第二二章 チョロいヒトたち

「……まあ、従魔契約に前向きになってくれてるなら別にかまわないけどね。その子が納得してくれたなら、掌と額のマークを近づけてみてくれる?」

「ねえ、この子、なんで急に尻尾振りだしてるわけ……?」


 ラシェルの言葉は無視して、俺は言われたとおり紋様の浮かび上がったほうの掌を少女の額に近づけてみた。

 すると、俺の掌と少女の額との間でビリッと電流のようなものが走る。

 驚いたように少女が自分の額をおさえながら目を瞬かせ、俺は俺で驚きのあまり自分の掌を見下ろしてしまう。

 何が起こったのかはよく分からなかったが、俺の掌から紋様状の痣が消え、代わりに皮膚が裂けて薄らと血が滲み出していた。


「その血を彼女に飲ませるんだ」


 俺に向かってそう告げるフィーの声は、彼女にしては珍しく少し興奮気味だった。


「これがうまくいったら、魔族の従魔契約に成功した貴重な例になる。経過観察が今から楽しみだよ」


 なるほど。研究者としての血が滾って仕方がないのかもしれないな。

 今さらやめようと言っても無駄だろうし、俺は諦めて少女に掌を差し出すと、その上に薄らと溜まった血液を舐めるよう伝えた。

 少女は恐る恐る俺の手を取りながらゆっくりその顔を近づけていくと、小さな舌でぺろりと俺の掌を舐めた。

 瞬間、少女の額に浮かび上がっていた紋様状の痣が光り輝き、それと同時に俺の頭にいつもの音声が響き渡る。


《スキル派生の条件を達成しました。【絆・従魔】を獲得しました》


 おお、そんなスキルまであるのか。

 とりあえず脳内音声さんが反応したということは、無事に従魔契約が結べたと認識して良いのだろうか。


「あ、頭の中に何かが入ってくる……」


 少女も少女で、頭痛でも堪えるかのように頭を抱えながら呻いている。

 ふと思い立って頭の中で念じてみると、いつぞやのように顔の横にステータスボードの四角い枠が表示された。


:名前 なし

:職業 なし

:状態 従属


:STR 0

:VIT 0

:CON 0

:SEN 0


 おお、やはり、これまでとは表示内容が変わっているな。

 おそらくは従魔契約の影響なのだろうが、俺たちと同じような内容になっている。

 数値がすべて0なのは、おそらく職業に就いていないからだろう。

 そもそも俺たちが就いている職業というのは神の加護にあたるものらしく、仕組みはよく分からないが、これがあってはじめてステータスによる恩恵を受けられるらしい。


 ちなみに職業に就くには大きな街にあるリグ・デュードマ神殿という場所で職能の神の神託を受ける必要がある。

 もし従魔になったこの少女が職能の神の神託を受けられるのであれば、いつか機会を見て受けさせてみてもいいかもしれないな。


「こ、言葉が……!」


 ——と、ラシェルが何やら目を丸くして少女のほうを見つめている。


「どうやらうまくいったみたいだね。キミ、ボクの言葉は分かるかい?」


 フィーも何かに気づいたようで、少女の傍らに座り込みながらその顔を覗き込んでいた。

 そうか。俺は【言語理解】のせいで逆に分からなかったが、先ほどの一言は共通語で発されていたものだったのかもしれないな。


「わ、分かる……アナタは、フィー……そこのお姉さんはラシェル……だよね?」


 片手で頭をおさえながら、やや虚ろな目つきで少女が言った。


「ど、どうして分かるの?」


 ラシェルがやや困惑気味の表情で訊いてくる。

 俺も少し驚いた。

 そういえば、頭の中に何かが流れ込んでくるといったようなことを口走っていたが……。


「おそらく、従魔契約に伴う知識の共有が行われたんだろうね。従魔には、盟主の記憶をもとに従魔として必要な知識が与えられるんだ。分かりやすいところで言うと、言語やヒト社会の一般常識、盟主の交友関係などがそうかな」


 なるほど。確かに、せっかく従魔化しても躾ができるまで野生と変わらないとあっては、おいそれと人里に連れて行くこともできないものな。

 ただ、もともと知性を持たないような魔物であれば空っぽの器に知識を詰め込むだけの単純なものだったのだろうが、この少女の場合はそうではない。

 おそらくこれまでの記憶に上書きされるような形で俺の持つ知識が共有される形になったことだろうから、心身にかかる負担もそれなりに大きいのだろう。


 ――と、少女がぼんやりとフィーの顔を見つめながら、弱々しい声で囁く。


「フィー……マスターの初恋のヒト……」

「えっ……? あ、そ、そうなのかい? そ、そっか、初恋だったんだ……」


 うおお!? 急に何言い出してんのォ!?


「ちょっと、今はそんなことどうでもいいでしょ」


 ラシェルが明らかに苛立った表情で少女に詰め寄っていく。

 そんな彼女のほうにゆっくりと顔を向けながら、少女が薄く唇を震わせた。


「ラシェル……マスターの可愛いお嫁さん……」

「か、可愛い……!? そ、そう……?」


 ちょ、チョロい……。

 もしかして、この子、分かってて言ってるのでは……?


「ワタシ、助けてもらえる……?」

「もちろんだよ」

「あたしたちに任せなさい!」


 フィーが少女の傍らに座り込んで優しくその頭を撫で、ラシェルが俺を押し退けながら少女の前に歩み出て力強く頷いた。

 コイツら、ちょっとチョロすぎんか……?


     ※


「痛っ!」

「あれ……? 従魔化したはずなのに、おかしいな……」


 結界を生み出しているロープのもとまで戻ってきた俺たちだったが、ちょっとした問題に直面していた。

 従魔化したことで少女も結界も抜けられると安易に考えていたのだが、そうはならなかったのだ。

 それならと結界を解除しようにも、結界の力があまりに強力すぎて俺たちでは解除することができないときている。

 本来、結界の解除自体はロープを切れば良いだけなのだが、何か不思議な力によって護られているようで、ラシェルの短剣でも俺の長剣でもロープには傷一つつけることができなかった。


「ロープである以上は何処かに結び目があるはずだから、そこを探すしかないかな……」


 森の奥に続いているロープの先を眺めながら、フィーが呟く。

 なるほど、結び目を解けば自ずと結界にも綻びが生まれるということかな。


「ていうか、従魔化しても結界は越えられないのね」

「うーん……普通はそんなことはないと思うんだけど、よっぽど特別な結界なのかもしれないね。キミ、もうこのロープに近づいたらダメだよ」

「分かった……」


 少女とロープの間に入るように立ちながら、フィーが告げる。

 どうやら結界に触れると体に電流を流されているような痛みが走るらしく、少女は恐ろしいものでもみるかのような目でじっと地面に張られたロープを見つめていた。


「……ていうか、あんた、名前はないの?」


 ふと、ラシェルが少女を見ながら訊く。

 先ほどのステータスを見るかぎりはなさそうだが——そうか、あの表示は俺にしか見えていないんだったな。


「ワタシ、名前ないの」


 少女が答え、それから俺のほうを見て言った。


「マスター、ワタシに名前をつけて欲しいな」


 ふむ……まあ、成り行きとはいえ盟主になったわけだから、俺が名をつけてやるべきか。

 では、ポチ——いや、女の子だし、ハナコというのはどうだろうか。


「……ラシェル、ワタシに名前をつけて欲しい」


 えっ、ダメ!? ダメってコト!?


「ええ? ……じゃあ、シエラなんてどう? 昔飼ってた犬の名前だけど……」

「うん、シエラがいい! ワタシ、今からシエラだね!」


 あれー……? 犬の名前でいいなら、別にハナコも悪くないと思うんだけどな……。


「キョウスケ、いつか子どもができたときは、もうちょっとマシな名前を頼むよ……」


 何故かフィーにめっちゃ半眼で睨まれてしまった。

 まあ、シエラという名前に本人が満足しているなら別に良いんだけどさ……。


     ※


:絆・従魔 【従魔の力は盟主の力です(従魔の強さに応じて自身のステータスを強化)】


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