いでも堪えるかのようにそう発した。

 そして、四肢をぐっと伸ばすような姿勢を取ったかと思うと、表面を覆っていた薄皮を剥がすかのように全身にかけて鮮やかに色がついていき、その本来の姿が露わになる。


 ――いや、待て。これはいったいなんだ……?


 それは一見すると、これまでに見たこともない小さな種族の女性のように思われた。

 血の気を感じない真っ白な肌に赤みがかった暗い色の長い髪、黄金色の瞳は爬虫類を思わせる縦長の瞳孔をしており、その体はレオタードのように赤い鱗で覆われている。

 背中には竜のものを思わせる翼と尻尾が生えており、不死者というよりは竜の要素を備えた妖精か何かとでも言われたほうがしっくりくる見た目である。


「ふわあぁ……」


 どうやら目の前の小さな存在は、単にアクビを堪えているだけのようだった。

 俺はふと思い立って、空中で両手両足を精一杯に伸ばしてアクビをするそれに対して【観察】スキルを試してみることにした。


:名前 なし

:種族 ドラゴンリッチ

:状態 従属


:STR 68

:VIT 56

:CON 87

:SEN 92


 えっ……従属……?

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